早春
そうして厳寒の空気にほんのりと春めいた息吹が交じる頃、リュウの合格発表があった。結果は、――無論合格である。
高校の正門入口に貼り出された合格発表の受験番号を一つ一つ目で追い、そしてある一点で視線を停め瞠目し、リョウとミリアの真ん中でリュウはガッツポーズを取った。着古して袖口の綻びた中学の制服に、桜の花びらがひらひらと舞い降りる。
「何か、……ミリアん時思い出すなあ。」リョウは微笑みながらぼそりと呟いた。端から不合格の可能性などというものを考えてもなかったため、いつもと変わらぬ落ち着いた素振りである。
「今日はパーティーだわよう!」ミリアも同様に合格のみを信じていたため、もう既に次なる、自分の腕を揮うことばかりを考えている。
「やった! 四月から高校生だ! 高校生になれるんだ!」
「おめでとう。」ミリアはリュウの肩に付いた桜の花びらを、払いながら言った。
「頑張ったな。」
「高校入ったら次のサードアルバムを作るんだ。今までとは違った曲も入れてライブもいっぱいやって、ああ、地方にも行ってみたいな。……そうだ! 四月にはリョウとミリアのライブがあるじゃないか。」はたとリュウは思い出し、リョウとミリアの顔を見た。
「ミリア復活ライブ。チケットは即日完売。いやあ、めでてえことは続くモンだな。」リョウが目を細めて言った。
「でも、ちょっと緊張するわよう。……だって、ヴァッケン以来のライブだもの。」ミリアはそう言って、モヘアのマフラーに埋もれた肩を窄めてみせた。本日の目的を終えた三人は自然と踵を返し、ゆっくりゆっくり、喧噪の中を校門へと向かう。
「そうか、凄いなあ、言ってみたいな。ヴァッケン以来だなんてさ。」
「あそこには多分、メタルの神様が宿ってるんだろうな。全然、違う。空気からして何から何までな。音さえな違って聴こえる。」
「そう、なんだ。」
「メタラーの聖地。憧れの地。あそこからの風景は他の何物にも代えらんねえ。」リョウはそう言ってまざまざを思い返すかのように目を閉じた。
「見て、みたいな。」そこには隠しようのない羨望があった。
「お前もいつか出られるようになるよ。諦めさえしなけりゃ。」そう言ってリョウは悪戯っぽく笑んだ。
高校へと向かう人と帰る人とが行き交う雑踏の中で、リョウはそっとリュウの肩を抱いた。
「そっか……。」
自分はこの先どうなっていくのであろう。ギターを続けていくのか、それとも今の自分には見当もつかない別の人生を歩むのか。でも、今、聖地ヴァッケンを目指すのも悪くないかもしれないとリュウは思った。リョウの言葉は勿論のこと、この歓喜に渦巻き、桜の花が舞い散るシチュエーションが、そのきっかけを与えてくれた環境として、あまりにも出来過ぎているようにも思えた。だからこそリュウは今、何か自分の将来についての大きな決心をしたかった。白く彩られた雲の上のような桜並木とリョウとミリアに囲まれた今のこの風景において、自分の将来を形作るその第一歩を踏み出したかった。そこで何度も聞いたことのあるヴァッケンの話を聞けたのは、天啓であるような気もした。リョウのように、ミリアのように、その生涯をギターと音楽に尽くすのが己の人生であると決めるのは、今がいい。
リュウは咄嗟に「将来、ギタリストになる。」と大声で言った。校門に向かっている中学生が、驚いてリュウの顔を見詰める。
「もうギタリストじゃねえか。アルバム二枚も出してるのによお。何だ、今更。」リョウは声を立てて笑った。
「ううん、そういうことじゃあなくって。」
「じゃあ、どういうことだよ。」
リュウはリョウを見上げた。リョウは優しく微笑みながら歩みを停めた。
「リョウやミリアみたいに、ギターと生きるのって、いいなって。」
「ギターと生きる?」
「そう。何があってもギターから離れないってこと。病気になっても怪我しても、子供が生まれても、何しても。」
「……そっか。」リョウは再びゆっくりと歩み出した。「そりゃあ、たしかにいいもんだ。」
「うん。そうよ。楽しいわよう。」ミリアもひょいとリュウの顔を覗き込む。
三人の背を、到来したばかりの、まだ清新さを纏った春の日差しが包み込む。もう本格的な春はそこまで来ているのだ。リュウは今自らの新たな人生が始まったことを予感して、頬を綻ばせた。
いつの日にか自分もリョウのようにヴァッケンに立ち、そしてその時には今日の日を思い出すのだろう。死線から舞い戻って来たリョウの、全てを知り尽くした強靭ながらも柔和な笑みは、その時に何にも代えがたい輝きとして自分の胸中を飾るであろう。それは自分の音にも輝きを与えてくれるに相違ない。そういう、音と気持ちの一体感をリュウは既に熟知していた。それはどんな音となるであろう。傍にはミリアの歓喜に輝く顔もあって、メタルの神様とやらに見守れながら……。リュウは次々に輝かしい未来の絵図が浮かび上がってくるのを、止めることができなくなった。それはかつて感じたことのないような、至極幸福な想像であった。