第三章 ‐8
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「といっても、長いつき合いというわけではないから、君を満足させる話ができるか怪しいが」
そう前置きをしてから、カルヴィヌスは話しだした。
「私が初めて執政官になった年、君のお父上も首都にいた。あの当時、彼は法廷で弁論をふるうとか、清らかな手段で世に名乗りを上げようとしていたんだと思う。いや、むしろ法的にも道義的にも完璧に清らかな手段を用いるのでなければ、出世などすべきではないと考えていたようだ」
カルヴィヌスの奴隷が用意した毛布で体を温めながら、ティベリウスは堅苦しい顔をしていた。三十代半ばまで財務官になれなかった、父ネロの気質を思っていた。
一方のカルヴィヌスは、賄賂をばらまいて執政官になったと噂される人だった。彼は杯越しににやりと笑いかけてきた。
「だから私などは眉をひそめる存在だっただろうね。おおっと、なにも自白してないから、告発しないでくれたまえ」
「はい」
真面目に相槌を打つティベリウスに、カルヴィヌスは首をすくめてみせた。
「私の推測でなく、直接本人の口から聞いたことを教えれば、君のお父上はガリア遠征自体には賛成だった。長年ローマを悩ませてきたガリア人問題の根本的解決になる。ガリアを放置しておくかぎり、ローマは永遠に北を脅かされて過ごさねばならない。そう理解を示していた。ただ、それを行なうあの方のやり方には色々言いたいこともあったようだ。もっとも、あの方だからこそ、たった八年という短期間でやり遂げられたと、頭ではわかっていたのだが」
相変わらず、カルヴィヌスは神君カエサルを「あの方」と呼んでいた。恐れ多くて名前を口にできないわけではなく、「神君」という言葉に違和感があるのかもしれない。ドゥーコも決して「神君カエサル」とは呼ばなかった。
「そりが合わなかったんだろうね。国法を犯してまでやる重大事を、あの方はいとも溌剌と、楽しげでさえありながら遂行した。ネロは私に言っていた。『ユリウス・カエサル家は寛容だ。娘を夜伽に寄越した部族長にならだれにでも家門名を与える』」
ティベリウスの困惑顔に、カルヴィヌスは含み笑いをした。彼は卓上の果物を勧める手振りをした。
「『もうつき合いきれぬ。総司令官は好奇心だけを装備して、ゲルマニアやらブリタニアやらに遠足に行く』とも話していた。理解できなかったんだろうね。どんな不謹慎も最後には痛快にしてしまうあの方の振る舞いが」
カルヴィヌスはイチジクを口に運んだ。
「それでも、あの方が国家を良くするために苦難の道を歩んでいることは理解していた。彼がもっと嫌ったのは、そんなあの方の苦労も知らず、ろくに血も流さず、ただ元老院で文句を並べたてるだけのお偉方だった。連中はさんざんあの方を侮辱し、偉大な手柄だけ頂戴して丸腰で法廷に引きずり出そうとした末、いざ責任を取るべきときにはポンペイウスの背中に隠れた。『国家のために勇敢な行動に出た男を、なにもしなかった人間が裁く資格があるのか』と、ネロは怒っていた。だからあの方がルビコン川を越えたときも、ポンペイウス一行に従わなかった」
この事実は、ティベリウスが推測していたことと大きくは違わなかった。それで我知らず胸をなで下ろしたが、次の事実には、不意を突かれた。
「そうして彼は再びあの方の下に戻った。連れてきたのはあのヘラクレス君だった」
ティベリウスは毛布の端を握りしめた。
「アントニウスと父は、友人だったのでしょうか?」
「前からの知り合いではあったようだ。同じ年頃だから、どこかで接点があったのだろう。だが私は詳しくは知らないし、ネロもなにか人生の汚点でも思い返したくないみたいに話してくれなかった。ヘラクレス君のほうは、いたって鷹揚な感じで馴れ馴れしく彼の肩を叩き、それはそれは嫌がられていた」
カルヴィヌスは思い出し笑いを漏らした。ティベリウスは肩を叩かれた父の気持ちが伝染したような、複雑な気持ちになった。
