石じじいの話・モンゴルのことわざ - その1
石じじいの話です。
じじいの話の聞き取りノートのなかには、意味がよくわからない短い文が、あちこちの残されています。
短い話ではなく、ことわざのような文です。
最近、これは、じじいが満州、蒙古を旅したときに現地人から聞いた「ことわざ、格言」であるということがわかりました。
ノートの中に、満州旅行の話の文脈で、その短い文が出てくるところがあったからです。
そのような「ことわざ文」のすべてが満州・蒙古のものかどうかは確実ではありません。
おそらく、朝鮮のことわざも含まれているでしょう。
ここでは、そのなかのいくつかを、満州・蒙古のことわざとして紹介します。
(1)『座って聞くより、行って見たほうが良い。』
これは「百聞は一見にしかず」でしょう。
しかし、これについては、じじいのコメントで、「家に座って、その現場に行かずに、話を聞いているより、じっさいに馬に乗っていって調べたほうが、実情を把握できる。」ということらしいです。
モンゴル人は、厳しい冬を越すために、家畜が死んでしまわないような、そして自分たちが無事に過ごすことのできる場所(冬営地)を夏の間に探しておくのだそうです。
水場が近くにあって、風を防ぐことができて、雪が積もらないところです。
そういう条件の場所を、夏のあいだに馬に乗って広く調べてまわるのです。
このためには、他人からそのような場所について話を聞くより、自分で探して、経験にもとづいて判断することが必須なのだとか。
上記の日本の格言とは、ちょっとニュアンスがちがう気もします。
(2)『牝馬が逃げても見つけるのは簡単だが、激怒すると落ち着くのは難しい。』
意味はわかります。「口は災いの元」ということでしょうか?
(3)『働けば、幸せになる。』
これは、わかる。
(4)『手を動かせば、口が動く。』
わかりにくいですが、(3)と同じようなものでしょう。
働けば、食べるものが手に入るということか。
怠惰を戒めています。
(5)『馬の世話のしかたを、父親に教える。』
「釈迦に説法」ということでしょう。
遊牧民の先生は、そこで生きてきた親です。
(6)『父の教えは金であり、母の教えは知恵である。』
(5)と同じような話です。
「知恵」は、父からではなく母から受け継ぐものだという。
(7)『金の隣の真鍮は、黄金色になる。』
わかるような気がします。
善良な人の影響を受けて、まわりの人たちも善良になる、という意味でしょう。
「朱に交われば赤くなる」ですね。
似たものとして、ペルシャ(イラン)のことわざとして:
「バラの美徳が土におよぶ」というのがあるらしいのです。
まわりが個人に影響を及ぼすのではなく、個人がまわりに影響を及ぼすのだ、という考えが新鮮です。




