デカパイ
──とある工事現場──
「くそっ、手が放せねえ。誰かデカパイ持って来い!」
指示とも怒声ともつかない、親方の叫びが周囲に響き渡る。
(……デカパイ?)
声には出さなかったが見習い兼、助手の大と太の二人は、同様の疑問を思い描き顔を見合わせた。
このむくつけき男の、汗臭い現場に何故デカパイが必要なのか?
整った顔立ちではあるが、軽薄さが表情筋に滲み出た、金髪中分けロン毛、ローライズ作業ズボンのマサルが、小声でフトシに耳打ちした。
拘りなのか自慢なのかは分からないが、ローライズの作業ズボンはフィットする素材のため、股間部が彼の名前を表すように盛り上がっている。
「お前がなかなか痩せないから、親方がお前のデカパイをどうにかしろって、揶揄ってるんじゃね?」
一方もう一人の助手であるフトシは、マサルとは対称的な、いかにもな根暗デブといった風体の、肥満メガネである。
作業着はオーバーオールの下に、白のTシャツという、シンプルな格好であるが、服の形状上、マサルが言った通り、彼がかなりのデカパイであることが窺える。
フトシがこのガテン系の職場を選んだ動機は、根暗で弱気な自分を、心身共に変えたいがためであり、そこには痩せるという目標も含まれていた。
しかし就職してから早一年、性格はともかく、フトシの体重は、減少どころか増加するという体たらくであり、狭い場所での作業の妨げにもなるため、親方にも度々指摘されていた。
つまりマサルが言いたいことは、
「お前いい加減に痩せろ」と、親方が仰っているのでは? ということである。
「いやいや、親方の剣幕からして本当にデカパイ欲しがってる風だって! なんでか分からないけど、とにかく仕事にデカパイが必要なんだよ。
それにマサルくんだって、度々親方に仕事中にナンパした子とL○NEするなって注意されてるじゃないか。そんなキミに言われたくないよ!」
思わぬフトシの反撃にマサルはムッとして言い返す。
「関係ない話持ち出すなよ! 今はデカパイの話だろ? この場でデカパイっていったら、十中八九、お前のことだよ。
それともなにか? モテ男の俺に対する僻みか?
たしかに落とした女の中にはデカパイも……」
そこまで言いかけると、何故かマサルは何かに気付いたように手で口を押さえた。
「おい! てめえら聞いてんのか!? 早くデカパイ持って来やがれ!
今日は午後から雨の予報だから、早くしないと元請け、ひいては依頼主のお客様との約束の期日に間に合わねーだろーが!」
痺れを切らした親方の怒声が再び響く。
「ほら、言った通りじゃないか。親方は、何に使うか分からないけど、ボクのデカパイが必要なんだ。
決して痩せろと言っているワケじゃないんだ」
そうドヤ顔で、マサルに小声で告げた後、
「すいませんでした! デカパイですよね?
すぐに行きますんで」
そう親方に伝わるようにハキハキとした声で応答し、フトシは親方の方に小走りで向かっていった。
マサルは怪訝と唖然が混在した表情でそれを見送るしかなかった。
(フトシの野郎、どうするつもりだ?)
「すいません、お待たせしました」
そうフトシが告げると、親方は振り返らずに受け取るように手を差し出した。
「早くしろってんだ」
「は、はいっ! すぐ出しますんで」
何を思ったか、フトシはサスペンダーをずらしオーバーオールをずり下げ、Tシャツをまくり上げると、己の豊満な胸を差し出された親方の手の平に押し付けたのだった。
「デカパイ一丁、お待たせしましたぁ!」
──数秒後、親方の恐ろしい握力で、自慢?のデカパイを握り潰されたフトシは、裸の女の子が胸を隠し、しゃがみ込むような体勢でエグエグと泣いていた。
当然である。誰が時間に追われた逼迫した状況で、野郎の胸を揉みたいというのか?
「フトシぃ! この期に及んでふざけやがるとは良い度胸だ! 今は手が放せねえが、あとでどうなるか覚悟しておけ!」
「ヒ、ヒィィィィィィ」
情けない悲鳴上げ、フトシはひれ伏すようにその場に崩れ落ちた。
「おい、マサルぅ! 居るんだろ!? 早くデカパイ持って来やがれ!!」
フトシが使えないと分かった今、次のターゲットはマサルである。
「は、はいぃ。でも、今すぐは難しいんで、30……いや、15分待ってくれませんか?」
「おいぃ、たかがデカパイ持ってくるのに、そりゃどういうことだ? テメェもふざけてやがんのか!?」
かなり動転した様子のマサルに対して、親方の怒りのボルテージは臨界点ギリギリだ。
「いや、親方の怒りは尤もです! 全て俺が悪いんです。だからその怒りは俺だけに向けてください」
「あぁん? 意味が分かんねえぇぇぇ。
あれか? 普段の恨みをこの状況を利用して、嫌がらせで晴らそうってか?
分かった、俺が悪かったから早くデカパイ持ってきてくれよ! 頼むよおぉぉぉ」
「分かってます! だからあと少し待って下さい。覚悟してますんで」
「だから、なんだってんだよおぉぉぉ!」
ついには親方は、空いた手で頭を掻きむしりはじめ、マサルはデカパイを取りに行くためか、その場から離れて行った。
──そして約束の15分後。
「親方、お待たせしました。こっち向いてください」
再び現場に現れたマサルが、おずおずと親方に声をかける。
「だから手が放せないと……、いや、分かってるんだ。普段の俺の横暴な態度が気に入らないんだろ?
そこは素直に反省すべき点だ……。
だけどなぁ、お客様にはそんなことは関係ねぇ。
このやり方は卑怯じゃねえか? なあマサルよう」
そう言うと親方は作業を中断し、おもむろに振り返る。
「あなた……」
そこには申し訳なさそうに佇むマサルと、なんと親方の妻が居た。
「……………………………」
何が起こっているのか理解できず、呆然と押し黙る親方であったが、マサルが意を決したように話し始めた。
「親方……、親方は全て分かっていたんですよね? 分かっていたけどついに我慢できなくなって、俺のデカパイに手を出すな、って言いたかったんですよね?
前に親方の自宅で、食事をご馳走になったとき、奥さんのデカパイに目が眩んだ俺が全て悪いんです。
煮るなり焼くなり好きにしてください。
本当にすいませんでしたぁぁぁぁぁ」
「いいえ、違うのあなた。
初めてマサルくんと会った時、彼のモッコリを見て、どうしても試してみたいと思った私が全て悪いの。だから、どうか彼を責めないであげて?
どんな罰でも受ける覚悟はできているわ」
暫くの沈黙の後、親方はおもむろにこぶしを差し出し、サムズアップしたかと思うと、それを反転させ、ニッコリ微笑んだ。
「お前ら、死んじゃえ♡」
デカパイとは、パイプレンチという工具の大きなサイズの物です。
デカいパイプレンチ、つまり『デカパイ』です。
親方、言葉が足りないんすよ。