勇者(女)は投げ出したい。
適宜ツッコミを入れることを推奨しております。
最近、魔族の動きが活発化しているらしい。それをきっかけに、アンジュは勇者として、旅立つことになった。
が、ぶっちゃけ投げ出したい。200年に1度と言われている勇者の神託なんて、世界規模で見れば、何年に1回かは降りてるだろ。ていうか、1000年に1度の美少女も10年に1度くらいで、現れてんじゃねーか。少なくとも、アンジュ(17)は、この世界で1000年に1度の美少女とか言われている人間を、2人は知っている。その(ガバガバ)理論(?)でいくと、自分1人が失踪したところで次の勇者が何とかしてくれるだろう、と考えたわけだ。
アンジュ・ハワードが勇者の神託を受けたのは、もう7年も前だ。その日から、修行という名目で、家から追い出された。一応、師匠がついたのだが、やる気のないアンジュからすれば、鬱陶しいだけであった。何度逃げ出そうとしても、師に隙もないから逃げ出せない。
そんなこんなで、この年になって、“魔族の動きが目立ってきたので、そろそろ旅立って魔王を倒してきてください”、と言われたわけだ。
別に自分が魔王を討たなくたって良いではないか。
そもそも、勇者にだってなりたくないのに。
・・・
思いついた。投げ出しても良いじゃないか。逃げたって良いじゃないか。王様から、勇者の名のもとに援助金だけもらって雲隠れしてしまえば良いのだ。幸い、師匠から逃げようとして鍛えた隠密スキルや気配察知能力がある。今まで散々、やりたくないことをやらされてきたのだ。“迷惑料”を貰って、ド田舎か秘境にでも逃げてしまおう。
王様「アンジュ・ハワードよ。どうか魔王を討ちとり、世界に平和を取り戻してくれ。」
アンジュ(今まで討ち取れた勇者がいねぇから、私にまでまわってきてんじゃねぇのか。)
「もちろんです、王様。このアンジュ、必ずや魔王を討ちとってみせます。」
(誰がんな危険な真似するかっつーの。)
王様「まことか。ならば、勇者アンジュに、せめてもの支援として、1万ゴールドやろう。」
アンジュ(しけてんなぁ、こちとら7年も拘束されてたようなもんなのに。)
王様「さらに、一人での旅立ちは心細かろう。仲間を紹介してやる。」
アンジュ(いらねぇ、猛烈にいらねぇ。)
王に呼ばれ、部屋に入ってきたのは、胡散臭い笑顔の優男という印象だ。
適当に挨拶を交わし、早々に出発する。
さっそくだが、名前も覚えていないこの男をどうやって撒くか。アンジュはそれを考えることにした。手っ取り早いのは、勇者の仲間に値しないと証明することだが、一応王様が仲介しているため、この男が下手な真似を打つとは考えづらい。
魔力の質や量から察するに、この男は魔族であろう。わざわざ人間に化けている。
え?
さらに、常時胡散臭い笑みを浮かべている。
あれ?
(アンジュの思う)普通に考えれば、この男は金でも狙っているのであろう。
それならば、簡単だ。分け前を与えず、あたかも儲かるわけがない、という風を装うだけだ。
実際問題、実力のない冒険者なんかは、回復薬といった薬代の方が高くつき、まず儲からない。一応、アンジュは中堅の冒険者くらいの実力はある。魔物を狩ることを生業にし、十分な生活が送れるくらいだ。もちろんアンジュはそんな危険なことを、進んでやるわけがないのだが。
儲からないと分かれば、おそらく男は何かしらの行動に出るはずだ。一番良いのは、自ら仲間の辞退を申し出てくれることだ。それなら、辞退の言質を取ったうえで、適当に分け前をやって、何事もなかったかのように別れるだけで円満に済む。そして、一人になったら、上手く行方をくらまして、ハッピースローライフとかいうやつの始まりだ。
そこまで考えてアンジュは何だか面倒くさくなってきたので、宿を取った。
意外と早かった。ここ数日、勇者らしく報酬は少ないが人様のためになる依頼を進んで引き受けていた。普段のアンジュならば、絶対に引き受けない。誰がやるんだと思っていたことだ。わざと分け前を与えないというより、分けられるものがないという状態だが、そこまで変わらないだろう。そのかいあってかは知らないが、男がついに尻尾を出したのだ。
文字通り、物理的に尻尾を出している。黒く先の尖った、魔族特有の尻尾だ。
黄昏時、裏路地へ入っていく男を、得意の隠密スキルを使用して追っていたのだ。男はまた別の男と話しているようだ。その別の男もまた、魔族であろう。
男「洗脳は、進んでいるか?」
男「ああ、毎晩魔法をかけている。いずれ精神を侵食していくだろう。」
男「毎晩?・・・勇者の精神汚染への耐性の高さも考え物だな。」
アンジュ(初耳なんだけど。毎晩魔法をかけている、っつーことは、勝手に部屋に入っていたのか。今夜あたり、部屋に結界でも張って・・・いや、映像で記録して証拠にするか。)
男「そうだな。・・・彼女は、随分と純粋そうだ。人の嫌がること(ゴミ拾い、労力のわりに報酬が安い仕事など)を平気でする。」
アンジュ(っ!コイツ、まさか私の本性を知って!?・・・だとしたら、早急に消さねぇと。)
アンジュは、「人の嫌がることを平気でする(嫌がらせ的な意味で)」に関して、心当たりが大いにあった。ちょっとした嫌がらせレベルではあるものの、いざ他人の口から聞くとドキリとする。
男「人の嫌がることを、ねぇ。勇者様ってのは、高潔な精神をお持ちなようだな。」
アンジュ(嫌味か?それともコイツらがそういう感覚なのか?)
男「全くだな。そんな勇者を洗脳して、手中に収めようだなんて、魔王様の側近は素晴らしいことをお考えになる。」
男「そうだな。そして、お前の働き次第で、魔族の未来は大きく変わる。」
男「わかっている。」
アンジュ(は?コイツ、魔王軍の関係者だったのかよ。王様の野郎、何ともまあ、慧眼をお持ちだな。)
そう言って、男たちは尻尾をしまい、別れた。男は、金を狙っていたのではなく、魔王のスパイだったのだ。
ちなみに、アンジュは心の中で王様に皮肉を言いつつ、彼らのやり取りを録音していた。
後日、男は、変質者として捕らえられた。
アンジュはそろえた証拠を持って、役人に突き出したのだ。そして、男たちが魔王の差し金であるということは、伏せるように進言した。
役人「なぜです?魔王の差し金であることを公表するな、だなんて。」
アンジュ「魔王の差し金であるということを公表すれば、人々の魔族に対する不信や差別意識は強まります。魔族であるからと言って、必ずしも魔王に忠誠を誓っているわけではありません。善良で、人と共に生きようとする魔族も存在します。そのような方々が虐げられて良いはずがありません。」
それっぽいことを長々と適当に述べておく。なぜ、ただ部屋に侵入した変質者とするように言ったのか。
その方が面白いからだ。魔族の未来とやらを背負ったやつが、ただの変質者として捕まる、そんなふざけた状況を見れば、溜飲も下がるというわけだ。
役人「な、なんと・・・。」
役人はどこに感動したのか涙ぐんでいる。
アンジュ(どうせこの国で魔族は差別されてるし、あの魔族が、私を悪く言ったところで、事実だったとしても、誰も信じやしないだろ。)
何にせよ、こうして男と無事に別れ、アンジュは念願の一人になった。そして、そのまま雲隠れ・・・とはならなかった。
“初めてできた仲間に裏切られながらも前を向く勇者”として有名になってしまったからだ。
どこへ行っても声をかけられる。「災難だったな」だの「お可哀そうに」だの、気にもしていないことについて言及されても反応に困る。やめてほしい。
・・・
アンジュに師がついてから、修行が始まった。
修行は、はっきり言って、ただひたすら無茶ぶりされただけだった。剣を握ったことのない少女が初めから上手くいくはずもなく、何度もマメができてはつぶれ、一時期は剣を握るだけでも痛みが走った。今でこそ、白魚のような手だなんて言われるが、昔はとても見れたものではなかった。
そのせいか、アンジュは剣が好きではない。
休日、一週間に一度は必ず休むと決めている。勇者を投げ出してしまえば、毎日休日のようになるのだろうが。
アンジュ「マジで信じらんねぇ。ありえねぇ。っつーか、ふざけんな。」王様からもらった1万ゴールドで酒でも買おうか。アンジュの本性を知っている数少ない人物である、エスメラルダは「アンタ未成年でしょ」と笑っている。
アンジュ「さっさと雲隠れすりゃ良かった。エスメ、しばらく匿って。」
エスメラルダ「無茶言わないでよ。アンタ、今巷じゃ有名よ。仲間に裏切られながらも、その仲間を一切責めないどころか、慈悲までかけたとかって。」
アンジュ「尾ひれ着いてんじゃねぇかよ。早くどこかに引きこもりたい。」
エスメラルダ「そういうわけにもいかないんでしょ。何でも、アンタの仲間になりたいって奴が殺到してるらしいじゃない?中には、あの西方の騎士もいるとか。」
アンジュ「一日中寝てても誰にも文句を言われない仕事どこ。」
アンジュは、基本的に人の話を聞いていない。西方の騎士とやらの話もされていたかもしれないが、アンジュは聞いていなかった。
唯一と言っても良い、友人エスメラルダは毎度呆れさせられている。
・・・
西方の騎士とかいうやつに決闘を挑まれた。アンジュが勝てば、仲間になるらしい。正直に言わせてもらうと、バックレたいことこの上ない。そんな決闘が明日に迫っていた。
勝負事には入念な準備が必要だ。明日、決闘する場所の一部に、ぬるぬるする液体をまき散らしておく。決闘の際は、自分は1センチほど、ばれないように魔法で浮いておくつもりだ。氷の魔法で薄く氷を張り、滑らせても良いのだが、相手の靴が、雪の降るような地方のものであったら意味がない。より確実な方が良いだろう。証拠隠滅を図るために、液体を無色、熱で分解されるように改造しておく。魔法を使ってしまえばいくらでもごまかせるように。
本当であれば、相手の得物に細工でもしたいところであるが、さすがに余地がなかった。ならば、自分の得物を細工するしかない。物質を変化させて、絶対に砕けないような材質に変えてしまう。今回は、刃がついていなくても問題はない。相手を切るのではなく、心を砕ければ良いのだから。
アンジュは剣が好きではない。その剣を使えと指定された決闘、まともにやるという選択肢はないのだ。
無慈悲にも当日はやってくる。
西方の騎士(よもやここまで美しい人だとは思わなかった。振る舞いや息遣いも全て計算されつくしているかのようだ)と、アンジュを見て思う。アンジュの見た目だけはどこかの姫のようなのだ。中身は、全くともなっていないが。
騎士との勝負ということで、二人きりにしてほしいと、アンジュは、また適当な事を言って、見物人はひかえてもらった。
アンジュの作戦はこうだ。相手の得物をまず破壊して、ひたすら殴り、相手に降参させる。そのうえで、形式的な勝ちを譲る。誇り高き騎士様にはきっと耐え難い。ようするに、二度と(精神的に)立ち上がれないようにボコボコにしてしまおうと考えたのだ。
そうすれば、もう自分に挑んでなど来ないだろう。
本来であれば完全に反則であるが、審判もいないのだ。先手必勝で身体強化の魔法をかけ、騎士の剣を砕きにかかろう、とはしなかった。剣の技量に差がないとしたら、体力の関係上、アンジュが不利になるかと思いきや、案外そうでもない。そもそもアンジュの方が、実は体力がある。例の修行や勇者としての特権のようなものであろう。アンジュが、身体強化の魔法で、強化したのは筋力だけだ。普通に反則である。
アンジュは勇者としての役割を投げ出したい。こんなところで仲間は必要ないのだ。
騎士の技量は大したものだ。アンジュとて気を抜けば、簡単に剣を弾かれてしまうだろう。ひたすら防戦に徹して、ある機会を待つ。
すぐに機会はきた。騎士が剣を大きく振りかぶって、強力な一撃を繰り出そうとする。その強力な一撃は、剣を折った。騎士の剣を、であるが。騎士の強力な一撃を、アンジュはまともに受け止めたのだ。本来ならば、そこで押されていただろうが、筋力を強化していたため、難なく耐えた。そして、アンジュの剣は折れないように強化されていたため、騎士の剣が強度で負けたのだ。
アンジュ(やったぜ。なあ、自分の力で剣を叩き折るってどんな気持ち?)
