敬愛
デビューアルバムは、リョウのバンドメンバーや友人たちの尽力もあり、見事に完成した。そしてそれは華々しい、と言って過言ではない迎えられ方をしたのである。
「天才小学生ギタリスト」「才が経験を超越する」「Last Rebellionリーダーの子息デビュー」メディアは一様に騒ぎ立てた。音楽雑誌から中学生向けファッション誌、それから地元のローカル誌なんぞもあった。そしてなんとその中にはTV取材までもあったのである。音楽歴の長いリョウも、モデルとしての活躍の場を持つミリアも、さすがにTVに登場したのは、ミリアの映画が封切られるそのタイミングに週刊誌にあることないことを書かれた時と、かつてライブで事故を起こした時と、つまりはその二度のみである。
しかしリュウは違った。明らかに好意的なそれによって、茶の間に登場したのである。リュウはTV番組のスタジオでギターを華麗に奏で、誰もが知るタレントが賛辞を寄せ、国民的女優がスタンディングオベーションをした。そして全国にリュウのプレイは放映されたのである。それはアメリカにいるリョウの耳にも届いた。
「お前、凄ぇの作ったな!」幾分遠い声はしかし興奮気味にリュウの耳に届いた。「まさか、デビューアルバムでここまでやってくるとは思わなかった。……とにかくメロディセンスが半端ねえ。本当に、……何つうか。」口籠った矢先、リョウは涙ぐんでいるのかな、と思った。「テレビも見たぞ。お前立派に弾いてたじゃねえか。一緒に見てたメンバーもな、俺じゃなくて息子をヘルプに入れりゃあ良かったなんつうことさえ言いやがってな!」リョウは哄笑した。
「CD、聴いてくれたの? TVも?」
「たりめえだろ。CDこっち届いてから毎日聴いてるよ、毎日。TVもなもう軽く十回は、観た。」
「ありがとう。……ありがとう。」リュウは堪え切れずに泣いた。こう言われたくて自分はギターを弾いていたのかもしれないとさえ思われた。
「帰ったら一緒にジャムろうな。」
「うん。」
「ミリアも一緒に、家族全員でギター弾こう。」
「うん。」
セカンドアルバムの話が来たのはその直後であった。その時既にリュウはリョウの協力を期待することはなくなっていた。いざセカンドアルバムのレコーディングを始めようと思った矢先、リョウが再びアメリカに行ってしまったこともどこか当然のことのように思われた。
独り立ちをすること――。自分がギタリストとしてやっていくためには、それは必要なことなのだ。リュウはそう一人肯いて、進捗状況などは誰に報告することもなく、ただ一緒にレコーディングをしてくれる年上のメンバーとだけ切磋琢磨をしながら、セカンドアルバムの作成を進めていた。リョウの驚く顔を見るために。リョウの賛辞を聞くために。
要はリョウのことが好きなのだ。ミリアと同じく。時には同じギタリストとして嫉妬の情も覚えることもある。どうして傍にいてくれないのかと不満を覚えることもある。でもその根は同一である。すなわち愛情。尊崇。独占欲。
そのリョウがようやく久しぶりに帰ってくるのだ。
リュウは授業を終えると、早足で学校を出た。ミリアとの約束だったから、大佛や加藤との話さえも早々に切り上げて、教室を出た。
「ちょっと待って!」と校門を出た所で後方から声がする。振り向くと、否、振り向くまでもない。そこにいるのは今朝の少女――、美都だった。「一緒に帰ろう!」有無を言わせず、おかっぱ頭を振り乱しながら駆けて来る。
リュウは「急いでいるんだよ。」と言いつつ、わざとゆっくり歩き出した。
「ねえねえ、明日とか明後日とか、リュウんち行ってもいい?」
「……別に、いいけど。今日じゃないんだ?」
「だって今日はお邪魔になっちゃうでしょう。さすがに。ミリアさん、リョウさんが帰って来るの楽しみにしてるんだし。」なぜそこまで知っているのか。リュウは目を丸くする。
「私もリョウさんに会いたいなあ。ツアーの話も聞きたいし。ねえ、じゃあ明日おばあちゃんとケーキか何か作って持ってくから、そうミリアさんに言ってくれる?」
「いいよ。」リュウは何でもないように答えた。いつものことである。美都だって美都の母親だって、しょっちゅう家に出入りしているのだ。その際に美都の祖母の作った料理だの菓子だのを携えて来るのも、もちろんいつものこと。美都の祖母はミリアにも劣らない料理上手である。何でもミリアが小さい頃、料理教室を営んでいた美都の祖母から美都の母親と一緒に料理を教わったのだとも聞いている。それがきっかけで料理に興味を持ち、小中高と調理部に入り、大学も栄養学を学ぶことになったのだという。
「わあ、やった。」
それから美都は最近家で作ったクリームブリュレ、だとかの話や、おそらくは自分に合わせたつもりであろうが、先日リュウが渡してやったタブ譜とにらめっこしながらギターの練習をしている話だのをして聞かせた。
「リョウさんも、ツアーから帰ってこれてミリアさんとリュウに会えるの、楽しみでならないでしょうね。」
「どうかねえ。」
美都は目を丸くする。「何よそれ。」
「リョウはさ、大体自分勝手なんだよ。前だってミリアが毎日毎日ずーっとリョウの帰りを楽しみに待ってて、ようやく来週帰って来るっていう時にさ、勝手に追加公演なんて入れちゃって、一週間も延期。その前だってさ、帰って来たと思ったら何のお土産もないんだよ? アメリカまで行って。普通ミリアにぐらい、何か買って来たっていいじゃん?」
美都は突如笑い出した。
「何がおかしいんだよ。」
「だって、『自分に』お土産がないとかじゃないんだ。」
「え。」
「だってそうじゃない。リュウはリョウさんがミリアさんのために早く帰って来て、ミリアさんのために何か買ってこいって怒ってるんじゃない。自分が会いたいのでも、お土産が欲しいのでもないでしょう?」
「別に……俺は、今更父親が恋しい年齢でもないし、リョウに会えなくたって、何も貰えなくても、何ともないけれどさ。けれど、ミリアはリョウの妻なんだからさ。もうちょと考えてあげるべきだよ。」
--妻。その言葉にリュウは胸が痛んだ。それは役所によって明白に否定された立場だったから。
「リュウは心底ミリアさんが好きなのねえ。」
「お、お前、お前さ、な、何か、変な風に解釈してない?」リュウは頬を赤くしながら声を裏返した。「ふ、ふ、夫婦は円満にいるべきだろ? 結婚ってそういうことじゃあないか! 別におかしいことじゃあないだろ!」
--本当に結婚をしていれば。リュウは自分の発している言葉と脳裏に浮かぶ言葉とが乖離しすぎて、もう何が何だかわからなくなった。
「うふふふ。」美都は意味深げに笑って足を速めていく。「とにかく、明日ね。明日、遊びに行くからリョウさん、ミリアさんによろしくね。」
リュウは不満げに口をへの字に曲げると、そのままさっさと自宅の門を潜っていった。