10.酒入舌出
男性店主の後ろでは給仕の手によってバーカウンターの前に二人用の席が着々と準備されており、野次馬達も何事かと集まり出していた。
どうやら逃げたり誤魔化したりすることはもう出来ないらしい。
「さぁ、どうぞ決戦場へ」
「はいはい。分かりましたよー」
「……そういう決まりなら」
有無を言わさない雰囲気で招く店主に従い、ブレイトとリッキーは席を移った。
「ルールは簡単、互いが相手に飲ませたい酒を注文し、相手を先に潰すか吐かすか降参させるか! 手を出したら反則負けだ! さぁ、シナトラを巡っての冷たい戦いが始まるぞ!」
「だからシナトラじゃねぇっーの……」
店主の叫びに呼応するように周りは盛り上がり、片隅ではどちらが勝つか賭け事も始まっていた。
そんな中、1人取り残されたアルバートは不貞腐れたように頬杖をついていた。
「先手は僕からでいいかな?」
「どうぞ?」
「じゃあマスター、ロングアイランドアイスティーを」
リッキーの注文に周りがざわめく。その中には「大人気ねぇ」「こりゃあかなり本気だな」と言った声も混ざっていた。
初老のバーテンダーの素早い対応により、ブレイトの前に長いグラスに注がれたそれが置かれる。
ブレイトはグラスの中身の匂いを嗅いだ後、慎重に口をつけた。
「大丈夫かな? 女性でも飲みやすい物を選んだつもりだったんだけど」
「……大丈夫だ」
リッキーの頼んだ物は砂糖の甘みとレモンの酸味によって非常に飲みやすく調合されているが、かなりアルコール度数が高く「レディーキラー」の一つとして数えられる代物だった。
ブレイトの返答が強がりや痩せ我慢に見えたのか、リッキーは余裕そうに頬杖をついた。
詰まることなく飲み切ったブレイトは一息つくと背もたれに体を預けた。
「次は私の番だな。直接伝えてもいいのか?」
「ん? いいよ? ご店主、相手にお酒の名前を教えなくてもいいよね?」
「おう、相手に飲ます酒の名前を事前に知らせないのも戦略の一環だ」
「ありがとうございます」
会釈をしてから立ち上がったブレイトがバーテンダーの耳元に小声で話しかけると、冷静沈着が売りのはずのバーテンダーが意外そうな表情を浮かべる。
「ご用意、できますよ」
そしてニッコリと笑顔を浮かべて頷いたバーテンダーの反応にブレイトは口角を上げた。
「ほう……親父が顔色を変えたか」
その反応に店主はワクワクした様子で腕を組んだ。
「ところで、君は何のためにフランシスを雇おうと思ったんだい?」
「そなたが私の護衛を引き受けるというなら教えよう」
「ふふふ。その強がりもいつまで持つかな?」
リッキーは笑いながらバーテンダーから差し出された、ロングアイランドティーの物よりもはるかに小さいグラスを手にして、中の氷を回した。
そして黄色い液体に口をつけた途端、顔色を変えた。
一気に飲み干そうとしていたリッキーがほとんど飲まずにテーブルの上にグラスを戻したのを見た野次馬達が眉をひそめる中、リッキーは恐る恐るブレイトに話しかけた。
「ブレイトさん? これは、何かな?」
「こちらではあまり馴染みがない物だろうな。私の故郷では『アンカー』と呼ばれているカクテルだよ」
まるで悪戯が上手くいった後の悪ガキのようにニヤニヤと笑みを浮かべるブレイトに触発されたのか、意を決したようにリッキーは「アンカー」と呼ばれたカクテルを今度こそ一気に飲み干してから叫んだ。
「マスター、これと同じ物を!」
その宣言に野次馬達がざわめく。それは相手の注文した酒が自分の知っているどの酒よりも強いことを暗に示す行為だったからだ。
「なんだ、いきなり白旗か?」
残念そうに背もたれにもたれかかりながら首を傾げるブレイトの前にもアンカーが置かれる。
目の前のそれに対し、ブレイトはリッキーとは違い一息に空けようとせず、ちびちびと少しずつ慎重に流し込むように飲み始めた。
