石じじいの話・貝塚からの人骨大小
石じじいの話です。
皆さんは、「貝塚」をご存知でしょう。
考古学遺跡で、昔の人々の生活のゴミの集積場所とみなされています。
明治時代の、モースによる大森貝塚の発見・発掘は有名です。
日本における考古学研究のはじまりとなった、モース博士による大森貝塚の発掘は有名でしょう。
東京都の品川区に存在しました。縄文時代後期の遺跡で、そこからは、多くの遺物、たとえば、貝類、魚類、動物の骨、土器、石器、人骨などが出土しました。
じじいが石さがしのために、瀬戸内海の島々を巡っていたときの話です。
島にも貝塚が見つかることがあったそうです。
じじいは、石をさがして、ある島の海岸を歩いていましたが、崖の斜面に大量の貝殻が分布している場所にいきあたりました。
じじは、貝塚のことを知っていたので、近くに貝塚があって、そこから石器や土器が見つかるかもしれないと、斜面を登りました。
貝の分布を追っていくと、低い崖の上に貝塚の一部が露出していました。
じじいは、注意深く地面をさぐって、少しほってみました。
土器や石器が見つかりました。
じじいは、そのような考古遺物を私物化することはせず、町の役場などの公的機関に報告するようにしていたので、島の役場に届けたのです。
役場の方では、その貝塚の存在は把握しており、他にもいくつか貝塚があり、多くの出土物があることを教えてくれました。
村の井戸を掘ったときに、その途中で大量の貝が出土した;また、畑を拓くときに、地中の貝塚が見つかったということでした。
役場の担当者は、親切にも、役場の倉庫でそれらを見せてくれたそうです。
大量の貝や魚の骨、土器や石器、そして、多くの人骨がありました。
島の貝塚から出土した人骨としては、数が多すぎるのでは?とじじいは思ったそうです。
これは、じじいから教わったことですが、日本の土壌は酸性で、そこに埋まっている骨は長い年月で融けてしまうのですが、貝塚の中に埋められた骨は、貝の炭酸カルシウムによって骨のまわりがアルカリ性となって、骨が長く保存されるのだそうです。数千年も。
動物の骨は、鳥の骨がほとんどだったのですが、人骨には興味深いものがありました。
じじいは、人骨を鑑定することが少しできたのです。
骨は、成人のものでしたが、大きさはまちまちでした。
頭の骨の一部からすると、3-5歳の子供くらいの大きさでしたが、骨の発育具合(おそらく、骨の癒合状態でしょう)から推定すると、立派な成人でした。
顎には、永久歯がはえそろっていて、その歯は強くすり減っていました。
長年生きていた証拠と思われました。
おそらく男性で、西洋人、たとえばロシア人的な形だったとか。
じじい、どこでロシア人の頭の骨を見たのでしょう?しかも、その特徴を覚えるほど入念に。
まあ、いいでしょう。
その「こびと(ママ)の頭骨」以外には、同じ小型の人の身体の骨は、収集物のなかには見つからなかったそうです。
さらに、他に、非常に大きな人骨もありました。
頭骨はなかったのですが、完全な大腿骨があり、それが非常に大きい。
長くて太いのです。
当時の日本人の身体の比率からすると、身長が2メートルはゆうにあると推定されました。
じじいは、人の骨ではなく、他の動物の骨ではないかとも思いましたが、骨の特徴はまったく人のものでした。
子供サイズの西洋人的な男性と、巨大な人(性別は不明)が、おなじ貝塚から出土するという。
同じ時代に、生活していたとは限りませんが、陸地にそれほど近くはない孤島に、「平均的ではない」人たちが生活していたということに、じじいは強く興味をもったそうです。
「そのような人たちしか住めなかった島なのかもしれませんね。」と、その島の役場の人は、じじいの眼を見ずに言いました。




