石じじいの話・朝鮮の写真
石じじいの話です。
骨董品にまつわる話です。
じじいは、骨董品じたいには興味がなかったのですが、金目のものには興味がありました。
隣町の、ある老女性がなくなった時、彼女の家にはたくさんの品物が残されていました。
彼女は、裕福な家の未亡人でした。
夫は戦前に亡くなり、息子さんは戦死、娘さんは空襲で死んでいました。
生前彼女とつきあいのあったじじいが、その整理のために呼ばれたのです。
別に、親戚だけでやればいいと思うのですが、じじいが親しく世話をしていたからでしょう。
あと、じじいは物知りだったので、品物の仕分けもできるだろうし、労働力としても使えるということもあったでしょう。
たくさんのものが残されていました。
家具や食器類、書籍、掛け軸などの美術品、豪勢な着物などです。
たくさんの書籍は、戦前の本が主でしたが、なかにはドイツ語の本もたくさんあったそうです。
そして、当時は(今でも)高価なライカ(ライツ)のカメラがありました。
カメラはカビが生えないように丁寧に保管されていたそうです。
あと、膨大な写真も残されていました。
その中には、このライカのカメラで撮影されたものも多かったでしょう。
アルバムに整理されているものもありましたが、多くの写真は紙袋に入れられたままでした。
写真を確認すると、彼女の家族の写真、今は亡き夫、息子さん、娘さんの楽しそうな写真がたくさんありました。
すべてが白黒写真でした。
写真の現像・焼付の道具が残されていたので、おそらく旦那さんが自分で現象・焼付けをしたのでしょう。
白黒写真を見ていると、見覚えのある風景が出てきました。
それは、朝鮮の風景でした。
じじいにとっては、懐かしい街なみ。
海や山々。
朝鮮の人々。
犬が写っていましたが、それは、ハヤン*にそっくりでした。
また、焼畑農業をしている人々の農作業風景もありました。
まるで、じじいの朝鮮での生活・経験を記録した写真のようでした。
いつ、だれが、この写真を撮影したのでしょうか?
老女の夫は、戦前に亡くなっています。
写真に写っている朝鮮の町の様子からすると、彼女の夫が生前に朝鮮で撮影したのかどうか、年代的に微妙でした。
その老女が、戦前に朝鮮に住んでいたということは聞いていません。
ただ、この町に住むようになったのは戦後すぐだということでしたが。
もしかして、彼女は、朝鮮に住んでいて、内地に引き揚げてきたのだろうか?
しかし、彼女とは、何度も親しく話をしたことがあるが、そのような話題は出なかったのです。
彼女は、じじいが朝鮮から引き揚げてきたということを知っていたので、その話題がでないのはおかしい。
それとも、なにかの理由で、彼女が隠していたのでしょうか?
これらの朝鮮の写真は、他から譲り受けたものである可能性もありましたが、それにしては量が多かったのです。
その後、彼女の「遺品」のほとんどは、彼女の親戚によって処分されましたが、朝鮮の写真のいくつかは、じじいが譲り受けました。
当然、ライカのカメラなどは、もらえませんでしたが、その付属品を一つもらったそうです。
それは、ライカのユニバーサルファインダーです**。
写真:
https://i.imgur.com/hSogq4c.jpeg
*ハヤンというのは、以前書いたじじいの話に出てきた、朝鮮の山中で出会った白い野良犬の名前です。
ハヤンは、人語を喋り、じじいと会話した、という話でした。
**今回、じじい箱を漁っていて、それと思われるものを見つけたので、話の聞き取りノートから、それに関係するものと思われる話を探してまとめてみました。




