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ティベリウス・ネロの虜囚  作者: 東道安利
第一章 ティベリウス・ネロ
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第一章 ‐4

 


 4 



 父ティベリウス・クラウディウス・ネロは、キンナとガルボーが執政官の年(前八五年)に生まれた。

 二十七歳の時、神君カエサルによるガリア遠征に参戦する。

 三年後、ローマに戻る。父親――ティベリウスの祖父が亡くなり、新家父長になったためである。

 父はなによりクリエンテスの保護に力を注いだというが、クリエンテスからの後援を頼んでの選挙活動は、あまりはかどらなかったようである。父は三十歳を過ぎていたが、財務官にならなかった。元老院議員になるために、名門出の男ならば、当然当選しているべき職である。だがそれはクリエンテスに憎まれていたからではなく、性格的に派手な選挙活動ができなかったためだろう。人気取りも、宣伝行為も、後援者に頭を下げてまわることもできなかったのだろう。父に限らず、これはクラウディウス一門の人間に共通する性質だった。

 三十代も半ばになったころ、父は家の跡継ぎのことを考え出したようである。それまでは一度も妻を迎えたことがなかった。

 そこで、アジアへ赴いた。その地方のクリエンテスたちをまわって歩きつつ、当時のキリキア属州総督キケロと会見した。

 キケロは、現在に至るまでローマ雄弁家の最高位を譲らずにいる。比類なき教養の持ち主であり、その才能でもって、祖先に元老院議員を出していない新人の身でありながら、執政官にまで登りつめた。そのうえ議員名簿の筆頭に名が載る、ローマ市民の「第一人者」にまでなっていた。

 父は、このキケロの娘トゥッリアを妻に望んでいたのである。

 ティベリウスはこのことを、キケロの書簡集から知った。若き日の父は、クリエンテスらの不動の保護者であろうとする意欲むき出しだった。

「危なかったな、ティベリウス」

 横から書簡集をのぞき込んで、ユバが声をかけてきた。十七歳になる彼は、そのときティベリウスの調べものを手伝ってくれていた。いくら大人びていようと、八歳では大人の文章を読みこなすにてこずる。

「その結婚が成立していたら、君は生まれてこないところだったよ」

 ティベリウスはなんと答えてよいかわからなかった。

 ユバの言うとおり、父ネロとトゥッリアが結婚していれば、おそらくは同じティベリウス・ネロという名のまったく別の人間が生まれていたことだろう。そしてそのティベリウスは、オクタヴィアヌスの継子になることも、こうしてカエサル家の書斎で本を漁ることもなかっただろう。

「いや」ところがユバは、自分の見解を思い直した。「トゥッリアはたしかその五年後、出産が因で亡くなった。そのあとすぐにお父上が再婚していれば、君はちゃんと生まれてきたかもね」

 ティベリウスはこれにも返答しなかった。

 結局、父とトゥッリアの結婚は不成立に終わった。

 キケロは父を未来の婿と疑っていなかったようだ。その責任感に胸を打たれ、「高貴な家柄にふさわしい、才能あふれる謙虚な若者」と賛辞を惜しまなかった。ところが父がローマに帰ると、すでにトゥッリアは別の男と婚約を済ませていたのである。キケロの妻が、わざわざ東方まで出向いた礼儀正しい男のことなど知らずに執り持ったらしかった。

 父には次の嫁候補を探す暇などなかった。その年、国家は決定的局面を迎えていたのである。

 神君カエサルがルビコン川を越えた。そして長きにわたるローマの内戦が始まった。

 父が合流したのは、神君カエサルの軍だった。保守派元老院の代表、貴族政治の中核、共和政ローマの守護者の家系に生まれながら、反元老院側に立ったのである。

 なぜなのか、ティベリウスは考える。

 かつて義理の親子の縁を結びかけたキケロは、元老院側にいた。そこには彼の言う「良き人々」がいたからである。元老院議席から国を統治し、古き伝統を継いでいく名門の男たち。キケロの愛した共和政ローマは、彼らとともにあった。

 父はキケロと行動をともにしなかった。「良き人々」の一員と見なされていたに違いないのに。

 神君カエサルの指導力に魅せられたのか。アントニウスら、多くの同世代の若者たちと同様に。

 あるいはそれより前に、元老院に失望を感じていたのだろうか。父は三十代半ばになっても政務官に当選していなかった。内心あせっていたのではないか。元老院派の人々と上手くいっていなかったのかもしれない。

 一方、神君カエサルは、父に財務官の地位を与えて軍勢を任せたのだった。

 それでも父はローマの貴族である。共和政体の故国に対する誇りは、元老院新人のキケロ以上だったはずだ。

 カトーという、元老院派の指導者は、この内乱を「ローマの国家体制かけた戦い」と言った。つまり旧来の共和政体を守るか、神君カエサルが実現させんとする新しい体制を取るかの、二者択一である。それならばクラウディウス一門の男は、長年中核を担ってきたと自負する共和政体を死守せんと考えて当然だろう。

