プロローグの前日談 その二
俺の甘酸っぱく淡い恋の予感的な霧子への期待は、不肖のムスコをむくむくと膨張させている。おっと、男汁は出すなよ。マイサン(我がムスコよ)!
俺は、即効で帰宅して、シャワーを浴びて下着制服を着替え、髪を整えて香水までつけたりして俺は旧校舎の裏庭まで一気に走りぬいた。
時刻はまだ四時三十分をまわったところだった。予定の時刻まで二時間以上もあるが俺には十分だと思った。マサからもらったゴムの点検とか、挨拶の練習とか、不測の事態に備えての受け身の練習とかが俺のひとり妄想劇をするには十分すぎる時間だった。
やがて定刻の午後六時三十分が訪れた。あたりを見回すが霧子どころか、人っ子一人居なかった。掃除の人とかもいないという状況はちょっと怪しいのだが。まあいいとしよう。
考えてみりゃ、異性の幼なじみの中であいつが一番、一般的な女の子だよなあ。拳で殴ったりとか、回し蹴りや、飛び蹴りだってしないし、広辞苑の重さを借りてどうにか打撃を与える程度だよ。料理は上手だし、いい匂いするし、歌声もいいし。
ガキの頃は、『近寄るなメガネぶす!』とか言ってたが、自分で言うのも照れくさいが好きの裏返しだったんだよなあ。
『へえー、そんなに霧ちゃんのこと好きだったの?』
え! なんだこの殺気に満ちたテレパシーのような声は。耳じゃなく、頭の中に聞こえたぞ。
『中学一になって会いに行ったら、あたしを舐めまわすように見て、濃厚なキスまでしてたの誰だったかしら』
ええ、そんな大胆なこと俺、・・・・・?
あれ、してたなあ。してたよ。した、した。しましたよ。幼なじみの澪ちゃんと、それ以上しようとして締め落とされて、裏山に放置されて。
目が覚めたら夜中で。帰ったら爺ちゃんにしばき倒されて土蔵に放り込まれたんだよ。全く。
「なんだ、しっかり覚えているじゃない」
「じゃあ、あの時の記憶埋没は、もう解けちゃってるのね」
「裕次郎さんを見てるし、事実も大体知ったから自然と思い出せるようになったみたいね、健ちゃん!」
パチリと機械音がした途端、目の前に突然、澪が現れた。
澪は合気道だか弓道だかの道着を着ている。いつものように顔が近いが、これまでに無かった殺気を出している。と、いうか記憶が戻った俺にとっては、高校で出会ってから今まで澪が殺気を殺していたのが不気味だったと気づくべきだった。
「健くんがわたしも気があったってところは、澪ちゃんには悪いけど、ちょっと嬉しいかな」
いつの間にか背後に霧子がいやがる。こいつら忍者、くの一なのか?
そうか、こいつらも仮想境界VOB"VirtualizatiOn Barrier"が使えるのか。俺が来る前からここにいて、俺が来てからVOBを作動させて自分たちの気配を消してやがったのか。愛する幼なじみになんて仕打ちをいてくれるんだ。それとも、これは霧子流のサドプレイなのか?
