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石じじいの話  作者: Lefeld
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石じじいの話・オホーツク海の赤ん坊

じじいの話には、オホーツク海に関係するものがたくさんあります。

ガラス玉が流れ着く

流氷といっしょにやってくる人

叫ぶ人魚

など。

他にも、ノートにはいくつか話あります。今度、紹介しましょう。

石じじいの話です。


じじいが、石探しのために北海道を旅したときに、地元の人から聞いた話です。

オホーツク海の、ある港町を訪れたときに聞いたとか。


初冬に沖合で漁をしていると、大きな帆布が漂流していたそうです。

帆布は、広がって海面を漂っていました。

非常に大きなもので、大きな帆船のものと思われました。

それほど破損しておらず、長く漂流していたもののようには見えませんでした。


その帆布の真ん中に、赤ん坊の死体がくるまれて乗っていたのです。

広い帆布の真ん中に、布に結び付けられていて、波が来ても海に落ちてしまわないようにされていました。

赤ん坊は死んでいました。

髪の毛が金髪の女の子で、ロシア人だろうと思われました。

なぜ、このようなことに?

乗っていた船は沈んで、大人たちが、万が一の生存を願って、そのようにしたのでしょうか?

しかし、沈没するときに、帆布に、このような細工をする余裕があっただろうか?

赤ん坊の産着の中には、手紙のようなものがありましたが、とうぜん、誰も読むことができませんでした。


赤ん坊は、寺で供養されて、寺の近くの森に埋葬されたそうです。

このことを、官憲に知られるとめんどうなことになるということで、村の人々だけの秘密とされました。

さいわい、その秘密は、厳重に守られました。

海岸から遠い場所で荼毘に付して、海から遠い森に埋葬したのです。

海で死んだのだから、海の近くの海岸で焼かれるのも、そんなところで埋葬されるのもいやだろうと、漁民たちは考えたのです。

赤ん坊が乗っていた帆布は、近くの川できれいに洗って乾燥させました。

再利用はしなかったのです。

えいぎが悪いだろうということだったそうです。

帆布の一部を切りとって、それで赤ん坊の遺骨を包んで埋葬しました。

さらに、布を使ってかんたんなドレスを縫って、それをいっしょに埋葬したそうです。

成長して娘さんになったときに、着るためです。

ロシア、西洋のドレスなど縫ったこともなく、その形もよく知らなかったのですが、絵物語などを参考にして、村の女たちが縫ったのだそうです。

ロシア正教のかんたんな十字架を木材で作って墓に立てていたそうですが、その後、失われてしまったということです。

函館のハリストス正教会を訪れた人が村にいたので、その人の記憶をたよりに、それらしいものをつくったのです。

そのときに*、墓のそばに植えたカラマツは丈夫に育っていました。

その墓に花を手向ける人は、今でもいるということでしたが、その本当の理由を知っている人は、もうほとんどいないということでした。

その村の寺には、今*でも帆布の残りが保管されていたそうです。


じじいにこの話をしてくれた初老の男性の父親が、まだ若い漁師だった時代のできごとでした。

*「このとき」、「今」、とは、じじいが現地で話を聞いた時点のことです。

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