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BLOOD STAIN CHILD Ⅵ  作者: maria
21/39

発案

 リュウはその日も朝から塾通いである。ミリアに弁当を作って貰い、朝から夜まで塾で授業を受け、帰宅をすると日付の変わるまでその日の復習と、翌日の予習に励む。

 「遅くまで頑張るのねえ。」ミリアはいつも十時過ぎになると、リュウの部屋に夜食を持って来てくれた。おむすび、うどん、スコーンにサンドウィッチ、日ごとに異なるそれはどれも手作りの、ほっと心から息を吐けるような食事ばかりである。

 「リュウちゃんは、まいんち勉強頑張って、立派なのねえ。」ミリアはリュウのベッドに座り込み、食べ終わるのを待つ。

 「立派じゃないよ。普通だよ。」リュウはもぐもぐと昆布のおむすびを頬張りながら答える。「ミリアだって受験勉強して、高校にも大学にも行ったんでしょ?」

 「そうねえ。」ミリアは遠くを思い返すような目をして、それからくすり、と笑った。「私はとってもお勉強が出来なかったから、リョウが頭のいいバンドのお友達連れて来てきてくれて、その人に家庭教師やって貰って、そんでようやく、高校に行けたのよう。」

 「そうなんだ。」と言いつつ、リョウと中学生の頃既に知り合いだったのかと、内心驚く。

 しかしそんなことに、既に過去の思い出に浸ってしまったミリアが気づくわけもなく、「中学生の時、テスト用紙に猫の絵描いて0点ばっかし取ってたから、リョウが学校の先生に呼び出されて大変だったのよう。」と腹を抱えて笑い出した。「おうちに帰ってきたらめっちゃくちゃ、怒り出して!」

 「ミリアは、……リョウといつから知り合いなの。」

 ミリアははたと真顔に戻って、黙りこくった。「……小学生の、頃。」

 「どうして、小学生が十八も年上のリョウと出会うの? ギターの先生だったの?」

 ミリアは明らかに困惑した表情を浮かべた。「ええと。それは、……今度でもいい?」

 ミリアの暗く深刻そうな表情に触れて、リュウもとんでもないことを口にしてしまったのではないかと緊張を走らせた。「う、うん、僕もこれからもう少し勉強するから。」リュウは慌ててぬるくなった茶を飲み干し、湯呑を手渡した。

 「……頑張ってね。」

 ミリアは湯呑と皿を手に部屋を出、力なくバタンと扉を閉めた。

 ミリアとリョウとの関係は何だったのだろうか。どうして小学生が他人の大人と知り合えるのだろう。リュウは空を見詰めながらふと自分のことを考える。自分はギタリストとして小学生の頃にデビューを果たしたから、大人のミュージシャンやレコード会社の人々とも知り合うことができた。もしかするとミリアもギタリストとしての才を開花させていたからこそ、リョウと知り合ったのではなかろうか。しかし、仮にそうだとしても、今ミリアが言っていた、リョウがミリアの学校の先生に呼び出された、というのはほとんど保護者の役割ではないか。リュウは眉を顰める。ミリアには父親がいるのに。それも偉大なるジャズギタリストの父親がいるのに。リョウがどうして父親代わりをするのだろう。

 リュウは今朝方見た、リョウの笑顔を脳裏にまざまざと甦らせていた。疑いようもない、ミリアと自分に向けられた慈愛に溢れた眼差し。音楽を心から愛する者の喜び。リュウは深々と溜め息を吐いて、真っ白なままのノートを呆然と眺めていた。


 その時、ミリアの携帯電話にリョウから連絡があった。というのも、ミリアは夜中にかかわらず嬉し気な声を張り、何やら話し込み始めたからである。甲高い笑い声は相手が上機嫌なリョウであることをはっきりと示していた。その声を階下に聞きながらリュウは、やはり役所が何を言おうがリョウとミリアは夫婦なのだ。誰に証明されなくとも夫婦なのだ、と思いながら数学の証明を解き続けた。リュウは数学が得意であるから、問題は次々に解けた。リュウはペンを走らせながら、リョウとミリアの関係は、もしかするとこんなに単純ではないのかもしれないと思う。でもお互いに愛し合っていることは疑いようのない事実である。それで十分ではないか。リュウはそう思いようやく、僅かに微笑んだ。


 翌朝、ミリアは昨夜玄関先で泣きべそをかいたことなどすっかり忘れたように、心尽くしの朝食を作り、塾へ行くリュウの弁当を拵え、ソファに凭れながらリビングのテレビを観ていた。この時期によくある、台風が日本を来週にも直撃するというニュースが流れていた。

 「来週は雨かあ。」リュウはトーストにマーマレードジャムを塗りたくりながら呟いた。

 「とっても大きな台風なんですって。」テレビには確かに日本列島の右下に、本州をすっぽり覆うような大きな渦が映し出されていた。

 「ふうん。」さすがにリュウもしばしテレビに目を止めざるを得なかった。

 「……リョウ、大丈夫かな。」ミリアはの声は隠しようもなく寂しげだった。

 「雨ぐらいでビクつくリョウじゃないよ。」リュウはそう言ってトーストを頬張った。「雪だろうが雹だろうが、槍だろうがリョウは絶対絶対平気だ。」

 「そうね。」ミリアはそう言ってテレビを消した。

「リョウがツアーから戻ってきたら塾もお盆休みになるし、台風もどっか行っちゃうから、みんなで旅行にでも行こうよ。近くで一泊ぐらいのやつ。」

みるみる内に、ミリアの顔に笑みが広がっていく。

「どっか温泉にでも行って、ゆっくりしたいな。」

「温泉!」ぱちん、とミリアは手を叩いて飛び上がった。「すってき!」

「リョウもツアー続きで疲れてるだろうから、そういうのいいなって絶対言うよ! また電話掛かってきたら言っといて。……あ、そろそろ時間だ。」リュウは慌ててスープを流し込むと、弁当を携え「じゃあさ、ミリア、素敵な旅館探しておいてよ。でも近くね。あんまり塾休めないから。……じゃ、行ってくる。」と言い残して玄関を飛び出して行った。

親子三人で温泉旅行。それは我ながらとても素晴らしいアイディアに思えた。本当は山の中にある温泉なんて退屈だけれど、リョウとミリアが喜ぶ様子を見られると思えば楽しみになってくる。さっさと風呂を出てしまえば勉強時間に充てても問題はないし、と思えばリュウはいつになくその日を楽しみに胸中に描き出した。

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