 いや、あとの父の行動を見るに、父にはその二者択一のつもりなどなかったのかもしれない。父や、その他多くの者にとっても、「ローマの政体をかけた戦い」ではなく、ただ「より良きローマを実現する戦い」だったのかもしれない。

 神君カエサルは、ファルサロスの戦いで、ポンペイウス率いる元老院派に大勝した。

 ティベリウスは父に尋ねたことがあった。父上もファルサロスの戦いに参戦されたのですか、と。

 父ネロは「ああ、行った」とだけ答えた。それ以上の質問を許す気色ではなかった。

 ティベリウスは父の口から話を聞きたかった。父が見た戦闘の一部始終、父の果たした役目、神君カエサルの並外れた人望と采配、とにかくあらゆることを。

 だが父にしてみれば、ファルサロスの戦いはもちろん、この内戦自体が苦々しいものだったに違いない。かつての友も、同僚も、家族でさえも敵味方に引き裂かれる殺し合いだった。ましてそれは、今後の国家のあり方を決めた、運命の戦いだった。おそらく父も、後になってからはなおのこと、やりきれない思いにとらわれたのだろう。

 父はその後、エジプトへ行った。そこで神君カエサルが、女王クレオパトラを傍らに、王位継承争いに巻き込まれていたのである。アレクサンドリア戦役――そう呼ぶには大げさだったかもしれないが、それでもわずかな手勢しかいなかった神君カエサルは、火矢の雨降る海を泳ぐなど、何度も危機的状況に見舞われた。

 そこへ、財務官クラウディウス・ネロの援軍が駆けつけたのだった。

「父上は神君カエサルを救うために、エジプトへ行かれたのですか」

 前回よりも懸命に興奮を抑えながら、ティベリウスは尋ねていた。

 父はまた「ああ、行った」とそっけなく答えた。しかし、今度はもう少し言葉を続けてくれた。

「網の目のようなナイル支流を縫って走り、敵を追い込んだ。ひと月もしないうちに決着がついた。相変わらず、あの男の指揮は、見事と言うほかなかった」

 父は神君カエサルを「あの男」と呼んだ。

 ローマに帰った父は、神君カエサルの華々しい凱旋式に参列した。その後は大神祇官に就任し、ガリアで植民地建設を指揮した。ファルサロスやエジプトでの功績を、神君カエサルに認められてのことだったのだろう。

 しかしその上官が暗殺されたとき、父は元老院でこう発言した。

「暴君殺しには褒美すら与えるべきである」





 ティベリウスは父の寝室の前まで来た。扉の向こうは静まり返り、物音一つしない。

 声をかけようとしてふと思い止まり、ティベリウスは傍らの執事を見上げた。

「ユルス・アントニウスは家に来ていたのか?」

 小声で尋ねる。

「ユルス・アントニウス様ですか?」

 プロレウスは目をしばたたいた。

「マルクス・アントニウス様のご次男の? いえ、こちらにはいらしておりませんが」

 するとユルスは家に入ったわけではない。家の者に声をかけてもいない。

 いったいなにをしていたのだろう。自分に用があるなら、今日はフラミニア競技場にいるとわかっているはずだし、そもそも逃げるように立ち去ったりしないと思うのだが。

 しかし、とにかく今は重篤の父である。

「父上、ティベリウスです」

 これは形式上の挨拶だった。父は返事もできないほど具合が悪いに違いないと思っていた。ところが――

「そこで待て」

 かすれた声が返ってきた。ティベリウスは目を見開いた。

 扉が開く。

 中にいた寝室係の奴隷が、脇によける。

 父は、寝台の上で上体を起こしていた。

 重く翳った眼が、じっと息子を見つめる。

 ティベリウスはごくりと唾を呑んだ。

 会いたい――父はそう言ってくれたという。

 ぼくがもっと大人だったら、父上は話してくださったのだろうか。そう思った。





「暴君殺しには褒美すら与えるべきである」

 父はそう発言した。

 そしてオクタヴィアヌスには、武器を手に反抗したのだ。

 ティベリウスは一歳の誕生日を、包囲された街の中で迎えた。

「酷いものでしたよ」

 ネロ家の奴隷トオンが話した。

「蓄えが底をつくと、我々奴隷がまず犠牲になりました。食物はいただけず、辺りの草を食ってしのいだんですが、それさえもすぐ見当たらなくなりました。私も、死んでいく仲間を何人見たことか…。あいつらはうめき声を上げる力さえ無く、どす黒い顔をしてました。それでも旦那様は私どもにできるかぎり配慮してくださいましたが、先代の執事は自ら進んで食を絶って、最後は自害されました。死んだ者は火葬もされず、土に埋められました。敵にこの状況を悟られないためです。同じ理由から、逃亡を企てようものなら即死刑で、少しでもその疑いのある者は監禁され、放っておかれました。坊ちゃまのためにお乳が出なくなっては大変と、乳母にだけはなんとか食事が与えられたんですが、不穏な空気を感じ取られたんでしょうか、坊ちゃまは毎日火のついたように泣いておられました」

