働かない文官
「官吏ですか……?」
「うん、ちょうど今人の手が足りてなくてさ」
「でも私、完全に未経験ですけど……」
「それでも素養があるから、普通の人より伸びが違うはずだよ。やってもらうことは税計算を始めとした事務処理がメインだし」
マトンの素養は『数学者』。
きちんとやり方を仕込むことさえできれば、僕よりはるかに高速で税なんかの処理ができるようになるのは間違いない。
素養については、実際に色々と調べてみなくちゃわからないことも多い。
基本的に素養というのは千差万別で、同じ名前の素養だったとしても『剣士』の素養を持っている人達の強さというのは結構バラツキがあったりするんだよね。
『数学者』は身近にいない素養だったし、今後同じ素養持ちが出てきた時のことも考えて、彼女には色々と調査やテストなんかも受けてもらっている。
おかげでマトンがこの素養を手に入れてから、明らかに論理的な思考能力や計算能力が上がっていることがわかっている。
結果だけ言えば、マトンはめちゃくちゃ優秀だった。
彼女は今までまともな教育を受けていなかったと思えないほどにできがよく、スポンジが水を吸い取るように知識を吸収し、あっという間にインテリの仲間入りを果たした。
ちなみに家がめちゃくちゃ汚いのは、そんなことをしている暇に何かに没頭した方がいいからという理由らしい。
計算能力が上がり論理的な思考能力が向上したことで、家が汚くなる……こんな汚部屋になっちゃうのなら、少しくらい非論理的な考え方ができる方が、人って幸せなのかも。
「今マトンは、まともに働いてないよね?」
「え……ええはい、働きたくな……働いているやつは馬鹿。働かなくて済むのならその方がいいことなんて、自明の理です」
……頭いい人ってみんなこうなの?
つまりこう思ってない僕は馬鹿ってこと?
ダメだ、なんだか頭がこんがらがってきた。
どうしてマトンの頭にはこう極端な二択しかないんだろう。
「働かなかったらいずれ食べていけなくなるよ? 今後交易のことを考えたり、村人の人達のことを考えたりする上で、無尽蔵にフルーツは渡さない方がいいんじゃないかってことになってきてるし」
「――えっ、それは困ります!」
実はここ最近、マトンみたいにフルーツ食べていきていければそれでいいや、的な刹那的な考えをする人が増えてきている。
もちろん全体で見れば少数派ではあるんだけど、そういう人って得てして他の人にもあんまり良くない影響を与えちゃうからさ……。
他人の勤労意欲を削ぐ人達を、これ以上量産するつもりはない。
なので僕は段階的に、フルーツを取り放題ではなくすつもりだ。
自由に採らせるんじゃなくて、配給制に移行させるつもりなのである。
もちろん飢え死になんかさせるつもりはないけれど、今みたく適当にフルーツを食べるだけでのんべんだらりと生きていける状態をあまり長く続ける気はない。
ギリギリ食べることはできるけれど、自分で働かないと余裕はない……そんな状況を作り、なるべく皆に働いてもらいたいというのが今の僕の目標の一つだったりする。
なんにせずぐーたらっていうのが悪くはないという意見はその通りだと思うけど……やっぱり人間、仕事の一つでもした方が良い人生になると思うんだよね。
そんな僕の考えを聞いたマトンは、ブルブルと身体を震わせていた。
「は、働く……働くって、何?」
急に労働に関する記憶喪失だけを失ったように、うわごとを繰り返している。
「働きたくないでござる! 働きたくないでござる!」
かと思ったら急に駄々をこね出した!?
マトンは家の中でゴロゴロと転がりながら、手足をバタバタと動かし始める。
「ガキじゃないんですから働きなさい、この穀潰し」
アイラも感情を失った瞳で、グズるマトンに軽蔑の眼差しを向けている。
「うぅ……ぐすっ、わかりました。働きます! 働けばいいんでしょう! あーあ、働けって言われなければもっとちゃんと働いたのにな!」
謎の言い訳をするマトンだったが、どうやら何もしないでぐーたらし続けることには若干の罪悪感も抱いていたらしく。
彼女は無事官吏見習いとして、僕お付きの初の文官として就職することになった。
あれだけ嫌がってたから、まともに仕事をしてくれないんじゃないかな……という僕の予想は、良い意味で裏切られることになる。
働くのが嫌なマトンは、僕の予想の斜め上の形で仕事をし始めたのだ――。