態度には一切出さないが、内心そう思う。自分の目的を邪魔した相手、敵、とでも思っているのだろう。
騎士は、驚きはしたようだが、折れた剣でも勇敢に戦っている。アンジュはそれとなく、昨日、液体をばらまいた場所へと誘導していく。
そして、ある場所を踏んだ瞬間、見事に滑った騎士は勢いよく転んだ。
アンジュ(堂々たるすっ転び方だな。)
器用にも、態度には一切出さず、心の中で嘲笑する。今のアンジュは、至極真面目な顔をしているのだ。
騎士「な、なんだ!?」
その隙をついて、折れた剣を弾き飛ばす。
そこからは、一方的だった。剣を持たない騎士と、剣を持った勇者。
剣を木刀に持ち替えて、ただ殴る。「もうやめて下さい」と、泣いて懇願するまでだ。急所を上手く避けながら、体力の続く限りではあるが、ひたすら殴る。気絶したのなら、回復魔法をかけ、少し休憩をはさんでから、また殴る。その繰り返しだ。昔、師匠に、似たようなことをわりとよくやられた。が、これ以上は思い出しても、ろくなことがなさそうなので、アンジュは思い出にそっと蓋をした。
(アンジュの思う)普通は、自分を限界まで追い詰めてくるような相手とは、二度と関わりたくない。ついでに、そんな相手には少なからず恐怖心が芽生えるので、噂を流して評判を落とそうともしない。いや、やっぱりバレない程度でするかもしれない。
とにかく、大々的に抗議は行わないだろうと踏んでいる。万が一、抗議が行われたとしても、誰も見ていないのだから、不正の証明のしようもない。そして、騎士が仲間になるのは、アンジュの勝った場合であるので、これで仲間が増える心配もない。完璧だ。
どれほど時間が経ったかはよくわからない。呻くような声で、騎士が静止を訴えた。もちろんすぐに殴るのはやめる。ついでに、傷を残すのも忍びないので(精神的にも害しているが)回復しておく。
アンジュ「皆様には、あなたが勝利を修めたと報告しておきます。」
アンジュ(やっぱ抵抗されねぇって、良いな。)
一方的にそう告げる。
相手がギブアップするまで痛めつけた後に、形式的な勝ちを譲る。散々、反則を行っていたので、勝ちを譲るもクソもないのだが。
騎士であれば屈強な精神力を持っている。されども、何度も何度も叩きのめせば、いつか限界は来る。そして、精神の限界を迎えてなお、その原因を忌避しないとするなら、そいつは変態だ。
つまり、目の前のこの騎士は、変態だ。
騎士「勇者アンジュよ。今はまだ、力不足であるかもしれないが、私を仲間にしてください。」
アンジュ「は?・・・私が何をしたか、わかっておいでですか?」(どんなマゾヒストだよ)
騎士「もちろん心得ております。勇者と共に魔王を倒す道は、ひどく険しい。ですから、あなたはわざと試したのでしょう?」
アンジュ(何言ってんだこいつ)
騎士「私に勝ちを譲るということも、回復魔法をかけることも非常に不自然です。そこから、導き出されるのは、あなたが、本当はこんなことをしたくなかったということです。」
アンジュはスペキャ顔になりそうになるのを、表情筋を総動員して何とか耐える。
アンジュ「えっと?」
騎士「あなたは一度、仲間に裏切られたと聞いている。ゆえに、挑戦者を試す理由も充分です。そして、旅の過酷さを予め体験させようとした、そういうことです。」
何をどう解釈したのか、騎士はアンジュが自分を試したと思い込んだらしい。
わざとというのは、間違っていない。ただ、アンジュからしてみれば、神聖であろう決闘を穢され、大切なはずの剣を折られ、容赦なく攻撃を加えられてもなお、自分を勇者として見てくる騎士が不思議でならなかった。騎士の目は、少しの淀みも知らないような、澄んだ目だ。
アンジュ(やめろ。そんな目で見るな。私はただ、勇者なんて投げ出したいだけなのに。)
アンジュ「どうでしょうか。何にせよ、私はこれから一人で行動させていただきます。そういう話だったでしょう?」
騎士「おや?あなたが負けたとしても、私が仲間にならないとは言ってませんよ。」
そんなの詐欺だ。アンジュは基本、人の話を聞かないため、この騎士が実際そのように発言していたかどうかの真偽はわからない。
こうして、あの西方の騎士との決闘を無傷で終え、仲間に引き入れた。と、勇者アンジュの伝説が、一つ増えた。
・・・
このような調子で、気付けば、アンジュには騎士の他に、何人もの仲間が順調に増えていた。全然嬉しくない。逃げづらくなっただけではないか。とアンジュは思う。
思いついた。単純ではあるが、この人達の方からやめてもらえば良い。もうついていけない、そう思わせるのだ。めちゃくちゃなしごきや理不尽な言動など、少なくとも7年は経験している。他人にそれをやるというのは、心がとても痛むが、(アンジュにとっての)平和のためだ、致し方無い。
「魔王を討伐するための道がここまで険しいとは。」
「勇者様、最後までお供できずに申し訳ありません。必ずや、魔王を討ちとってください。」
アンジュ(知らんわ、ボケ。)
アンジュ「お気になさらないでください。決して、あなた方が力不足というわけではありません。私も、いつ使命に押しつぶされてしまうかわからないのですから。ですが、私にできる範囲で、最大限の努力はさせていただきます。」
アンジュはいつもこう返した。テンプレートって奴だ。
そんなこんなで、一人、また一人とリタイアしていく。
結果として、騎士、魔法使い、回復士、格闘家が残った。
アンジュ(なんでだよ。私なら、とっくの昔に逃げ出してんのに。)
集団行動は、どちらかといえば嫌いだ。さっさと勇者を投げ出して、基本一人で気楽に生きたい。
アンジュは次の手を実行することにした。それは、純粋に強くなることだ。もちろんそれは、魔王を倒すためではない。仲間から逃げ切るためだ。現状、アンジュと、仲間の間に、レベルの差はほとんどない。
そして、どういうわけか天はアンジュに味方したようだ。奇跡的に、レベル上げに効率の良い魔物が湧くスポットを、発見したのだ。後は、毎晩でも通って、一人でレベルを上げてしまえば良い。
・・・
アンジュの性格は悪い方であろう。困っている人がいれば、助けるよりも、本当はもっと困らせたい。責任感はほとんどない。すぐに不満を垂れる。諦めも早い。そして、守るべきと言われる弱者であってもいじめたいし、強者と言われる者でも、自分より弱いのならいじめたい。性根が腐っているのかもしれない。そんな感じだ。
だが、師は、アンジュの本質を見抜いていた。困らせて、もっと自分に注目してほしいが、それを認めたくないので、困らせるのを控えている。誰にも責められたくない。変なところで頭が回るため、見切りをつけてしまう。今は弱者であっても、自分を追い越す可能性があるのだから、怖い。自分より強い相手と関わりたくない。だいたいそんな、しょうもないところだ。師からすると、アンジュは心がまだ弱く未熟であるから、あの性格であり、成長すれば改善する、そう思っている。
しかしながら、師はアンジュの意地の悪さを軽く見すぎていたのかもしれない。言い換えると、アンジュは師の思うよりはずっと嫌な奴だ。彼女はいつだって、心の中では醜悪な笑みを浮かべている。師による、普通であれば耐えられないような修行にも、不満を垂れながらも一応、ついてはきた。その修行を終えてなお、あの性格なのだ。
ついでに、師の気持ちなど、アンジュには一ミリも届いていない。
・・・
弾除け…ではなく、仲間に内緒のレベリングはかなり上手くいった。なにせ、たった数か月でおおよそ仲間の倍近くまでレベルが上がったのだから。はっきり言って、アンジュは、努力が死なない程度に嫌いだ。だからこそ、努力せねばならないのなら、なるべく一度きりで終わらせたいようだ。
だとしても、少々、レベルの上げすぎな気もするのだが。
急激なレベル上げにもちろん仲間も気づいていた。そして、毎日のように真夜中はどこかへ行っていることにも気づいていた。だが、アンジュの隠密スキルと気配察知能力が高すぎて、足取りは全くつかめない。このままでは、一度見失った隙に、どこかへ行ってしまうのではないだろうか。仲間たちは、まさしくアンジュが行おうとしていることを、不安に思っていた。
さて、こういうのはタイミングが肝心だ。アンジュは、いつ仲間を振り切り、秘境か田舎にとんずらするかを真剣に考えていた。ここ最近は、常に仲間が一人以上は自分について回っている気がする。いや、きっと気のせいではない。急に一人だけレベルが上がれば、怪しまれて当然だ。かといって、しばらく鳴りを潜めていても、アンジュのレベルに追いつかれてしまう。そうなっては、逃げられなくなる。
現在、訪れている国は、周囲を山に囲まれ、国自体も要塞のようだ。アンジュは、この国の地下道を見つけ、さらに、その中で、国からは発見されにくいような場所へとつながる道も発見している。ここまでの条件がそろったのだ。決行は今しかないだろう。
時を同じくして、魔王の側近の一人は、とある国を攻め落とそうとしていた。この国は、周囲を山で囲まれ、地下道も存在する。その地下道の出口付近に、兵を置いても、国からは発見できないような立地である。ここまで美味しい条件は早々ないだろう。
地下道の出口付近に、魔物の気配がする。それも大量だ。
アンジュは迷っていた。まず、このまま進めば魔物と鉢合わせる。かといって、引き返せば、魔物たちが街に攻め込んでくる。魔物たちが攻め込んでくる混乱に乗じて、こっそり逃げても良いのだが、乱戦の中をくぐるのは嫌だ。ならば、どうするか。
魔物たちの一部が地下道を進み始めたようだ。
隠密スキルを発動し、前進する。一流の剣技があれば、敵は切られたことにすら気が付かない。アンジュは、こっそり魔物たちを始末しながら、道を切り開いていく。
アンジュが魔物たちを始末したのは、決して正義感や、街を攻められては街の人たちが困るから、という理由からではない。万が一、気付かれて、背後からブスリ、などとなっては笑えないからだ。
そのまま、無事に出口までたどり着いてしまった。
地下道内の魔物たちは、すぐに体の機能が限界を迎え、息絶えただろう。
出口には、まだ多数の魔物が待機しいる、ざっと200匹くらいだろうか。無視して、木陰から山の道へ入ろうとしたのだが・・・。
アンジュ「・・・。」
側近「・・・。」(コイツは確か、勇者ではなかったか?なぜこんなところにいる。いや、何もしゃべらないし、さては幻覚か?)
さっきから目が合っている。完全にこちらを見ている。気付かれている。
さすがは魔王の側近といったところか。アンジュの隠密スキルを見破ってしまうとは。
アンジュ「・・・。」
そのまま横を素通りしようとしたら、腕をつかまれた。放してほしい。
側近「・・・っ!」
幻覚ではなかった。実体がある。とりあえず、腕は放した。
アンジュ「( ̄ー ̄)」
精一杯の、やる気がなさそうな顔をする。自分はただの旅人ですが、何か?という空気を醸し出す。
側近「・・・誤魔化せるわけがないだろう!敵襲!」
側近は一瞬で飛びのいて、魔物たちに指示を出していく。
アンジュは舌打ちし、一瞬の間に思案する。この後、魔物たちはどう動くだろうか。おそらく、一斉にアンジュにとびかかってくるだろう。数の暴力だとは思うが、残念ながら、アンジュが向こうの立場なら真っ先にそうする。
魔法を展開する。それも、自分の周りを囲むような形だ。
飛んで火にいる夏の虫とでも言ったか、気持ちいいくらいに次々と飛び込んできては倒れていく。
側近「勇者め。気付いていたな!」
そんなわけがないのだが。
側近は、さすがといったところか、高位の魔法を発動する。
その前にだ。もっと重要な問題がある。
そんな派手な魔法を使われれば、気付かれるではないか。
アンジュ「待て!待てこらおい!そんな魔法使ったら、奇襲は失敗するだろ!?」
悪あがきもいいところだが、側近を止めようとする。
側近「勇者が気づいた時点で失敗しているではないか!」
もちろん止まるはずがなかった。
アンジュはとりあえず、自分の身だけでも守ろうと防御を展開する。山が崩れれば、何かしらの被害が出るかもしれないが、自分は悪くない。
側近の魔法により、魔物たちは半分くらいにまで数が減った。アンジュは無傷だ。
そして、当の前に気付かれていたらしい。アンジュの視界の端にちらりと見えた。
格闘家「魔物が100匹近くいるぞ!」
回復士「アンジュが一人で戦ってる!」
側近「おのれ、勇者め・・・。わが計画が台無しだ。」
アンジュ「計画が台無し、ねぇ。・・・それは、こっちのセリフだおらぁあああ!」
仲間からは聞こえない距離であるのをいいことに、思い切り魔王の側近を怒鳴りつけた。
アンジュ「お前のせいで、計画がおじゃんだ!ふざけんな!」
側近「お前の計画など知った事か!そもそも、一体、勇者が何の計画を建てると言うのだ!」
両者とも一歩たりとも引く気はないらしい。
騎士「勇者が魔王の側近と一騎打ちをするようです。」
魔法使い「ならば、私たちは周りのザコを片付けましょう!」
アンジュはかなり激しく怒っている。それはもう、この側近に恥辱を受けさせたうえで、生き地獄を味わわせたいくらいには。
こんな事態は想定していなかった。だが、いつかのために仕込んでおいたことがある。勇者は、様々な動物と意思疎通することが出来る。
突如、アンジュと側近の頭上に、上空に大量の鳥が現れる。もちろんアンジュが呼んだ。
そして、アンジュは少し、宙に浮きながら、自分の頭上にシールドを張っている。
その状態で、小範囲ではあるものの、威力は抜群の魔法を、側近に向けて容赦なく放つ。剣は好きではないので、剣を使えと指定された決闘でもないのなら、使う気はない。
側近は、かなり集中しながら、アンジュの魔法をさばいていく。それほどまでに、アンジュの魔法は洗練されていた。
そんなときだ。空から、鳥の落とし物が降り注いだのだ。
魔法に集中していた側近は、殺意のかけらもない鳥の粗相に気付かなかったのだ。鳥のアレが、側近の頭、肩を徐々に白く染めていく。
側近「ぎゃあああああ~~~~!?」
魔法は、多大な集中力を要する。パニックを起こした側近の精神状態では、魔法はもう扱えまい。側近は、アンジュの死なない程度に絶妙に加減された魔法を、防ぐことができなかった。そのまま、鳥の落とし物だらけの中で、気を失った。
最低だ。本当に最低としか言いようのない光景だ。
本来であれば、この後、気絶した側近をわざわざ攻撃力の低い装備を持って、ひたすら殴って憂さ晴らししてやるつもりであったのだが、さすがに、汚物まみれの側近にそれ以上の手を加えるような趣味はない。さらに、側近の部下と思われる魔物が、あからさまに顔をしかめながら側近を回収していた。それを見て、アンジュは鼻で笑った。
アンジュ「フンッ」
こうして、アンジュは魔王の側近の奇襲を見事に退け、魔王の側近を撃退したという功績を讃えられたのだった。
・・・
ストロベリーブロンドの髪、澄み切った空のような青色の瞳。その容姿からか、アンジュは姫勇者だなんて呼ばれることもあるが、全くもってガラではない。そもそもなんだよ、姫勇者って。
そんなことを考えていると、先方から声がかかる。
魔法使い「どうやら、この先に村があるようです。」
格闘家「こんな森の中にか。」
アンジュは端から誰一人として信用していない。ゆえに、背後を取られたくない。うっかり背後から誤射なんてされた日には、本性を隠しきれる自信がない。また、自分は安全な後方で、高見の見物をしたいのも本音である。未知なるものは怖いのだから。
村人「おお!勇者様とその御一行様、よくぞお越しくださいました。」
アンジュ(テンプレなセリフを毎度どうも。どうせ何か厄介事でもあんだろ。)
アンジュは、慈善事業が死なない程度に嫌いである。ということで、断りづらい空気を作り出し、魔法使い、騎士、回復士、格闘家をコントロールし、上手いこと代わりに全部やってもらおう。その間にアンジュは、勇者を投げ出す方法でも考えるつもりだ。