「いやいやまだまだ……こんな代物、どこで知ったんだい?」
「故郷の酒場で、船乗り達が飲み比べで使っていたんだ。マスター、もう一杯」
再びリッキーの前にアンカーが置かれる。リッキーもブレイトに倣ってチビチビと飲み始めた。
「こいつを作ったのは本職じゃない、ズブの素人達だ。飲み比べを一瞬で終わらせるためにアルコール度数の高い酒を適当に混ぜて試して」
「マスター、次を!」
空になったグラスを乱雑に叩きつけてリッキーが叫ぶ。しかしその顔色は明らかに変わり始めていた。
「その中でも味が良くて、生き残った物がそれだ。だがあまりの内容だから間違ってもこんな長いグラスでは出せない。もしこの量を飲まされたら二日酔いなんかじゃ済まないだろうな。マスター、お願い」
自分が一杯目に飲んだカクテルのグラスを指で弾き、軽口を叩きながらブレイトは二杯目のアンカーを飲み切る。
そして軽口に答える余裕が無くなったリッキーの目の前に三杯目のアンカーが置かれる。
野次馬が心配そうにどよめく中、リッキーはひたすらにブレイトを睨みつけながら何とか飲みきった。
「マスター、次……」
しかしもう限界が近いのだろう。リッキーの注文の声は弱々しくなっていた。
その様を見たブレイトは手の甲を頰に当て、見下すようにリッキーに微笑んだ。
「相手を確実に沈める錨、最後の切り札、だからアンカーだ。アンテロープ第十騎士団団長リッキー・ライムソーダ殿」
そう勝ち誇ったように言い切ったブレイトが三杯目のアンカーを一息に飲み干すとほぼ同時にリッキーはテーブルの上に突っ伏した。
ブレイトはこうなることが分かっていたかのように、落ち着いた様子でリッキーの腕を取り、脈を取った。
「……自信満々だった割に弱かったな。私を酔わせたいならあと三杯は飲めるようになってから挑みかかってくるんだな。マスター、私用にもう一杯もらえるかな?」
異常がないことを確認してつまらなさそうに鼻で笑いながら腕をぽんと放り投げると周りから歓声と悲鳴があがった。
カウンターから新しいグラスと共に出てきたバーテンダーが微笑しながら、つまらなそうに鼻を鳴らすブレイトにアビレオ語で話しかけた。
「これを女性から注文されるなんて思ってもみませんでしたよ」
「人を見かけで判断してはならない、いい教訓になっただろうよ。……しかしよく知っていたな、アンカーのレシピなんて」
「以前、決着をつけたいからこういうレシピで作ってくれ、と教えられまして。その時はこんなカクテルがあっていいものか、と面食らったものですが」
昔を思い返しているのだろう、バーテンダーが目を細める。
「そのお客様は旧交を温めようと久し振りにお会いしたようでしたが、些細なことから言い争いになってしまって。滅多に会えない分、引けなくなってしまったのでしょう」
「ちなみにその結果は?」
ブレイトが小声で囁くと、バーテンダーが人差し指でバッテンを作って答えた。
「お互い一杯飲み干したところで引き分けでした」
「そんな簡単にぶっ倒れるなら普通の強い酒でやれ、と言いたいな」
未だに起きる気配すら見せないリッキーを横目にブレイトは笑った。
「うん……やっぱり美味しい。流石はプロとアマの差だ」
「お客様がお飲みになっていたのは、どのようなもので?」
「それはもう、口から火を噴きかねない代物ばかりだよ。……比べてこれは品が良い。普通に店で並んでても怒られないレベルじゃないか?」
「それはいくらなんでも。普通のお客様には到底お出しできません」
ブレイトは笑顔の給仕から無言で差し出された領収書を一瞥するとバーテンダーに向かって銅貨を十枚押し寄せた。
「懐かしい気分になれたよ、ご馳走さま」
そして勝者の報酬へ向き直る。
しかしその姿はいつのまにか消えていた。




