第十二章 カムフラージュ
俺はようやく新宿の街に出た。時刻は午後六時、太陽はまだ出ているが夜の闇が訪れ始める時間帯ではある。地下がどうなっているかはよくわからないが、俺がいるのはJR新宿駅の東口付近である。ちょっとガラの悪そうでイケてる三人組とは距離を置きたくなる俺である。
さっき、何でそんなメイクをと聞けば、変装なのだな。いちおう皆、表の顔があるし、ある程度は組織隠蔽はあるけど、マスゴミ対策必要ってんで不良たちの戸籍まで作り、住処まである凝りようだ。更にこの不良たちにも表の生活が一応あるようで、そこは現地協力者が対応してくれているという訳だ。当然、丸目込み安い訳ありのセレブ家族だ。彼らが満足する特典付きだ。
チカ、ゴミ、カメの不良ネームは、茅野風香、後藤直美、加賀要だそうだ。見事、名前の頭と尻を結ぶと三人の相性になる。俺の不良セレブの名前は、番場静香、ちゃんとバカになる。女のような名前だが、本人写真を組織支給のスマホで見れば、俺と似た容姿の男でした。
皆、セレブのお子様なので、成長の結果はともかくもそれなりによい名前である。おまけに全員、政府要人の家族も住む高級マンション住まいなのですから。
「おう、いたいた」
気の優しそうな中年サラリーマン風でマイホームパパ的なおじさんが俺に近寄って来た。
「パパ」と叫んで海景は中年男性へ近寄って行く、いつの間にか俺らの脇には三十代くらいの女性が立っていた。三人一緒に高級ホテルへ行くのだという。ま、カムフラージュというやつだ。
そして、俺らもバイト先へ向かう。え、バイト先って何だ。世を偲ぶ仮の姿の生活なのだ。実際の仕事はシフトが上がった後からだそうだ。細けーよ。この時間の間に千里眼師たちは地区に張り巡らされたVOBを使って淀みの経路を追い、淀み溜まりの位置を確定する作業を行う。他の黄泉戻師連中は、この地区の者だけは、俺らと同じようにバイトしたり、街を見回って様子探りをするらしい。気づいたことは逐次報告し、司令塔の指示をしやすくするのだという。確かに工事があると障害物が置かれるし、イベントごとあると夜中でも大量の人が流れるからな。淀みは生き物の動きがなさすぎると活動も停滞するからな。都会は結構大変なようだ。
さて、三人は皆同じ店かと思えば、全員違った。チカはファミレス、ゴミはホストクラブ、カメは牛丼屋。そして俺は居酒屋だ。ゴミ以外は、実年齢プラス二、三のようだが俺らならガキっぽくは無いからセーフだろう。だが、居酒屋ってのは嫌だね。酒飲んでる人を眺めるってのが。仕事はシフトが終わった後で、午後十一時過ぎっておい。研修なのにカムフラージュ本人のバイト代行もあんのかよ。
だがまあ、俺の代行相手は俺に似ていて結構できる奴のようだ。無口だが仕事はまめで店長の評価も高い。当然、店と正社員は事情知っている訳なんだが。さっき、俺の代役が作っているまかないメニューとかも渡され作ってみたがなかなかなの旨さだった。まあ、無口というのが全員に共通することで他人との接触が少ないのでバレにくいそうだ。お客は店員のことなんか覚えない。ファミレスやファーストフードも少しばかりイケメンや美人がいても、萌たり、ナンパに走るのはバカだろう。チカはノーパンでさえなければ、普通だろうしな。
「はい、四番さんジョッキ三つお待ち!」
「五番さん、枝豆とホッケ、唐揚げ大盛りに、あさりバター追加ね」
バイトモードになると俺もテンションが上がる。一応、俺が化けている番場静香はバイトの中でも正社員級の扱いで、現場指揮や厨房対応も任されている。これも俺の実家が食堂で、家の手伝いしてる事が憂慮されてのことなんだろうと察した。
バイト仲間は、俳優の卵、売れないお笑い芸人、大学生、留学生と幅広い。皆、自分の輝かしい将来を夢見て今日を生き抜いているのだなと実感した。俺は下手をしたら、何不自由無く、希望大学に入れて、学費の心配もなく、留年もすることなく卒業して、就職してしまう立場なのかもしれない。
俺のカムフラージュである番場静香という奴は、優遇された立場にはあるが、将来を考えての社会勉強をしているのだという。実はこの居酒屋の親会社の御曹司だったりするから驚きだ。父親は畳一畳「約一九二センチ*九十八センチ」のかき氷屋から一財を成した傑物故、次期社長の息子の教育も手抜きが無い。チカやゴミ、カメのカムフラージュ対象者も同じような立場にあるらしいから、似たことを考えている奴らはいて、うちの組織とのつながりもあって、日本国民の生活が守られているということだ。
