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BLOOD STAIN CHILD Ⅵ  作者: maria
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日常

 リュウにとって、物心ついた頃からおそらく世界で最も苦手なものは、ミリアの悲しい顔である。そして幸運なことに大きな病気も怪我もすることなく、勉強も比較的得意な自分のことでミリアは悲しむことはないものの、勝手気ままなリョウのことでミリアは時折泣き出しそうな顔をする。リュウはそれを見ると、胸が痛むと同時にリョウに否応なしに怒りが湧きおこる。

 もっとミリアを大事にしなきゃダメだろう。もっとミリアのことを考えなきゃダメだろう。無限に小言を言いたくなるのだ。でもリョウはいつだってあっけらかんとしている。悪かったな、すまん。何をどう追及したっていつも所詮その程度だ。しかし結局はそんなリョウをミリアは全力で支えている。リョウが突然海外ツアーに行くとかで何か月も家を空けている時、そのライブ映像が送られて来てそれを観る時は、まるでアイドル好きの女子中学生のようにはしゃいでいる。そんなミリアはとても幸福そうだ。それが夫婦というものなのかな、などと生意気なことを昨今リュウは考えるようにもなってきた。

 それにしても、たまの家族旅行は我ながら良い案であった。きっと今頃家でミリアは張り切って温泉宿を探しているだろう。家に帰ったらミリアの相談に乗ってあげるのだ。きっとミリアは「こっちの旅館と、こっちの旅館と、それからこっちの旅館、どれがいいと思う?」などと一日の成果を見せてくれるはずだ。それを思うとリュウの頬はテストを解きながらでも自ずと綻んだ。


 リュウを送り出し、自宅で一人になるとミリアはまず慣習としてギターを手にした。ギターを弾いていればリョウと繋がることができるような気がしたから。思えば出会ったその日から、リョウは自分にギターを与え、弾き方を教えてくれたものだ。今までどうやって生きてきたのかであるとか、父親に何をされただとか、好きな食べ物は何であるとか、嫌いな食べ物は何であるとか、誕生日がいつだ星座血液型が何だとか、そんなことを知り合うよりも早くギターの音色を聞かせ合ったのは、それが何よりもその人の人生を如実に表すものであるとリョウは知っていたからだったのではないか、そんなことがミリアの頭を霞めた。

 ――そうだ。旅館を探さないと。

 ミリアは頬を綻ばせながら、リビングの隅に置かれたパソコンを立ち上げる。熱海温泉、別府温泉、草津温泉どこの旅館も素敵な佇まいだ。こんなところでゆっくりと寛げたらリョウもきっと喜ぶであろう。美味しい食事をお腹いっぱいに食べたら、リュウも一層勉強に励めるだろう。でも、どこもさすがにお盆中は予約でいっぱいである。ミリアは眉を曇らせた。

 ……そうだ。社長に話してみたら、どうだろう。社長は別荘だの会社の保養所だのをあちこちに持っていて、いつでも利用していいと言ってくれている。それでもいいな、美味しい料理を食べに行ってもいいし、たくさんの新鮮な食材を買い込んで来て自分で作ってもいい。ミリアはそんなことを想像してうっとりと微笑んだ。

 その時、ミリアの携帯が短く鳴った。画面にはリョウからのメッセージとある。慌てて操作すると、「これから名古屋に行く。なんか欲しいモンあるか。」とあった。

 名古屋と言えばモーニング、八丁味噌、手羽先。Last Rebellionのライブで何度も行ったことがある。メンバーであちこち食べに行ったな、懐かしいな、とミリアは思う。ツアーの思い出は楽しいことばかりである。新しい物を見、食べ、どこもかしこも素晴らしい土地ばかりであった。日本はおろか、世界を見渡しても、リョウと共に見る世界は全てが美しかった。また一緒にツアーに出たいな、という願望がふと沸き起こってくる。

 リョウが正式なギタリストを加入させずに今もヘルプで色々な人に頼んでいるのは、リョウはいつか自分が復帰することを待っていてくれているのかもしれない、とも思う。だとするならば、本当にもう一度リョウとステージに立てる、いつかそんな日が来るのかしら、ミリアは他人事のように思った。こうしてリュウの世話を焼きながらリョウの帰りを待つ日々は、実はそんなに遠くない将来終わりを告げるのかもしれない。

 「ネックレスは違う所で買う。」立て続けにメッセージが来たのにミリアは思わず噴き出し、慌てて返信を打った。

 「ネックレスもおみそもいらないです。それよりも帰ってきたら温泉に行きたいな。リュウちゃんもそう言ってます。」

 返信は速かった。

 「わかった。でもネックレス買わないと今度こそマジでリュウがグレる。」

 「じゃあ、ネックレス待ってます。」

 「わかった。で、温泉いいな。今頃どっか空いてるかな。」

 「社長にお願いしてみる。」

 「そりゃいいな。頼むよ。ありがとう。」

 リョウはいつだってミリアを一人の人間として尊重してくれていた。最初に会った六歳の頃から、子ども扱いをするということは一切しなかった。それがミリアは嬉しかった。リョウはいつだって自分にとって世界一の理解者であるし、最高の家族だった。

 それからミリアはいつものように洗濯をして掃除機をかけ、白のトイレを片付け、それから社長の秘書兼妻であるアサミに、どこか今から泊まれる温泉宿はないか、もしあれば紹介してほしいという旨のメッセージを送ると、再びギターを爪弾き、合間合間に移動中のリョウとメッセージのやり取りをして過ごした。こんな日常がミリアには何よりも素晴らしいものに思えた。リュウがもう義務教育を終える頃合いとなり、そろそろこのような生活も本当に終わりを告げてしまうのではないかと思えば、全てが余計に愛おしく感じるのである。

 テレビをつけ、一人きりのサンドウィッチの昼食を摂っていると、今朝方も報じていた台風接近のニュースが流れた。「観測以来最も大規模になり日本に到達する可能性があります。そうした場合、大きな被害をもたらす可能性がありますので、中国、四国地方は特に十分に注意をしてください。」

 ――しかし東京の空は今日も雲一つない快晴である。ミリアはさして気に留めることもなく、さて、お買い物に行こうと陽光に目を細めて自転車に跨り、近所のスーパーへと向かった。今夜はリュウにどんな夜食を食べさせよう。消化の良いもの、お腹が温かくなるもの。リュウは濃い味付けが好きだけれど、そればかりだと体に悪いから、薄味だけれど美味しいもの。出汁を効かせたり、味付けを表面だけにしたり……。

 ペダルも軽くミリアはスーパーだのドラッグストアだのに行き、帰ってくると夕飯の下ごしらえを済ませ、再びギターを弾き始めた。すると斜向かいに住んでいる幼馴染の美桜が、にっと窓越しに顔を見せた。

 「美桜ちゃん!」ミリアは慌てて立ち上がる。美桜は悪戯っぽく笑って、ミリアが開けた玄関からそっと携えてきた紙製の箱を差し出した。

 「今、美味しいシフォンケーキをお母さんが焼いてくれたの。ミリアちゃんと一緒に食べたいなと思って。」

 「きゃあ、嬉しい! すぐに紅茶淹れるね。」

 にわかお茶の時間となった。

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