「ネロが私の軍団に入ったのは、あの方とヘラクレス君のいる陣営からなるべく離れたいと希望したからではないかと今でも思うのだが、それでも顔を合わせるたびに喧嘩していた。ネロがあの方に『こんなだらしのない飲んだくれに軍団を任せていいのか』と苦情を言えば、ヘラクレス君は『こんな小言ばかりの根暗野郎がいたら士気ががた落ちだ』と言い返した。あの方もあの方で『石頭とふにゃ頭をぶつければ中庸になり得るか、試してみよ』とはやし立てていた。ファルサロスのあと、あの方がヘラクレス君に首都統治を任せると、ネロは卒倒した」
からから笑っているので大げさな表現なのだろうが、父の気持ちは十分察せられた。
「私とネロの話をすれば、彼は最初、私のことも気に食わない様子だった。私はただでさえ平民出なのに、執政官に至るまでの評判が評判だったからねぇ。生粋の貴族には癪に触ってしかたなかったのだろう」
ティベリウスは申し訳ないような気持ちになって、眉尻を下げた。カルヴィヌスは苦笑交じりに、温かい牛乳の入った杯を押してよこした。
「それでも、私が彼と二個軍団をエジプトに送り出そうとしたときには、必死で気遣ってくれた。『エジプト女にうつつを抜かしている隙に暴徒に取り囲まれた男などのために、あなたが命を危険にさらす必要はない』とね。彼は命令を拒みさえしたが、私が何度も強く説得した末に、ようやく出航してくれた」
ティベリウスは牛乳の膜に目線を落とした。父は昔から容赦ない物言いをする人だった。頑固で、カルヴィヌスも手を焼いたに違いない。
「翌年再会したとき、あの方は元気溌剌としていたが、ネロは私を見るなり崩れ落ちそうになった。『無事で本当によかった。ワニと戯れながらピラミッド見物している間にあなたがファルナケスに殺されていたら、私は一生最高司令官を許さなかっただろう』涙さえ浮かべてそう言ってくれた」
どんな気持ちを抱くべきかわからず、ティベリウスの唇が波打った。その顔つきを、カルヴィヌスはおかしそうに眺めていた。
「ファルナケスを倒したあと、私はもうしばらく東方に留まることになったが、ネロも一緒に残りたそうだった。『あの飲んだくれが治める国になど帰りたくない』とごねてね。それであの方と私で無理矢理船に乗せた。君もそろそろ可愛い嫁さんでももらうべきだ、と説き伏せて」
ティベリウスはだんだん、カルヴィヌスが必要以上に話を面白おかしく作っているのではないかと疑いはじめた。またからかわれているのだろうか。
「で、帰ってみたら案の定な情勢が待っていて、あの方がアフリカで戦っているあいだ、ネロはヘラクレス君を説教して過ごしていたのかもしれない」
疑いを確信に変えかねない調子のまま、カルヴィヌスは続けた。
「あのころはまだ楽しかった。君のお父上はおもしろくなかったかもしれないが、それでも大神祇官に植民地建設と、忙しくも充実した毎日を過ごしていたと思う。このうえなくすばらしい奥方も娶った。結婚式にはあの方と私も参列したが、ヘラクレス君も奥方と息子を連れてやって来た」
フルヴィアとアンテュルスのことだ。ティベリウスの顔から当惑の色が無くなり、代わって暗い翳が差した。
「例によってヘラクレス君は豪快に飲みかつ食い、ネロに向かって叫んだ。『娘が生まれたら、俺の息子がもらってやってもいい。ただし奥方似の顔ならば』それでまた喧嘩になった。すべてが暗転する、ほんのひと月前の出来事だったよ」
別の理由だが、カルヴィヌスの声もかすかに沈んでいった。
「あの三月十五日、ネロは私と元老院に向かうところだった。前方をあの方とヘラクレス君とデキムス・ブルートゥスらが歩いていた。もしかしたら君は心配しているのかもしれないが、君のお父上はユリウス・カエサル暗殺に一切かかわっていなかった。私と同じく、これから起こる一大事など想像だにせず、無邪気なものだったよ」
カルヴィヌスは遠い目をして、杯の模様を眺めていた。
「父は…言ったのですよね? 神君カエサルが亡くなったあと、暴君殺しには褒美を与えるべきだ、と」
ティベリウスはうめくような声で言った。
「父は、神君カエサルが殺されて当然だと思っていた…」
カルヴィヌスは無表情で、杯に葡萄酒を注ぎ足した。
