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BLOOD STAIN CHILD Ⅵ  作者: maria
24/39

襲来

 その日もミリアはルーチンワークをこなしながら過ごした。夜になると、テレビのニュースではやはり昨日フィリピンを襲った台風被害の状況ばかりを報じていた。どこぞの川では人々が流され亡くなった、土砂崩れで家が潰され行方不明になっている人がいる、屋根修理をしていた人が落下し大けがをした。ミリアはそれを見ながら胸を痛めた。

 「うちは平地だし川も近くにないけど、台風の時は外に出ちゃダメだね。ミリアも日中買い物なんて行っちゃダメだよ。」

 リュウがそう厳しく言い放つ夕飯の食卓には、リョウが名古屋から送ってくれた手羽先が並んでいた。ピリ辛の手羽先はリュウの好物でもあり、既に一皿を空にせん勢いである。

 「うん。買い物は昨日行って来たから。リョウもこうやって美味しい物送ってくれたし、しばらくはお買い物しなくても全然大丈夫。」

 「塾でも、今回の台風は大きいから、東京直撃したら休みにするって言ってた。そのぐらい今回は凄いらしいよ。」

 「そうなの。」ミリアは目を瞬かせる。

 「受験生がこの時期に事故にでも遭ったら大変だから、もしそうなったら家で勉強してなさいって。」

 「……リョウ、大丈夫かな。」ミリアは眉を曇らせた。

 「大丈夫だって。」リュウは杞憂だと言わんばかりに噴き出した。「リョウは何が起きたって大丈夫。そういう神様が付いてんだよ。ほら、昔ガンになっても治ったんだろ?」

 「そうなの。無菌室入ってる時なんかは痩せっちまって大変だったけれど、もう全然大丈夫になったの。リョウは不死身なのよう。」

 「そうだよ、リョウは強いんだから台風の一つや二つでどうこうすることはないよ。台風なんて従えて帰ってくるって。」

 「うん。」ミリアはようやく安堵の笑みを溢し、手羽先に手を付け始めた。「……あ、美味しい。リョウね、これ名古屋で五十個も食べたんだって。」

 「五十個?」

 「そう。あんまり美味しいからリュウちゃんと私にも食べさせなきゃって思ったんだって。だからいーっぱい送って来て、なんと、あと三袋もあるのよう!」

 「じゃ、明日お弁当入れて。」

 「いいわよう。手羽先だらけになっちゃうかも。」ミリアはくすくすと笑う。

 「そういえば、温泉は決まった?」

 ミリアは頬を綻ばせて、甘い告白をするように、「あのね、やっぱしリョウが帰ってきたら、リョウと相談して決めることにしたの。もうすぐだし。」と言った。

 「そう。」

 我が父母の愛情は深淵だ。不滅なのに相違ない。リュウはごちそうさまを言い(その瞬間、両親の愛を茶化す言葉に聞こえないかを危惧した)、食器を運んで部屋に行き、今日の塾で習った内容の復習を始めた。

 夜は深々と更けていく。リュウは塾から出された宿題の国語の問題を解きながら、温泉旅行のことを考えた。

 ミリアはきっとこんな風にその出発前日から大騒ぎをするのだ。--リョウはどのかばんで行くの? リュウちゃんは? 下着はちゃんと持った? 靴下も忘れないでね。ああ、そうだ、白ちゃんをホテルに連れてくキャリーバッグは? ああ、大変大変!

 そしてリョウが帰って来る日にミリアが作るであろう、好物のローストビーフのことを考える。リョウが帰ってくる日はいつもローストビーフに決まっているのに、リョウは毎回大仰に驚いて嬉しがる。そして旨い、旨いと言って皿に付いたソースまで舐めるように綺麗に食べ、その後は家族三人でリビングでギターを弾いたりもするだろう。この曲がいい、あの曲がいい、そんなことを言うミリアの笑顔が家族を照らす。きっとこれからもそれはずっと変わらずに……。

