石じじいの話・不思議な家 2
石じじいの話です。
不思議な家の話を追加しましょう。
(1) 廊下の奥の突き当りに黒い影が立つ家があったそうです。
それは、その一家の男の子が生まれたときから立つようになったのです。
数年に一度、なんの前兆もなく立ちました。
周期性もないし、なにか特別な年(七五三とか)に立つわけでもない。
そのうち、その男の子が出征して戦死すると、黒い影は出なくなったそうです。
じじいが、この話をしてくれたときの会話を覚えています。
「黒い影は、その男の人の霊やったんやろうか?」と私。
「うーむ、その人が生きとるあいだに、その人の幽霊がでることはないやろうね」と、じじい。
「それなら、死神やったんかな?」と私。
「うーむ、日本に死神はおるんかのう?」とじじい。
じじいは少し考えたあと、
「もしかしたら、それは『戦争』やったんかもしれんねぇ。」
(2) 老婆が、ひとりで暮らしていた古い家がありました。親族も近くには住んでいませんでした。
大きな屋敷でしたが、いつも、雨戸がしまっていて、全体に陰鬱な感じだったということです。
しかし、その老婆自身は、べつに偏屈でもボケてもおらず、普通の人でした。
彼女は、体調を崩して入院しましたが、すぐに死んでしまいました。
老婆が死んだあと、人々が、その家の整理をしようと家に入り雨戸を開けてみると、雨戸の板の内側に、たくさんの人々への呪いの言葉が何枚にも延々と刻まれていたそうです。
それは、なにか硬いもの、おそらく釘を使って書かれたのだろうということでした。
(3) 座敷の壁に、死んだ人の顔が浮かび上がる家があったそうです。
その顔を見るためには、その部屋に鏡台を壁に向けて置いて、鏡に壁だけが映るようにしておきます。
そうしておいて、その鏡を見つめていると、それに映ている壁に、自分の親しい人の顔を浮かび上がってきました。
鏡から目を離して、直接その壁を見ても顔は見えなかったそうです。
じじいは、朝鮮に行く前に、この話を聞いていました。
戦後、じじいが朝鮮から帰ってきたときには、「母親が現れる家*」はすでに取り壊されていたので、その家に行って母親の顔を見たいと思いました。
その鏡の家は、かなり遠くにあったのですが、石探しのついでに訪れると、そこは、すでに空き家になっていたそうです。
じじいは、残念に思ったのですが、安心もしたそうです。
*「母親が現れる家」とは、じじいの実家で、彼が幼いときに死んだ母親が、死後、その家の座敷に現れた:という話です。これについては以前に紹介したことがあります。
よくある現象かもしれません。
のちに、事情があって他の家に移り住み、その家に住まなくなったあとも、じじいは、母親の姿を見たくなると、その家(その時は、もう空き家)に行って、その部屋で立ちつくす母親に会っていたそうです。
住む人がいなくなっても、こどもじじいがいなくなっても、母親はその家に出続けていたのです。