「あの日、ネロは私にこんな話をしていた。『あの人は異民族だらけの元老院を残して、さっさとパルティア遠征に出かけようとしている』 ネロが一番腹に据えかねていたのは、あの方がガリア人をはじめ大勢の異民族を元老院議員にしたことだったろう。彼らはラテン語もろくにわからず、あの方が自分の支持者を増やしたいがために招き入れたのだとネロは息巻いていた。元老院の権威は失墜した。国家はただ一人の男の意のまま秩序崩壊を迎えるしかないのか。そう嘆いていた」
父ネロは、ティベリウスにも同じ含みの言葉を語っていた。
「あの方はやる事が恐ろしく速かったからね。ネロでなくてもびっくりしただろう。一年足らずのあいだに、ローマは大きく変わった。あの方がなにをしようとしているのか、これからローマがどうなろうとしているのか、考える暇さえないほど目まぐるしく変革されていった」
葡萄酒を舐めると、カルヴィヌスはかすかに顔をしかめた。
「だが決して、ネロはあの方の死を願っていたわけではないよ。あの発言はむしろ、情けない妥協をしようとしていた暗殺者側とアントニウスに嫌気がさしてのものだろう。いっそ褒美でもくれてやったらどうか、とね。彼は一本気な男だった。妥協ほど憎いものはなかった。おのれを曲げる者も、おのれを持たない者も許せなかったんだ。だから、侮辱するつもりはないが、貴族であるのに出世が遅かった」
ティベリウスは目を閉じた。
「行動を起こしたからには最後まで貫くが筋、裁くなら断固として手を下すが筋と、彼は言いたかったんだと思う。だから彼は、この一件には絶対にかかわらないと決めた。キケロのように暗殺者たちに合流もしなかったし、アントニウスに協力もしなかった」
「ドゥーコは、あなたと父が、神君カエサルの復讐を叫ぶベテラン兵を押しとどめたと話していました」
「そうだったね」カルヴィヌスはうなずいた。「暗殺者たちをかばったわけではないよ。首都の混乱を避けるためだ。我々にしかできなかったし、それくらいしかできなかった」
杯をぐいと干した。
「けれどネロもまた、あの方と旧態依然とした元老院のあいだで、ゆれ動いていたのだろうね」
ゆれ動いていた? ゆらいではならぬと息子に言って聞かせた、あの父が?
ティベリウスのなかで父の姿がぐらついた。
だが、そうではないのか。ティベリウスが父のことが理解できず苦悩したのは、父が自分を語らなかったからだけではなく、父もまた苦悩してきたからではないのか。共和政ローマと新しいローマの狭間で、おのれに忠実な道を見いだすことに。
カルヴィヌスはおもむろに先を続けた。
「だが、君もわかっているだろう。もし本当にネロと暗殺者側がかかわっていたとしたら、君は生まれてこなかった。アントニウスとレピドゥスと若カエサルが、徹底的な粛清を行なったから」
三頭政治による処罰のことだ。ティベリウスは密かな疑問を初めて口にした。
「アントニウスが父をかばったということは考えられませんか?」
「そんなことをネロが知ったら自殺しただろうが、まったくあり得ないことではないね」
沈着な調子を保ったまま、カルヴィヌスは否定しなかった。
「だがヘラクレス君は自分の叔父まで犠牲に捧げた。可能性は低いだろう」
ティベリウスは、一昨日亡くなったアヘノバルブスのことを思い返した。彼はカエサル暗殺の実行者ではなかったが、計画にかかわりがあったとされていた。アントニウスはそのような人物を親友としていた。一度は暗殺実行者たちと妥協を成立させようとしたことからもわかるように、彼はそれほど復讐に燃えていたわけではなかった。
なにがなんでも復讐を完遂し、反カエサル派を殲滅しようと考えていた、その人物は三頭の中でただ一人だった。
ひときわ強い風雨が、テントを横ざまに殴った。カルヴィヌスは波打つ天幕に目線を移した。
「おかしなことに君の父上が行動を起こしたのは、すべてが終わったあとだったね」
ペルージア戦役のことだ。情勢の軸はカエサル派と反カエサル派から、アントニウスとオクタヴィアヌスの二人に移った。
「私も驚いた。まさかネロが、アントニウスにならまだしも、彼の妻と弟に呼応して武器を取るとは」
