初デートする彼女がバカ正直すぎて、片時も目が離せない。
正直者は世間から賞賛されるが、事実をストレートに発言してしまうとこれまた厄介者扱いされる。世間が何を求めているのかは、未だに不明だ。
バカ正直な人間が、ここにも一人。
「……遅いよー、悠一ー! 私なんか、一時間前に到着したんだからね? もっと、交通状況云々を考えて……」
「俺は徒歩だよ。凛だけだろ、電車に乗ってくるの」
広場のモニュメント前で棒立ちしていたのは、先日念願の告白が叶って彼女となった凛であった。予定時間の五分前に到着したはずなのだが、凛には別の何かが見えていたようだ。
日本の社会は、バカ正直の人が暮らせるように設計されていない。左利きが様々な局面で不自由を感じるように、彼女も何処かで不遇を受けているのだろう。
もっとも、凛がその格差に気付いているかどうかは別問題だ。
この街に乗り入れている路線は、一本しかない。凛の最寄り駅からそう距離が離れているわけでもなく、一本の電車で到着できる。
……何が引っかかって、凛はこんな朝早くから……?
胸に湧いたモヤモヤを鎮静化するためには、声に出してしまうのが手っ取り早い。
「……一時間も遅れる要素がどこかにあったか? 家を出る前に一応確認したけど、遅れて無かったぞ……?」
髪をくくるのが面倒くさいからと短髪でスッキリしている凛は、前髪を落ち着き払った。
「甘いね。悠一。電車なんか、乗る時に遅れて無くても頻繁に遅延するんだよ? 前なんか、一時間も待たされたんだから……」
「それで一時間前に乗って、何事も無かったと」
「そう。……ちょっとは空気を読んでくれたら、待ち遠しい嬲り殺しをされずに済んだのに……」
つまり彼女が主張したいことは、軽微な事故を起こして電車を止めろということだ。工事現場を通りかかるたびに『安全第一だよー』と小さくささやいてくる少女のセリフとは思えない。
駅前には密集地帯が形成されるのだが、休日の早朝に限ってがらんどうになる。待ち合わせをするのには持ってこいだ。
……一時間前に着いたってことは、始発に乗ってきたってことか……。
早起きお疲れ様です、凛。
ツッコミたい事項がいくつも残っているが、とりあえずはデートプランを披露しておかないといけない。
「……今日のデートなんだけどさ……」
「……悠一は、ファッションのこと分かってる? 初対面するときは、かしこまった服装で来るのがマナーなんだよ?」
「……デートにそんなの着てくるわけないだろ……」
凛の意見にも、一理ある。何をしても許される間柄でも、初デートは初デート。やる気の無い人間扱いされるグレー一色は避けた方がいい。
……凛の場合、ネットに漂ってる情報を片っ端から仕入れてくるから……。
大方、マナー講座のブログを丸暗記してきたのだろう。そうでなくては、恋人との待ち合わせでスーツを決めてこない。
部分的に正しいマナーも、ミキサーにすると途端にゲテモノへ変身する。これ、社会人の基礎知識を鵜呑みにしてきただろ、絶対。
「あのな……。出勤する会社員じゃないんだから、もっとラフと言うか……。プライベートの服装で良いんだぞ?」
「あれ、おかしいな……。『これだけは覚えておきたいマナー選』をしっかり確認してきたのに……」
情報社会に敗北した自身の恋人は、頭を抱え込んでしまった。教育の敗北である。
寿司屋では、オーダーに書いた品がそのまま出てくる。デジタル寿司方式と凛が勘違いしていなければ良いのだが。
朝焼けが、東の空から一面に広がっている。朝焼けがあると雨になるという昔ながらの天気予報は迷信らしいので、今日のデートはぜひ成功させたい。
教科書に載っていない像の隣にあるベンチに、凛が腰を下ろした。一時間立ったままの姿勢で待ちぼうけしていたのだとすれば、お疲れ様だ。
彼女を作った事実に、まだ脳が慣れていない。年度初めに『彼女なんか出来っこない』と輩同士で肩を組んだのが、曇りがかって見えなくなってしまった。
凛が、バカ正直と言うよりも情報弱者のように思えてきた。次のデートでは、インターネットカフェに連れて行って情報教育を叩きこまねばならない。
「……悠一、これ」
「ありがと……、高校中退して就職でもした?」
「名刺は挨拶代わりらしいよ? 自作だし、プレゼントしようと思って」
狙ってバカさを醸し出しているのか、心理学のプロでない悠一には区別がつかなかった。キャベツとレタスの違いを何遍説いても身に沁み込まない凛のことだから、ありのままだとは思うが……。
結婚詐欺師は、頭が悪く犯罪への意識が脆弱な男女をターゲットにする。悠一も、それと同類……では決してない。
凛は情報に右往左往されることはあれど、普段は礼儀正しい子だ。靴を脱ぎ捨てることもためらい、はしゃいでいてもわざわざ直しにいく。
彼女と部活で知り合った時は、到底相容れないと本能が叫んでいた。校則にアバウトな悠一が、凛と組み合わさることは無い。そう決めつけていた。
……会った印象なんか、気にしなくて良かった。
彼女の悠一に対する指摘は、的確かつ温和だった。チョークやボールをむやみに飛ばさず、懇親になって練習に付き添ってくれた。