俺のMなる扉を開かせる魂胆なんだな。いいぞ、キミたちならむしろ至福だ。豪田やマユは男と変わらんか、それ以上の暴力だが、キミたちなら攻撃そのものが甘美な仕打ちだからな。さあ、カモンだ。
「健ちゃんさあ、ラボでダイブした時、凄いこと体験したでしょ」
「記憶倉庫を確認したのか?」
「ええ、オバ、いえ、黄泉さんから聞いたでしょ。中継やってたわたしにも健ちゃんが体験した記憶がコピーされて残って、後から見れるって、それで見たのよ」
「あたしも見せてもらったわ」
「悲しい結末だったよなあ。何があったにせよ、血を分けた姉弟が命を取り合うなんてな」
俺はとりあえず、話がアレに行かないようごまかすことにした。アレを見たとなると衝撃どころじゃないからな。下手したらこっちの組織の屋台骨すら壊しかねんからな。慎重に会話しないとな。
「そうね。でも過去の出来事だから、今のあたしらには何もできないわよ。あたしも調査の事情はよく知らされてないから何ともだけど、あれはあれで黄泉さんたちは何か掴んだみたいよ」
そうなのか。確かに上層部の真の目的なぞ、下っ端の俺たちなど知るよしも無いからな。アレの話じゃないのか、それ以外に凄いことってなんだ。
「健ちゃんさあ、下総正盛になって、あたしと霧ちゃんの顔したご先祖様と濃厚なエッチしたのよね。その前に正彦おじ様になって、若い頃のわたしと似たようしのお婆ちゃんと赤ちゃんプレイもしたみたいじゃない」
そっちの話かよ。さして、重要じゃねーだろ。そ、そりゃちょっと気持ち良かったけどさ、でもアレの、敵の首領の顔が一瞬でも黄泉に見えたことの重要さと比較できないだろ。
「それでね。あたしたち考えたの。どうやったら、その記憶を健ちゃんの頭の中から消せるかってね」
「そしたら、健ちゃんが裕次郎さんの事故のことを忘れさせる為に施した事を思い出したのよ」
「あれって、習性というか自己防衛本能を引き出しただけに過ぎなくてね。健ちゃんがその記憶との関わりを恐怖することによって、記憶の奥底に埋没させるのよ」
「ちょっと待て、そんなことしたら澪との青い性春体験もまた消えてしまうじゃないか」
「大丈夫よ健くん、澪ちゃんこれからもずっと入るから、一緒にいる人との記憶はね忘れても、次第に思い出されるのよ。特に二人はベタベタだから記憶なくしても今の親密度なら恥ずかしいくらいに鮮明に思い出すわよ」
「霧ちゃん、そんな言い方されるとあたしすごく淫乱な感じに聞こえるのですけど、これでもあたしは処女で、健ちゃんはこんなに男らしいけど完ぺきに童貞よ」
"童貞よ"って、澪ちゃんストレートすぎだよ。確かに俺は童貞だけど、彼女に大声で言われる彼氏の気持ちにもなってくれよ。
「じゃ、そういうことだから覚悟してね。健ちゃん。歯を食いしばって」
「なんだよそれ。霧子、おまえ顔がマジだぞ」
言ってるそばから最初の一撃が右頬に来た。広辞苑の広い面が頬にバシーンとぶち当たる。重い一撃ではあるが、吹っ飛ぶほどじゃない?
いや、吹っ飛べ無いのだ。吹っ飛ぼうとしたら、折り返しの攻撃性が左の頬に来る。そしてまた右だ。反復攻撃は更に増して来る。
霧子、たんまー。と言いたいが声を出せる状況じゃ無い。無表情のまま往復の広辞苑打ちする霧子に俺は心の奥底に恐怖を覚えた。体は知らず知らずのうちに震え始めだし止まらない。
俺の恐怖が頂点に達した時、急に攻撃はやんだ。霧子の真顔はほころびないので、後にくずれながらも俺の恐怖は持続している。だが、倒れる俺をそっと包み込む胸が背後に現れた。この感触と匂いは澪だ。
「健ちゃん」
澪が生温かい吐息と共に俺の名を呼ぶ声に一縷の安堵を覚えた時だった。父ちゃんや下総正盛となって体験してきたVOB旅行での記憶が走馬灯のように頭の中を駆け抜け、最後に百鬼姫の斬首の瞬間がフラッシュバックして目の前が真っ暗になった。これは締め落としだ、
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「健くん、起きて。健くんてば」
爽やかで嗅ぐわいい香りに鼻の奥がくすぐられ、不肖のムスコがむくりと大きくなるのを覚え、俺は目を開けた。
目の前には白いワンピース姿の霧子がいる。俺としたことがうたた寝をしていたとは。
「き、霧子、その格好は?」
「ひどいな健くん、デートよ。自分からめかしこんで、しらばくれる気。あたしが暇って聞いたら、風呂焚きかデート以外無いでしょ」
