石じじいの話・平家の落人部落
石じじいの話です。
じじいは各地を歩き回りましたが、各地でいろいろな平家落人伝説を聞いたそうです。
もう、これは定番の話ですね。
壇ノ浦の戦いで全滅したとされる平氏の一門で生き残ったものがいたのではないか?
そこに至るまでの戦の途中で逃亡したものがいたのではないか?
だれもがそう考えて、それに沿った話がつくられ残されました。
安徳天皇の生き残り説というのもあったそうです。
安徳天皇は壇ノ浦で二位尼に抱かれて入水したと「平家物語」では語られているのですが、実は助けられて落ちのびたというのです。
そして、現地の女を娶って皇統を残したという話もあります。
以前、西じじいの話で、安徳天皇の陵墓とされるものが山中にあったというものがありました。
安徳天皇の陵墓とされるものは、対馬久根田舎や薩摩硫黄島*;伯耆東伯;摂津能勢;土佐横倉山などに残されていたそうです。
じじいの行動範囲は広かったようです。
安徳天皇とまではいかなくても、平氏の生き残りの部落となると全国に残っています。
いわゆる、平家谷伝説地です。
徳島県祖谷山;高知県吾川村;高知県香美群物部村;高知県越知町横倉山(高知県が多いようです:じじいの故郷の近くです);熊本県五家荘;宮崎県米良、椎葉;山口県阿武郡川上村;熊野那智など。
岐阜や富山にあったそうです。
山形県にもあったのには驚いたと、じじいは言っていました。
そのような部落の人々は、生業として猟師をしたり木地物をつくっていたという言い伝えがありました。
じじいが訪れたときは、もうそのような生活はせず、みな農家となっていました。
このような部落を拓いた人々は、平家の落人ではなくても、昔のなにかの戦で敗れて逃げてきたものの子孫なのではないかとも考えられていました。
「大昔には平家の残党が洞窟に隠れて住んでいた」という話もあったそうです。
山中の大規模な洞窟に住んでいる連中が、武装して村に作物を奪いにくる。
人をさらいに来る。
調べてみると、さらった人間のすくなからずのものを食用にしているようだ。
洞窟近くの沢には、多くの人骨が散らばっている。
これはいかんというので、皆で討伐した。
狩猟や畑仕事、水くみなどのために少数で行動している人食いたちを待ち伏せして殺していった。
しかし、それでは効率が悪く、人食いたちも警戒し始めた。
彼らが飲水をとる沢に毒を流して、毒殺しようとしたがあまり効果がなかった。
何人かは殺すことができたようだが。
それで、領主に訴え、金を払って武士(藩士)たちに退治してもらうことにした。
その人食い洞窟人のなかには赤ん坊もいたが、すべて殺した。
という、いかがわしい昔話です。
「八つ墓村」を彷彿とさせる話です。
人食いたちの呪いがあったかどうかは、じじいの話にはありません。
*薩摩硫黄島では、安徳天皇の子孫もいるとか。




