第百四十七話 お礼
(さて本当にどうしたものかな……)
この学園を去る日があと三日にまで迫っていた。
あの日を境にベルも変わった様子で。
実際には元に戻った、自然体になった。という言葉の方が正しいのだろう。
兎に角以前よりもよっぽど生き生きして見える。
それに、あの一件があってからミナトを見る目も少し変わり。
以前よりも話しかけに来る生徒も増えたり、授業では数こそ減ったものの。挑んでくる生徒一人一人のやる気が確実に上がっていて。
これには彼も喜んで相手をしていた。
他クラスでは、アイクの評判は飛躍的に上昇していたり。
英雄否定派のテロリストと戦ったという事がきっかけでフレアもよく話しかけられるようになったり。
クロムやルチアはあの威圧感故に人が集まってくる、という事は中々なかったが。
周囲からの目などを気にしなくなったベルが積極的に二人に絡みに行き。
ベルが居るなら、とそこから少しだけだが会話を試みる生徒も増えたとか。
その他の留学生達も上手い事交流を図れているみたいで、今回のイベントも万々歳……とはまだならない。
ここに来た目的の一つである、学園長ニューサ・エレディータへの接触。
担任のミケーレからの頼みを遂行しなければならないのである。
(なるべく二人だけが望ましいけど、いきなり会いに行ったとしても誰かしら他に人が居たり。
そもそも会えるのかどうかも怪しいし……まぁでもこの一週間ちょっとの期間じゃ最初の挨拶の時以外会えなかったし。理由のこじつけはどうとでもなるだろ、先ずは学園長室的な場所行ってみるか)
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(ーとか色々考えてたんだけど……無駄だったみたいだな)
放課後、人も少なくなってきた校内を歩いていると。
偶然お目当ての人物と廊下で鉢合わせるという豪運を引き当てる。
しかも相手は誰も付き添っていたりはせず一人。
周囲に生徒や教師も居ない。
正に絶好の機会が過ぎる。
「学園長殿、こんにちは。最初全員で伺った時の挨拶以来ですね」
偶然廊下ですれ違い普通に挨拶している風を装う。
まぁ偶然出会ったのは事実なのだが。
「……ああ。この留学は有意義なものになったかな」
「色々とありましたが、、お陰様で短くも素晴らしい時間だったと思います」
あまり長い事話していると誰か来てしまう可能性もあったので、もう本題に入ろうかとしたところ。
向こうから先に次の話題が降られてくる。
「その色々とは、寮に隣接されている練習場での一件も含まれているかのかな?」
「!……見ていらっしゃったんですね」
(マズいか?
詳しくは聞かなかったけど、アフィスをあんまり気軽に使っちゃいけないとかって。結局メンツを保つ為の話しだったらしいし。
そこそこ人が居る前であの一連の流れは確かにその視点で見ると良くない光景だし……)
ベルの周辺事情や細かい話を聞かなかったので分からないが。
目の前の父親ももしかすると、味方側ではない可能性も考えられる。
そうでないにしても何かしら忠告が入る位はあるかもしれない。
「ありがとう」
最悪多少事を構えるのを覚悟もしたが、蓋を開けてみると飛び出してきた言葉はまさかの感謝。
理解が追い付かないミナトに向こうは続けて話す。
「あの件を経て更にあいつは成長する事が出来た。
これは生徒の成長を手助けする教師として。それにベルの親として感謝を伝えたい。
あの子を解き放ってくれて、本当にありがとう」
遂には頭まで下げ始める始末。
「ちょっ、顔を上げてください!自分はなにも特別な事をした訳でもありませんし……」
様々なパターンを予想していたが、感謝され。更に頭まで下げられるとは到底思っておらず。
完全に予想外の事態に驚きを隠しきれない。
「…でも、その言葉を伝える相手は僕ではないですよ」
一瞬驚きはしたものの、一呼吸置いて冷静になり。言葉を繋ぐ。
「そもそもベルは強い人間で、あいつと平等に隣に立てる友達も居ます。
もし言葉を掛けてあげるのなら友人であるゼノに。
そして成長を喜べるのなら、出来れば本人に伝えてあげてください」
「……しかし、私には出来なかった事を君は成し遂げてくれた。
その事実が変わる事はない。だがそれはそれとして、確かにまた今度話す機会を作るのも良い事だろう」
一見すると、かなりお堅く見える険しそうな表情と。ピシッとした服装。
