石じじいの話・自分の名前を知らない少女(朝鮮・ロシア)
石じじいの話です。
じじいが、知り合いのロシア人から聞いた話です。
自分の名前を知らない女性がいたそうです。
これは、ロシア帝政時代の話です。
その女性は、両親から自分の名前を伝えられなかったのです。
親によって、自分の名前が呼ばれることがなかったのです。
だから、自分の本当の名前を知らないと。
父親は、彼女がちいさいときに死んだので、父親についての記憶はほとんどない。
祖母と母親によって育てられましたが、彼女たちは、その女性の名前を呼ばなかったのです。
口にも出しませんでしたし、書かれたものもなかった。
見せてもらえなかった。
祖母も母親も、彼女のことを「娘よ」、「私の娘よ」、「愛おしい女性」などと呼ぶだけでした。
少女時代には、村のまわりの人たちも、「〇〇さんの娘さん、お嬢さん」と呼ぶだけで、ほんとうの名前で呼んでくれなかったのです。
自分の名前は何?と尋ねても、母親は教えてくれない
まわりの人たちも、知らないと言ってごまかしました。
彼女が12歳ごろ、祖母、母親ともに死に、彼女は、町の商家に奉公するため村を離れました。
それ以来、自分の村には帰らなかったということです。
いちおう、戸籍制度はあったので、それを調べたそうですが、自分の誕生の記録はありませんでした。
これには、彼女も愕然としたそうです。
彼女は、働きはじめたときに「仮の名前」を名乗りました。
それが、彼女の終の名前となりました。
その後、彼女は、商売で成功して財をなして、カザンで大きな商店をきりもりするようになりましたが、それからも、その「自分で考えた名前*」を使い続けて、それを戸籍名としたのです。
彼女が、そのロシア人に言うには:
「名前は、どうでもよいといえば、そうなのだが、やはり、親にもらった名前を知らないのは、こころに空虚を感じる。私の親は、私に名前を与えてくれたのだろうかと不安に思うこともあったし、今でも思うが、やはり、親の愛情があったと信じたい。」
宗教的な背景もあって、日本人の価値観では理解できないのかもしれません。
*レーニンやスターリンも、自分の本当の名前(与えられた名前)ではなく、活動のための芸名だと聞いたことがあります。
まあ、いろいろと異なる名前を名乗るのは、歴史上、日本でもありましたからね。




