石じじいの話・屈葬の理由
石じじいの話です。
山奥の集落では、水田耕作はできないので、せいぜい畑作で食料を得ていました。
また、狩猟も重要なスキルでした。
生活のための自給自足はできないので、一定の季節になると、近くの、さらに遠くの山村や町をめぐって、冬の間に作った竹やつるでできた箕を売って、現金を得ていたそうです。
また、すでに販売したそれらの製品の修理も請け負っていました。
また、川魚や獣をとり、それを売ってもいたそうです。
昔、山村に生まれ育った老人のなかには、米のご飯を「臭くて食えない」と嫌がる人もいたそうです。
山の上に住む人たちと、平地に住んで稲作をしている人たちの間には、ある程度の断絶もありましたが、婚姻関係を結ぶことも皆無ではなかったようです。
ただ、平地にすむ側のほうが金持ちだったので、そちら側が、婚姻には乗り気ではないことが多かったようですが。
山の道の行き会う場所は、平地の人たちからすれば「分かれ道」でしたが、山の人たちにとっては「出会い道」でした。
山の人々には、希望の場所だったのです。
ここからが、屈葬の話です。
古い時代には、棺を使わず、そのまま直接地中に埋葬することがあったそうです。
このような風習は、じじいが集落を訪れたときには、すたれていたそうですが、古老が話してくれました。
そのときの被埋葬者の姿勢は、いわゆる「屈葬」でした。
膝を曲げて、それに顔が接して、埋められるのです。
どうして?
資料を調べるといろいろと説明がでてきますが、そこの古老が話しくれたには:
その姿勢が、日頃、「生きていたときに眠る姿勢」だからだ、ということでした。
生きていたように、墓の中でも眠るのだ。
そこに、宗教的な理由はありませんでした。
じじいが言うには:
「そうよ、山で野宿するときはのう、足を曲げてのう、膝に頭を近づけて寝るんよ。そしたらのう、温いんよ。寒うないんで。そのまま眠ったらよこに倒れるけん、木なんかにもたれかかって寝るんや。そがいなかっこうで寝るんは理にかのうとらいね。」
たしかに、地べたに身体を伸ばして横になって眠ると、冷えますね。
夜、獣が近づいてきたときの即応体勢でもあります。