 アントニウスの妻と弟が挙兵した。父は、その二人に合流する形で、反オクタヴィアヌスに立ったのだった。しかしアグリッパの包囲に追いつめられ、結局敗北した。だがそれでも父は投降を拒み、一家は捨て身の脱出を決行した。

「皆決死の覚悟でしたよ」

 トオンは語った。

「お供したのは家の者だけでした。旦那様は奥様をご自分の馬に乗せ、包囲網を駆け抜けました。坊ちゃまは奥様の背中でした。それが、坊ちゃまが泣き声をお上げにならない、唯一の方法だったんです。敵に気づかれたら終わりでした。幸いなことに、カエサルは我々の少し前に脱出したアントニウス殿の奥方に遠慮なさったご様子で、すぐには追ってきませんでした」

 ティベリウスは無言で聞いていた。

 ネロ一家は南へ逃げた。だがオクタヴィアヌスに容赦なく追撃され、行く手にはもう海しかなくなった。すぐ背後まで敵の剣が迫り、一家は必死で浜辺へと駆けた。夜の森に、敵のたいまつが不気味に揺れていたという。ティベリウスがしゃくり上げるのを聞きつけたのか、その火の玉は数を増して近づいてきた。

 捕まれば命はなかった。すでにあの街でなにが起こったのか、ティベリウス以外の全員が知っていた。オクタヴィアヌスはアントニウスの弟の命は助けたが、彼に手を貸した多くの貴族や騎士を処刑していた。ペルージアの街は炎に包まれ、跡形もなく灰になった。ネロ家を待ち受ける運命も同じに違いなかった。

 浜辺に着くと、父ネロは妻子を先に船に乗せた。粗末な小船しか用意できなかったという。それから奴隷が、母リヴィアに荷物を減らすよう言って、ティベリウスを腕から取り上げた。

 その途端だった。ティベリウスが天へ突きぬけるほどの大声で泣き叫んだという。

 一家は慌てた。たいまつに映える剣のぎらつきが、もう眼前に見えていた。父ネロは鋭いささやき声で息子を怒鳴りつけながら、船をナポリ湾に押し出した。母リヴィアは胸に息子の顔を埋め、目に涙を浮かべて夫の手を離した。

 船は暗黒の地中海に乗り出した。父ネロの船もまもなくあとを追った。

 数年後、人々は語る。剣を振りかざして追いかけた相手が、まさか自分の未来の妻だったとは、オクタヴィアヌスも夢にも思わなかったに違いない、と。

「ネロ家はカエサルに根絶やしにされるところでした」

 そう言ったトオンを、ティベリウスは思わず射殺さんばかりの目でにらみつけてしまった。

 否定したかった。だができなかった。そうする資格もないと思った。

 ペルージアからネロ家と運命をともにしてきた奴隷たちには、今でもカエサル家に内心反感を抱いている者が多い。彼らが耐えた悲惨と恐怖を思えば、当然のことだ。

 だが父はどうなのだ。それに、母は。

 父が武器を取った理由は、土地問題だった。少なくともティベリウスの周りの大人たちは、そう説明した。メッサラやアグリッパも、ティベリウスをなぐさめるような口調でそう教えた。

 フィリッピの戦いの後、オクタヴィアヌスが退役兵たちに土地を配分したとき、ネロ家のクリエンテスたちが不利益を被った。とくにカンパーニアの農民たちは、土地を没収されて生活のすべを失った。パトローネスとして、ネロは彼らのために立ち上がった。

 ローマ男らしい、立派な行動だ――メッサラはそう話した。もちろんカエサルにしても、土地の没収はやむを得ず行ったことで、二人が一時的に敵となってしまったのは、まこと不幸な出来事だったよ、と。