ベルとはあまり似ていないように見えるが、心のどこかに芯があるように感じるのはやはり血筋なのだろうか。
(……なんだ、俺の思い過ごしだったか)
ニューサは当然かもしれないが教師として一流で、不器用だとしても精一杯やろうとしている立派な父親でもある。
恐らく貴族絡みの階級社会や、周囲からの英雄の子孫としての目などはきっとベル以上に受けてきているだろうに。
実際これまでの人生で捨ててしまったものも、無くしてしまったものもあるかもしれない。
それでも大事な物だけは見失わず持ち続けている。
数百年経って、ようやく人の。他人の人生の裏側まで考えるようになったミナト。
ベルのように何か自分がする必要はなく、既にこの人は大人で。ある意味では自分よりも立派な存在なのだと分かり安心したのか。
無意識の内に入っていた肩の力を抜き、彼女からの頼みをようやく務める。
「実は、うちの担任のミケーレ先生から伝言を預かってありまして」
少し驚いている様子ではあるが何か疑問に思ったりはしなかったらしく。
聞き返す事などはせず続きを聞く姿勢のニューサに、言葉を続ける。
「聞けばこの交換留学自体、かなりあなたが後押ししてくれたものだと伺いました。
色々と反対意見の多い中ご進言してくださっていたとか」
「何、教育に必要な事だったからそうした迄だ」
「…校内に侵入者が出てうちのクラスが誘拐された時も、魔物の大群による王都襲来の時も。
学園、延いては国にまで警備面や防衛能力の疑問の声が上がり始める流れだった中」
゛これは偶然対象があの学園やその都市になっただけで、我々やあなた方が住んでいる場所がが被害に遭っていた可能性もあった。
今議論すべきは警備が充分であったかどうかよりも、今後どうすれば同じ事態が避けられるのか。そして被害を受けなかった私達も、今回の事件から学んで対策を練っておく必要がある゛
「自然とこちらにヘイトが向きすぎないようにし、更には各国各学園の警備システムを向上させるよう働きかけた。
これは伝言など関係なく、一人の人間として自分も尊敬に値する行動と手腕だと思います」
第一魔法学園の長、勇者アレウスの血筋という立場を使っての行動は。
代々の当主もあまり好んで使う事はなかった。
だが必要であるならば、それが誰かを守る為になるならば惜しむ事はない。
(行動力も精神性も、あんまり血云々の話はしたくなくても。やっぱりあいつに似てるんだよな。
だからそんな人が人間の闇のせいで捻じ曲がってたらどうしようなんて思ってたけど……要らない心配で本当に良かった)
彼女からの伝言だけでなく、自身の気持ちまで伝えきり。
「我々第四魔法学園の事を庇っていただいただけでなく、このような素敵な行事もやってくださった事。
担任ミケーレ・ステラ及び、生徒一同を代表して感謝を伝えさせて頂きます」
今度はこちらが頭を下げる。
感謝と、少しばかりの謝意を含んだお辞儀。
(最近気づかされることがよくある。
俺は勝手に、もう何百年と生きてるからずっと大人の存在で居る気がしてたけど……実際は全然違う。
一人で好き勝手旅をしていただけの若者に過ぎない。この人みたいに責任を果たす立場でもなく、そういった行動をしてきた訳でもない。
思っていたよりもずっと俺は子供で、達観している気でいただけらしい)
自分の思い上がりを払うように礼をし。
顔を上げた時には彼もまた少しスッキリとした顔をしていた。
もう出来ないと思っていたかつての友への恩返しを、僅かかもしれないが出来たから。
「……君にとってもよい時間になったようで何よりだ。
これからも仲間達と切磋琢磨し、またここの生徒達とも良きライバルとなってほしい。
それと、ミケーレ君に伝えておいてくれ。困った時はお互い様だと」
「?……はい、伝えておきます」
二週間という短いこの留学期間も、終わりを告げようとしている。
ここでやり残した事はもうない。
ただ彼はこれから自らにも試練がやって来ることを知っている。
それは魔族との戦いの事もそうであるし、もう一つまた別の重大な事。
いつかは通らなければならなくなる呪いについても。
フレアやアイクの思いによって彼が変わりつつあるのは確かだ。
だがそれで現実が変わる訳ではない。
ミナトが入学直前の頃から危惧していたある事について。
自らに殺意を向ける程悔やむ事になる、とかつて表現したが。
その時は刻一刻と近付いて来ている。
人類史において最悪の事件の一つとして刻まれる事になるその日まで。
あと二ヶ月と少ししかない。