第十四章 闇の中で
頭に密着しているグラサン越の視界にはコンピューター端末よろしく、淀みセンサーの情報や温度センサーの情報、他のメンバーのステータスなどが表示されている。周囲に明かりは無いので暗視ゴーグルとして作動しているが、俺は以前にもこういった光景を見た覚えがある。生き物は青白い光を放っている。
一見、さっきの生き物らしきもの以外何も居ないように感じていた周囲はセンサの倍率を上げることで、賑やかになっている。菌などの微生物や昆虫、トカゲ等の爬虫類もいるようなのだ。これらの生命力はセンサーが拾い上げる数値とは裏腹に力強さをひしと感じている。
気配を感じた生き物は淀み溜りの比較的近いところにいる。残念な事にこのモニタの生命力センサーは、サーチした生物が何であるかまでは検出出来ない。俺が勝手にモニター越しのセンサーの反応結果を見て判断して居るのだ。どうしてそんなことが自分にできるのかは、謎である。なのに過去に経験済みといった感覚があるのだ。
壁に開けられた横穴を通るとき、高圧の磁場のようなものを感じた。以前、電気工学の実験で高圧電流が流れる周囲で発生する磁場の感覚に似ていたのでそうだと直感したのだ。けれども、不思議とモニター類に乱れらしきものは無かった。
そうなるとこれは磁場では無い。けれども動こうとする体にはものすごい抵抗力を与えていた。これが結界なのだろうと思った。空想の産物だと思っていたが、実際に体感できたことに驚いた。
「旦那、さっきから偉く冷静だな、あんたは何も感じないのか」
カメが苦しそうに通信機越しに話しかけて来た。
「リーダは俺たちとは精神力が違うのさ、気になるのはわかるが今は抜ける事に集中しろ。チカだって辛い筈だが俺たちよりは冷静を保っているぞ」
確かにそうだった、カメやゴミの精神パワーバランスを示す値はかなりな乱れを生じている事がモニター越しにも表示されていた。心拍、脈拍の乱れもあからさまだった。チカも精神パワーバランスの値には乱れがあったが、ブレ幅は他の二人よりも小さかった。
俺の方はといえば、全く乱れていなかった。不思議と意外にすら感じてもいなかった。暴走猪との戦いも覚悟を決めた時は、自分でも驚く程に冷静になっていた。そして、俺の感覚には別の人間の感覚が入っているような感じもしている。これに関する記憶についてはおぼろげすぎて、夢であったとも、どこかで見た映画であったかのようにも思えてはっきりしないのだが、不思議と自分が体験した感覚を残しているのだ。
さて、今は結界を抜け、長い坑道を歩いている。地面は湿気を帯び、泥も溜まっていてぬかるんでいる。そして、薄っすらとアルコール臭もある。淀み溜が近い証拠だ。
チカは立ち止まって、いきなりパンティーを脱ぎ捨てた。
「チカおまえ、何やってんだ」
「何って、戦闘体制を整えたのよ」
「何でパンティー脱ぐんだよ」
「感覚を研ぎ澄ますためよ。あたしはケンちゃんほど詠御の力が強くないから、感覚機能を高める必要があるの。 肌を晒す面積を広げることでそれを補っているのよ。それに暗闇だから相手が男でも見えないわよ」
俺はチカの突飛な行動に空いた口がふさがらなかった。
「旦那、チカの行動はそれなりに意味があるだよ。黙って見てることを俺は勧めるぜ」というゴミの忠告にチカは「そうそう、いつものこと、いつものこと。気にしない。気にしない」とはぐらかした。
「それにパンティーはゴミさんがキャッチしてビニール袋に入れたから、後で旦那も褒美に預かるといいぜ」
なんで俺が少女の脱ぎたてパンティーの香りでアンパンせにゃならんのか。ただの変態じゃねーか、全く。
俺達は奥へ奥へと進んでいく。だがいきなり土砂が崩れて行き止まりとなってしまった。近くにノーパン少女がいると認識するだけでエロずっぱい思いがこみ上げる俺の習性もどうにかならんものか。
暗視ゴーグル越しの視界は明るくは見えるもののほぼモノトーンで遠近感が無い。数メートル前までは行けると思っていた道も土砂が堆積していて通れない。
《海景、行き止まりよ。どこかに抜け道はないか探して》
チカは海景に指示を出す。俺達も気流の流れを感じたり、手持ちの装備で周囲を捜索するが、抜け道らしきものが見当たらない。仮にスコップがあっても、この大量の土砂をどけることは不可能だ。海景の連絡を待つしか無い。
待つというのは実に長く感じるものだ。モニタ画面ではまるでスローモーションのようにゆっくりと時が刻まれている。床はジメジメしてるし、視界も良くないので座ったり、壁に寄りかかって待つこともままならない。ようやく、海景から連絡が来た。
《チカ姉、正面の左の壁に隙間があるから、そこを抜けて》
俺たちは海景に言われた方向に行き場所を確認するが、そこにも土砂が溜まっていた。怯む俺を横に払って、チカが黄泉刀を構え螺旋の気を貯めて、一気に刀の螺旋の中心の先端部から気弾を打ち込んだ。
すると、数秒ずれてから壁がボロっと音を立て粉々に崩れた。これもノーパン効果なのか?