「皆は、父がクリエンテスを守るために立ち上がったのだと言います」
「君はその話を信じていないみたいだね」
すぐさま指摘され、ティベリウスは一瞬言葉に詰まった。
「…信じています」
「半分ってところかな」カルヴィヌスは適切に解釈した。「最後まで降伏を拒んだのは、いかにもネロらしい。君とお母上も、あそこにいたんだってね」
カルヴィヌスの目が同情的になったが、ティベリウスはそんなもの欲しくなかった。そもそも自分はなにも覚えていない。
「ペルージアが降服した年、私は二度目の執政官を務めていた。色々あってすぐに辞任したんだが、ネロのことは心配していた。なにもしてやれなかったがね。ネロも私やだれかを頼りはしなかった」
そんなことができたら、父はカエサルともう少しまともに戦えていただろう。ティベリウスはやや強い語調で言った。
「ぼくにもわからないのです。なぜ父はアントニウスの家族に味方したのでしょう。子どものぼくが言うことではないですが、クリエンテスと守るためだけなら、武器を取る以外の方法があったのではないですか?」
「ネロがそれ以外の方法をとることができたかは別だ」
「はい」
ティベリウスは大きくうなずいた。
「やはり家族に味方したということは、アントニウスに味方したということなんです。それが父の選択です。けれど亡くなる前、父はアントニウスを非難していました。あなたのお話を聞くに、それより前からどういう男かわかっていたはずです。それでもなお、父は彼の側に味方した。どうしてでしょう?」
「君はどう考えている?」
カルヴィヌスに訊き返され、ティベリウスは自分の、それも最も望まない推測を初めて口にした。
「…あなたもおっしゃるように、殺害までは望まなくとも、父は神君カエサルのやり方には反対だった。そのやり方を、カエサル・オクタヴィアヌスは継承する気でいる。一方アントニウスは、そこまで考えている男じゃない。父はアントニウスを知っていました。元老院と一緒なら、扱える自信がありました。だから父は、カエサルではなくアントニウスに味方した」
それから、今まで考えていたよりさらに一歩踏み込んだ。
「父は、神君カエサルを称賛していました。重責から逃げない、その覚悟を。国家を長年担ってきた同じ貴族であり、同じ誇りを確固として抱く人――父にとって、神君カエサルは同志だった。父が神君カエサルのやり方に耐えていたのは、神君カエサルが行うことだったからです。けれどカエサル・オクタヴィアヌスは、神君カエサルじゃない」
「貴族でもない」カルヴィヌスがつけ加えた。「ユリウス家の血は引いてはいるが、彼の出身は騎士階級だ」
「父は…命を捨ててでも、絶対にカエサルを認めないつもりだった」
ゆっくりと、ティベリウスはうなだれていった。内臓がじわりじわりと石になっていくように感じた。
「そこまで言う君は勇気があると思う」カルヴィヌスは静かに言った。「だがその極論が真実だとはかぎらない。最後まで降伏は拒んだが、君の父上は命を捨てなかった。ギリシアへ渡り、翌年無事に帰国を果たした」
「アントニウスの援助で」
ぼそりと付け足した。
「そしてだれも予想だにしなかったことが起こった」
カルヴィヌスも淡々と続けた。もちろん、オクタヴィアヌスが母リヴィアと恋に落ちたことだ。敷物をにらんだまま、ティベリウスは声をしぼり出した。
「ぼくは養子にされました。遺言で、アントニウスの友人だったガリウスという男に。ぼくはこの意味をずっと考えてきました」
「それで、結論は?」
「わかりません」
ティベリウスは頭を抱えた。本当は、考えに考え抜いていたが。
「でも父は、カエサル・オクタヴィアヌスについてはぼくになにも語りませんでした。非難も称賛も、なにも。アントニウスのところへも行かなかった」
わずかな希望にすがるようなうめき声で言っていた。
カルヴィヌスは、その希望を砕くこと持ち上げることもしなかった。無表情のまま、苦悩するティベリウスから目線をわずかにずらした。
