実
次の日の朝になった。
一日中歩いて疲れていた身体がリフレッシュしたので、考える力も大分戻ってきたみたいだ。
「ねぇナージャ、すごく当たり前の質問をしてもいい?」
「ああ、なんでも聞いてくれていいぞ」
「こっちに来ちゃってよかったの?」
「まったく問題ない。私は自分の行動を、何一つ後悔していないぞ」
「でも『剣聖』の素養を持つナージャなら、アシッドと婚約をすれば……」
言葉は続かなかった。
僕の唇を、ナージャの人差し指が抑えてしまったからだ。
「くどいぞ、ウッディ。別れる前にも言っただろ? 私はあんなクソ野郎との結婚など、死んでもごめんだと」
そう言って片目を瞑るナージャ。
その言葉を聞いて、彼女と別れる時のことが脳内に蘇る――。
それは僕が追放を言い渡されてからすぐのことだった。
僕が『大魔導』を受け継いだことを祝うために来ていたナージャが、僕のところに悲しそうな顔をしてやってきたのだ。
「ナージャ……」
「探したぞ、ウッディ」
その時の僕は、ちょっとヤケになっていた。
アシッドと彼の息のかかった使用人達にひどい目に遭わされていたせいだ。
どうせナージャも僕のことをバカにしに来たんだろうとばかり思っていた。
「――公爵の奴、なんとふざけた真似を! ウッディをこんな馬小屋に押し込めるなど!」
「……ナージャ?」
けど彼女は僕を嘲るんじゃなく、僕を部屋から追い出して馬小屋に押し込めた父さんに怒っていた。
予想外の反応に面食らう僕の頬に、ナージャはそっと触れる。
「話は父さんから聞いた。お前が『大魔導』を受け継げなかったことも、お前が手に入れたのが、『植樹』という生産系の素養だったことも」
「うん、ごめんね……たはは」
僕は笑った。
笑うしか、なかった。
だって笑って自分を誤魔化しでもしないと、どうにかなってしまいそうだったから。
今までの僕の人生はなんだったのか、とか。
情けなくて泣いてしまいそう、とか。
色んな思いがぐるぐる渦を巻いて、堪えきれなくなるような気がしたから。
「ぼ、僕はその……ダメだったから。だからナージャは……アシッドと結婚して、幸せになってよ。コンラート家とトリスタン家が結ばれれば、きっと君やその子供の将来は安泰に――」
「バカを言うな。あんな奴と結婚して、まともな結婚生活が送れるようになるものか。好きでもない相手の子供を産むだなんて……考えるだけでぞっとする。私が結婚したいのは、だな、その……」
「どうかしたの?」
言い淀んだかと思うと、顔を真っ赤にしてしまったナージャ。
大丈夫かとその顔を見上げる。
僕は小柄でナージャは女性にしては長身だから、自然と見上げる形になった。
「な……なんでもないっ、なんでもないぞ! と、とにかく! 私はアシッドなんかとは死んでも結婚しない! そんなことになるくらいなら、この舌を噛み切って死んでやる!(か、かわいい、かわいすぎる! もう素養とか、正直どうでもいいくらい好きだ!)」
なんという覚悟だろうか。
たしかにアシッドはかなり性格が悪いとは思うけれど、ナージャにまでひどいことをしていたのかもしれない。
許せないな、と思っているとナージャは立ち上がり、一点を指さしていた。
そして厩舎の出口を指しながら、
「そ、そうだっ! ウッディの素養を使って、樹を植えてはくれないか? 私にその樹をプレゼントしてくれ」
「う、うん、いいけど……」
僕は言われるがまま、素養を使って樹を植えた。
誰かに素養を使って欲しいと言われたのは初めてだったので、樹を植えたのも当然初めてだ。
僕が植えた小ぶりな樹を見て、ナージャは笑ってくれた。
「ウッディに似てかわいらしい樹だな……気に入ったぞ! よし、こいつは植え替えて、私の家に持っていく!」
ナージャのおかげで、自分の素養がちょっとだけ好きになれた。
そんな思い出深い一幕だった――。
「安心しろ。既に絶縁状は置いてきている。机の中に入れておいたから、そろそろ父さん達が見つけている頃合いだろう」
「ぜ、絶縁っ!? そんなことして大丈夫なの?」
「好きな人と結婚できないくらいなら、貴族なんぞやめてやる!」
「そ、そっか、ナージャは政略結婚、そんな嫌だったんだね……」
貴族じゃなくなったから思うけれど、素養を継がせるための政略結婚なんて碌でもないものだと思う。
ナージャみたいなかわいい女の子からすれば、普通に恋愛結婚がしたいのは当たり前のことだよね。
僕との結婚も嫌だったのかなぁ。
そんな風に考えると、なんだかちょっと悲しくなってきた。
「ちっ、違うぞ、何か勘違いしてないか? そ、その、私はアシッドとの結婚が嫌だったのであって、ウッディとの結婚は……ごにょごにょ……」
明後日の方向を向いて左右の指をつんつくさせだしたナージャ。
彼女を見てアイラは、
「あ、あざとい……あれを天然でやってのけるとは……ナージャ、恐ろしい子ッ!」
と何故か白目をむいていた。
どうしてそんなことをしているのかは、まったくの謎だ。
「甘酸っぱいムードの中恐縮である」
「あ、神獣様」
朝起きた時にはいなかった神獣様がやってきた。
てっきり元いた場所に帰ったのかと思っていたけど、どうやら違うようだ。
その長い鉤爪に魔物をひっさげて、結界の中へとスルリと入ってくる。
そして僕らと反対の空いているスペースへと着地した。
「我は仰々しい名で呼ばれるのがあまり好きではなくてな。気軽にシムルグと呼んでほしいのである」
「わかりました、シムルグさん」
「よし、では我も親しみを込めてウッディと呼ばせていただこう。ウッディ、一つ相談なのだが……我にその世界樹の実を恵んではくれないだろうか? 無論対価は、しっかりと渡すのである」
あ、そういえば世界樹について完全に忘れてた。
……って、あれ。
よくよく考えてみると……僕らが食べてたのって、世界樹の実ってことだよね?
これって、シムルグさんでも欲しがるようなものなんだ……美味しいから、パクパク毎日食べちゃってけど、実はとんでもないものだったのかもしれない。