にへっと、自慢顔で、スキップの足取りで隙間を抜けていく。
《チカ姉、淀み溜から瘴気が漏れてかなり溜まってるみたいだから、息苦しくなったらマスクを着用して》
ゴミとカメは、海景の指示に従いマスクで口元を覆った。俺とチカは覆わない。息苦しくも無いからだ。むしろ、淀みを吸い分けさながらきき酒のように香りを楽しんでいる。
淀みは取込み次第では黄泉戻師の力にもなり得るのだ。俺は咲夜の特訓を受けるうちに呼吸法と淀みの取込み方をあたかも本能のようにこなしていることにふと気づいた。
一方、チカも澪と直接接する事で、俺と同様に淀みの取込み方を感覚で覚えていったに違いない。何せ澪とチカは大親友で黄泉戻師と増幅師の間柄なのだから。
そういう俺も、もの心つく頃から、澪にキスをされていたにを思い出した。実はあれ自体が黄泉戻師の訓練でもあったという訳なのだ。
願わくば俺へのキスが、彼女にとって仕事と実益(俺への求愛行為)を兼ねたものであって欲しいものだ。
既に淀み溜前、五メートルまで近づいている。目の前には壁があり、中央に人が通れる程の割れ目がある。周囲はトカゲやカエル、ザザ虫やミミズといった昆虫などの生物でひしめきあっていている。歩くたびにそれらを踏み潰すグチャリというおぞましい音がする。コンクリートの壁は、苔やカビでぎっしりと覆われている。
「うああ、こりゃひでえな」
「ああ、今までに無いくらい最悪だな」
カメとゴミの口調からこの状況は普段とは勝手が相当に違うという様子だ。
「下水の臭いもするな」
「下水って下水道とつながってるのか」
「可能性はある。下水は餌場だからな、何がいるかわからんぞ。無責任な飼い主がワニやニシキヘビを下水に捨てている話はよく聞くからな」
「おい冗談はよせよ五味さんよ」
「カメ、珍しく怖気づいたのか?」
「そんなんじゃねえけど、こんなこと今までに無いだろう」
「確かに無かったよな。リーダーの気が魔物を呼び込んだのかもな」
「なんで俺が呼び込むだよ」
「ケンちゃん気付いて無いの?
君の気は吸い寄せられるような暖かい力を感じるのよ。そのせいで、ここにいるあらゆる生物が活性化してるのよ。
余りに力が大きくて、普段は殆ど感じないゴミやカメまで感じてるの。これは異変よ」
確かに言われてみれば、感じる。今までも感じてた気がするが、都会に来た時、逆にこの感覚が一瞬消えて妙な感じはしてたんだ。そしてした今はまた普通になった。何なのだこの不思議な感覚は。
「おっと、今、足元を蛇がはっていった、たぶん」
「何のヘビだった?」
「マムシじゃねーかな」
「マジかどっちへ行った」
ゴミもカメも慌て出したからまあ俺は捕まえられるしした近くにいればわかるけど、こいつらを噛ませるわけにもいかないな。
「海ちゃん、ここに何がいるかそっちからわからないか」
通信は全員に聞こえる筈だが、返答は無かった。いや、そうじゃないノイズ音が既に聞こえていない。これは電気的に切れているという状況だ。
そういえばしたほんの一瞬だったがふいに誰かが俺たちの間を通った感じがした。今気づいたが、視界に現れていた筈のコンピューター制御画面喪見えない。当然、暗視ゴーグルも電源が切れているにだが俺は、切れる前とさして変わらぬ視界である。
俺はゴーグルを外し、周囲を眺めた。視界は暗視ゴーグルをかけている時以上に明るく見えている。
「ゴミ、カメ、どこだ」
さっきまで視界にいたゴミとカメが居ないことに気づき、彼らを呼んだ。だが、返事は無い。辺りを見回すが今さっきまで明るい光を放っていた蛍のような点状の光が少なくなり、若干暗くなって足元がはっきりしなくなった。