あまり聞いていなかったが、どうやらこの村に畑を荒らす魔物が出るから退治してほしいとか何かそんな感じだ。
アンジュは、言葉巧みに仲間たちを魔物退治へと駆り立てて、木の上で昼寝中である。休日でなくとも休みたい。
少女「ですから、私に行かせてください!私は、もう14です。子供じゃありません!」
アンジュ(十分ガキだろ。あー、農村とかって成人が早いんだったか。)
村人「ならん!どれだけあの洞窟が危険か知らぬのか!」
少女「ですが、このままで良いわけがないでしょう!誰かがやらねばならぬのです!」
アンジュ(絶対めんどくせぇやつだろ。)
村人「お前の才能はいずれ世界を救うのだ。こんなところで、潰して良いものではない!」
少女「目先の村も救えないような人間に、世界が救えるものですか!」
アンジュ(それが本心なら、末は聖女か賢者だな。)
事実、アンジュは少女の才能を何となく感じ取っていた。
しばらく両者は、押し問答を繰り返していた。
少女「わかりました。今は、控えておきます。」
アンジュ(いや、明らかに今すぐ飛び出す顔してるだろ。)
少女の目には、強い決意が宿っている。これは確実に一人で行くやつだ。
村人「・・・賢明だな。」
アンジュ(信じんのかよ。)
正直、村を救うとかそんなことはどうでもいい。完全にただの好奇心なのだが、アンジュは、少女が一体、何に突き動かされているのかが気になった。
村の正面ではなく、裏の方の出口に先回りする。予想通りといったところか、思いつめた顔の少女がやってくる。
アンジュ「失礼。」
少女「あなたは、勇者様!?どうしてここに。」
アンジュ「申し訳ありませんが、さきほどのお話を聞かせていただきました。」
少女「・・・私を、止めに来たという事ですか?」
アンジュ「いいえ。お止めしに来たわけではなく、ただ、あなたの覚悟を聞きにきただけです。」
少女「っ!」
アンジュ「私は村の事情を存じてはいません。ですが、さきほどのあなたを見て、どうしてもそこが気にかかったのです。」
嘘は言っていない。ただ、ここで勇者は魔物退治に行ったはず、とツッコまれないかだけが少々気がかりだ。
少女はポツリ、ポツリと村の事情を話しながら、自分がいかに村を救いたいのかを語ってくれた。
アンジュは思う。なぜ自分が勇者の神託なんて受けたのだろうか。絶対にこの少女の方が向いている。才能だって申し分ないし、何より志が立派すぎる。
正直に言うと、関わりたくない人種だ。話しているだけで、自分の心の汚さが浮き彫りになった気がするから。
少女の話を要約すると、村を守る結界が存在し、その結界が弱まっているため、魔物による被害が出ている。そして、その結界の維持には、洞窟にある水晶が必要である。しかしながら、今まで洞窟に向かって、帰ってきた者はいないため、危険だということしかわからない、ということらしい。よくある話だ。
アンジュ「お話しいただきありがとうございました。どうか、お気をつけて。」
少女「はい。必ず、村を救ってみせます。」
ここで、一緒に行くと言われなかったのは意外であったが、自分の意志を酌んでくれたのだ、と少女は好意的に解釈した。
アンジュ(村一つを何十年も守れるくらいの、高純度の魔力を秘めた水晶があんのかよ。絶対、金になんじゃねぇか。それに、あわよくば珍しい鉱石なんかもあるかもしれない。そうすれば、魔道具でも作って儲けられる。)
少女の志だの、村の危機だの、どうでもいいのだ。金のニオイがする。そこが重要だ。
アンジュは隠密スキルを利用し、こっそりと少女のあとを追う。もしも、洞窟に危険な存在がいたとしても、そいつは少女が勝手にひきつけてくれるだろうし、自分はそのまま宝石を頂戴できる。完璧だ。
洞窟に到着した。少女は勇敢にも、先へ先へと進んでいく。アンジュは、ところどころにある鉱石に目を奪われながらも、こっそりついていく。
アンジュの気配察知能力によると、洞窟内にそれほど強い魔物はいないだろう。なぜ、人間が帰ってこなかったのか。アンジュの頭では、水晶の持ち逃げか、帰りたくなくなる楽園のような場所でもあるのか、そのぐらいしか思い浮かばなかった。
隠密スキルを利用したうえで、鉱石を頂戴しながら少女についていくのに、飽きてきた。危険な魔物もいなさそうなのだ。アンジュは、少女にちょっとした悪戯を仕掛けたくなった。
最近、極めて強面の魔物を召喚できるようになった。もちろん人を襲うようなことはないのだが、如何せん顔が怖いのだ。少女は驚くだろうか。
少女は村の命運を背負っている。そんな人間に対して悪戯を仕掛けようなど、品性下劣なのかもしれないが、アンジュの知ったことではない。
少女の前方に一瞬、影が差す。
風魔法で、わざと少女を転ばせてやる。たまたま、魔物が迫っていたのだ。責められる謂れはない。たまたま、泥のある方に転ばせたが人命救助だ、致し方ない。
アンジュ(おい、ちょっと待て、こんなやつ呼んだ覚えないぞ。)
少女に迫っていた魔物は、アンジュの呼び出した顔が恐ろしい魔物ではなかった。
洞窟の奥に封印された、とてつもない力を秘めた魔物であった。
アンジュの気配察知能力に引っかからなかったのは、この洞窟の奥に結界が張られていたためだ。魔物は、結界内に入らない限り、襲ってくることはない。ただ、結界内に一歩でも踏み込んだら、即座に食われてしまうだろう。
少女「ひっ!全然、気が付かなかった・・・。って勇者様!?」
アンジュ「あ。」
様々な理由で冷や汗が止まらない。何にせよ、バレてしまったのなら、仕方がない。洗浄の魔法や風の魔法で、とりあえず少女についた泥は落としておく。
少女「・・・なぜついてきたのか、などと無粋なことはお聞きしません。」
アンジュ(おい、ちょっと待て。この流れはまずいだろ。)
少女「あの魔物を倒して、村に水晶を持ち帰りましょう!」
アンジュ(嫌だ。あんなの怖すぎる。逃げ出したい。)
アンジュ「お待ちください。あの魔物、水晶を護っているとも考えられないでしょうか。あの魔物を倒してしまうと、村の近くに来た人たちに、あらかた水晶や鉱石を取られてしまうやもしれません。」
お前のような、とツッコむ人間はこの場にいない。そもそも、このマイナーな田舎に誰が来るのだろうという話であるが、アンジュは抵抗する。
少女「確かに・・・。考えが及ばず、すみません。」
アンジュ「そのようなことはございません。もしかすると、あの魔物は結界を破ってしまう可能性もあるのですから。」
少女「気を使われなくても大丈夫です。あの結界はおそらく、洞窟の奥にある水晶によって、維持されています。ゆえに、魔物が結界を破る可能性は低いでしょう。」
アンジュ(へぇー、そうなのか。・・・って、水晶を持ち出しすぎたら、魔物が解き放たれるかもってことじゃねーか。っぶねーな。)
少女と話し合った結果、魔物を上手く足止めする、または片方が囮となり、その隙に水晶を採掘する。そして、結界内から脱出することになった。
少女の魔法は卓越していた。魔物の動きを封じると、二人で洞窟の最深部へと赴く。
洞窟の最深部は、神秘的であった。他ではまず見られないような大きさの鉱石があり、一つ一つに高純度の魔力が宿っている。しかし、見とれているような時間の猶予はない。二人とも、すぐに十分な大きさの水晶の採掘に、取り掛かる。
魔物は怖いが、珍しい鉱石は欲しい。魔物を倒すことは無理でも、逃げるくらいなら何とかなるだろう。アンジュはそう考えている。
いくつか水晶を掘り出したとき、すぐ近くから、悍ましい咆哮が聞こえる。
少女「っ。こっちよ!」
少女は挑発するように、魔法を放つ。きっと少女は、自分のはったりとは違い、本当に勇敢なのだろう。
アンジュ(よし、コイツ囮にしよ。)
少女を尻目に、結界の外へとつながる方へ向かう。
少女の魔法は抜きん出ていた。そのため、魔物はダメージ自体は少なくとも、近寄れなかったのだ。よって、矛先がアンジュに向く。
咄嗟に身体を捻って、直撃は避けた。だが、左肩付近がじくじくと熱を持つ。生暖かい液体が、左腕を伝って地面に落ちる。良かった。腕はまだついているようだ。そのまま、振り向きざまに、魔法を宿した剣で、切りつける。
怪我をするたびにアンジュは思う。もう二度と怪我したくない、と。
少女「勇者様っ!」
アンジュ「さっさと、逃げますよ!」
若干キレ気味だが許してほしい。
魔物は一瞬怯んだようだが、すぐに持ち直し、狙いはそのままアンジュで追ってくる。足の腱らしき場所を狙ったはずなのに、この魔物、足が速い。そもそも、魔物は体長20メートルほどあり、大きいためかもしれない。
少女「すみません。さっきので、もう魔力が・・・。」
アンジュ(そりゃあんな精神的に不安定な状態で、ボコスカ魔法撃ってたら、消費も激しいだろ。)
少女が、恐れを抱き、不安に苛まれながらも、平静を装い、魔法を使い続けていたことに気付いていた。気付いたうえで、囮にしようとしたのだが。
少女は、何とか走ってはいるものの、限界も近いだろう。
アンジュ(コイツが転んだら、振り返らずに全力で走ろ。)
生き残るためだ。アンジュは、全力で魔物の目つぶしをした。切りつけたり、持っていた香辛料や爆弾を目に向かって投げつけたりした。その間にも、魔物の攻撃により、少しずつ出血量が増え、体力も削られている。
何とか、結界の外へと抜けると、アンジュの意識はそこで途切れた。回復の魔法を使っている余裕はなく、少女も魔力が尽きかけていたのだ。
目を覚ますと、村のどこかのベッドで寝ていた。もう夕方だ。
回復士「アンジュ!」
騎士「目を覚まされましたか。」
結界を抜けた後、少女は驚きながらも、アンジュの呼んでいた顔の怖い魔物を手懐け、村まで運んだようだ。もしも、顔の怖すぎる魔物を見て、少女が気絶していたら、アンジュは目が覚めた時、痛い思いをしていたので、もう悪戯はやめよう、と、そのとき思った。アンジュは洞窟内で、自動回復機能を付与できる鉱石を見つけていたので、魔物に攻撃さえされなければ、そのうち目は覚めていたのだ。
周囲の人間があれこれ言い合っているが、アンジュはよく聞いていなかった。珍しい鉱石の使い道を考えていたのだから。
こうして、才気あふれる可憐な乙女を守り抜いた、凛然たる勇者として、アンジュは名を上げたのだった。
・・・
側近「くっくっくっ。あの勇者め、先の件ではよくもこの我を貶めてくれたな。」
魔王の側近たるものやられっぱなしでは顔が立たない。先の一件では、肉体的に、というよりは精神的にくるものが大きかった。よって、勇者にも、精神的な面に影響の大きい復讐をしてやろうと考えたわけだ。
側近「勇者として、あるまじき噂を流してやれば、周囲から孤立し、自ずと心を壊すであろう。」
元のイメージが良かった分、いざ悪いイメージを広められると、強烈な憎悪を向けられる場合もあるだろう。もしかすると、運よく勇者が暴動といったもので、命を落とすかもしれない。そうなれば、先の件での屈辱を晴らすだけではなく、我が地位も確固たるものとなる。完璧ではないか。
側近だけでなくあの勇者にも言えたことだが、なぜ未来という不確かなものが、見え透いているかのように話せるのだ。その神経がよくわからない。と、側近の部下は口には出さずに、ひっそりと思う。
側近の間違い、その一つとして、流す噂を間違えたということが挙げられるだろう。
側近は、アンジュがいかに卑劣極まりないかということを噂にしたのだ。側近は噂を創作したが、少なくとも半分くらいは事実である。アンジュは、勇者としてあるまじき行為をだいたい経験済みなのだから。
最近、アンジュが街を訪れると、人々が好奇や侮蔑の交じった目を向けてくる。そして、口々に何かを話し合っている。
さすがに何かあったのだろうと、気になったため、アンジュは隠密スキルを利用し、情報収集を行った。すると、どうやら自分が勇者の器ではないという噂が流れているらしい。正直言って、全く問題ない。このまま周囲から孤立できれば、雲隠れもたやすくなる。ゆえに、噂を放置しても良いだろう。
思いついた。周囲の心無い批判に、勇者は精神を壊してしまい、田舎に引きこもるようになってしまった。実に自然ではないか。ならば、この噂に乗るのも一興かもしれない。
もっともアンジュは、周りから謂れのないことでいくら責められようとも、そんなことで傷つくようなタマではない。だって、人の話を聞いていないから。それでも、批判されるのは好きではない。責められているという状況がすでに嫌らしい。だが、魔王を討伐するという危険極まりない行為の放棄と天秤にかければ、迷うことはなかろう。アンジュは、自分がいかに卑劣極まりないかという噂に便乗し、尾ひれをつけるどころか翼を生やす勢いで誇張、捏造、誤解を生む表現を付け加え、流していったのだ。
しばらくすると、アンジュは街の人間からだけではなく、魔物からでさえも恐れられる、血も涙もない勇者という扱いになっていた。そんなに間違ってもいないのだが。
アンジュはこの状況を、少しだけ愉快に感じていた。なぜなら、魔族や魔物に少し恐喝じみたことするだけで、奴らは泣いて叫んで許しを請う。お前らが一体何をしたというのだ。今は、アンジュが人間の街に訪れることはあまり得策ではないので、魔族や魔物に支配されてしまった地域を回っている。アンジュを見た途端、魔族や魔物はおもしろいくらいに逃げ出すので、仕方がないだろう。
街を歩けば、人々が畏怖と侮蔑を込めた目で見てくる。さすがに鬱陶しい。
さらに、時折、医師やゴミを投げつけられたりもするが、全てアンジュはあっさり避けている。
アンジュ(何言われてっかはよくわかんねぇけど、何かしら批判されてんだろうな、ウケる。)
どうしようか。日に日にやつれていくような演技でもした方が良いだろうか。
回復士「アンジュ、あまり気にしちゃダメよ。」
騎士「私たちは心得ておりますから。」
アンジュ「平気ですよ。周囲の皆様からどう思われようとも、私は勇者としての使命を全うするだけですから。」
よくもまあ、一ミリたりとも思っていないことを堂々と言えるものだ。これも、アンジュの作戦だ。いかにも、責任感が強く、一人で抱え込むような性格を演出している。その方が、辻褄が合う。ふと思うのだが、仲間に迷惑がかかるといけないからと、別れるように言っても良いかもしれない。すぐに実行に移したが、4人からノーと返された。
魔族に支配されていた、いくつかの町や城を無血開城していった頃だ。王国からの各国に中継されている一斉放送が、目に入る。その放送では、少女が涙ながらに演説を行っている。聴衆は静まり返って、耳を傾けているようだ。少女は、見目麗しい美少女であり、なおかつ感情に訴えかけるような演説だ。アンジュはこの少女を知っている。前に関わったことのある、例の志が立派すぎる少女だ。
演説の内容は、「勇者は甘んじてこの状況を受けいれている。」
アンジュ(間違ってはいない。)
「噂はでたらめだ。」
アンジュ(少なくとも半分は事実だが。)
「世界の平和のために戦う勇者に、罵声を浴びせてどうするのだ。」
アンジュ(その罵声のせいで、精神を壊すことを装う予定なんだよ、やめさせんな。)
そのあとは、聞いている方が恥ずかしくなるような勇者への称賛が述べられる。アンジュは途中から聞くのはやめている。
アンジュ(背中かゆい。じゃなくて、そんな好感度高そうなやつが、感情に訴えかけてんじゃねぇ!しかも、ポイント絞って何度も繰り返しやがって!大抵のやつ説得されちまうじゃねぇか。)
町人「勇者様!」
町人「今までの非礼をお許しください!」
アンジュ(ほら見ろ。計画が台無しだ。)
格闘家「っ!まさか、噂を利用して無血開城させていたのか?」
魔法使い「アンジュったら、意外と策士なのですね。」
アンジュ「その件に関して、私から言うべき事はありません。」
とりあえず、逃げた。その件という表現も曖昧であるし、そもそも誰に対して発言したのかも不明瞭である。
