石じじいの話・朝鮮、満州の風習
じじいは、朝鮮に住んでいたときに、各地を旅しました。また、そこから満州にも何度か旅行したようです。
そのとき見聞した、朝鮮各地の風習や事件、満州の人々や蒙古人、少数民族の話を私に聞かせてくれました。
石じじいの話です。
じじいが住んでいた朝鮮や、そこから旅した満州の風習についての話です。
(1) 満州人の葬送についての風習です。
人が死んで三日目の夕方に、紙でできた袋に紙銭を詰めて、それを背負って土地の祠に行きます。
そのまわりを、その袋を引きずりながら三周したあと、それが重く感じられると、死者がそれを受け取ったということで、その紙銭を燃やすのだそうです。
その死者の墓ではなく、土地の祠に行くというのが意外です。
私の聞き間違いかもしれません。
(2) 満州での葬送の風習です。丘の上で葬儀を行うが、そこに木を立てて、そこに動物のはらわたをかけて、その木に対して祈りながら、そのまわりを回るのだそうです。
じじいによると、これは、遼の時代の「祭山儀」に関連しているらしいのです。
(3) 朝鮮には「ホンサルムン*」という構築物があったそうです。
じじいの話では、木や竹を使って、山に向かって鳥居のようなものを立てて、その上に木や藁で作った鳥の人形を一つがいのせます。
これは山からくる神を招くためだそうです**。
(4) 朝鮮の喪服は、麻でできていて、ほとんど縫うことはなく、わずかに要所要所を糸で止めるだけだったそうです***。
喪のための帽子は、白樺の皮でつくり、さらにかぶった上を白い麻で鉢巻のように縛るらしいのです。
満州族も、喪服は糸で縫いませんでした。
我が国の千早みたいです。
*「紅殺門」と漢字では書くようです。
これは現在もあります。
**鳥居に似ています。また、日本でも、悪疫が流行する時には、村の境に竹を連ねてしめ縄を張ることがあったようで、それと似ています。
***日本でも、喪服は、縫っても端までは縫わないし糸の尾を結ばない。喪服は、定規ではなく指の長さでその寸法をとっていたようです。