嫌な予感がして、周囲を足で小突くと、つま先が柔らかいズタ袋のようなものに触れる感触を覚えた。足下を見るとゴミとカメが仰向けに倒れている。辛うじて呼吸はしているが、気絶していた。二人は精気でもぬかれたように窶れ顔だった。
俺は二人を起こそうと、しゃがもうとした。その時、背筋にひんやりとした冷たいものが流れていく感じがした。
「チカ、・・・」
俺は振り向こうとしたが、殺気と鋭い刃が向かってくる風圧を感じて、背後から襲ってきた何かを、リンボーダンスでもするような姿勢となり、ソレを紙一重で交わし、後方回転しながら【紫電】を抜くと、立ち上がりと同時に受け太刀した。ものすごい力を感じた。剣鬼モード全快の爺ちゃんのようなとてつも無い剣圧だ。せめぎ合う刀の向こうに相手の顔がはっきりと見えた。
「チカ、・・・・、」
そう、そいつはチカだ。ほんの一瞬の事で気づけて無いのが俺の未熟さか。咲夜なら、この時点で事をなしているのだろうな。ゴミとカメの気が消えるわずか前にチカの気も消えていたんだ。俺らの間を抜けたのはチカで、ゴミとカメは瞬時に精気を吸われたのだ。目の前のチカに。
チカの目は青白く光り、体からもオーラのようにゆらゆらと青白い光が立っている。しかも、相当な悪人形相である。澪ぞっこんで、周囲に冷たい時の顔の方が余程優しいと思えるほどである。
チカはその青白く光る目玉で俺をまじまじと見て、ニヤリと笑い、右足で俺の腹を蹴って後方へ飛んだ。
今更だがチカは真剣を持っていた。螺旋筋の入った黄泉戻師の霊刀でなかった事は、今の受け太刀で明らかだった。しかも、あいつが持っていたのは【紫電】のよう叩き上げた真剣だった。
「クックック、貴様も暗闇で命の光を拾えるのだな。さすがは【紫電】を持つだけのことはある。
俺の【震電】も兄弟と出会えて震えてやがるぜ」
チカの声であり、チカの容姿をしているが、チカではない女に背筋が凍りつきそうな恐怖を覚えた。
「お前は、いったい誰なんだ」
俺の言葉にチカは、目を限界まで見開いて、驚いたという表情を見せた。
「いきなり、このオレをこの女で無いと見抜くか?
普通なら気がふれたと思ってもおかしくないのにな。
なかなか面白いやつだ。それに今の立ち会いで、お前のとてつもない力を感じた。
うはははは、こいつはいい。こいつは久々に楽しくなりそうだな。うはははは。
この女の体は結構動きやすい。ちょっと下半身が冷えるが逆に感覚が冴えていい感じだ。この体ならオレの力を存分に発揮できそうだ。
前の男は剣の達人ではあったが、少々精神が逝ってる奴でな。支配が難しかったのだ。しかも、かなりの自信過剰でな、通常なら鉛弾くらい弾き飛ばせる螺旋気道障壁を出せたんだが、クスリに溺れてやがった。
肝心な時にクスリが切れて、禁断症状起こしてよ。障壁が切れて、散弾を腹にしこたま受けやがったのさ。おかげで隊は全滅、こいつはどうにか逃げ延びたが瀕死の重症さ。腹を傷つけられりゃ、どんな屈強な男でさえも死ぬ。
で、ほんのさっき死にやがったのさ。ゴミためにも劣らぬ場所で、あっけねえじゃねーか、アイツが嫌がった最も惨めな死に方しやがってよう。ザマねーぜ。
おいお前、お前は簡単に死んでくれるなよ。俺を存分に楽しませてから死んでくれ。クックック」
なんだこの死亡フラグ的な展開は、いきなりどうすりゃいい。斬り合訳にはいかない相手だ。
チカの剣道の腕前はこの数日でおおよそわかった。三段程度はある。それも、女子のでは無く、男子のだ。澪や姉貴と親しいなら、合気道や空手も心得ている可能性がある。本気のこいつは侮れない。
とにかく、刀を合わせよう。鍔で競り合うのだ。
そのあとは、今は考えつかない。ええい、なるようになれだ・・・・