 つまり、メッサラたちはこう言いたいのだ。父ネロは反カエサルに立ったわけではない。ローマの伝統に忠実に、クリエンテスの保護に努めただけである。

 ティベリウスはそれを信じたかった。だが果たしてそれが真実なのだろうか。

 いずれにしろ、ネロ一家がオクタヴィアヌスに殺されかけたことに変わりはない。

 本土を脱出したネロ一家は、ギリシアのアテネに至るまで、長い逃亡生活を送ることになった。

 都市国家スパルタは、クラウディウス一門のクリエンテスだった。一家はそこを目指した。父は、未だあきらめずにオクタヴィアヌスに対抗する手段を探していた。

 険しい山並みの土地だった。一家はときに山肌を登り、ときに山間を縫って進んだ。トオンたち奴隷によると、遭難しないか、あるいは山賊に襲われはしないかと、戦々恐々とした旅路だったという。しかし父ネロも母リヴィアも、弱音一つ吐かなかったと。亡命の憂き目を見た自己憐憫も口にせず、毅然と奴隷たちを励ましたと。

 ようやくスパルタに到着すると、父ネロは息子ティベリウスを市当局に預け、連日クリエンテスたちを訪ねてまわった。母リヴィアもそれに同行した。残されたティベリウスは、毎日心細げに両親を待っていたという。

 しかし、結局父の思うようにはいかなかったらしい。このあたりの事情は、奴隷たちも口を濁す。敗者である身の上を敬遠されたのか、父の誇り高い性格が災いしたのか。 

 ともかく一家は、安全であるはずのスパルタからも離れることになった。再び岩の多い山地を、身構えながら進む。目指すは北のコリント、そしてアテネだった。これまでよりもさらに長く、厳しい旅路になった。

 ある夜、一家は生命の危機に見舞われた。旅を急ぎ、黒々とした重苦しい空の下、ひっそり森を進んでいると、ふいにあちこちから火の手が上がった。瞬く間に森は火の海と化した。炎は供の者たちを次々と呑み込み、ついには母リヴィアに迫った。

 母の腕の中にはティベリウスがいた。炎が母子をくるんだマントをなぶった。

 その災厄を、ティベリウスは覚えていない。ただ、ときどき夢を見る。

 黒い、巨大な怪物がゆれる。それは森の影なのか、押しつぶし、呑み込まんとして、頭上から覆いかかってくる。そこに点々と灯る火の玉。それらはしだいに数が増え、大きくなり、やがて縦横無尽に走る。のしかかる黒と燃えさかる赤で、視界はいっぱいになる。

 耳をつんざく悲鳴。その主は母なのか。息がつまる感覚。悲鳴は続き、それをあざ笑うかのように赤は勢いを増す。頬を傾けると、火にまとわりつかれた母の顔。叫び狂いながら、それは燃えて、膨らみ、破裂する。声なき絶叫。今や視界は赤一色になる。一縷の望みをかけて天上を仰ぐが、どこまでも伸びる火の壁しかない。皮膚をなぶる熱風。眼窩に降り注ぐ火の粉。天を貫く火柱は、音もなく轟々と押し寄せてくる。

 息ができない。

 熱い――。

 炎を裂いて、父が現れる。その形相はさながら冥界の悪鬼。しきりになにかを叫び、火勢にあおられながら、左手を伸ばして近づいてくる。骨ばった指がわななき、見る見る煤け、崩れながら視界を黒く覆うと、安堵ではなくいっそうの恐怖が、ティベリウスを捕らえる。

 絶叫。

 すべてが闇に閉ざされ、夢はそこで終わった。

 実際には、炎は母リヴィアの髪を少し焼いたところで消し止められたという。トオンが駆けつけると、父は自らのマントでしきりに妻を叩き、火と格闘していた。母はティベリウスをしっかと胸に抱いてうずくまっていた。

 母もティベリウスも無傷で済んだ。父はプロレウスに指摘されるまで、自らのやけどに気づかなかったという。幸い軽傷で、一家はプロレウスに先導され、火の海から脱出した。

 火災の原因はなんだったのか。火の不始末か、山賊による襲撃か。奴隷たちは、ユピテルの槍の残光――雷火ではないかと言い合った。

 そうした困難な旅路を経て、一家はとうとう無事アテネにたどりついた。ここを拠点として東方を統治する、アントニウスを頼ったのである。そもそもの挙兵が、彼の弟と妻に呼応してのことだったから、当然の流れではあった。もっとも当の男は、エジプト女王の腕の中にいて不在だったのだが。

 トオンによると、このころティベリウスはすっかり「お利口な子ども」になっていたという。まだ二歳の誕生日も迎えていなかったのだが、泣くことも笑うこともめったになくなっていたらしい。ネロ家の行く末のことで頭がいっぱいだった両親は、手のかからなくなった息子に喜んでいた。しかし乳母をはじめ、奴隷たちは日に日に心配をつのらせていたという。

 そんなティベリウスを、よく面倒見た少年がいた。アントニウスの長男マルクスである。五歳になるこの子どもは、ギリシアに来てからはアンテュルスという通称で呼ばれていた。彼は実の弟ユルスと分け隔てなく、ティベリウスを可愛がったという。

