石じじいの話・雪山の決闘
石じじいの話です。
「決闘」という行為は、よく欧米の小説や映画で描かれることがありますが、日本でも似たような行為はあります。
鶴田浩二や高倉健の昔のヤクザ映画での殴り込みや武士の果し合いなどでしょう。
殴り込みはヤクザ映画のクライマックスとして欠かせません。
日本人にとっても、決闘はポピュラーだったと言えるでしょう。
決闘行為は、人類の生存競争における本能としての闘争心の発露だと考える人もいるようですが、どうですかね。
変わった決闘の方法について、じじいが教えてくれたことを書きましょう。
雪崩を使った決闘:
じじいが中部地方の山岳地帯で聞いた話だそうです。
これは、雪崩の発生しそうな山に登って、そこで雪崩に運をまかせるのだそうです。
つまり、決闘者ふたりが一緒に雪山に登って雪崩に巻き込まれ、そこで生き残ったほうが勝ちというわけです。
しかし、ふたりが雪崩が起きそうな場所まで登る間に、熱していた頭が冷めて和解して一緒に下山することもあったそうです。
また、都合よく雪崩が発生しないことも多く、そうなると両者引き分けということになりました。
そのような「両者引き分け」を狙っての決闘回避のための方法だったのではないか?とじじいは考えたようです。
しかし、どうしても両者が納得せず、わざと雪崩を起こして決闘したこともあったようです。
決闘ですから、立会人が必要でした。
立会人も、決闘者たちのいっしょに山に登りました。
決闘者の一方が他方を凶器で殺害して、自分が雪崩決闘で勝利したと言って帰ってくる可能性がありますからね。
不正はいけません。
まあ、雪が融けて死骸が見つかれば、その不正はばれるかもしれませんが。
あるとき、発生した雪崩が大きすぎて立会人も決闘者たちも死んでしまったこともあったそうです。
彼らはいつまでたっても下山してきませんでした。
その時に、決闘者や立会人とは別人が雪山から帰ってきました。
その見知らぬ人は、決闘者たちが雪崩によって全員死亡したことを関係者に伝えて去っていったそうです。
雪山を舞台にした日本映画の古典としては、「銀嶺の果て」(1947)や「猛吹雪の死闘」(1959)があります。
両者とも似たような話ですが、前者では三船敏郎、後者では菅原文太が悪役(同じような役)で出演しています。
もちろん、最後は悪者は滅びます。