 リュウはいつしかそんな様を胸中に描き出しながら、幸福そうにうとうとと船を漕ぎ始めた。既に日にちは変わり、外は季節を早取りしたかのようなコオロギの声が響いていた。


 翌日、リュウを送り出した後、昼近くになってリョウからメールが届いた。

 「手羽先旨かったろ? これから広島。なんか欲しいものあるか。」

 ミリアはちょうど風呂洗いをしていた矢先、泡の付いた手で携帯を見つめ、微笑んだ。

 そして「おいしかったわよう! 手羽先リュウちゃんいっぱい食べた。50個は食べないけど。」

 「まだまだ中坊には負けねえよ。」

 ミリアは即座に帰って来た文面に思わず噴き出す。しかしすぐに我に返って「台風は大丈夫?」と送った。

 「結構ヤベエ感じだな。まあ、でも大丈夫だ。無茶苦茶安全運転でゆっくりゆっくり向かってる。」

 「気を付けてね。」

 「大丈夫だ。明後日には東京に帰るから。」

 「ローストビーフ作って待ってる。」

 「そりゃあ楽しみだ!」

 ミリアはその文面を見て、ほうと溜息を吐き、一層力を入れて風呂の床を擦り始める。

 明後日はリョウが帰って来る。何だ、すぐではないか。ツアーに出る時に、リュウの前で涙を零したことが今更ながら恥ずかしく思えてくる。今日は近所の肉屋で格別美味しい牛肉を買って来よう。それはリュウの夜食にもできるように、少し残して、野菜のたくさん入ったスープに入れてあげよう。ミリアの胸は期待に踊った。


 カレンダーの丸の付いた日までは、遂にあと一日を残すばかりとなった。

 「明日何時ぐらいにリョウ帰って来るの。」明日には終わりを告げることになる二人だけの夕飯の食卓で、リュウが言った。

 「夜になりそうだって。今日はライブが終わった後そのまま広島に泊まって、明日の昼前にホテル出るって言ってたから。」

 「じゃあ、また明日はローストビーフだね。」

 「うん。」ミリアは照れたような笑みを浮かべる。「だって。リョウが大好きなんだもの。」

 「そしたら温泉もすぐ決まるね。」

 「うん、あのね、社長がすっごいいい所見っけてくれたの。」ミリアは箸を置いて身を乗り出す。「K温泉のなかなか取れない旅館でね、すーってきなの。だってね、お部屋に露店温泉がひとっつずつ付いてるんだから。お料理もすーっごいの。HPでお写真見たら、お刺身が船に乗ってこーんなに!」

 「凄いね。」リュウは素直に笑った。「きっとリョウも大喜びして、そこにしようって言うね。」

 「ツアーの疲れも吹っ飛んじゃう!」

 ドラマを終えたテレビは、今度は台風のニュースに変わって行った。

 ――非常に大きな台風が、ただいま広島上空を通過しています。河の氾濫も見られ、一部住宅地では床上浸水の被害が出ています。

 「何か、大変だね。」いつしかテレビに食い入っているミリアにリュウはそう言った。

 「リョウ、大丈夫かなあ。今日、どんなホテルに泊まってるんだろう。」

 ミリアは顔を曇らせ、携帯を繰り出した。「たしか、Nっていう市。あ……、N川っていうのが近くにある……。」

 リュウは携帯を覗き込む。たしかにリョウが今宵宿泊するホテルの前には、川が流れていた。

 「でもさ、ほら、ホテルの中にいれば大丈夫だよ。ちゃんとした建物にいれば、さ。」

 ミリアは何度も肯いた。

 ――近くの田畑の様子を見に行った〇〇さん、七十三歳が現在行方不明となっています。また、〇〇では土砂崩れが起こり、三棟が倒壊している模様です。

 ミリアは今度はテーブルの上に携帯を放ると、恐ろし気な形相でテレビに見入った。

 「大丈夫だって。リョウだよ? わお、天然のシャワーだなんて言って今頃喜んでるよ。」

 ミリアはその様を思い起こし、ようやく小さく噴き出した。「言ってそう。」

 リュウは安堵の笑みを漏らし、「そうだよ。『すっげえな、リュウ見て見ろよ』なんて言って、窓開けて部屋に雨が吹き込んで来てさ、『うわー、やべー』って言ってまた締めて。そんな感じだよ。」

 ミリアは耐え切れずくすくすと笑い出す。

 「さ、勉強勉強。明日はリョウが帰って来るから、今日の内にしっかりやることやっておかないと。」そう言ってリュウは部屋に戻った。

 そうしてカレンダーには最後のバツが付けられ、ミリアはしばしうっとりとその様を眺めた。そして丸の付いた翌日、ヒーローのように堂々とリョウが帰って来る筈であった。それこそが疑いなく到来すべき、明日のあるべき姿であった。

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