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石じじいの話  作者: Lefeld
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石じじいの話・仏の眼

石じじいの話です。


仏像の話をもう少し。


明治時代の廃仏毀釈では、多くの仏像が破壊されました。

その時に寺から奪い取った仏像を壊して、その像から金めの部分を取って売り払うという行為が横行しました。

白毫や眼に水晶が埋め込まれているものがあり、頭部を砕いてそれを取る。

金箔が残っていると、それを剥ぎ取る。

それを金に換えるのです。

そのような、金儲けを目的とした仏像の破壊行為が、廃仏毀釈の運動の中で、頻繁に見られたということでした。


眼に水晶を埋め込んだ仏像があったそうです。

そのような眼を玉眼といいました。

この仕組みがあると、生きている人のように仏の眼が光ることがあるのです。

その時、拝んでいる人は、「仏さまと目が合った!」と考えて、自分の祈りに仏がこたえてくれたと考えるのです。

歯が作りつけられていたり、唇に水晶が埋め込まれている仏像が、拝んでいる人に微笑んでいるように見えるのと同じ理屈です。


仏像から盗られた水晶を持っている人が、石集めの好事家の中には、少なからずいたそうです。

じじいも、そのようにして入手された水晶を、幾人かから見せてもらったそうです。

中には、かなり大きな水晶もあり、それを持っていた仏像はかなり大きなものであっただろうと思われました。

じじいは、そのようなブツには手を出さなかったようですが、収集家によっては、そのような因縁物のほうがおもしろいと考えて、喜んで集めていた人もいたとか。

「罰当たり」と思われる水晶を所有している人たちに、仏罰はくだったのか?

そのようなことは、特にありませんでした。

しょせんは偶像です。

仏さまは、そのようなことに頓着しなかったということでしょうか。

これで仏罰が下るのだと安易に考えるのは、かえって仏さまを蔑ろにする行為かもしれません。

ただ、それを持っている人の家族には、戦死したり、原因不明の病気で死んだ人が複数いたそうです。

しかし、これも、当時の社会では、めずらしいことではありませんでした。

いっぽうで、手に入れた水晶を、寺におさめる信心深い人もいたそうです。


じじいが、石探しのために旅した時、そのような由来を持つ水晶玉がおさめられている寺を訪れることが、しばしばあったということです。

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