周囲の人間たちは好き勝手、思い思いに解釈した。
町人「私たちを責めないばかりか、気にもなさらないだなんて、何と誇り高き勇者か。」
町人「いやはや恐れ入りました。我々がつまらぬ噂に踊らされている間、勇者様はその噂すらも利用なさっていたとは。」
ところどころ、間違ってもいるし、間違ってもいない。反応に困る。
こうしてアンジュは、人々の心無い批判や下劣な噂にも折れることなく、むしろ利用までする、高潔な勇者として、噂が広まってしまった。
・・・
休日、エスメラルダはアンジュの家を訪れていた。以前は殺風景であった部屋に、何に使うか皆目見当のつかない魔道具らしきものが置かれていた。
エスメラルダ「何これ?」
アンジュ「オムライスにしか見えないケーキと、小さいクリームパンにしか見えない餃子。」
エスメラルダ「炭水化物ばっかね。まあ、良いけど。」
「何で?」とツッコむ気も失せた。
休日、アンジュの家に訪れると、たまにアンジュが料理を作っていることがある。彼女の気分によって、様々な国のものや、無駄に凝ったものなど、毎度予想がつかない。
これでもアンジュの料理の奇抜さは、昔よりは控えめになっている。当たり前のように、魔物を掻っ捌いて調理されたときは、エスメラルダは表情を失った。エスメラルダは、魔物を食べることに抵抗があったからだ。ただ、数あるアンジュの料理の中で、一番美味だったのが、魔物料理だったことを思い出すたび、エスメラルダはなぜか泣きたくなる。
・・・
自分たちを害してきたから、敵だ。そして、敵ならば徹底的に追い詰めても良い。この世界にはそんな風潮がある。誰が決めたのかは知らないが、正義と悪がはっきり分かれているかのように、皆話すのだ。アンジュはそれが正しいとは思わない。ただ、この風潮のおかげで、今から自分のすることを世間的にも、正当化できるのであれば、利用しない手はないだろう。
事態は、少し前に遡る。
アンジュたちは、ある国に訪れていた。この国は、貧富の差が激しく、王や貴族は裕福であるものの、一般市民は重税を課され、明日食うものにも困るほどに貧乏である。また、城を囲むようにカジノ街にあるような娯楽場が立ち並び、その周辺に一般市民の町があるという構造をしている。この世界では、珍しくもなんともない、どこにでもある典型的な国の一つだ。
何故この国に訪れているのかというと、魔法使いが攫われたからだ。正義感の強いお仲間たちは、おそらく放って置かないだろうが、アンジュにとってはどうでもよかった。
アンジュ(今頃、ジュースでも飲んで、懐柔されてそうだけどな。)
アンジュは仲間が攫われたからといって、助けに行く性格ではないが、仕方がない。周囲からあれよあれよと持ち上げられ、助けに行かざるをえない空気にされたのだ。気が乗らない。
格闘家「やはり、城にいると考えるのが自然だな。」
仲間は、どうやって助け出すかという話をしている。たぶん。
アンジュ「皆さん、せっかく訪れたのですから、今から自由時間にいたしませんか。」
他意はない。
回復士「え!?今から?魔法使いが攫われてるのに!?」
騎士「っ!・・・もしや、情報を集めることと、敵を油断させるためですか?」
格闘家「なるほどな。闘志むき出しで襲ってくると考えられる奴らが遊んでいたら、そりゃ油断する。」
回復士「で、でも、早く助けないと!」
アンジュ「彼らは、魔法使いに何らかの価値を見出して攫ったはずです。少なくとも生かしてはおくでしょう。」
回復士「アンジュって、たまにドライだよね。ま、でも、アンジュがそういうなら!」
4人ともそれぞれ別行動で、宿で落ち合おうという話になった。
アンジュは今一人だ。少々雑ではあるが、勇者を投げ出して、逃げ出すことができる。仲間を助けに行くという面倒なことなど、とてもやっていられないのだ。足早に、人目につかない場所へ移動しようとした。
?「失礼。勇者様ですよね。」
アンジュは聞いていなかったが、周囲の視線が急に集まり、不快に思い、男に視線を向ける。
アンジュ(コイツは。)
姿は変わっていても、魔力の質まではそう簡単に変えられない。
街の人「きゃ~!」「聖人様よ!」
アンジュ「私に何かご用でしょうか?」
男は急にアンジュを引き寄せ、周囲に聞こえないよう耳元で囁く。
?「助けてくれ。」
アンジュは、男の足を踏みつけながら言う。
アンジュ「何でだよ。自分で何とかしろ。」
?「相変わらず手厳しいな。話だけでも聞いてくれよ。ほら。」
男は、金とどこかの場所と時間を示した紙切れを、素早くこっそり渡してきた。
アンジュ「聞くだけだからな。」
(何かの罠か?それとも、金を渡してまで聞かせたい話でもあんのか?)
アンジュは男のことを知っていた。10年近く前に知り合い、もう7年は会っていなかったが。
指定されていた時間に、紙切れに書かれた場所に着く。おそらく本来の姿の男がいた。
アンジュ「それで、お話とは何でしょうか。」
男「なぜ、敬語を。」
アンジュ「お気づきになりませんか?」
おそらく姿は変えているのだろう。男の後ろから、また別の男が現れる。
聖人(仮)「勇者様は鋭いですね。良ければ、私もご一緒させていただけませんか。」
男が狼狽しているのが、嫌でも伝わってくる。たぶん、コイツが聖人とやらなのであろう。
アンジュ「かまいませんよ。あなたにお聞きしたいことがありますので。」
聖人(仮)「ありがとうございます。私も、伺いたいことがありますが、先にあなたのご質問にお答えしましょう。」
アンジュ「では、遠慮なく。何故、周囲に兵を置いているのでしょうか。そして、盗聴器と、靴にでも仕込まれているであろう位置を発信する機器を、外しても問題ないでしょうか?」
アンジュは男を見やりながら言った。聖人(仮)の返答を聞く前に、男は靴を脱いで確認している。
聖人(仮)「おやおや。」
アンジュ「それから、何故、“聖人”様が身代わりを用意なさっているのでしょうか。」
聖人(仮)「あなたは勇者でしょう?交戦するようなことがあれば、面倒です。それから、盗聴器と位置発信機は、外せるものならどうぞ。そして、聖人というのは命がいくつあっても足りないものです。影武者を用意していても、おかしなことはないでしょう。」
アンジュ「お答えいただき感謝します。そちらも質問がおありなようでしたね。よろしければ、お聞かせください。」
聖人(自称)「はい。私の、手足となるつもりはありませんか?」
アンジュ「あるわけないでしょう。」
両者とも、口の端を無理に釣り上げているためか、非常に不自然な笑みだ。絶対にわざとやっている。
聖人(自称)「そうですか。残念です。まあ、強制するだけですけれど。」
聖人(自称)が何かの合図を出す前に、アンジュは我先にと逃げ出し、予想していたのか、そこに男も続く。
アンジュ「お前!ついてくんじゃねぇよ!」
アンジュの声は、男にも聞こえるかどうか程度に小さい。
男「僕は関係ないだろう!追われているのはお前だ。」
アンジュ「だとしても、お前の体内に位置発信機か、そういう術式でも組み込まれてんだから、何にせよ迷惑なんだよ!」
男「っ!? 嘘だろ!?」
アンジュ「外せるものならどうぞ、なんて言われたらそれぐらいは想像できるだろうが!あと、私は話を聞くとは言ったが、それ以外は知るか!」
男「いや、想像かよ!魔力感知的なやつじゃないのか。想像力豊かか。それに、僕はまだ話していない!」
アンジュ「じゃあ、今すぐ話せよ!その襟元につけた盗聴器に向かってな。きっと労働環境も改善されるだろうよ。」
なぜわかったのか。男に言われて、感知の魔法を作動させたからだ。男の体内も探ると、何らかの機器が埋め込まれているようだ。術がかかっているような気配はない。
ついでにだが、男の境遇も大方想像がついている。
男「なっ。」
男が自分の襟元を探ると、親指の爪ほどの大きさの何かが隠されていた。この国の衣服は、襟が大きい。
男「マジかよ。」
男が盗聴器を壊し、放り投げる。
アンジュ「言っとくけど、たぶん一つじゃねぇぞ。」
男が全裸になろうとするのを、アンジュは嗜める。さすがに、自分の後ろに露出狂を連れるわけにはいかない。仕方がないので、一瞬で、違う服に魔法で変えてやる。元の服は適当に今、捨てた。
そんなことを言い合っているうちに、追手の気配が迫ってきた。前からも。後からも。右からも。左からも。
二人は上に逃げるだけだ。
上手く、追手を撒いたようだ。スラムのように入り組んだ町は逃げやすい。
人通りのない裏路地。
アンジュ「おし。歯、食いしばれ。」
アンジュは、男を切り裂き、何かをした後、回復の魔法をかける。
男「がぁっ!~~~~~~~~っ。いってぇな、何するんだよ。」
アンジュは、男の身体に仕込まれていた機器を物理的に取り出し、破壊した。回復の魔法が扱えなければ、致命傷にもなりうる所業だった。荒業もいいところだ。
アンジュ「見てわかんねぇのか。」
男「機器を体内から取り出したことはわかる。僕が言いたいのは、なぜ今、なぜここで、なぜ斬ったってことだ。」
アンジュ「できるだけ迅速に、人目につかないからだ。」
男「この鬼が。」(マジで変わらないな、コイツ。)
アンジュ「鬼に謝れ。私のやり方なんて、可愛いもんだろ。見捨ててねぇし。」
男「最初から、思いっきり見捨てる気だったよなぁ?」
アンジュ「っと、今はお喋りしてる場合じゃねぇ。すぐに離れるぞ。」
男「後で、覚えてろよ。」
アンジュ「謝礼は金で。」(訳:覚えててやるよ、自分の恩だけをな。)
男は、温厚な方であると自負していたが、今の内心は全く穏やかではない。
アンジュ「で、話って何だ?」
男「僕は今、聖人の、奴隷だ。そして、聖人が来てから、この国はおかしくなったんだ。民に重税を課し、王も貴族たちも富を独占するようになった。」
アンジュ「あの女。洗脳の魔法でも持ってんのかもな。」
男「だとしたら、厄介だな・・・って女!? 何で?」
アンジュ「何でも良いだろ。何にせよ、確実に姿を変える術を持ってんだから、元の姿なんてわかりゃしねぇし。」
男「聖人は男のようにしか見えないというのに、なぜ女と思ったかが気になるが、まあ良い。」
アンジュ「で、何だっけ?・・・ああ、助けてやろうか?」
男「願ってもない申し出だが・・・条件は?」
男(アンジュのことだ。自分に得のないことをただで聞くはずがない。そして、確実にろくでもないことを考えるに違いない。だが、それでも今の状況を変えるには、頼るしかない。)
アンジュ「話が速ぇじゃねぇか。条件は、その変身する術を教えろ。そして、その後、お前が私に変身して、勇者になる。簡単だろ?」
とんでもない条件を出された。
男「いや、無理。」
男は今更ながら、藁にも縋る思いで、アンジュに助けを求めたのは間違いではなかったか、と気づく。だが、もう後には引けない。
アンジュ「別に、最終的にお前が魔王に嬲り殺されたって、気にしねぇよ。」
男(だろうな。お前はそういう奴だ。自分以外がどうなろうと平気な顔でいられる。)
アンジュは思いついていた。男を自分に変身させられたのなら、今、聖人(自称)に狙われているとかいう状況も、魔法使いが攫われているため救出しなければならないだとか、魔王討伐の使命でさえもまとめて投げ出せる。アンジュは変身の術は今のところ扱えないが、呪いを扱うことができる。ちなみに、呪いは最近取得した。その呪いの応用で、男の変身を止めることができる。早い話、男が一度アンジュの姿に変身さえすれば、その姿のまま固定してしまえるのだ。ついでに、変身の魔法が会得できれば、格段に逃げ出しやすくなる。どのみち、会得しておいて損もないのだ。
男「お前に変身するかは置いておいて、変身の術を教えるのは構わない。ただ、お前、魔法の適正あるのか?」
アンジュ「さあな。っつーか、そっちを置いておくな。そっちのが重要なんだよ。」
男「この国に平和を取り戻したい、自由になりたいって行動した結果、世界平和を託されるとか、どんな話だよ。勇者なんだろ?人助けくらい無償でやったらどうだ。」
アンジュ「断る。そもそも、お前、自分の立場わかってるか?条件を呑まない限り、あの聖人(自称)に命を狙われ続ける、というかすぐに始末されるだろ。ようするに、死ぬか、私の身代わりかの二択を迫られてるってわけ。」
男「そうだな。だが、その前に、助けるって具体的にどうするつもりだ。それを聞かない事にはどうにも言えない。」
アンジュ「聖人(自称)が来てから、国がおかしくなったんだろ?なら、追い出すだけだ。もうちょい具体的には、奇襲でも仕掛けて捕まえたあと、聖人(自称)の弱みでも握る。それまでの間、お前の命を保証する。そして、円満に、もし洗脳が原因なら解いてもらって、魔法使いも返してもらって、お前は勇者として旅立つ。」
アンジュはかなり適当に言っている。男を一度、自分の姿に変身させられさえすれば、全部押し付けられるのだから。とは言っても、男は古い知り合いでもある。隠密スキルを利用し、ある程度の補助はしてやり、円満に勇者を引き受けてもらおうとする気も、ないこともないこともない。
男「結論もおかしい。というか、勇者のやり口じゃない。あれだろ、弱みを握った後、搾り取れるだけ搾りとって、反逆があれば、全て僕に責任を押し付ける、ってところか。」
アンジュ「わかっていらっしゃいますね。さあ、すぐに死ぬか、わずかながらも魔王を倒し、生き残る可能性にかけるか、どうぞお選びください。」
アンジュが急に敬語になった。その意味がわからぬほど、男は愚鈍ではない。
男「少し、待ってくれないか。場所でも変えて、じっくり話し合おう。」
アンジュが素の口調で話すのは、信用している相手か、取り繕っても意味がないと感じる相手かである。おそらく、男は後者だ。アンジュに信用している相手が存在するとは思えない。ゆえに、敬語で話し始めたという事は、近くに、取り繕いたいと感じる相手がいるということである。
ようするに、市民にせよ、追手にせよ、話を聞かせたくない奴が近づいてきている。
アンジュ「賛成です。ただ、あなたが死んだ時点で、私は黙ってこの国を出るだけということをお忘れなきよう。」
アンジュは敬語になってから、ずっと小声だ。
二人が、場所を変えようと、何十メートルか歩いた、そのときだ。男の首元に刃物が突きつけられる。
聖人(自称)「見つけましたよ。あなた方は、随分と仲がよろしいようですね。ですので、彼を人質にしてみようと思います。」
男「ははは。僕に人質の価値はありませんよ。聖人様。」
アンジュ「すでに、あなたは私の仲間を預かっておいででしょう?その男は、私の行動を変える理由にはなりえません。」
聖人(自称)「素晴らしい友情ですね。互いのために庇いあうだなんて。」
アンジュ(何言ってんだこいつ)
アンジュが男と交渉していたのは、より確実に勇者を投げ出せる可能性があっただけだからだ。男が死んだ時点で、すぐにでも逃げ出す所存だ。そもそも、男から金を受け取ってしまったから、話を聞いただけというところもある。
聖人(自称)「ああ、そうそう。先ほどは急に失礼いたしました。ゆっくりとお話しするべきでしたね。三日後、私の家にお越しください。仲間の方もそちらにいらっしゃいます。そして、是非、ご検討ください。」
アンジュ「ええ。そうでした。私、一つ質問を忘れていたのですけれど、今、伺ってもよろしいですか?」
聖人(自称)「もちろん。」
アンジュ「あなた様は、一体どのように聖人となられたのでしょうか?人を誑かして?それとも、権力者に取り入りでもなさいました?」(ま、ただの私の妄想だけど。)
次の瞬間、聖人(自称)の顔が歪む。よくわからないが、地雷を踏んでしまったらしい。
聖人(自称)「あなた、全てわかったうえでおっしゃってますよね。それに、さっきから洗脳の魔法をかけているのにちっとも反応しない。事前に何かしら、対策でもされてます?」
アンジュ(マジかよ。何で私は、洗脳の魔法に全然気が付かねぇんだよ。体質か?)