『風呂焚き』という選択肢が出て、ギクリとした。こいつんちは風呂屋だったからだ。これまで『健くん、暇?』と聞かれたら大概は風呂屋の手伝いで一緒に釜焚きやったり、掃除などしてたのだった。色気のない霧子にとってそれは冗談抜きにデートのお誘いでもあったわけだ。しかも、つい一ヶ月前まで番台にいるコイツの男装に気づかず双子の兄貴の貴大こと、貴ぃちゃんだとばかり思って、不肖のムスコの成長具合を十数年にわたって見せ続けていたことをすっかり忘れていた。だがこいつの服装では、風呂屋の手伝いは九割方無いと判断出来る。馬子にも衣装の例えは死語だが、見違えるというか風呂屋の霧子には見えん。ここはデート待ちの男で立ち回るぞ。
「でも、霧子。六時三十分じゃ歩いても商店街まわるくらいだぞ。しかも7時30分にはほとんどの店、閉まっちまうぜ」
「何言ってんの健くん。まだ、五時をちょっとまわったところよ」
何言ってんだ、さっき時間を確認したんだぞ。だが時計は5時5分過ぎを指していた。狐につままれた感じなんだが細かいことはこの際、どうでもいい。なんつーたって、生徒会長様とデートなんだからな。狐が噛み付いたって、引き下がらんさ。
それにしても、参ったな。こんな人気の無いところでデートつーたら、間違い無く、えっち系だよな~。澪に感化されて、こいつも攻めに来たのか。良いよ、霧子なら筆の先っぽ程度までなら降ろされてやってもさあ。筆の腰手前は流石に澪じゃ無いとな。うしゃしゃしゃしゃ。
「健くん、これ被って」
反射的に両手で受けたそれはフルフェイスのヘルメットだった。しかも、どうみてもバイクのヘルメットだった。だが、バイクなどどこにも無い。裏門にでも置いているのだろうか。それ以前に、こいつは免許は持ってない筈だ。学校はバイク免許は禁止じゃないが、二輪免許取得者は学校に届け出た上で二輪部委員会に登録するルールとなっている。つい先週、委員会があったばかりだが、こいつなんかいなかった。マユと郷田はしっかりいたがな。
ま、公道でなきゃ免許はいらんがな。しかし、貴ぃちゃんもバイクは乗らねえしな。こいつん家は、オヤジさんがハマーで、爺さんがどうにかサイドカー付陸王で休みの日に婆ちゃんと乗ってるだけだしな。
霧子にヘルメットを被る理由を聞こうとした時だった。遠くの方から、すこぶるいい音色を放つ単車のエンジン音が近づいて来る。大きさから見て400ccクラスというところか。だがちょっと見慣れない型のバイクだった。
近づいて来たバイクは俺達の前で止まった。ライダーは、黒いレザー製のつなぎに、赤いフルフェイスヘルメットを被っている。胸や腰、ヒップの曲線美は説明無用の美味しそうなオナゴの体だった。
オナゴは、顎の下の固定ベルトを外して赤いヘルメット脱いだ。髪は結わえて纏められていた。振り返ったそのお顔は、心臓が突き抜かれる程の美女なのだが、よく見るとそれは黄泉だった。
「健児、これに乗って霧子とデートして来い。例によって、地下トンネル使っていいからな」
俺は放られた鍵をうけとり「ああ」と釈然としない返事をする。
「何だその気のない返事は、もっとしゃきっとしろ。霧子は現地補佐の中でも極めて優秀な奴なのだぞ!
たまには息抜きもさせてやれ。但し、不純異性交友行為をしたら懲罰ものだからな。キミの場合は、私設懲罰執行人がわんさかいるから
タダでは済むまいよ。今日は水曜日だ東京チバニーランドもサービスディだからこのカード持って楽しんでこい」
渡されたのはセレブしか持っていないと言われるプラチナカードだった。
「おまえ、これ」
声が上ずるのも無理は無い。庶民派の俺には無縁のものだったからだ。
「すまない」
俺は、ハンドルを握ってバイクにまたがり、霧子も後座席にまたがった。スカートと思ったがキュロットのようになっていたことがわかった。
早速、俺はバイクを発進させようとハンドルの中央に目を向けたが、鍵穴が無いことに気づいた。だが、慌てる必要はない。代わりにSTARTボタンがある。おまけに、メーターは液晶画面だ。なんとこれは電気もしくは、ハイブリットバイクだと推察できるシロモノだ。スゲー、と叫ぶ俺。
「それは市場発表済みの佐々山モータースのハイブリッドバイクの試作強化品だ、強化効果を見るために試乗が必要だったのでな、キミならいいデータが取れると思ったんだ。だから、存分に走っていいぞ!」
なんだか分からないがやけに今日は気前がいい。黄泉様の気が変わらないうちにでかけるとしよう。
「霧子、いくぞ!」
「いいよ、健くん」
流石ハイブリット、最初はモーターで始動だから音が静かだ。スタートも緩やで、サスペンションの反動もスムーズで心地良い。背中に寄り添う霧子を感じながら、俺達は新緑の山道を走り出した。
ハイブリットバイクの走りは、カモシカのように軽やかで心地良い。更には最近、成長が著しい霧子の柔らかい胸が背中にあたって、気色いい――――。
性春真っ只中、性春万歳だ。