石じじいの話・見てはいけない神像
石じじいの話です。
あるところに、見ると祟られて死ぬ「神像」があったそうです。
「神像」とありますが、メモには、それが神道のものであったのか、それとも仏教のものであったのか、の説明はありません。
もしかしたら、キリスト教や新宗教のものだったのかもしれません。
その神像は、宗教施設(寺院、神社?)に祀られていましたが、それを見た人は死ぬ、という言い伝えがありました。
これは絶対であり、火災の時などの非常事態に持ち出すときにも、それを見てはならないということでした。
しかし、その禁を犯して見る者がたまにいました。
見た者は、まず、目がだんだんと見えなくなる。
そして、衰弱して死にました。
ありがたい神像だから、それを模写しようとする者もいました。
もちろん、模写した人は死ぬのですが、その模写を依頼した人も死にました。
これは、興味本位の不順な心で模写したから、そのような祟を受けたのではないか、と考えられたそうです。
しかし、ある僧侶(神官)が衆生のためと願って模写したこともあったのですが、死にました。
いつもは、うっかり見てしまわないようにと神像は布で覆われていたそうです。
それでも危険なので木箱に入れておくべきではないか、という意見もあったそうですが、それはかえって不敬であり、大きな災厄が起きるのでは、ということで沙汰止みになりました。
いっぽう、そのような神像は存在しないのではないか、と言う人もいました。
つまり、布で覆われているのは神聖なものではなく、単なる木切れや石像ではないか?と。
しかし、神像を見た者はいて、その姿について彼らは証言していたのです。
まあ、彼らは皆死んだのですが。
ただ、彼らによって描写される神像の姿が、人によって異なっていたのが不思議でした。
このような証言の内容の不一致が、上記のような「神像不在説」が出てくる原因となったのです。
彼らによると、その神像は、
一対の雛人形のような人形だった。
単なる、細長い石であり、そこに文字のような絵のようなものが書いてあった。
唐人(?)のようでもあった。
仏像であり、眼から涙を流していた。
など。
日本のものではなく、天竺で作られたものではないかと言う人もいましたが、その理由は不明です。
「見たものは死ぬという」ジンクスには、例外もありました。
神像を覆う布を下からめくって*、下半身だけしか見なかった人は、命が助かったのです。
全身を見た人間は、例外なく死んだのです。
この「見たら死ぬ神像」は、今でもどこかに祀られているのかもしれません。
ありがたい(?)お姿は拝めないのですが。
*小学生のときによくやった、スカートめくりみたいですね。