「ぼくの二人目の弟だよ」

 気概もたっぷりにそう話すアンテュルスに、トオンたちは一度ならず目を細めたという。

 ペルージアに籠城していたころから、アンテュルスは二人の弟の保護者であろうとがんばっていた。不穏を極める空気の中、不安定になりがちな赤子二人を懸命に励ました。いつも陽気に笑いかけ、一緒に遊んだ。アテネに来てからも、二人の手を引いて歩くアンテュルスを見ない日はなかったという。

 ティベリウスは、その当時のことを覚えていない。

 アンテュルスとは、アントニウスとユリウス、両氏の血の繋がりを意識したような名前だった。はじめにその名で呼んだのは、アントニウスを支持するギリシア人だったのだろうが、次男の名ユルスもそうであるように、アントニウスもまた主張しているかのようだった。自分とその息子たちも神君カエサルの親族であり、後継者たる正当性があると。

 そんな日々がしばらく続いた夏、アントニウスがついにアテネに現れた。だが久しぶりに妻子と再会したものの、彼は苦々しい思いを隠せなかったらしい。一敗地にまみれた妻を口ではなぐさめつつ、彼女のいないところでは苛立たしげに頭をかきむしっていたという。

 こんなはずではなかった、と。

 フィリッピで勝利して後、アントニウスは東方を、オクタヴィアヌスは西方の統治を担当すると決め、分かれていた。フルヴィアは、夫が留守の西方をオクタヴィアヌスの思いどおりにさせまいと、挙兵したように思われた。

 あるいは、自分を西方に残し、東方の女王を抱いて離そうとしない夫の気を引きたかったのか。

 結局アントニウスは、オクタヴィアヌスへ弁解するため、本国ローマへ向かった。しかしそこへ、妻フルヴィアの死の知らせが届く。病死だったという。源は、オクタヴィアヌスへの憎しみか、ペルージア蜂起の罪をなすりつけた夫への怒りだったのか。

 アントニウスは、オクタヴィアヌスの姉オクタヴィアを妻にすることで、和平を結んだ。彼女は夫マルケルスを亡くしたばかりだった。

 オクタヴィアは理想のローマ婦人を体現する人と言われていた。美貌の持ち主で、賢く、それでいて出しゃばらない。そしてアントニウスとフルヴィアの息子二人も、我が子三人と分け隔てなく養育した。さらには早くもアントニウスとの子どもを懐妊し、元気な女児を出産した。気が強く奔放な女ばかり増えつつあるのに、オクタヴィアは「女の驚異」である。人々はそう言い合った。

 そんなすばらしい妻の影響を受けてか、アントニウスもまるで別人のように誠実な夫となった。エジプト女王のことなど忘れたかのようで、持ち前の放蕩さえ鳴りをひそめる。

 カエリウス丘の邸宅で暮らすアントニウス一家は、人々の目に絵に描いたような理想の家庭と映った。

 一方、姉と弟オクタヴィアヌスの仲の良さも、ローマでは評判だった。古くからの従者によると、幼いころから姉を慕ってやまなかったオクタヴィアヌスは、彼女が先夫マルケルスに嫁ぐ折にはひどく悲しみ、いつまでもそばを離れようとしなかったという。二度目の結婚のあとも、アントニウスとの仲睦まじさを見ては、やっかみ半分に冷やかしたそうだ。

「姉上、そろそろ私にも新しいトゥニカを編んでくれませんか。なにしろこの弟は、あなたの愛する夫の百倍は風邪をひきやすいのだし、あたたかい家庭とも縁遠いのですから」

 しかしその年、オクタヴィアヌスは恋に落ちる。

 出会いは初夏だった。





 あれほどに抱いた敵意を、いかにして沈めたのだろう。

 ネロ一家の帰国を、アントニウスが取り計らったらしい。彼は一家を首都の外まで迎えに来たという。

 だから彼が、オクタヴィアヌスにネロ一家を紹介したのだった。

 友人たちは口をそろえた。アグリッパでさえ言った。あんなカエサルは見たことがない、と。

 聞くところによると、オクタヴィアヌスはアントニウスの紹介口上など耳から耳へ筒抜け、父と握手を交わすあいだもまったくうわの空、ただひたすらリヴィアに見とれていたという。もちろん、隠れるように母の衣服の裾をつかんでいたらしいティベリウスの存在にも気づかなかっただろう。らしいというのは、オクタヴィアヌスとは別の理由で、ティベリウスも色々と覚えていないからなのだが。

 以来、友人たちがなにを言っても無駄だった。「あの人は人妻だ」「それも元敵の」「おまけに子持ちだ」「君を仇だと思ってるんだ」などと教え諭されても、聞く耳を持たなかった。