同じクラスだったこともあり、凛が徐々に生活へと溶け込んだ。影も形も見当たらないが、振り向くとそこにいる。日々の喜びに欠かせない存在へ昇華していた。
何事も、一個の概念を固定してしまうのは良くない。この垢が抜けた少女には、色んなことを教えてもらったものだ。
「……改めて、自己紹介します。二年三組、波島凛です。部活は悠一と同じくソフトテニス部で、趣味はけん玉の糸を切ることです」
「……全国のけん玉少年少女に謝ってきたら?」
既知の情報が、頬が引き締まって緊張している凛の口から流れていった。日本に同じ趣味をもつ人間は、津々浦々を探しても見つからないだろう。
……これ、会社員のマナーにあったやつか? それでも……。
この自己紹介は、面接官への回答としても問題点がある。
「……全部正直に言う必要は無いんだぞ? 自分の利益になる情報は全部晒して、後ろめたいのは隠しておく。……凛の将来が不安になってくる……」
「そっか、自分から個人情報を渡す必要はないもんね。名前も、ゲームアカウントをそのまま言っちゃおうかな……」
「どれだけ受け答えが良くても、氏名の虚偽記載で撥ねられるな」
「へへへ、冗談でしたー」
すぐにタネを明かしてくれるので、こちら側としても気分が悪くならない。朝日に似合ってるぞ、イタズラじみた舌出し微笑。
以前、凛にウソを付かないのか問いかけたことがある。この世に生を授かった時点からずっと聖人君子になりきってきたと予想していたが、ものの見事に結果は違った。
『……相手に緊張を取ってもらいたくて、冗談を言うことはあるよ。すぐに冗談だって言っちゃうけど』
悪ふざけだと素直に明かしてしまうのは、不快な思いを最小限に抑えるためだと言う。普通の人のように悪ノリすることはあっても、やはり凛は凛である。
凛の親切心を逆手に取ると、凛ネタバラシ宣言が発表されない時は本心で喋った言葉ということになる。善意を踏みにじる行為なので、悪用は厳禁だ。
異性と肩が触れることなど、二年に進級したばかりでは想像もしていなかった。部活の子と仲良くなり、体の重みを預けられる間柄にまで進化するとは……。現実も、捨てたものではない。
「マナーに載ってたのだと、相手を存分に褒めた方がいい、って書かれてたかな……」
「それはいい心がけだぞ。早速試してみたら?」
「……そうしてみる」
言わんとすることを理解しているのか、流石の凛も顔をそっぽに向けた。
ひんやりとした空気が、会話の途切れたカップルの狭間に舞い降りてくる。二人の時間に興奮して火照った肌には、丁度良い扇風機になる。
「……悠一の好きなところは、……愚直になんでも取り組む姿勢、かな。どんな立場からのアドバイスでも取り込んで、工夫してるし……」
「やけに沈黙が多いな……。凛がそう思ってくれてるなら、俺は嬉しいけど」
『マナー』の三文字に背中を押されて、纏まらないまま吐き出した感覚が否めない。
恋人のチャームポイントは、言葉に出来ないことがある。安易に伝えようとしても、声にならないことも多々あるのだ。マナーブログ、許すまじ。
自然と触れ合える広場を謳っていることもあって、草木が生い茂る庭がある。都会のコンクリート界では見ることの出来ない虫軍団も目白押しだ。
悠一にもたれかかってウトウト半目になっている凛の背後に、吊り下がった蜘蛛が揺らいでいた。
「……凛、後ろを見ない方がいいぞ……」
「熱湯風呂だと、逆のことをすればいいんだよね……。悠一のこと、信じるよ」
「待て、俺は一言も熱湯風呂の真似事なんて……」
忠告を入れるのが、ワンテンポ遅れた。
なんと具合が悪いのだろう。凛が好奇心旺盛な目を背後に映らせたそのタイミングで、スカイダイビングをしてきた蜘蛛が手前へと飛んできたのだ。
凛は、虫という一括りにされたグループが大嫌いだ。殺虫剤を全世界にばらまいて抹消するのが将来の夢らしい。生態系のバランスが崩れてしまうので止めてもらいたいものだ。
辺り一帯に、空気を切り刻む超音波が響き渡った。不思議なことに、人間の鼓膜を振動させて聴神経に伝わった。
次いで、目標設定を誤った蜘蛛が宙を飛ぶ。音波の発生源に座っていた少女が、闇雲に元凶をはたき落としたようだ。
「……後ろ向いたら、蜘蛛がいたよ……? もしかして、私を騙した……?」
「俺が注意しようと思ってたのに、凛が早とちりするから……」
女子高校生ともあろう凛が、悠一の胸元に顔をうずめている。虫はお呼びでないようだ。
悠一が問いかけようとしても、彼女は首を横に振るだけ。意志疎通がとれたものではない。
「……凛、虫が怖いのは分かったから……」
「……」
凛の頭のてっぺんに、悠一は手を乗せた。髪の流れに沿って、手のひらで細かな汚れを払っていく。
……こんな凛だけど、俺の彼女なんだ……。
彼女の恐怖心が払拭されるまで、しばしの間悠一は頭を撫で続けたのであった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
※凛のバカ正直は、情弱な部分を指しているのではありません。