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BLOOD STAIN CHILD Ⅵ  作者: maria
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出立

 それから二度のライブを大成功裏に終え、リュウは何の未練もなく受験生としての夏休みをスタートしていった。その頃リュウの胸中には、うっすらとではあるが、自分がギタリストとして、それだけに自分の全ての力量を注いだならどんな音楽が生まれてくるのだろうと考えるようになっていた。つまりリョウのようにギターを本業として、それだけに心血を注ぎ込み生きたならば、それは最上の人生と言えるのではないか。そう、リョウのように――。それは紛れもなくリョウに対する憧憬であった。敬慕であった。しかしそんなことは決してリョウには言えなかった。それにはリュウの年齢はまだ若すぎたし、未だ何かにつけて反抗というものが頭をもたげてきてしようがなかったのである。

 リュウは朝早くから夜遅くまで塾で過ごし、帰宅してからも日付が変わるまで部屋に籠り、ひたぶるに勉強浸けの毎日を送った。せっかくツアーから戻ってきて自分が家にいるのに、ギターのセッションもできやしねえじゃねえかとぼやくリョウに、「僕は受験生なんだ。しばらくリョウの相手はできない。」と断固言い張り、ひたすら勉強に励むのである。もはや親子関係は立場上、逆転しているようなものである。リョウは拗ねようとして自分の年齢にはたと思い至り、慌ててそんな思いを引っ込める。でも時には引っ込みきれない時もある。

 「……あんな勉強ばっかりして、頭おかしくなっちまったんじゃねえのか。」リョウはリビングのソファに凭れ、心ここにあらずといったように暫くギターを爪弾いていたが、遂に隣で白の毛づくろいをしていたミリアにそう不満の声を漏らした。

 「え、そうなの? 勉強しすぎると頭おかしくなんの?」ミリアはブラシを上げ、頓狂な声を上げる。白が毛づくろいは終わったのか、と言わんばかりににゃん、と言ってソファから飛び降りた。

 「い、いや、いや、そうじゃあねえとは思うんだが……。あいつ、勉強しすぎじゃねえ?」

 「んんん、塾の先生は、リュウちゃんの行きたい高校目指してる子は、そんぐらい勉強して当然って言ってたわよう。」

 「そ、うなのか。」リョウは途方に暮れたように溜め息を漏らした。「リュウが行きてえ高校っつうのは、……あれか。頭いかれるぐれえ勉強する奴らが当然の如くに集まってくんのか。やべえな。あいつ、マジでそんな所行きてえのか? 騙されてんじゃねえのか。」

 ミリアはくすり、と笑う。

 「あんねえ、リュウちゃんが行きたい高校っていうのは、お勉強できる子ばっかり集まってはいるけど、勉強ばっかしする所じゃないの。おんもしろいの。だってね、制服もないし、髪の毛だって何だってよくって、リョウみたいにしてる子もいんだから。そんでいろーんな子があって、俳優目指してる子もいたり、政治家目指してる子もいたり、野球ばっかし頑張ってる子もいたり、色々なの。それにリュウちゃん、あすこの高校にしたら、ギターめいっぱい弾けるって。だから行きたいんだなんて、前ちらっと言ってたわよう。」

 リョウは瞠目して「リュウは将来、ギタリストになる気なんか!」とほとんど叫ぶように言った。

 「そりゃあ、まだわかんないわよ。でもね、リュウちゃんは将来のこと、色々考えてるの。頭がいいから、きっちーんと、考えてんの。だから親はその答えをじっと待ってれば、いいの。そんだけ。」

 リュウは視線を空に彷徨わせながら、二階から一向に響いてこないギターの音色を思った。

 「あいつが、ギタリストになったら、……いいだろうなあ。」

 リョウの脳裏には終えたばかりのライブの音が鳴り始める。――リュウの陽だまりに落とされたような優しい音。あれは磨けば絶対に唯一無二の武器となる。しかしそう伝えたことは、無論、まだなかった。それはリュウが自分を音楽家として認めていることを知っていたから。そしてそんな自分がリュウの音を激賞したならば、リュウは自分の思いに向き合うことをせずに、音楽の道を選んでしまう。そういう人間だ。だからリョウはリュウ自身にリュウの音を激賞することを、これでも一応、避けていたつもりなのである。

 「なあに? いい、って。」

 「いいはいいだよ。」リョウは微笑むと再びギターを爪弾き始めた。リュウが自分自身でギタリストとしての道を歩み始めているのかもしれない、と想像することはこの上なく幸福なことであった。だからリョウが抱えるミリアの父が遺したオールドギターは、リュウにも勝るとも劣らない柔らかな温かい音を響かせた。


 そしてリョウの国内ツアー出立の日が来た。ギターと機材は既に初日の仙台の会場へと送り込み、リョウは単身軽装で玄関先に立っていた。家の前には迎えの黒塗りのハイヤーが待機している。

 「じゃあ、行ってくるからな。何かあったらすぐ連絡寄越せよ。何せ今度は国内だからな。」ちょうど今、外を満たしている陽光の如き笑顔を向ける。

 「リョウ、さっきからそればっかし。」そう言ってミリアはくすくすと笑う。

 「だって国内だったら、近ぇし安心だろ? 陸続きの道続きの、ついでに新幹線続きなんだからよお。」

 その言葉の裏に、ミリアをいつも心配させて海外ツアーに出ているという自覚を感じ取り、リュウはほんの少し胸が温かくなるのを感じた。

 「じゃあ、すぐ帰って来るからいい子でな。リュウも勉強頑張れよ。」

 リョウはそう言って白を抱いているミリアを抱き寄せ、リュウを抱き寄せ、各々の背を叩いた。

 「じゃあな、行ってくる。」

 「いってらっしゃい。」ミリアはどこか寂し気な笑みを浮かべて言った。

 続けてリュウも、「いってらっしゃい。気を付けてね。」と眉根を寄せて言った。

 リョウは手を振ってにっと笑うと、ひらりと大きな背を向けて玄関を出て行った。そのままハイヤーに乗り込むと、あっという間に去っていく。


 「……行っちゃったね。」いつまでも微動だにしないミリアに、リュウはそう声を掛けた。返事のないのを不審に思い、ミリアを見ると、なんと泣いていた。

 「な、泣いてんのかよ!」

 ミリアは慌てて白を降ろして目元を拭う。

 「どうして? ヨーロッパ行きの時だって泣かなかったのに!」

 「違うの。何か、……よくわかんないんだけど、悲しくなっちまったの。リョウが遠くに行っちゃう気がして……。」

 「……何だよそれ。」リュウは溜め息交じりに言った。「今度は国内なんだからさ、今までより全然近いじゃん。」

 ミリアは自身を納得させようと、必死に何度も肯く。

 「たったの十日で帰って来るんだから、すぐだよ。」

 「そうね。たった十日だもんね。」ミリアは濡れた睫で微笑んだ。頬に伝った涙を陽光がキラキラと照らしていた。

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