 しまいには、シチリア沖でセクトゥス・ポンペイウスに負かされたのはリヴィアへの恋煩いのせいだ、などと揶揄されるようになった。

 このとき、オクタヴィアヌスは離婚したばかりだった。元妻スクリボニアはオクタヴィアヌスの娘ユリアを出産したのだが、初恋に夢中な元夫は、この時点では我が子を顧みようともしなかった。

 母リヴィアがドルーススを懐妊しても、情熱はまったく衰えなかった。オクタヴィアヌスはネロ家との交流の場を作ろうと苦心したという。父ネロはどういう心境だったのか、ネロ家とカエサル家はしきりに晩餐に招き合うようになった。

 ある日、ネロ家の乳母は不思議な声を聞いた。女主人リヴィアも一緒だった。二人は顔を見合わせて、中庭に出た。

 声の主は幼いネロだった。ティベリウスが笑い声を上げていた。もう何ヶ月もそれを聞いていなかったので、母親ですらも忘れかけていた。

 ティベリウスはいそいそとボールを追いかけていた。両腕いっぱいに抱え上げると、肩を引き振りかぶって投げた。腕を伸ばしてそれをすくい取ったのは、オクタヴィアヌスだった。

 リヴィアに気づくと、オクタヴィアヌスは照れ臭そうに詫びた。ご主人に晩餐に招待されたのだが、早く来すぎてしまった、と。それから飛び跳ねながら次を待ちかねるティベリウスに、そっとボールを放った。ティベリウスはそれを指ではじいて取り損なった。背後に転がるボールをうれしそうに追いかけ、まともに転んだ。

 一瞬の沈黙のあと、ティベリウスはむくっと起き上がった。花壇にひっかかったボールにとことこと追いついた。拾い上げると、また顔を輝かせてオクタヴィアヌスのほうへ駆けてきた。

「自慢のご子息でしょう」

 オクタヴィアヌスはリヴィアに言った。

「我慢強くて、根気がある。それにとても賢い。私が教えた投げ方をすぐに覚えたのですよ。さあ、おいで、ティベリウス」

 オクタヴィアヌスが手招きすると、ティベリウスは素直に寄ってきた。その土で汚れた顔を、オクタヴィアヌスはトーガの裾でぬぐった。あなたにそっくり、と微笑み、膝や服の汚れも払った。

「これ以上汚しては、お母上に申し訳ないね。では、晩餐の時間までは積み木をして遊ぼうか」

 残念ながら、ティベリウスはそのときのことをよく覚えていない。ただ、あたたかな気持ちだけがなんとなく残っている。

 その後の、身を切られるような悲しみも。

 熱心な求愛が、ついに母リヴィアの心を揺さぶったらしい。だがたとえ相思相愛になろうと、母は人妻だった。オクタヴィアヌスは父ネロに直談判した。

 男二人はどのようなやり取りを交わしたのだろう。結果、父ネロは妻をオクタヴィアヌスに譲ることに同意したのだった。

 年明け(前三八年)、一月十七日、オクタヴィアヌスとリヴィアの結婚式が行われた。自邸にて、式を取り仕切ったのは、元夫だった。まるで娘を送り出す父親のように、父はリヴィアを送り出したのだった。

 一連の心境を、父ネロは一切語らなかった。ネロ家の奴隷たちでさえ、主人からなにがしかの感情も読み取ることはできなかった。父ネロは終始淡々と、飄々としてすら見えたという。

 しかし推察した者は多かった。中には、ネロ夫妻は勝利者オクタヴィアヌスに無理矢理離婚させられたと考えた者もいた。

 ティベリウスはそれが当たっていないことを知っている。半分は、だが。母リヴィアはオクタヴィアヌスととても仲睦まじい。それでも再婚当初は胸中複雑だったのかもしれないが、今の母にとっていちばんの誇りは、オクタヴィアヌスの妻であることだ。それは見ていてわかる。迷いはない。カエサル家を切り盛りし、オクタヴィアヌスを支えることにこそ、母は精魂のすべてを注いでいる。

 だがその母も、父ネロを思っていなかったわけではない。ティベリウスを懐妊した際、母は父のために男児が生まれるようにと祈りを欠かさなかったという。さらに古くからの占いを頼り、何日も手ずから鶏の卵を温めた。ついに雛をかえしたときは、侍女たちと抱き合って喜んだという。男児を授かる前兆だった。

 では、父はどうだったのだろう。

 結婚式当時、すでに家族を連れてアテネに戻っていたアントニウスは、手紙にこう書いたという。

「あの小僧は執政官級の人の女房を、その男が見ている前で寝室に連れ込み、髪を乱し耳朶を赤くしたまま、宴席に戻ってきた」

 周囲の見方も、これと大差なかった。

 このごろ、ティベリウスは悶々と考え込むようになった。

 父ネロは、なぜ離婚に同意したのか。

 かつてカトーという元老院議員がいた。彼は友人のホルテンシウスが求めた時、あっさりと我が妻を譲り与えた。そしてホルテンシウスが死去すると、その元妻と再婚した。国家を導く者にとっては、結婚も離婚もその程度のものだというように。

