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石じじいの話  作者: Lefeld
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石じじいの話・死の予感

石じじいの話です。


自分の死を予知する話です。

自分の死を予知するという話は多くあり、この話も、じじいのオリジナルではないかもしれません。

「今昔物語」にも、僧、蔵縁の死の予告というのがあります*。

「ep. 108 石じじいの話・いくつかの短い話 13・自分の死を予言する子」も同じような話です。


自分の死の日時を予知した僧侶がいたそうです。

その僧侶は、何日の午後三時に入寂する、死ぬと言い、このことを周知させてください、と手紙を檀家の何人かに出しました。

この話では、手紙を出した、つまり、本人による予知の証拠が文書として残っているというのが珍しい例でしょう。

檀家の人たちは信用しませんでしたが、その予知された日、午後三時よりも遅れましたが、眠るように死んだそうです。

その日、その僧侶は、死ぬ数時間まで訪問者と談話したり飲酒していたのですが、午後に死にました。

午後二時半ごろになって、彼は静かに眠るように横になりました。

しかし、死ぬ時刻の三時近くになって訪問者があったので、再び起き上がって三十分ほどたのしく世間話をしました。

客が帰った後、ふたたび前のように横になって、それきり起きず息が絶えてしまったそうです。

つまり、この予期せぬ訪問によって、予告の時間よりも三十分遅れて世を去ったのです。

じじいは、これは、話が逆で、精神から死が訪れるのではないか、と考えていました。

つまり、予言するから死ぬのだ。自己暗示による死ではないか、と。

しかし、その時点で健康な人間が、なぜ自分の死を予知、予言するのか?

という理由がよくわからない、と言っていました。

「ぼくも、自分やひとの死ぬ日を言うんやなんで。そがいなでまかせゆうと、信用されんようになるけんね。まんがいち、ゆうたとおりなってもな。いや、そがいなことが当たったら、なお、おおごとよ。」

*「今昔物語」下野国僧依地蔵助知死期語 第三十。

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