復活
ミリアが涙に潤んだ目を瞬かせている内に、手術中のランプが消えた。
五人が息を呑んで見守っていると、ゆっくりと折りたたむようにして手術室の扉が開いた。
そこに姿を現した眉根を寄せた老医師の顔つきに、五人は背筋を震わせた。
医師は五人を順繰りに見詰め、いささか憔悴した面立ちで、「怪我の方は問題ありません。低体温症と脱水症状が回復し、意識さえ戻れば……。」と苦し気に呟いた。「これから集中治療室で、そちらの処置に入ります。点滴を輸血をしながら意識の回復を待ちましょう。」
ミリアが立ち上がると、奥からは看護師が寝台を押しながら出てきた。赤い髪が、見えた。
「リョウ!」ミリアは血相を変えて駆けよった。
「移動しますので、奥様もどうぞ。」
リョウが移動したのは、十人分程の寝台が据えられ、いずれもが簡素なカーテンで仕切られる中を、常に数人の医師と看護師が行き交う集中治療室であった。そこの中央に、点滴の幾つもぶら下げられたリョウが白い顔をして眠っていた。
改めて見るリョウの顔は、幾つもの傷跡が走っていた。額にも、頬にも。特に右頬の傷はガラスにでもひっかいたのか、血で滲んでいた。五人は震えるようにしてリョウの顔と、それからその近くに置かれた機材の示す数値を交互に見詰めた。
恒田の携帯にどこからか連絡があったのか、腰ポケットを抑えそのまま部屋を出ていく。
ミリアはリョウの手を取ってしゃがみ込んだ。そこに看護師が「お座りになって下さい。」と椅子を持って来て座らせる。
「リョウ……。」ミリアはその、手の冷たさに再び涙を零す。
「リョウ……。」リュウもその隣に腰を屈めながら、「リョウ、ミリアを一人にしないで。ミリアを泣かせないで。」そう、囁くように言った。
しかしリョウの顔は冷たく凍ったように微動だにしない。
リュウは深く溜め息を吐く。「……リョウはさ、耳はいいんだから、寝てるように見えても全部聞こえてるはずだよ。だからここで、リョウが目覚めるまで色々話しよう。ねえミリア。」
ミリアはいつの間にか涙に滲んだ目元を拭いながら、「うん。わかった。……ねえ、リョウ。大変だったね。びっくりしたね。急に川の水に流されたりして。……でも、もう大丈夫だから。ミリアもリュウもいるし。シュンもアキもいるよ。みんなみんな、ここにいるから。」
「そうだよ。リョウ、もうなんにも怖くない。お医者さんも看護師さんもいる。安心していいよ。」そこまで言って、リョウが、あの強く逞しいリョウが恐怖心を覚えたのかもしれない、と思うことそれ自体がリュウに痛切な悲しみを覚えさせた。そしてミリアもそんな悲しみをたった一人で味わわせてしまった、ということに、傍についていてあげられなかったということに、後悔の念を覚えているであろうことがリュウにとっては、やりきれなかった。
「ミリアさ、」
そう言ったリュウのどこは何か吹っ切れたような響きがあった。
「ミリア、ずっとこれからはリョウといなよ。バンド復帰して一緒にギター弾いてさ。リョウと一緒に世界中どこだって回ったらいいよ。僕は来年度もう高校生になるんだし、ご飯作るのさえ教えて貰えればさ、もうミリアに世話焼いてもらうこともないし。」
ミリアは顔を上げ、目を丸くしてリュウを見つめた。
「こんな、……事故に巻き込まれたりして、リョウが心配だろう? でもリョウはこれからだって、世界中ギター持ってツアー回るって言うよ。怖い目に遭ったから、もうツアー出ないなんて絶対言わない。リョウは一人でも自分の音を聴いてくれる人がいれば、世界中どこだって行くんだって、いつも言ってるじゃないか。そんで、ミリアはリョウがいないと寂しくなっちゃうんだから、ずっと一緒にいなよ。それがいいって。」