洗脳の魔法は、自分と相手の間に、圧倒的な実力差があると、かからない。さらに、相手の精神があまりに強靭すぎてもかからない。(アンジュが思うに)どちらにも当てはまらないはずなのだが。
アンジュ(そうじゃねぇ。やっぱりコイツ、洗脳魔法を持ってやがったか。なら、男も洗脳されてやがったのか?そういう風には見えねぇけど。)
聖人(自称)「あなたの目的がよくわからない。私には、実はあなたが、こちら側の人間だと思えてきてしまう。」
アンジュ「こちら側の人間、とは?」
聖人(自称)「自分の身さえ守れれば良い、利益さえあれば良い。そういう人間のことですよ。あなた、世界平和など、本当はどうでもいいのではありませんか。」
アンジュ「なぜ、そう思われたのかはわかりません。ですが」
聖人(自称)「当たり前のように仲間を置き去りにし、逃げ出しておいてよく言えますね。」
アンジュ(別に男は仲間じゃねぇけど。)
聖人(自称)はいまだに男に刃物を突き付けている。
アンジュ(全部爆破して、うやむやにできねぇかな。)
アンジュ「私は・・・必ず、あなたのことも助け出して見せます!」
男と目くばせをする。こっそり、後ろ手で魔法を展開しながら。
聖人(自称)「何をいまさら。何にせよ、3日後にじっくりとお話ししましょう。」
言い終わりもしないうちに、強烈な魔法が、聖人(自称)を襲う。男も道連れにするような威力に見える。端的に言って、ド派手な魔法だ。
聖人(自称)は男を放し、自分の身だけを守る。
聖人(自称)「あっははははは。やはり、あなたもこちら側の人間ですね。楽しみにしています。」
そう言って、消えた。
アンジュ「ただのはったりなんだけど。・・・お前、生きてっか?」
さっきの魔法は見た目が派手なだけで、紫外線の方がよっぽど有害だという代物であった。
男「生きてる。で、どうすんだ。お前。」
アンジュは、聖人(自称)に問われている間、思っていた。
コイツを貶めてやったら、さぞ愉快だろう、と。自分の本性に気付きかけているうえ、人々から慕われている聖人様なのだ。不正の証拠でも、出れば完璧だ。勇者として、聖人様の不正なんて見過ごすことはできないのだから。
アンジュ「そのまま返す。」(よくわかんねぇけど、アイツが聖人になるまでの過程に問題でもありそうだな。)
男「お前を頼るしかないってわかっているだろ。」
アンジュ「じゃ、交渉成立だな。っつーか、お前は洗脳されてねぇのか。」
男「今更かよ。僕の魔法への耐性を忘れたのか。」
アンジュ「忘れたというか、聞いてない。」
このスキルを、使うことはないと思っていたのだが。
勇者が魅了のスキルを使用する機会なんて、早々ないだろう。いや、勇者が使うものではないだろう、魅了。このスキルを利用すると、簡単に自分の信者が作れてしまう。
現在、アンジュは一般市民では手の届かないような酒場で、情報収集を行っている。すると、聖人様の黒い噂や過去に関する情報が、いくらでも出てきた。それを利用するかどうかは、アンジュ次第だ。
また、アンジュは、3日後という日の設定に違和感があった。3という数字は、アンジュの今の仲間の数と一致する。これは、一日ごとに、一人、また一人と攫い、精神的に圧迫し、本性を出させやすくしてくる、ということが考えられる。
単に、アンジュが向こうの立場ならそうするだけ、という話であるが。
情報収集もそこそこに、宿で落ち合うと、格闘家と回復士しかいない。
回復士「アンジュ!遅いよ。って、それよりも大変なことが起きてるかも。」
アンジュ「騎士も攫われたかもしれませんね。明日、取り返しに行きましょう。」
格闘家「いや、アレを攫うか?ま、明日に備えて今は身体を休めよう。」
回復士「な、なんで二人ともそんなに冷静なのよ!?」
アンジュはまだ、休まない。本来なら3日後に訪れる予定の、聖人様のお宅にお邪魔する。もちろん隠密スキルを利用したうえで、男も連れている。
男「ここが裏口だが。」
アンジュ「どうも。お前はもう帰って良い。明日、生きてたら迎えに行く。」
男「帰る場所なんてないけどな。」
アンジュは裏口には見向きもせず、気配察知で罠を避けながら、身体能力を生かし、窓から忍び込む。
やたらと豪華な扉の、ある一室から声がする。女の声だ。
?「勇者がすぐに行動するわけがないわ。さっき確信した。・・・なんなら、仲間が全員攫われた時点で、行方をくらますかもしれないわ。でも、そうなると私としてもあまり嬉しくないのよね。・・・勇者を利用できれば、何だってできる。私の目標も達成できる。」
魔法使い「アンジュは、絶対に来る!」
女が何を言っても、魔法使いは涙目でそう訴えている。
?「来るかしら?精々アナタにできることは、さっさと屈することね。」
そう言って、魔法使いに洗脳の魔法をかけようとした聖人の頭を、酒場から持ってきた瓶で、アンジュは殴りつけた。扉に、魔法で鍵すらかけていない、不用心すぎるコイツが悪いのだ。
魔法使い「アンジュ!?」
アンジュ「帰りますよ。」
魔法で、割れた瓶を片づけると、魔法使いを連れて帰る。本当なら、他にも不正の証拠でも集めたかったのだが、突発的に殴りたくなったので、仕方がない。こみ上げてきた悪意を抑えられなかったのだ。
アンジュ(すぐ行動するわけがない、か。とっっても察しが良いな。)
当てこすりのようなことを考えている。アンジュは基本的に、誰かの思い通りになるのは、我慢ならないらしい。騎士?アイツなら自分で何とかするだろう。
魔法使い「そうです。あの女が、聖人の本来の姿かと思われます。」
男「ほ、本当に女だったのか。」
回復士「あなた、奴隷だったのですか!?」
男「いや、まあそういう扱いだったというか。」
男は行く当てがないというのは、本当だったらしく、屋敷から迅速に脱出したあとの、アンジュたちについてきた。
色々と、上手くいかない部分が多い。それでも、アンジュは何とか良い方法がないか、思案する。
アンジュ(このままじゃ、私が骨折り損みてぇになる。何が何でも、男を私に変身させ、勇者を押し付けたうえで、聖人の宝物庫の中身もいただかねぇとな。)
アンジュが聖人の屋敷に忍び込んだのは、弱みを探るため、だけではなく、財産を持っているかを確認するためだ。もしも、聖人の不正を証明できた暁には、財産をいただけるからだ。聖人の財産の一部だけを報告して、この国の奴らに渡す。報告しなかった分は、まるごといただく。それだけだ。
アンジュ「皆さん、作戦を思いつきましたが、明日話します。」
疲れたので、アンジュは寝た。
翌日、アンジュの提案した作戦は、シンプルな乗り込みだ。
というわけで、聖人の屋敷に来ている。正面突破。一番、アンジュが選ばないであろう手法だ。
アンジュ「聖人様。攫われた仲間を、取り返しに来ました!そして、王や貴族たちを洗脳し、民に重税を課していた事を、暴かせていただきます!」
ちなみに、今のは、魔法使いの魔法で、国中に中継されている。完全に勇者が正義で、聖人が悪という空気だ。実際は、どちらも腹の中は真っ黒なのにおかしなものだ。魔法使いに屋敷の正面をまかせ、アンジュたちは乗り込む。
昨日、忍び込んで存在は知っていたが、屋敷の中も外も罠だらけである。アンジュは器用に避けられるが、仲間たちはそうではない。踏むと針や刃物が飛び出す仕掛け、前方、後方から急に飛んでくる鉄球、奈落につながる穴、何でもありだ。
それでも、昔、師から受けた修行に比べれば、この程度の罠、何てことはなかった。魔法を使えば、いくらでも無力化できるのだ。
アンジュは、隠し扉があることに気が付く。中に何人もの人間が潜んでいるようだ。
アンジュ「背後から奇襲でもしかけるつもりだったのかもしれませんが、詰めが甘いですね。」
溶接に使うような魔法で、扉を開かないようにした。
回復士「それ、アンジュもそう考えたことないと気づかないよね?」
突然、目の前から、この国で一番とかいう武闘家が現れる。正気のようには見えない。
格闘家「ここはまかせな!」
回復士「アンジュ!先に行ってて!」
そんなこと言われる前から、アンジュも男も横をすり抜けている。そして、向かう場所は一つ。
聖人の部屋だ。
聖人「随分とゆっくりなさっていたようですね。」
アンジュは感知の魔法で、部屋に録音や配信のできるような機器がないかを調べる。ないようだ。
アンジュ「嘘つけ。昨日、勇者がすぐに行動するわけない、とか言ってなかったか?」
聖人「それが、あなたの本性ね。」
聖人が、本来の姿に戻っていく。
聖人「あっははははは。あなた・・・ちょっと待って、何で二人いるの?」
高笑いした後に、急に冷静にならないで欲しい。
アンジュ1「そろそろ、おもしろいものが見れそうですよ。」
アンジュ2「ええ。このお部屋は特等席です。」
そう言って、二人のアンジュはバルコニーにつながる扉を開き、外を見せる。
魔法使いの魔法で、中継されている映像には、昨日、アンジュが魅了で信者にしたこの国の重鎮たちが映っている。そして、彼らは、次々と聖人の不正を語る。
聖人が唖然としている間に、アンジュが魔法で拘束する。そして、バルコニーの扉は閉ざす。
アンジュは男に、聖人が怒り狂っている可能性もあるため、一瞬、意識を逸らせる方法を取ろう、と説得していた。その結果、同じ容姿の人間が二人いるという奇妙な状況になったのだ。男は、何が何でもアンジュは、自分に勇者を押し付けたいのか、と少し呆れた。
アンジュ1「さて、憂さ晴らしでも何でもお好きに。」
アンジュ2「ああ。」
男が聖人に対して、何かを話しているようだが、アンジュには関係ない。今のうちに、聖人の財産を運び出しておく。
アンジュが部屋に戻った時、聖人の顔には殴られたのであろう跡があった。
そのまま顔に落書きでもしてやろうか、とでも思ったが、さすがに幼稚すぎると思ったので、やめた。あられもない姿を写真に収め、弱みにするだけだ。
分かれた仲間たちと合流する。部屋から玄関まで女を引っ張って来たのだ。
国中に中継されている映像に、アンジュが映る。
アンジュ「皆さん。どうか驚かないで、お聞きください。聖人様は、逃げられました。・・・そして、この方は、聖人様に強制され、不正に加担させられていた方です!・・・例えば、貴族の方や王を洗脳していました。」
聖人は本来の姿を隠していた。それに、屋敷の連中は、すでに洗脳済みであろう。ならば、聖人の正体がこの女であることはバレないと考えた。
アンジュ「ですが、それはこの方が望んだ事ではありません!・・・どうか、皆様、ご慈悲を。許していただけませんか。」
自分の仲間を攫われたことにも加担していたであろう女にも、慈悲深いだけではなく、さらに周りにまで助命を訴える。この国の人々には、大いに響いた。
アンジュは、この女を生かした上で、弱みをもとに、ゆっくりと搾り取れるだけ搾り取る、と決めたのだ。
アンジュ「申し訳ありません。あなたには、怖い思いをさせただろうに、聖人の正体を黙っていろ、だなんて言って。」
魔法使い「良いんですよ。でも、どうしてですか?」
アンジュ「それは、どんな罪を犯した人間にも、チャンスは与えられるべきだと思っただけです。」
魔法使い「それでは、どちらが聖人かわかりませんね。」
その後、話があると言って、元聖人の部屋に戻ってきた。3人だ。
元聖人「あなた、どういうつもりなの。」
元聖人の人を殺しそうな形相は、無視してアンジュは言う。
アンジュ1「というわけで、聖人様に利用されるだけされて置いていかれた哀れな女、に、無事ジョブチェンジした元聖人様。やりようによっては同情をかって、上手くのし上がれるかもしれませんね。ですから、期待を込めて、毎月一定額を上納してください。」
珍しく、アンジュは他人の前で、したり顔を披露した。すぐに真顔に戻したけれど。
元聖人「ふざけんな。」
アンジュ1「なら、全部ばらすだけですよ。あなたの過去も、あられもない姿も、何もかも。」
アンジュが魅了して信者にしたやつの中に、運よく元聖人の過去に直結するであろう情報を握ったやつがいたのだ。もちろん、そいつは聖人の正体など知らなかったので、日のもとに出ることはなかったのだが。
アンジュはそっと、先ほどの写真と過去について、囁く。
それを聞いた後、元聖人は絶叫する。そして、捨て台詞を吐く。
元聖人「あなたのその口調、気持ち悪いのよ。」
アンジュ2「ところで、僕は、本当に勇者として旅立つのか。」
アンジュ1「安心しろ。私は、上手く隠れるから。」
元聖人「あっははははは。なるほどね。呪いの応用で、男の姿を固定しているのね。」
アンジュ1「さすがは元聖人様ですね。それで、早急に洗脳を解いていただけませんか?」
元聖人「わかったわよ。拘束を解いて。」
アンジュ1「逃げたり、自害したりしたら、わかってますよね。」
元聖人「あなたの呪いの行動制限で、自害どころか、誰かに危害すら加えられないってわかっているでしょ。」
渋々といった様子で、拘束の一部を解く。魔法だけ使えるような状態だ。
元聖人「・・・解いたわよ。」
男「? あ、姿が戻ってる。」
元聖人「今までこき使って悪かったわね。あと、殺しかけちゃったけど、これで許してくれるかしら。」
男「許します。二度としないでくださいね。」
アンジュの性格の悪さを理解した上で、助けを請うほどに劣悪な環境に置かれていたのではないのか。なぜそんなに簡単に許すのだ。そもそも、元聖人だって、男がアンジュに助けを求めなければ、聖人の立場を失うことはなかったのではないか。
何でお前らが和解しているんだ?そんな疑問と怒りを飲み込み、あくまで平静を装う。なぜか、ここでキレては負けな気がしたのだ。
アンジュ「さすが元聖人様。呪いを解くのもお手の物というわけですね。」
若干、元を強調してしまったが、許してほしい。
元聖人「ま、自分の呪いは解けないっていうとんでもない制限があるけどね。そもそも、勇者が呪い使いってどうなのよ。随分と大衆ウケが良さそうね。」
さすがは、元奴隷上がりの女だ。この状況でもすぐに立ち直り、嫌味を言ってくるとは、精神のタフさが違うのであろう。
アンジュ「適性があったもんはしゃーねぇだろうが。っつーか、お前が言うなよ。洗脳使い。」
二人は本性が少し出るのも厭わずに、言葉で殴り合う。
男(何にしても、これで僕は解放されるわけだ。ま、今これを言うと、二人から袋叩きにされそうだし、黙るが。)
この場にいる人間は、どいつもこいつも簡単に手のひらを返すので、油断ならない。
騎士「ここはどこですかね。」
攫われて、屋敷に連れてこられはしたが、何かの罠にかかってしまい、自分の居場所すらわからない。
こうして、アンジュは仲間を助けに行く勇敢さと、敵でも情けをかける慈悲深さを兼ね備えた、聖女、として語り継がれることになった。