 父にとっての妻も、そのような存在だったのか。

 だが、リヴィアは四十歳を過ぎてようやく見つけたふさわしい妻ではなかったのか。ペルージア戦役以来、片時も離さずに連れ歩いた。子どもも授かり、二人目がまもなく生まれるところだった。夫婦は、ずっと苦楽をともにしてきたはずではなかったのか。

 父ネロは、オクタヴィアヌスに強いられて離婚したのか。

 二人は敵対していた。そして、父ネロは敗北した。その後、オクタヴィアヌスに許されて帰国した。メッサラたちがどう弁護しようと、その事実は変わらない。

 父はオクタヴィアヌスの要求を断ることができなかったのだろうか。人々が言うように、やむなく愛する妻を手放したのか。

 ほとんど息子二人もろとも。

 結婚式の終わりに、父は息子に告げた。お前も今日で母と別れるのである、と。女は通例、再婚先に子どもを連れていかないのだ。

 目の前が真っ暗になる感覚を、ティベリウスは覚えている。

 結婚式の意味など、当時のティベリウスはわからなかった。ただ今日はやけに家に人が多くて、母とカエサルが楽しそうにしている。そのくらいしか考えていなかった。

 それが突然、谷底に突き落された。声も出ず、涙も流れなかった。ただなにも映らない目を開けて、立ちつくしていた。

 暗闇の中、意味もわからず求めたものは、死だったかもしれない。

 奴隷たちだけでなく式の参列者も、そのときのティベリウスを直視できなかったという。

 オクタヴィアヌスの言葉がなければ、ティベリウスはどうなっていたかわからない。

「ネロ殿、お許しいただけるなら、しばらくこの子を預からせてもらえないだろうか」

 父は新郎を凝視した。周りの者たちは一様に驚きの声を上げたという。

「無論、あなたから嫡男を奪うつもりはない」

 オクタヴィアヌスはすぐに言った。

「ただ、このままではあまりにこの子がかわいそうだ。この子はこれまでも、我々の不幸な行き違いのために辛い思いをしてきた。その苦難に立派に耐えて、やっと落ち着いた暮らしができるはずだったのに、ここで母と別れるとなっては、心に取り返しのつかない傷を負ってもおかしくはない」

 オクタヴィアヌスはしゃがみ込み、茫然としているティベリウスに目線を合わせた。そしてやさしく頭をなでた。

「それに、私にはこの子の気持ちがよくわかる。私は五歳で父を亡くした。以来、姉と毎日不安におびえていたものだ。再婚相手が決まれば、母は私たちのそばからいなくなってしまうと。幸い、継父のフィリップスは我々二人とも引き取ってくださり、おかげで心穏やかな子ども時代を過ごせた」

 オクタヴィアヌスは父ネロを見上げた。

「私たちの家は近い。でもこの子がいつでも母に会えるのだと安心するまでは、そばに置いてやりたいのです。いかがか」

 一呼吸おいて、父ネロは同意したという。

 オクタヴィアヌスは手を差し伸べた。

「おいで、ティベリウス」

 そして片腕にティベリウスを抱き、もう片方の手で新妻リヴィアの手を取り、パラティーノの丘を下りていったという。

 以上が、ネロ家の離婚と、カエサル家の結婚の顛末だった。

 それから五年が過ぎた。

 幼年期、ティベリウスはほとんどをカエサル家で過ごした。弟ドルーススが一緒だった。落ち着いてからは、母の勧めもあってネロ家とカエサル家を行き来する生活をした。午前は母による初等教育を受け、午後は家や公園で友人たちと遊び、それからネロ家に顔を出した。夕食はその日によってどちらかの家でとった。

 八歳になると家庭教師による教育と、体育場での訓練が始まった。それでも朝はカエサル家で目をさまし、ただちにネロ家に向かって家庭教師の授業を受け、午後には体育場で友人たちと訓練に精を出し、夕暮れ時にはドルーススをかまいながらどちらかの家で夕食を待つ、そんな日々を続けた。そのころにはカエサル家もパラティーノの丘に引っ越していたので、行き来は角を二、三曲がるだけで済んだ。

 もっとも、このごろは例の件による葛藤から、家庭教師をカエサル家に呼んでもらうようになっていたが。

 この五年間、父ネロは政治の舞台から退いたような生活をしていた。

 順調にいけば、執政官になっているはずだった。父にはアントニウスばかりでなく、今ではオクタヴィアヌスとのつながりもできていた。望めば、ローマ最高の政務官職に手が届いただろう。

