賭博師の敗北
「おい、金出せ。」
大型のバタフライナイフを一回転させると、見るからに気の弱そうなサラリーマンが震えながら分厚い財布を差し出した。
クソッ、こんな負け犬みたいな奴のくせに鰐革の財布かよ。
「すいません。」
俺のイラついた様子を察したのかサラリーマンが無駄に謝った。フンッ、負け犬のくせに殊勝な態度じゃねえか。俺は財布から免許証を抜き取ってそいつの足元に投げ捨てる。
「ひぃ、すいません。」
バタフライナイフを大きく一回転させてからジーンズの右ポケットにしまった。こういう道具は大きいに越したことはない。俺の自慢の商売道具だ。予想以上の収入が得られたことだし、今日はこのままパチンコでも打ちに行くか。
薄暗い路地裏を出てパチンコ屋の近くにあるコンビニへと歩く。勝負の前には腹ごしらえをしないとな。
缶コーヒーとサンドイッチを買ってコンビニを出ると、タイミングよく駐車場にパトカーが停まった。いや、タイミングは悪いか。十二時四十九分、時間帯からして警官が遅めの昼飯を買いに来たんだろう。パトカーから大柄な警官と細身の警官が出てくる。警官がいると悪いこともしてないのに無駄に緊張しちまうな。パトカーが出口のすぐそばに停まっていたので、出口から出た俺は細身の方とすぐそばですれ違った。カツアゲがバレるはずもないのでそのまま歩き去ろうとするが、背中に妙な視線を感じた。
一瞬だけ振り返ると細身の警官がジロジロとこっちを見ながら俺の後をついてくる。バレるはずがない。まさか、血痕とかついてたか?いや、ナイフは脅すのに使っただけで傷はつけてない。少し早足になる。しかし警官の足音も早くなる。まさか、カツアゲしてたところを見られたか?いや、カツアゲのベテランであるこの俺が誰かに見られるようなヘマをするはずがない。コンビニの駐車場を出ても警官の足音は追いかけてくる。たまりかねた俺は振り向いて声をかける。
「なにか?」
「いえ、靴ひもがほどけていたので」
「あ、そうですか。これはどうもご親切に。」
まったく、こんなくだらないことで追いかけてくるなよ。しかも無言で。無駄に緊張しちまった。靴ひもを結び直しながら警官の方をちらりと見上げたが、その視線は俺をじっと見降ろしていた。クソッ。警官ってのは無駄に目がいいから困る。それにしても、カツアゲがバレてなくてよかった。そうだよな。気づかれるはずなんてないもんな。立ち上がって警官から後ずさる。しかし、奴はまだこの場を離れる気がないようだ。
「手越くーん、何してるの?早くお昼買おうよー。」
大柄な方の警官がコンビニの出口で大仰に手を振っている。助かった。この細身の警官の突き出したような目玉は余計なものまで見透かしてきそうで正直苦手だ。これ以上無駄に緊張させないでくれ。
細身の警官が大柄な警官の元へと踵を返そうとした瞬間、そいつはおもむろに口を開いた。
「ところで、刃渡り六センチを超えるナイフは銃刀法違反の対象なので、職質には気をつけた方がいいですよ。」
その大きく突き出した丸い目玉は、俺のジーンズの右ポケットからはみ出た大型のバタフライナイフに視線を突き刺していた。
「え?」
こいつ、まさか最初からこれに気づいていたのか。しかし、カツアゲの方は気づきようもない。適当にあしらってさっさと逃げてしまおう。
「あと、普通の人間は財布は一つしか持たないので、中身だけ抜いてすぐに捨てるのがオススメです。」
「は?」
思わず左右の尻ポケットに両手をやった。左には俺の、右にはさっきカツアゲした財布が入っていた。しまった。高そうな財布だったからあとで売ろうと思ってたんだった。
これはもうダメだ。完全にバレてる。観念して両手首を揃えて警官の前に差し出した。
「すみませんでした。」
しかし、警官は既に背中を向けていた。
「今は昼休憩中なので仕事はしたくないです。」
そう言い残すと細身の警官は、大柄な警官が待つコンビニの方へと歩いていった。
は?なんだあいつ、警官なら休憩なんて返上して仕事しろよ。仕事する気がないならなんで無駄に追いかけてきたんだよ。はあ、こんなんでパチンコなんて打っても負けるに決まってる。戦う前から戦意喪失なんて、賭博師として完全敗北だ。今日は無駄に疲れたな。もうここまで来たら、さっきのサラリーマン探して財布返すか。
俺が肩を落としてパチンコ屋と正反対の方向へ歩いていると、遠く背後では一台のパトカーが一人のカツアゲ犯など眼中に入れず呑気に走り去っていった。十三時四分、昼休憩も終わりか。
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