ちなみに、騎士の存在が思い出されたのは、出国する数時間前のことであった。
・・・
伝説の剣があるらしい。魔王を討ち、世界に平和をもたらすための剣。
そんな剣は、竜人の里とか言う場所に保管されているらしい。伝説の剣を手に入れるために、アンジュたちは、竜人の里に訪れていた。
アンジュ(たしか伝承によると、剣は地中にぶっ刺さってて、勇者の素質を持ったやつだけが引き抜ける、とかだったな。引き抜ける自信ねぇんだけど。ま、でも、万が一、手に入ったら絶対に高く売れるだろうし、やっといて損はねぇだろ。)
これは、アンジュにとって、どちらに転んでも美味しい話であった。
剣が引き抜ければ、思わぬところで財産が手に入る。
剣が引き抜けなければ、自分には勇者の素質がないと証明できるうえ、あたかもショックを受けて立ち直れないように振る舞い、ごく自然にパーティーを抜けられる。完璧だ。
今更ながら、アンジュは外見と外面だけは良い方である。ついでに、演技にも自信ありだ。何も心配することなどない。
アンジュは長老だとか言う人物のいる部屋に通される。仲間たちは外で待たされている。
長老とか言う人物は、人間とは異なる耳や角、尾などを持っていた。そして、どう見てもまだ少年という齢にしか見えない。さらに、この少年みたいなやつは、賢者だとかいうらしいから驚きだ。人は見かけで判断できない、とは本当によく言ったものだ。
長老は人を食ったような笑みで、開口一番にこう言った。
長老「この性悪女が。貴様のようなものに伝説の剣などやるか。」
アンジュ(別に無くてもいいし、このまま帰りてぇんだけど)
人間とは異なる種族、なおかつ賢者と呼ばれるような奴だ。人の心を読むことができても、なんら不思議ではない。アンジュはそう結論付けた。
アンジュ「そういうわけにもいかないのです。」
罵られたくらいでは、アンジュにはかすり傷すらつかない。内心不貞腐れつつ、長老を罵倒しながらも、いつもの口調を保つ。
長老はくつくつと笑いながら言う。
長老「この部屋には、防音の結界が張られておる。何を取り繕う必要があるか。」
アンジュ(タヌキじじいが。)
アンジュ「んじゃ聞くけど、伝説の剣ってどんななんだ?」
剣が地中に刺さっているのだとしたら、状態はどうなのだろうか。そして、アンジュは錬金術を取得しているので、ここで、伝説の剣のビジュアルを聞いておけば、レプリカが作れてしまう。そうすれば、あとで金儲けできるかもしれない。
長老「剣を見せた瞬間に奪い取る・・・気もなさそうじゃな。だが、随分とまあ、汚いことを考えよる。」
傍から見れば、会話が噛み合わない。両者とも自分の言いたいことを言っている。
アンジュ「何だ?さび付いてて見るに堪えないので、見せられませんってか。」
長老「何を言うかと思えば。伝説の剣ならばここにある。」
そう言って、長老は一本の剣を取り出す。
アンジュ(あ、終わった。伝説の剣って地中に刺さってんじゃねぇのかよ。それとも、何世代も前の勇者が抜いたっきりか?いや、待て、普通に偽物の可能性も。)
長老「まぎれもなく、本物じゃよ。レプリカでも何でも、勝手に作れば良かろう。」
アンジュ「地中に刺さってねぇのかよ…。」
剣が地中に刺さっていなかったのなら、計画は失敗だ。
長老「当たり前じゃろ。痛むではないか。」
両者とも、ものすごく微妙な顔になっている。
微妙な空気を壊すように、長老が口を開く。
長老「ところで、お主、魔王を討つ気はあるのか?」
アンジュ「愚問だな。心を読んでおいてわからねぇのか?ねぇよ。」
長老「やはりか。何にせよ、お前に伝説の剣をやるわけにはいかぬがな。」
伝説の剣なんていらない。だって、使う機会がないから。というか、そんな機会が来ても困るのだが。
アンジュ「伝説の剣の話は一端置いといて、お前が魔王を討てば良いんじゃねぇのか?賢者様。」
いつも他人に見せている明るく素直そうな笑みではなく、ニヒルな笑みを浮かべて問いかける。
長老「そういうわけにもいかんのじゃよ。」
長老との話は平行線であろう。アンジュは大人しく、剣のレプリカ作成を始める。
長老は、まさか本当にレプリカを造り始めるとは思っていなかったので、若干引いている。だが、作って良い、と言ってしまった手前、撤回しようにもできなかった。
なかなか上手くできた。この調子であと2、3本作ってしまおう。
アンジュ「なあ、長老。ぶっちゃけ勇者って、何年かに一度は神託がおりてんじゃねぇの?」
返答は期待していないが、問いかける。
長老「否定はしない。そして、一応言っておく。わしはお主の何十倍も長く生きておるが、その間で魔王を討てた者はいない。」
アンジュ「魔王ってずっと同じやつなのか?」
長老「いや、さすがにどこかで世代交代しとるじゃろ。」
そんなこんなで、伝説の剣と見た目の全く同じものが、3本できた。この場に剣は4本ある。
里人「大変だーーー!魔王軍が、攻めて来たぞー!」
この里人の声は、ありえないくらいに大きかった。
里人の声に驚いたアンジュは、剣を3本落としてしまった。その直後、かなりの揺れが襲った。部屋の中のものがめちゃくちゃな配置になってしまった。
4本の剣が重なって転がっている。本物の伝説の剣は、どれだ。
冷や汗を垂らしたアンジュと長老はお互い顔を見合わせる。
長老「おい。製造者。」
アンジュ「知らねぇよ。そもそも、こうなるって予想できなかったのかよ、仮にも賢者だろ?」
見事な責任転換である。
長老「ほう?快くレプリカの製造を許可してやったというのに、よくもそのようなことが言えたのお?」
今は、煽り合って、責任を押し付けあっている場合ではない。
一刻も早く、本物の伝説の剣を見つけ、魔王軍を何とかしなければならない。
別に、魔王軍を退けてから、落ち着いて本物を探しても良いはずだが、アンジュと長老は、騒ぎが収まったあと、この部屋に人が入り、伝説の剣らしきものが4本もある状態を知られてしまうことを危惧した。
アンジュ「伝説の剣だろ?オーラ的な何かとか見えねぇのか!?」
長老「見えん。というか、わし剣は専門外じゃ。」
アンジュ「じゃあ、重さ、重さをはかろう。」
見事に4本ともばらばらでわからない。
長老「お主一体何で作ったんじゃ!?」
アンジュ「だいたい、金属。たぶん。きっと。願わくは。」
伝説の剣は4つの中からランダムで、とかシャレにならない。
アンジュ「磁石、磁石だ。何か、プラチナっ、ぽかった、だろ?くっつかないんじゃね?比重とかはよくわからねぇけど?」完全に焦っている。
信じられない。すべての剣がくっついた。伝説の剣、合金か。いや、そもそも金属であるとも限らない。未知の物質であっても何ら不思議ではないのだ。むしろ、その方が自然なくらいだ。
魔法使い「アンジュ!大変です!魔王軍のなかに、合成獣みたいなのがいたのだけれど、魔法が一切効かないんです!今は、騎士と格闘家が何とか抑えてくれていますが、それもいつまでもつか・・・」
魔法使いの焦った声が外から聞こえる。
急がねば・・・。いや、丁度いい。合成獣で試し切りしてしまえば良いのだ。わからなかったら、それまでだ。今後、伝説の剣を託されるような勇者は、四分の三は外れだが、必ず一本は本物の伝説の剣、というカオスな状況を楽しめばいい。そして、4本同じ見た目の剣があることについては、魔王軍に伝説の剣を渡してしまわぬように、“善意で”剣を複製したとでも言い張ってしまえば良い。アンジュはそう開き直った。
完全に他人事なので、アンジュはそんなに深くは考えなかった。
アンジュ(剣を異空間にしまって、すぐに切り替えれば、バレねぇだろう。たぶん。)
高速で剣をしまう、持ち替える、を繰り返しながら、試し切りしても周りにはバレない、とアンジュは安直に考えた。
合成獣と対峙する。合成獣はひどく醜かった。おそらく、様々な魔物の遺伝子を、無理に組み込まれた結果であろう。さらに、黒魔術であろうか。人間の間では、禁止されている厄介な魔法の気配もする。
端的に言って、強敵である。
勢いで飛び出してしまったものの、アンジュは絶賛後悔中である。なぜ、自分がこうも危険な真似をしなければならないのか。基本的に、アンジュは臆病なのだ。こんなやつを相手にしないために、早々に勇者の使命を投げ出そうとしていたのではないか。
様々な思いが交錯する中、
アンジュ(ま、勝てねぇことはねぇだろうけどよ。怪我するとか勘弁。)
思いついた。囮を使えば良いのだ。合成獣だけでなく、周りの人間や竜人だって、囮に注目する。そうすれば、アンジュが剣を持ち替えながら試し切りしていることもバレにくくなるだろう。一石二鳥だ。
風の魔法で格闘家を優しく、合成獣の視界に入る位置へ移動させる。まだ、レベルはアンジュの方が高い。ゆえに、合成獣は格闘家の方に注目する。そして、合成獣が腕なのか足なのか、よくわからないものを格闘家に向かって振り上げた瞬間に、アンジュは合成獣の腹付近を切り裂く。いや、裂けなかった。この剣、大変、切れ味が悪い。一瞬で次の剣に持ち替えて、刺してみる。刺さった。切れ味は問題なさそうだ。
一旦、アンジュは退避して合成獣の様子を見る。傷は再生するのだろうか。こういうやつは、大抵高い再生能力を持ち、厄介と相場が決まっている。
案の定、刺した部分はすぐに再生した。厄介な魔法がかかっている。黒魔術だとか闇の魔法というのは、光とか白魔術とかいうのと相性が悪いはずだ。しかしながら、アンジュは、光の魔法も白魔術も使ったことがないどころか、会得していない。こればっかりは適性がないのだから、仕方ない。
さて、次は誰を囮にしようか。
アンジュ(ちょっと待て。お前らどこ行った。)
気づけば、アンジュの周りには合成獣を残して、全員、かなり距離をとって、退避していた。
すると、頭の中に直接、腹立つ声が聞こえた。
長老『お前の仲間には、足手まといになりそうだからと言って、退避させた。さきほど、お前が仲間を“参加”させようとした際、狙われてしまったようにとな。とまあ、建前は置いておいて、仲間を囮にするなど勇者の風上にも置けない。お前の実力なら倒せるじゃろう。不本意ではあるが、傷は治療してやるから、一人で倒せ。』
アンジュ(あのクソガキ。タンスに必ず指をぶつける呪いでもかけてやろうか。)
アンジュは、伝説の剣を見つけることができたら、叩き折ってやろう、そして、長老の黒歴史を記した書物を出版してやろう、長い間生きていたのなら、いいネタがあるだろう、と出来もしないことを次々と呪詛のように呟く。
アンジュ(おい、聞こえてんだろ。長老。あの合成獣が寿命でくたばるまで、拘束するとかできねぇのかよ。)
長老『魔法も効かんのに、わしらがどうこうできるわけなかろう。』
アンジュ(端から協力する気がねぇの間違いだろ。)
気づけば、合成獣が目前まで迫っていた。アンジュは、咄嗟に風の魔法で突風を発生させ、合成獣を上空まで飛ばした。さらに、アンジュは魔法で、合成獣にかかる重力を何倍にもする。飛行能力でも持っていない限り、落ちてくるだろう。
魔法が効かないと言っても、攻撃魔法や状態異常の魔法が効かないようだ。物理的なダメージは通るだろう。
轟音、揺れと共に、合成獣は落ちてきた。身体の一部がひしゃげていて、グロテスクだ。それでもなお、立ち上がろうとするのだから、大したものだ。アンジュは、切れ味は問題なさそうな剣を一旦しまって、他の剣に持ち替え、試し切りを始める。
3本目の剣は、軽めで扱いやすかった。合成獣はもうボロボロで、死んでいてもおかしくないのだが、まだ息があるようだ。黒魔術のせいで、死ねないのだろう。
4本目の剣に持ち替える。やたらと重い、と思った瞬間だった。
剣が話しかけてきた。怪奇現象だ。怖すぎる。
伝説の剣『随分と長かったな。我を手にする勇者が現れるまで・・・』
言葉を話す剣だなんて、アンジュにとって得体の知れないものでしかない。よって、アンジュは早急に剣を手放したのだ。合成獣に突き刺すことで。
すると、剣に光の魔法でも付与されていたのだろうか。合成獣の傷が再生していない。
チャンスだ。やたら重い剣を引き抜くと、急所らしき場所を狙って、振り下ろしていく。
伝説の剣『待て。勇者よ!我の話を聞け!』
聞いたところで、ここで別れるのだ。だったら、聞く意味はないし、そもそもアンジュは人の話は基本的に聞いていない。
何度か剣をふるうと、合成獣は絶命した。念のために、死骸を焼いておく。炎の魔法で枝に火をともすと、何の躊躇いもなく合成獣に向かって投げた。
アンジュ(あー、怪我ほとんど無くて良かった。っつーか、伝説の剣やっぱ一番下になってたやつかよ。)
里人「勇者様が、魔物を倒されたぞ――!!」
魔法使い「アンジュ、さすがです!魔法も使い方次第ということですね。」
騎士「おや?伝説の剣を手に入れたのですね?」
回復士「へぇ~、似合ってるじゃん!」
里人2「伝説の剣を手に持った勇者様、何と神々しい!」
里人「その剣で、魔王を討ちとってください。」
アンジュ(え、ちょっと待て、何で。こんな喋る、変なものを持ち歩けるわけねぇだろ。)
伝説の剣『え、ひどい。』
そこで、見事に猫をかぶりきったアンジュが言う。
アンジュ「私は、伝説の剣を里から持ち出すことはいたしません!・・・長老様から、お話を伺いました。今はまだ、訳あってお話しするわけにはいきませんが、伝説の剣がなければ里は滅んでしまうようなのです。」
真っ赤な嘘だ。一応、このチビは賢者だ。後で、伝説の剣に頼らずとも、上手くいく仕組みを完成させたとでも言って、何とかするだろう。
伝説の剣『何だそれは!?我は初耳だぞ。』
長老「ま、そういうわけじゃ。すまんのお。勇者殿。」
アンジュ「お気になさらないで下さい。世界の平和のために、里を犠牲にするだなんて、とても許されることではないと思っただけですから。勇者として、当然のことです。」
アンジュの機転というか、大ぼらというか、適当なことを言うセンスは結構なものだ。
里人「な、なんと!」
格闘家「良いのか?伝説の剣だぞ?」
いくら高く売れるかもしれないと言えど、喋る剣なんて、こっちから願い下げだ。
アンジュ「ええ。」
アンジュは、長老に剣を渡したあと、天使のような笑顔を浮かべる。晴れ晴れとしていて、心の底から世界の平和を願っています、そんな笑みだ。もちろん演技だが。
アンジュ「ところで、伝説の剣ってお前にも話しかけてくんのか?」
長老「いや、勇者にしか声は聞こえんらしいな。」
後で、こっそり怪奇現象について尋ねたアンジュであった。
こうしてアンジュは、竜人の里の危機を救ったうえ、里のために伝説の剣を持ち出さなかった、誇り高き勇者として、語り継がれることになった。
・・・
