石じじいの話・人魚の肝
この話は、残酷な描写が含まれています。このような話を、じじいが小学生の私に話したのかどうか疑問です。ただ、じじいの話の聞き取りノートに残されているものなので、ここでは、いちおう「じじいの話」ということで掲載します。
私が中学生の頃まで、じじいは存命でしたので、中学生のときに聞いた話かもしれません。あるいは、他の人から聞いた話が混じったのかもしれません。
石じじいの話です。
人魚の肉を食べると不死を得るという話は昔からあります。八百比丘尼の話が代表的なものでしょう。
この話も、その人魚食譚の一種でしょう。
日本のある沿岸地域では、人魚の肝(内臓)が薬となるとして重宝されていたそうです。
ということは、そのあたりの海では、しばしば人魚が捕れたということでしょう。
その肝を食べると不死になるというわけではありませんでしたが、結核の特効薬であり、また、精神的な病にも効くということでした。
漁民によると、人魚の内蔵は、配置も形も人間のものと似ているが、肺は人間と比べて非常に小さかったそうです。
捕まえた人魚は、船の上でロープで絞め殺します。
そして、腹を割いて肝を取り出すのです。
この作業は、海の上でおこなわなければなりません。
陸まで人魚を持ち帰って、そこで解体処理してはならない。
まず、人魚のみぞおちをナイフで切り裂いて、そこから腕を差し入れて、心臓からのびる大動脈を切断します。
このとき、人魚の血を船板に落としてはいけないし、海に落としてはいけない。ほんの少しならかまわないそうですが。
これは、もし、海に大量の人魚の血を流すと、他の人魚が集まってくることがあるからです。
血を、茶碗で腹腔から掻き出し、酒瓶や一升瓶にためておきます。
その血液も乾燥させると薬になったそうです。
そして、心臓、肝臓、胃、腸を取り出します。腎臓などの他の臓器は、薬にならなかったので、残しました。
これらの臓器は、桶に入れ持ち帰ります。
人魚を解体する船が動力船ならいいのですが、帆船なら、風が強く吹いて船が速く走れるようなときが来るまで待ち、風が吹き始めたら、ムシロで石と一緒に厳重に包んで縛った人魚の死体を海に投げ入れて、いそいで帰ります。
早く立ち去らないと、他の人魚が血の匂いを嗅ぎつけて集まって来ます。
ある時、人魚を解体しているときに、桶から血が漏れ出て海に流れ込んでしまっていて、気がつくと船の周りに沢山の人魚が集まっていたことがあったそうです。
人魚は、船の縁にかきついて船に上がろうとしてきましたが、それを木棒で叩いて防ぎ、処理中の死体を海に投げ入れました。
すると、人魚たちの何人かは、その死体を食べはじめたそうです。
残りの何人かは、相変わらず船に這い上がってこようとしました。
漁民たちは、ほうほうの体で逃げ帰ったそうです。
沖で、このような解体作業をした時は、自分たちの港にまっすぐに帰ってはならず、遠くの浜で、少しの間停泊し、また、別の浜でも停泊し、そして自分たちの村に帰るのだそうです。
人魚に後をつけられないようにするためでしょう。
人魚を殺したからと言って、その後、その漁民たちに不幸が訪れることはありませんでした。
また、死骸を海に投棄するときにも、お経などを唱えることはなかったそうです。
人魚は、六道の外にあるものであり、人道とはなんの関係もないと理解されていたのです。
人魚塚のようなものをたてることもなかったと。
人魚の肝を、どのように処理して薬としたのかは、私のノートには記録されていません。
裸体である人魚の姿は、人間の若い女性とそっくりで、茶色の髪が長く、瞳の色が灰色で、目鼻が整っており非常に美しかったそうです*。
魚体である下半身を覆うウロコは大きく、黄金色に輝いていました。
たまに、知り合いの女性に似ている人魚が捕れることがあり、それを解体処理する時は気が引けた、と漁民が話していたそうです。
*大昔のアニメに「魔法のマコちゃん」というのがありました。




