石じじいの話・図書館へ寄贈された本
石じじいの話です。
じじいが、町の図書館を訪れたときの話です。
じじいは、石探しの情報収集のために、図書館をよく訪れました。
地方の郷土史や地図などを調べるのです。
いつものように図書館で本を探していると、ある書棚の一段全部に、見慣れない本がズラッと配架されていました。
ずべてハードカバーの本で、戦前に刊行されたものでした。
内容は非常に難しいもので、経済学や高等数学、文学論、ドイツ語などの語学本、それに朝鮮語の本もあったそうです。
係の人にたずねても、首をかしげるばかりでした。
図書館では、そのような本を購入したこともないし、寄贈をうけたこともない。
田舎の町の図書館で、こんな難しい本を借りに来る人もいないだろう。
本の受け入れ資料を探してみても、そのような本が寄贈を受けた記録はありませんでした。
じじいが、何冊かの本のページをぱらぱらとめくってみると、すべての本に、1〜2枚のメモが挟まっていました。
そのメモは、その本の内容についてのものではなく、ある人への怨み、なにか小説の構想のようなもの、社会変革の計画のような大仰な内容;日記のようなものでした。
それぞれのメモの内容には脈絡がないように思えたそうです。
しおりだったのかもしれません。
メモを本に戻して、さて、どうしたものかと係員と相談しました。
別に、じじいは図書館の運営に関わっていたわけではないのですが、まあ、行きがかり上ということでしょう。
彼は、朝鮮語の読み書きができたので、図書館に寄贈を受けた朝鮮語の本を整理し、必要な教育機関(主に大学)へ、そのような書籍の必要性について問い合わせをする仕事することがありました。
さて、これらの本は、誰か個人が秘密裏に持ってきて配架したのか?
その本の内容も、過激な思想のものではないので、別に秘密にする必要はないでしょう。
しかも、書架の一段全部がそれらの本というのも不思議でした。
その段にもともと配架されていた本はどこにいったのか?
持ち去られたのか?
配架の記録がないので、どのような本が無くなっているのはわかりませんでした*。
田舎の町の図書館での本の管理は、それくらいの意識だったのです。
結局、それらの本は、蔵書に加えられたそうですが、後に廃棄処分になったかもしれません。
なぜなら、じじいは、他のもっと大きな町の古本屋で、見覚えのある、それらの本がまるまるロープで縛られて、床に置かれていたのを見かけたからです。
*邪推をすれば、図書館の価値のある本を選んで盗み出し、その空いたスペースを目立たないようにするために、他の本を移動させて空いた書棚一つをつくり、そこに不要な価値のない本を置いていったということかもしれません。