竜人の里を去った後、アンジュは内心、かなりイラついていた。思い返してみると、あの長老とかいうやつが気に障ったのだ。運よく、怪我はほとんどしなかったものの、一人で、厄介な魔物を倒すように仕向けられたのだ。ただ、長老は賢者とかいうやつらしく、不意をついたのに、アンジュは殴る事すらできなかった。ゆえに、鬱憤がたまっていた。長老を殴れないのなら、それに類するものを害して、発散するしかない。
そんなわけで、アンジュは竜が住むとかいう山に来ていた。以前であれば、ドラゴン退治などという危険な依頼はまず受けなかったのだが、今回は虫の居所が悪く、長老に似てさえいれば、何でも良かったのだ。どこが似ているのだ。
仲間たちは、危険という事で、山に近づくことすらできなかった。この山にこもってしまえば良いのではないかとも思ったが、この山にアンジュがいることは知られているうえ、いずれ到達される。ならば、意味はあるまい。
アンジュ「バラシて売るか」
ドラゴンは全身のすべてが素材になり、あらゆるものに使用できる。金儲けをしたい奴が、レベルの低い状態でドラゴンに挑み、食われるという話はよく聞いていた。
アンジュは、隠密スキルを利用し、事前にいくつもの罠を仕掛け、倒しやすくはしておいたのだ。その他に、アンジュがしたことといえば、ただのストレス発散目的で、魔法を用いて殴っただけだ。こんなにあっさり死ぬとは思わなかった。アンジュは、一方的に攻撃するのは好きだ。反撃もされず、ただ思うままに虐げて良いだなんて。ただの金とストレス発散目的で、命を奪われたものからすると、たまったことではないだろうが、知ったこっちゃない。
こうして、アンジュはたった一人でドラゴンスレイを達成してしまったと、噂が流れることになった。
・・・
怪しげな紙が届いた。今まで怪しげな手紙が来た際は、封を切らずに処分していたのだが、今回は、内容がダイレクトに読めてしまう。
「勇者よ。人質を預かっている。一人で、南の廃神殿に来い。」
行く訳がない。自分に関係のないやつが、何人かどうにかなったところで、アンジュは気にも留めない。
紙からわずかに感じ取られる魔力より、これを認めたのは、魔王の側近であろう。アンジュの計画を一度、妨害した魔王の側近だ。
気が変わった。明らかに罠を仕掛けられているだろうが、それよりも魔王の側近を殴りたい。アンジュはそんな気分だ。
人が住まなくなってから、魔物が住み着き、寂れた神殿。
アンジュは、ユニコーン(この世界では馬の魔物)で来た。一人で来いと言われたのだ。まさかユニコーンを一人とは数えないだろう。そして、何で来いということも指定されていなかったのだ。文句を言われる筋合いもない。さらに、ユニコーンの角には強力な治癒・解毒作用がある。罠に引っかかっても、大抵の事なら何とかなるだろう。
神殿の中は、案の定、性格の悪い罠が多数あったものの、大したことはなかった。アンジュの思いつく範囲内でしかなかったのだ。
寂れた神殿を抜けると、ある程度の土地があり、その先は崖となっていた。
側近「フハハハハハ。勇者め、とうとう来たな。」
アンジュは、そのままユニコーンで突撃したが、躱されてしまった。
アンジュ「ちっ。」
側近「見え透いているのだよ。さて、勇者はこれを見てもまだ我に盾突くか。」
そうして、側近は人質とやらを見せびらかしてくる。アンジュは、そいつらの命よりも、魔王の側近を殴る方を優先したい。何人か生き残って、後で喚かれようとも、知ったこっちゃない。どうせ聞かないのだから。まあ、そういうわけにもいかないのだが。
ユニコーンで、人質の方に突撃する。人質の様子を見ていた側近の部下を、蹴散らす。そして、転移の魔法で人質全員、どこかに送った。
側近「まずは、人質を救出するよな。」
アンジュの周りに魔法陣が浮かび上がる。ユニコーンごと何か光っている。
アンジュの魔法が封じられてしまった。
側近「これで、人質を解放できたと思ったのなら、大きな間違いだ。」
勝ち誇ったかのような顔で、側近は人間ではあるが、洗脳でもされているのだろう。おおよそ雰囲気が人間とは思えない奴らを、見せびらかしてきた。
もっとも、そこに何かいることは気配察知能力でアンジュは気が付いていた。まさか、人間とは思わなかったけれど。
側近「さあ、人質どもよ!あの勇者を切り刻むのだ!」
無理であろう。人質はたった今、アンジュが剣の柄で、全員気絶させたのだから。
洗脳されている奴らはそう人数が多くなかったので、嫌がるユニコーンにくくりつけて、帰らせる。気付いた人が、ユニコーンの角でも砕いて飲ませるだろう。ユニコーンの角、洗脳に効果があるかは知らないけど。
アンジュ「お前、何言ってんだ?」(うわ、はっずかしー。)
側近は唖然としていたが、すぐに激昂する。
アンジュと魔王の側近はまたもや、一騎打ちだ。
強力な魔法を扱う側近、魔法を封じられたが高い身体能力と剣の技量を持つアンジュ、まともにやり合えば、泥仕合になるはずはなかった。そう。まともにやればだ。
醜い。本当に醜い争いだ。両者とも見た目だけではわからないが、内面は腐りきっているのかもしれない。だまし討ちしかできないのか。そのせいで、決着がつかない。
かなりの時間が経過したころだ。不意に、アンジュが側近に向かって、剣を投げ飛ばした。
剣は側近の頬をかすめた程度ではあるものの、一瞬の動揺を生む。アンジュが側近に対抗できる唯一の手段である、と考えられていたからだ。
その一瞬の隙をつく。
魔法は封じられている。剣もない。
だから、側近を絞め上げ、首をきめてやった。
もともと剣は好きではないうえ、体術も一応教わっている。なら、体術を使わない道理などない。
アンジュだって向上心はなくとも、多少は成長する。今回は、事前に側近の情報を、適当に調べてある。コイツは、普通の人間と大差ない身体能力しか持っていないのだ。勇者としての(普通の人間を遥に凌駕する)身体能力をもってすれば、コイツを抑え込むくらい、わけないのだ。側近は、しばらくジタバタともがいた後、意識を落としたようだ。そのまま地面に落とししておく。
側近(馬鹿め。このままお前が後ろでも向いた瞬間に、魔法で葬ってやる。いや、気絶させて、魔物の玩具にしてやるのも良いかもしれん。さあ、早く後ろを向け。)
アンジュ(私なら、ここで気絶したフリでもして、股間蹴り上げるな。)
思いついてしまったので、仕方ない。念のため側近の腹辺りに蹴りを入れる。
側近「ぐぇ。」
アンジュは、そのまま再度足を振り上げ、側近を崖下へ落とす。
コイツには、一度計画を潰されたのだ。生かしてはおけない。
側近が崖下へと落ちていく際、アンジュは言ってやった。
アンジュ「ざまぁみろ。あばよ。」
それはもう見事な巻き舌だった。発音だけ見れば、「っずぅあまぁみぃろ」という感じだ。
この日のアンジュは、非常に晴れやかな気分で宿へと向かった。
長年というほどでもないが、宿敵を倒したのだ、清々しくて当たり前だ。
・・・
思いついた。自分は死んだことにしてしまえば良いのだ。何故もっと早くに気が付かなかったのだろうか。そうすれば、魔王退治という崇高な目標のために命を散らした、高尚なる勇者として後世に語り継がれる。完璧だ。
そうと決まれば、死因はどうするか、身代わりは用意するのかといった具合で、考えなければならないことが山のようにある。一通り考えるだけ考えた後、アンジュは疲れたので、宿で寝た。
このとき、すぐに実行していれば、アンジュの未来は変わっていたのかもしれない。
次の日の朝、アンジュは部屋の周りを、完全に包囲されていることに気が付き、目を覚ました。
いくら勇者として、高い身体能力があれど、強力な魔法を扱えようとも、レベルがカンスト直前であろうとも、無防備な状態で、それなりに鍛えられた奴らから袋叩きにされれば、ただでは済まない。アンジュは、分の悪さを悟り、魔法でも使って逃げ出そうとするが、魔法除けの結界が張られているらしい。アンジュの魔法だけが封じられている。アンジュの手の内を知っている人物たちが、外部の手も借りた上で、アンジュを追い詰めているのだ。
完全に罠だった。アンジュは、他人のことなど肝心なところはよく見ていないし、話も聞かない。さらに、投げ出すこと前提で、後先を考えずにここまで来た。そのつけが今、完全にまわってきている。
回復士「アンジュなら許してくれるよね?」
格闘家「天使のようなアンジュ、きっと許してくれるさ。」
魔法使い「アンジュったら、全然手柄を自慢しないじゃないですか。このまま魔王を倒したとしても、国からの報奨金や勲章を辞退しちゃいそうで、怖かったんですよ。勇者の仲間だけが、お金を貰うだなんて批判されてしまいます。」
回復士「でも、勇者が魔王との決戦で命を落とせば?私たちは報酬を山分けできるの。」
格闘家「ちなみにだが、あのバカ真面目な騎士はもう死んでるぞ。」
一体いつからそんな事を思うようになっていたのかなんて、知らない。
ある程度、痛めつけられたのちに、魔法使いの転移の魔法で、ある場所へと着く。ある場所とは、魔王の住まう城だ。いつもの鎧や剣を装備させられる。そのまま、魔王の鎮座する玉座へと半ば引きずられるように、連れられた。魔王は世界で一番出会いたくなかった、と言っても過言ではない。
アンジュは直感する。魔王の実力は本物だ。自分はもちろん、この場にいる誰一人として、魔王を討てるわけがないだろう。
コイツらの考えは、勇者と魔王の実力は拮抗している。故に、勇者を少し弱らせて、魔王と討ちあわせる。そうすれば、勇者は、魔王に止めをさす一歩前で、力尽きるはずだ。その後に、弱った魔王に止めをさすだけで、自分たちは名声や財産を得られる、といったところだろうか。
アンジュは哂う。例え体調が万全であっても、あるいは何日、いや何年も計略を仕掛け、弱体化させていたとしてもだ、目の前の化け物を倒す見込みは立たない。それほどまでの、圧倒的な存在感、圧、肌にすら感じる膨大な魔力量。
そして、玉座の横に立っているのは誰だ。
思い返してみれば、友人ことエスメは、やたらと「魔王をどう思うか」や、「魔王に寝返ってはどうだ」と質問していた。さらに、部屋には、黒魔術や呪術用と思われる魔導書や魔道具が置かれていたではないか。そして、アンジュは初見で、エスメが魔族であると理解していたではないか。師の紹介で知り合ったから大丈夫だ、なんて。気付く要素なんていくらでもあった。
ただ、信じたくなかった。
魔王「仲間に裏切られるとは、哀れな勇者もいたものだな。」
かつて仲間だと思っていた者たちから、そのようにされてしまうとは笑えない。背中を押され、魔王と対峙させられる。魔法はもう使えるはずだが、なぜか、集中できない。
魔王は剣を取り出し、一撃だけ放つ。
無意識のうちに、身体が反応する。もはや、反射レベルだ。斬撃なんて目で捉えられていない。魔王が動く前に、勘だけで身体を動かし、アンジュはその一撃を捌いたのだ。
たった一撃だ。それだけで、アンジュは天変地異が起きようとも、この魔王を倒せるわけがないと理解する。
アンジュ(あーあ。嫌な人生だったな。)
回復士「きゃあぁぁぁーーー!?」
一瞬遅れて、悲鳴が上がる。魔王は全体攻撃ということを知らないのだろうか。気配察知能力で気づいていたが、どうやら格闘家の首が飛んだらしい。そして、回復士と魔法使いへの攻撃は意図的に外されていた。
走馬灯というやつだろうか、アンジュの頭に生まれてから今までの記憶が流れる。
アンジュ(そういえば、王様からもらった1万ゴールド、まだ使ってなかったな。)
勇者として死に際に思い出すことが懐にしまわれた金とは、随分と虚しいものである。
思えば、この1万ゴールドを受け取りに城へ行かず、そのまま逃げだしていれば良かったのかもしれない。たらればを言っても、もうどうしようもないのだが。
こうして、勇者は全てを諦めたのだ。
全てというのは、アンジュ自身の命、金、かつて友と思っていた女魔族への友情らしき何か、そして、勇者としての使命を投げ出すことなどだ。何もかもが、もうどうでもいい。
このまま魔王に寝返ってしまうことも考えられたが、アンジュにそれを実行する気力はなかった。そもそも、アンジュが意図してかは置いておいて、魔王軍に甚大な被害をもたらしているのだ。受け入れられるわけがない。もう足掻くことすら、とっくの昔に諦めている。
どうせこれで最後なのだ。願うことには、苦しませずに終わらせて欲しい。
回復士、魔法使い、アンジュは、魔王に生け捕りにされてしまった。まだ一太刀を受けただけで、魔王による傷は一つもない。それにも関わらず、一切の抵抗もしないアンジュを見て、エスメラルダは心情を察する。身体の傷自体は、大したことはない。だが、本人が自覚しているかはさておき、精神的には大分堪えているだろう。
捕らえられた回復士と魔法使いは、魔物に蹂躙されている。アンジュには危害を加えられていない。
アンジュ(何だこれ。次はお前もこうなるぞってか。どうせなら一思いに殺りゃいいのに。)
それとも、仲間が蹂躙されているのをただ黙って見ていろ、という精神的な攻撃なのだろうか。何にせよ、アンジュは自分が直接傷つけられでもしない限り、心の痛みや動きを自覚しない。つまり、そんな光景を見せられたところで、アンジュ自体は無傷にも等しい。だって、現に今、身体の傷の痛みはあれど、それ以外は何も感じないし、どこも苦しくない。自分には関係ないのだから。
・・・
顔色一つ変えない勇者。
魔王は少々違和感を覚える。自分が対峙してきた勇者たちは、大抵、最初の一撃で致命傷となった。魔王は毎度、その状態からわざわざ少し回復させ、世界の半分とともに、和平を結ぼうと提案するのだが、敵意むき出しで睨まれ、拒否された事しかない。そんな中で、今回の勇者は自分の一撃を捌ききっている。そんな勇者が実力を示すこともなく、ただじっとしている。
少なくとも、今までの勇者はここらで歯噛みし、拘束を外そうと無駄に足掻く。だが、今回の勇者は捕らえるときでさえも抵抗はせず、今も大して強い拘束はしていないのにも関わらず、動かない。この勇者の実力であれば、この程度の拘束はたやすく振り切れるだろうに。
魔王は、拍子抜けした。勇者に仲間が襲われる光景を見せたのは、この勇者が自分に闘志を燃やし、全力で挑んでくることを意図してだ。全力を出し挑んだところで、片手で弾かれるような相手の言う事であれば、聞くだろう。魔王はそう考えていた。
魔王は、今までの勇者に、提案を一度や二度、拒否されたところで、説得を諦めはしなかった。次は、勇者の仲間を用いて、説得するだけなのだから。今回は、勇者の仲間を用いて、勇者の実力を引き出し、叩きのめす。そして、説得をしようとしている。
魔王は気づいた。
この勇者、わざわざそのようなことをしなくとも、話を聞くのではないか?