「帰国後、ネロは家にこもりがちになったね。私も引退生活をしていたので、あまり会うことがなかったが、それでも何度か話をした。執政官への立候補も勧めたが、首を縦に振らなかった。すでにカエサルとアントニウスが何年も先まで決めているから、と」
その事実に対し、ティベリウスはなにも言えなかった。ネロ家はこの百五十年、執政官を輩出していない。だからそれに選ばれることは、祖先に誇るべき名誉になったはずである。
父は、やはり絶望していたのか。
亡くなる前、父は息子と二人だけで話をしてくれた。だが結局なにを話してくれただろう。父はなにも話さずに逝ってしまったのではないか。希望も、絶望も。
「ペルージアの件を、少しだけ話してくれたよ」
だがカルヴィヌスは、初めて聞く話をしだした。
「一族の誇りをかけて戦うつもりだったが、ついに追いつめられ、奴隷たちが次々死に絶えていくのを見た時、妻と息子の姿が目に飛び込んできた。その瞬間まで、一家全員で運命をともにする覚悟でいたが、まだ少女の妻と、生まれて間もない息子まで自分の巻き添えにするのは不憫だと思った。だが妻子だけ助けてくれと頼むこともできなかった。それは自分の信念に背くことになるからだ。一家全員死ぬか、全員生き延びるしかなかった」
「父が、そんなことを……」
茫然と聞いていた。にわかには信じがたい話に思えた。それはティベリウスが、このときまで一度も、父の家族に対する思いというべきものを聞いたことがなかったからである。カルヴィヌスの話が本当ならば、父はこの元上官をよほど信頼していたのだろう。父は決してたやすく、他者に胸中を打ち明ける人ではなかった。たとえそれが家族であっても。
どこかで、父にとって家族とは機能だと思っていた。家を存続させる役割を果たす、機能。たとえば妻。ローマでは離婚も再婚も日常茶飯事である。政略結婚をくり返す元老院階級ならばなおのこと。それで貴族の家ならば継母が普通にいて、子どもは奴隷に養育される。
だから思っていたのだ。貴族にとって家族とは、そんな醒めて割り切った関係。だから父にとって子どもとは、健康で家柄に恥じぬ人物に育ちさえすれば良いものなのだ、と。
それはティベリウスが、そう思っていたほうが幸せだったからなのかもしれない。
父は全員生き延びる道を選択した。それが家族への思いだった。
「父はどのように思っていたのでしょう?」ティベリウスは口走っていた。もう確かめられないだろう答えを、自らに問うた。「アントニウスの援助を受けて帰国を果たしたとき、父のなかで、カエサルに対する気持ちはどのようになっていたのでしょう?」
ティベリウスは父の誇りを思った。おのれを曲げられず、世界と妥協できず、それでも変わりゆく世界にゆれ動くしかなかった父。「ただお前はお前であれ」と息子に言い遺した父は、世界を認めることができたのだろうか。おのれを貫いたと、人生に誇りを持って最期を迎えることができたのだろうか。
「わからない」自分に向けられた問いでないことはわかっていたのだろうが、カルヴィヌスは応じてくれた。「わからないが、そのあとに起こった予想外の出来事が、すべての状況を変えてしまったのだろうね」
ティベリウスはびくりと体を跳ね上がらせた。そのことに自分がまず驚いた。カルヴィヌスの真摯な目が見つめてきた。
「君には辛い事実だろうか?」
どうしてカルヴィヌスは、そのようなことを聞くのだろう。
当惑の極みに突き落されたティベリウスに気づいたのか、カルヴィヌスはふいに調子を変えた。身を乗り出し、例のいたずらっぽい笑みを浮かべてきた。
「探究心旺盛な小さいネロ。君が次に話を聞きたい人物は明らかだ。だが残念なことに、それはかなわないだろう。かなったら、それはどういう状況にしろ、一大事だからね」
彼は子どもの肩を軽く叩いた。
「今日はもう十分考えただろう。だがあまり思い詰めるのもよくない。あらゆる結論は、君がもっと大人になるまで保留しておいたっていいんだ。けれど覚えておくといい。君が一番考えるべきは、君がどう思うかだ」
「父をですか? アントニウスをですか?」
最後の問いに、カルヴィヌスはただ微笑するのみだった。




