石じじいの話・海の生贄
石じじいの話です。
人間を使った生贄や人身御供という風習は、現在ではまったく存在しません。
そのような「お話」は伝わっているところもありますが、実際に、それが行われていたのかどうかは信憑性がありません。
おもしろおかしく話されている「日本むかし作り話」も多いですからね。
じじいが子供の頃には、すでに存在しませんでしたが、それについて、古老から、いくつかの話を聞いたそうです。
大昔*、ある漁村では、魚が獲れなくなったり、悪疫が流行ったりした時に、生贄をおこなったそうです**。
十歳、十五歳、二十歳の女子一人を選んで生贄としたと。
ここでの「生贄」に、「人命を犠牲にする」という意味が含まれていたのかどうかは不明です。聞き取りノートには、明確に書き残されていません。
私が忘れてしまったのか、あるいは、じじいが子どもの私に、その点についてぼかして話したのか。
当然、そのような残酷な行為は忌避され、人間の生贄は鹿で代えられました。
しかし、その骨を埋めた人塚・鹿塚の址が、じじいの子どもの頃には残っていたということです。
その後、その鹿もとれなくなったので、生贄は魚になったそうです。
網を打って魚をとるのですが、その網は一打に限られました。
とった魚の数はきちんと数えて、その記録とともに、供えられました。
すべての魚は、一方の目はくり抜かれて片目であったそうです。
魚ではなくて、カエルや貝を供えることもあったようです。
このような話もあります。
ある漁村では、父親が死ぬと、その死体を菰に包んで、「鯛になれ!」と言って海中に投げ込んだのだそうです。
だから、父親の墓はあるが遺骨はない。
これも、一種の生贄でしょう。
自分の父親を生贄にするのだから問題はないだろう、という理屈でした。
*こんな話は、いつも、このように始まります。「大昔」(笑)。
**以下の生贄の行為が、すべて1つの漁村で起きたこと、見られたことかどうかは不明です。