そもそも、自分に対して、敵意も感じないのだ。
そして、再び魔王は気づいた。自分はまだ、この勇者に何一つ提案していなかった。提案してもおそらく受け入れられないため、説得をするのだ。つまり、順番を完全に間違えていることに、ようやく気づいたのだ。自分の言う事を聞いて欲しいため、勇者を拘束した。決して、勇者を精神的に追い詰めることが目的ではない。
勇者の仲間が蹂躙されているというのは、魔王が勇者に見せている、ただの幻覚だ。実際は、回復士も魔法使いも、復活させた格闘家も、魔王の魔法により眠っている。
魔王は、もう戦いに飽きているのだ。自分の代くらい勇者や人間たちと仲良くしたって良いではないか。魔王らしく、奪うのはもう飽きた。人間たちと友好的な関係を、育んだって良いではないか。
だからこそ、人間の住む城や街の一部を占拠して、魔族の統治下におき、まずは見慣れないであろう種族に慣れてもらう。そして、平等でなければならないため、なめられないように振るまうことを同胞に伝えている。
素晴らしいくらいにやり方が間違っていることに、誰もツッコんでくれなかったため、魔王はこうなっている。結果として、実に魔王らしい残忍なやり方で、数多の勇者を再起不能にしてきた。そもそもの話であるが、魔王が平和を願っていること自体、ほとんど誰にも伝わっていないのだ。
伝わっているのは、エスメラルダやアンジュの師、竜人の里の長老くらいだ。
魔王「勇者よ。我が眷属となれ。さすれば、世界の半分をやろう。そして、我に歯向かう事をやめるよう、人族の王に進言せよ。我が世界を統治するのは、時間の問題だ。」
(世界のすべてを統治し、半分を勇者に治めさせれば、真の平和が訪れるであろう。)
アンジュ「やるならさっさとやれよ。」
(早くしろよ。もう全部めんどくせぇ。)
魔王(世界の統治を進めろという事か?もしや、勇者も我等との友好関係を望んでいたという事か!だからこそ、実力があるくせに抵抗しなかったのだな。それならば合点がいく。)
「ほう。お前は受け入れるのだな?」
アンジュ「ああ。そう言ってるだろ。だから、さっさとしろ。」
(そういや、コイツは魔王か。なら、苦痛を引き延ばそうとか考えていても不思議じゃねぇな。コイツに長いこと苦しめられるぐらいなら、自分でこの世とおさらばすんのも良いかもな。)
平和を望むも色々とやり方がおかしい魔王。話を聞いていないアンジュ。端から話がかみ合うわけがないのだ。
自分の考えが絶対で、他人も理解しているだろうと思い込んでいる魔王。すでに、自分の生存も何もかもを諦めて、話を聞く気力すらない勇者。もう一度言う。話がかみ合うわけがないのだ。
エスメラルダ「アンジュ、アンタちゃんと話聞いてる?」
絶対に話を聞いていないと確信しながらも、一応、問いかける。
アンジュ「なんだよ。最後に皮肉の一つでも言いにきたのか?」
(どうせ、今まで陰で嗤ってたんだろうが。)
エスメラルダ「違うわよ・・・。」
この状態のアンジュに話を聞かせるのは、至難の業だろう。
アンジュの興味を引かないことには、まず耳を傾けてもくれないのだから。
エスメラルダ「そういえば、アンタ、一日寝てても誰にも文句を言われない仕事、探してたわよね?紹介してあげるわ。」
アンジュ「え、何でこのタイミングで。」
アンジュがツッコミ役に回るのは、かなり珍しい。しかも、まともなことを言うだなんて。
自分はもう死ぬ、そう思っていた時に、裏切ったと思っていた友人から、意味不明なことを言われたのだ。とりあえず、アンジュはエスメラルダの話を少しだけなら聞くだろう。
アンジュ「っつーか、んなうまい話があるのかよ。」
エスメラルダ「あるわよ。アンタが魔王の嫁に再就職すれば、良いじゃない。」
アンジュ・魔王「「は?」」
エスメラルダは思いついた。志はあるものの、立場やこれまでの行いにより恐れられる魔王。志は全くないものの、立場やこれまでの行いにより、なぜか人々から崇められている勇者アンジュ。この2人を組み合わせれば、平和に近づけるにではないだろうか。
さらに、どちらも外道のすることを、息をするかのようにできるのだ。価値観も合うだろう。アンジュっぽく言うなら、完璧だ。
エスメラルダ「考えてもみなさいよ。」
アンジュ「考えるまでもねぇだろ。というか、考えることを脳が拒否してんだよ。」
エスメラルダ「じゃあ言わせてもらうけど、勇者、投げ出したいんでしょ?」
アンジュ「当たり前だろ。今すぐにでも、投げ出して帰りてぇよ。」
エスメラルダ「魔王の配偶者になれば勇者の使命なんて投げ出せるし、それに、少なくともアンジュが死ぬまで、一日中寝てるような生活してても、金銭面では安泰じゃない。」
アンジュ「それはそうかもしれねぇけど、随分とまあ、傑作だな。勇者が裏切り者だ、って、きっと王国もにぎやかになる。」
金銭面が解決された途端、アンジュは若干言葉に詰まる。わかりやすい。
エスメラルダ「にぎやかにはなるだろうけど、裏切り者とはならないでしょ。アンタ、何のために外面を良くしてんのよ。急に消えても、誰かしらに好意的に解釈してもらうためでしょ。」
アンジュ「ちっげぇよ。・・・話変わるけど、魔王の意志ガン無視じゃねーか。お前、部下だろ。良いのか?」
魔王「ふむ。我は構わんぞ。」
アンジュ「は?っつーか、お前に聞いてねぇんだけど。」
さきほどまで、魔王の実力の片鱗を目の当たりにして、絶望していた奴の発言とは思えない。
魔王「勇者が我が配偶者となれば、魔族と人族の仲は改善するな。勇者の良い噂は、よく聞いていた。一時期は卑劣というような噂もあったらしいが、それを利用していたという話も聞いている。さらに、実力も問題ないであろう。」
アンジュ「お前に聞いてねぇっつってんのに無視かよ。コイツ人の話聞いてんのか?」
エスメラルダ「アンタもいつもこんなもんよ。」
魔王「勇者よ。我と同じく平和を望むのだろう。ゆえに、さきほどもお前は実力を示さなかった。そして、仲間が襲われる幻覚を見せたのにも関わらず、ただ耐えていた。今更、何をためらう必要があるか。」
アンジュ(いや別に、平和を望んでたわけじゃねぇけど。自分さえ良ければそれで良いし。)
アンジュ「ちょっと待て。幻覚だ?」
魔王「ああ。今もまだ見ているのか。」
次の瞬間、アンジュの視界には、大の字で寝ている3人が入る。
アンジュ(こいつ等に恨みがあるわけでもねぇけど。後で、ストレス発散に使ってやろ。)
アンジュ「魔王。何で平和を望みながら、あんな趣味のわりぃ幻覚を見せたんだ?・・・っつーか、格闘家は生きてんのか。」
魔王「ああ。生き返らせた。」
アンジュ「何でもありかよ。」
その後、アンジュは、魔王の今まで“平和のために”行ってきた残虐な所業を聞かされ、ドン引きした。そして、一生分のツッコミを入れただろう。
・・・
妥協案だ。アンジュは、魔王と友になり、魔族や人間たちの和解を促進させるという契約を交わし、仲間4人とともに、王国へと帰ることになったのだ。騎士は、魔王に聞いたら、すぐに生き返らせてくれた。もういっそ魔王より、そういうビジネスでもした方が良いのではないか。アンジュは率直に思う。
いくら一日寝ていても誰にも文句を言われないからといって、初対面の奴と婚約、それはねぇだろ。
さて、王国に到着したら、何と言おうか。適当な事を言うのは得意ではあるものの、さすがに、“勇者が魔王を倒してくること”を期待している連中に、“これからは魔王と仲良くするので、皆も仲良くしましょう”と説得するのは、骨が折れる。
逃げ出したいこと、この上ない。
それでも、友人とのちょっとした、当たり前の未来を手に入れる。そのためになら、まあ、悪くはないかもしれない。
・・・
説得には、入念な準備が必要だ。根回し、情報収集、心理学的なテクニック、その他諸々だ。調べることもやることも大量にある。国の重鎮たちを説得した後の、国民達への対応は、例の志の高い少女に、演説でも行ってもらおう。たぶん、そういうの好きそうだし。
そうして迎えた説得の決行日。
すでに、国の重要人物の九割方は、説得済みであったので、容易に認められた。
王様「我が国は、これより魔王との交渉を進めること、種族間における差別の撲滅を目指すことを、ここに宣言する。」
歓声が上がる。
王様「勇者には、魔王との和平を取り結んだ功績として、報奨金と勲章を授与しよう。」
アンジュは報奨金や勲章について、事前に王様と、ある取引をしている。
アンジュ「ありがたき幸せに存じます。わざわざご用意いただいたところを誠に恐縮ではございますが、私は、報奨金を受け取るつもりはありません。」
王様「なんと!貴殿が誇り高き勇者であることは存じておったが、ここまでとは。勇者が受け取られないのであれば、仕方がありますまい。騎士、貴殿が代表して、全ての報奨金を受け取るが良い。」
騎士「っ!わ、私がでしょうか?」
王様「まさか受け取れないとは言いますまい。」
騎士「あ、ありがたく頂戴します。」
アンジュが事前にしていた取引。それは、騎士に報奨金を与えてしまうというものだ。このバカ真面目な騎士なら、どうせ有意義に使うだろう。
アンジュは、回復士、魔法使い、格闘家に裏切られていた際、もしかすると、何とか逃げられるかもしれないと思い、そのときの音声を録音していたのだ。それを提出してしまえば、“信じていた者達から裏切られて心が折れ”、勇者を辞めたって誰も責めますまい。そう思っていたのだが、まさかこんなことに役立つとは想定していなかった。ま、結果オーライであろう。
アンジュ(回復士と格闘家、魔法使いの今の顔、マジで最高。)
相変わらずこの元勇者は性格が悪い。裏切られたことをそんなに気にしていないのにも関わらず、しっかり彼女たちが損するように仕組んだ。特に恨みはなくとも、弱み、またはそれに準ずるものを握ったのなら、利用しないわけがないのだ。人の不幸を喜んでしまう性質なのだから、仕方ない。
魔王との交渉、魔族と人間の関係の修復などなど、やるべきことは山積みだ。
アンジュ(やる“べき”で、実際にやるとは言ってねぇけど。)
こうして、決して勇者とは思えない性格のアンジュであったが、平和への道を歩み始めたのだ。
ここまでお読みくださった方がいらっしゃいましたら、誠に御礼申し上げます。
当初は、主人公が手籠めにされたり、覚醒して次の魔王になったり、とバッドエンド色の強いものとなっておりました。最終的には、魔王に残虐かつ天然さんになってもらって、無事ハッピーエンドになりました。