 ところが、父は執政官になることはなかった。立候補すらしなかったという。

 元老院も、このごろは体調不良を理由に欠席し続けるようになった。公的活動は、家でのクリエンテス応対がせいぜいで、友人や議員仲間による私的な訪問ですら、断ることが増えていた。先にティベリウスの前でやってみせたように。

 父ネロの生活は、引退者というより隠遁者のそれだった。

 そんな父の姿は、ティベリウスの心を重くした。

「お父上はお体の具合が悪いんだよ、ティベリウス」

 ふさぎ込んでいるティベリウスを、ユバがなぐさめた。

「君や周りを拒んでいるわけじゃない。回復するまでは、無理ができないだけだ」

「どうかな」

 そう言ったのは、雄弁家キケロの息子マルクスだった。彼はメッサラの学友であり、今はオクタヴィアヌスの友人でもある。そして、その教養と温厚な人柄に魅かれたのだろう、ユバとも親しく付き合っていた。

 彼だけは、はっきりと言った。

「ネロ殿はローマに絶望したのだ。私の父と同じように。今や古き良きローマは滅んでしまって、どうしようもないのだから」

 絶句するティベリウスとユバに、マルクス・キケロは低い声で続けた。

「私は父とは違う。私は現世のローマに希望を見いだす。ここで生きる。父のようにはならない」

 神君カエサル暗殺後、その遺言をめぐってアントニウスとオクタヴィアヌスは一時争ったが、結局は手を結んだ。そしてレピドゥスを加えて三頭政治を組み、反カエサル派を粛清した。身も凍る恐るべき会談の末、処罰者名簿を作成した。百三十人が即死刑とされ、二千人余りが全財産を没収された。

 復讐の名の下に、女子どもにも容赦なく拷問が行われ、身内を売った者には賞金が与えられた。

 父ネロも、この処罰者名簿に載せられてもおかしくなかった。神君カエサル暗殺の二日後、あのような発言をしていたのだから。

 ところが父ネロは、なぜか名簿に名を連ねなかった。

 一方マルクスは、その粛清で、父と叔父と従兄弟を失っていた。

 父のようにはならない。そう言明するマルクス・キケロを非難することはだれにもできない。だがそんな恐るべき言葉、ティベリウスには口にできない。

 ティベリウスに流れる血は、キケロが言う「古き良きローマ」を長く担ってきた、クラウディウス一門のそれである。父がローマに絶望しているとしたら、それは祖先も同じであるはずだ。

 そしてその絶望をもたらしたのは、カエサル家の二人である。神君カエサルとオクタヴィアヌス。ティベリウスの継父。

「暴君殺しには褒美すら与えるべきである」

 父ネロはそう言った。アントニウスの家族とともに武器を取った。敗北してなおも反抗をあきらめず、アントニウスを頼った。妻と再婚したオクタヴィアヌスの下へ、デキムスと名づけた息子を送り込んだ。ティベリウスをマルクス・ガリウスの養子にした。

 父にとって最後の希望とは、アントニウスのほうだったのだろうか。アントニウスならば「古き良きローマ」でなくても、少なくともそれに近い国を造ってくれると思ったのだろうか。

 もしくはアントニウスのほうが御しやすいと思ったのだろうか。「古き良きローマ」を取り戻すために。

 ティベリウスにはわからない。マルクス・キケロと違って父がわからない。

 それは自分が幼いからなのか。

 ほかのどの子どもにも負けず、勉学に励み、歴史を学んできたつもりだった。人から話も聞いたし、自分なりに考えもした。

 それでもまだ、父を理解するには足りないのか。父に認めてもらうには不適格なのか。

 五年が過ぎた今、ローマでは一つの状況が明確になりつつある。マルクス・アントニウスとカエサル・オクタヴィアヌス、この二人のどちらかが、ローマを制する。世界を統治する権利は、両方には与えられない。対決の日は刻々と迫っている。

 父ネロは、なにを思うのだろう。

 重篤に瀕した今、紺碧の双眸でひたと息子を捉えている。

 色のない唇が動く。

「話をしておく」

 そんな言葉が聞こえた。

 震えが、ティベリウスの体を走った。

 待ち望んだ時が、ようやく訪れたのか。

 しかしこれは果たして喜びなのだろうか。

 父が語ろうとするのは絶望か。それとも希望か。

 絶望ならば、どのような苦しみを吐露するのだろう。

 希望ならば、息子になにを望むのだろう。

 背筋の震えが、止まらなかった。

 どうして。

 ティベリウスは問いかける。

 どうして、神君カエサルを憎んだのですか。

 どうして、カエサル・オクタヴィアヌスと敵対したのですか。

 どうして、母上を手放したのですか。

 どうして、ぼくをガリウスの養子にしたのですか。

 ぼくは、どうすればよいのですか――。






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