石じじいの話・お面の人生
石じじいの話です。
性格を変えるお面があったそうです。
あるところに、性格に大いに問題のある子どもがいました。
その男の子は、非常に短気で怒りっぽく、そのうえ歪んだ性格でした。
それに、粗暴な行動が目立つのです。
当然、他人を思いやる心もないし、遵法の意思もさらさらない。
犬などの動物を平気で殺める残酷さも示す。
これでは、結婚はおろか社会生活もままならないということで、両親は心を痛めていました。
「脳病院」に入れるしかないのではないか。
ある時、父親が、一つのお面を手に入れてきました。
彼が言うには、
この面をかぶると、その人の性格が穏やかになり、いわゆる「善人」となるという。
だから、これを、子どもにつけさせてみよう。
と。
母親や他の家人たちは反対しました。
まう、そんなことは信じられない。
それに、その面は、般若のような恐ろしい表情ではないか。
恐ろしい性格の、この子が、そのような恐ろしい面になったら、手に負えない。
優しい性格を望んだ結果、人間の内面も外面も、人を怖がらせることになる。
これは、一種の滑稽話だ、と。
しかし、このままではどうしようのないので、その面をつけさせることにしました。
その子は、面をつけるのを激しく嫌がるかと思えば、まわりの人たちを嘲笑しながら、その面をつけました。
すると、どうでしょう。
その子は、おとなしくなったのです。
物腰も丁寧で、言葉遣いもやさしくなりました。
家人は、そういうふりをしていて、自分たちを騙しているのではないか?と疑いました。
当然でしょう。
彼らは、彼をいろいろと挑発してみましたが、いっこうに腹をたてることもない。
以前なら、すぐに激昂して暴力をふるうのに。
まだ、信じられない家人たちは、その面をずっとつけておくように言いました。
すると、その子は、嫌がることなく、それを承知したのです。
彼らは、すぐに音を上げて自分から面をはずしてしまうだろうと思ったそうです。
彼らの予想は外れました。
それから、彼は、ずっと面をつけて生活をはじめたのです。
入浴するときも眠るときも、面をはずしませんでした。
一人で入浴するので、その時は、はずしているのかもしれませんが、べつに入浴時に暴れることもなく、入浴後も、とても優しい行動のままでした。
富裕な農家の子であった、お面少年は、学校にも行かず、家で教育を受けました。
その子の非人間的な行動にほとほと手を焼いていた学校側も、そのほうがありがたかったのです。
彼は、非常に利発な子どもになり、さまざまな分野に能力を発揮したそうです。
学問・知識のみならず、書をよくし、技芸にも優れた才能を持っていました。
人間関係をとりもつことも巧みでした。
農家の長男だったのですが、以前はまったく興味を示さなかった農事にも勤しみ、農家経営の才も非凡なものでした。
こうして、二十歳を過ぎる頃になると、彼は聖人のような、しかも勤勉で、だれからも好かれる人間になっていたのです。
縁談の話もたくさんあったそうですが、うまくいきませんでした。
なぜなら、
彼が、その面をはずそうとしなかったこと。
彼が言うには、これをはずすと、また以前のような人間に戻るのではないか。
そして、結婚はしないと、強く主張したこと。
彼が言うには、自分の子どもに、この歪んだ「XXXX*」の性格が遺伝するかもしれない。
だから、結婚はしない。
跡継ぎは、養子をとればよい。
彼は、貧しい家から養子を迎えました。男の子を二人、女の子を二人も。
彼は、子どもたちを慈しみ育て、時には厳しく躾けました。
教育も存分に受けさせました。
子どもたちは、彼の薫陶を受けて、立派な人物に成長したのです。
家長として、彼は、両親に孝行を尽くしました。
小作人たちにもやさしく接し、彼らの生活にもきめ細かく気を配ったということです。
村の人々ともよく交わり、村の祭りなどの集まりでは、自分の恐ろしい面に粘土で細工をし**、化粧をほどこして滑稽なものとして、三味線を奏で踊り、皆を楽しませていたそうです。
彼の人格に感銘を受けた人々が、彼を村長に、町長に、と懇願したこともあったのですが、彼は、固辞しました。
「般若の面つけた町長はいかんやろう。人の上に立つ者が鬼の面はいかんぞ。」と言って。
二人の養子のうち、上の子は家長としてあとを継ぎ、勉学に励んだ次男は職業軍人となりました。
二人の女の子は、いずれも良い家に縁づきました。
孫にも恵まれ、幸せな人生でした。
その彼も、病には勝てず、死を迎えます。
面をつけてから60年。
面の下の彼の本当の顔を知っている人は、もういませんでした。
当時の人々は鬼籍に入ったり、その顔を忘れてしまっていたのですから。
彼は、眠るように死んだそうです。
60年間も、よく壊れずに面が耐えたものだと人々は感心しました。
彼の面は、劣化のしるしをまったく示さなかったからです。
死後、彼の面をはずそうという意見が出ました。
当然でしょう。
面をはずして、彼の本来の顔で埋葬してやろうとだれもが考えたのです。
しかし、こうも考えました。
この面が、彼の顔ではないか。
年を経て面もよく耐えたが、彼も面とともに耐えたのではないか。
彼のすべては、この面とともにあった。
だから、彼を彼として埋葬するのが、彼の本望ではないかと。
彼は、面をつけたまま、埋葬されました。
これは、じじいが子供の頃、村の古老より聞いた話だそうです。
その時、その家は、まだ栄えていたそうです。
私が、この話をじじいから聞いたときには、その家はすでに没落して、人々は離散していました。
軍人の次男は戦死し、長男は、若くして病没したということでした。
*現在では使えない単語です。
**以前、石じじいの話に、呪いの面に化粧をすると、その呪いの力が失せてしまった、というのがありました。