リュウはそう言って大きく肯いた。ミリアは目を瞬かせている。
「そりゃいいな。」
シュンもそこに応戦する。
「俺ももう一度ミリアとバンドやりてえよ。Last Rebellionの完成形でバンドやりてえよ。……おい、リョウ。次のLast Rebellionのライブは、ミリア復活ライブだ。お前、いつかそうなるって信じてたからこそ、今までパーソナルなギタリスト入れなかったんだろ。お前のお気に入りのタツキも、もうダメだしな。てめえのバンドがでかくなりすぎちまって、今じゃあ海外ツアーなんざやらかしてやがる。もう前みてえにほいほい手伝っちゃあくれねえよ。リュウも高校生になんだし、ミリアが復活するバッチリのいいタイミングじゃねえか。やったな。ほら、で、ライブの選曲どうすんだ。リハだって始めねえと。ミリアがライブやんのなんか久々なんだから、いつまでも寝腐ってちゃあ、何も始まらねえぞ。」
「そうだ、リョウ。」
アキもそう言って、必死にも見える形相でリョウの顔を覗き込む。
「今日川沿いの復興手伝ってる精鋭たちはタダにしろよ。あいつら、ライブ翌日に仕事だの学校だの休んで、お前の復活のためだけに汗水たらして必死んなって、力仕事に精出してんだかんな。泥だらけのメタルTシャツ持ってきた野郎どもは全員タダだ。男臭ぇライブになるぞ。しかも、十数年ぶりのミリア復活に、みんな大泣きすんだろうなあ。リョウ、見たくねえか。あいつらの歓喜に泣き濡れる顔をよお。」
「ミリア、またリョウとギター弾いて、いいの……?」ミリアは茫然と呟いた。
「もっちろん。」リュウが力強く頷く。
「当たり前だろ、何のために今までリョウがギタリスト加入させなかったのか、考えてもみろよ。」シュンもそう言い放つ。
「そもそもな、何で今まで復帰しなかったっつう話だよ。一度ぐれえステージ立ったっていいだろうが。産休育休ぐれえは必要でもよお。」アキも憮然と言い放つ。
「あのね、ミリアはね。」
ミリアはリュウの前であるのに、一人称さえ破綻して必死に三人の顔を見ながら言った。
「リュウちゃんを大事に、大事に、育てたかったの。あのね、ご飯もちゃんとあげて、蹴ったり殴ったり、そういう痛いこと全然しないで。ミリアは放っておいたらそうしちゃうでしょう? だってそういう血がここに流れてるんだから。だからそうしないように、そうしないようにっていつも思ってた。幸せな夢を見られるようにベッド拵えて、お風呂にもきちんと入れて、それから美味しいって言って貰えるご飯作って。だからギターとか、バンドとか、そういうのはやっちゃいけなかったの。それは、リュウちゃんを放ったらかしにしちゃうから。……リョウといたい気持ちもあったけど、リョウとツアー行けたらいいのになって思う時も、それは、……あったけど、それよりもリュウちゃんが大事だった。ミリアの子だから、虐待がレンサしたって、思われたくなかった。だから大事に大事にした。」
リュウも、それからシュンもアキも静かに傾聴していた。
ミリアはリョウを覗き込むようにして言った。
「リョウ、でももうそれお終いでいいんだって。リュウちゃんはちゃんといい子に育ったの。リュウちゃんがね、もうミリアはバンドに復帰していいよって、リョウの傍にいていいよって、そう、言ってくれた。だから、そうする。これからは、ずっと、リョウといる。」
ミリアはそう言ってリョウ手を握りしめたまま、リョウの腹の上にそっと自らの顔を当てた。そして暫くすると、びくりと頭を上げた。
「……動いた。」
「え。」
「指、今、ぴくっとした。」