俺らと入れ替わるとき、彼らは本社にてプロジェクトの立案、プレゼンテーションなど幹部候補生としての【仕事】をこなしているそうだ。いやはや恐れ入る。とにかく俺は番場のふりをするとかは不要だった。そもそもそんな余裕などない。滝のような勢いで仕事は流れてくるので、こなすだけで精一杯だったのだ。
あれよあれよの間に、深夜十時半になった。上がりの時間である。トイレに行くなり、滝のようにションベンが出やがった。仕事はなんとかこなせたが、やはり田舎とは人の入りが全然違う。静香は、通常はこの後、自宅マンションに戻り、講義のレポートを書いて数時間睡眠をとって、大学へ行く。やり手セレブのパワーは半端ない。
店を出る頃、ゴミとカメからチャットメールが入った。彼らも上がったようだ。チカは三十分前にシフトの娘が病欠しているので一時間遅くなるのチャットメールを出していた。
そこでゴミがチカのファミレスへ行く事を提案し、それに従う事にして歩き始めた。三人面を合わせて見れば、行くときはキメキメだったメイクは落ちていた。あれで店には行かんわな。仕事モード時に再度やるとのことだが、全てはあの姫君のご機嫌をとるためらしい。俺をリーダーに推すのも、このお姫の傍若無人さを抑える為もあるらしいから、少なくともゴミとカメにとっては渡りに船らしいのだ。
「健児、そういえばお前に言っておきたいことがあるんだ」
ゴミが俺に神妙な面持ちで語りかけて来た。
「実は俺、あいつの元カレなんだよ」
なんとなくそんな感じもしていたので俺はそれほど驚かなかった。
「初日の会話でそれとなく気づいてくれてたとは思うが、俺たちは別れた。だからチカがお前やお前以外の男や女とくっついても文句は言わねえ」
俺たちは、チカの元彼であるゴミに案内されてチカがアルバイトしているファミレスへと向かった。二人が何故別れたかまでは語らなかったが、ゴミとならチカはかなりつりあう感じがした。当然のことながら、しっかりアレを相当にいたしたそうなので、チカは既に処女では無いのだな。だが、チカ理論では付き合う男単位での初期状態が処女らしいので、仮に俺と付き合えば俺に対しては処女になるとのことだ。ま、今の俺の境遇ならニアミスすら無いだろうがな。
ほんでもって、ゴミとチカが付き合っていたのが二年前だということだが、チカは十四でゴミは十八だったことになるな。丁度その時期は、澪が白鳥に入ってうちの守手高校の特別クラス受験に備えて猛勉強に入った頃だろうか。あいつは寂しくなって、男に走ったという訳か。
チョト待てよ、ゴミ、おめえ淫行じゃねーか。とか声に出しそうになったが、躊躇した。なぜならば、『お前の爺さんだって淫行だったろうが!』と返されると反論できないので、何も言わないことにした。
せめて、俺は澪とは健全にいたすこととしよう。澪は積極的とは言っても基本寸止めだからな、俺もうまい具合に操縦されている気はしないでもない。意外と押せばOKということもあるかもしれんなあ。うしゃしゃしゃしゃ。
「おい健児さんよ、何よだれ垂らして笑ってんだよ。気色悪い」
カメの言葉に俺は我に戻った。確かに口に拳をあてると粘り気があった。
「大方、恋人の裸でも妄想してたんだろうよ。それにしても、一体どこをどう間違ったら、澪とお前さんがくっつくのか教えてもらいたいもんだぜ」
おお、ヤキモチか、そうだよなこいつらにとっては澪はアイドルなんだよなあ。そのアイドルと少なくともベロチューまでははっきりとやってる俺はこいつらにとっては羨ましい存在ってわけなのか。あとは合体あるのみなんだが、今やったりしたら、周囲の恨みを受けそうだな。こういうことで淀みってのは増幅したりするのだろうか?
とりあえず、俺は冷静になることにした。仕事の開始の指示書がさっきから端末にちょくちょく上がっている。都会はさすがに細かいな。何が何だか俺にはさっぱりだ。
いや、読めば分かるはずだ。そして、読んでみた。俺らを除いたすべての班が、ノルマを終了し、俺らは散った淀みが終結するたまり場へ繰り出せとの支持になっていたのだが、示された場所は、ワルが集まるたまり場だった。
「これマジなのかよ」
思わず口に出さずにはおれなかった。
「何がだ、ダンナ」
「カメ、これ『ノスフェラトゥ』とかいう不良の巣穴じゃねーかよ」
「だな。それがどうした。リーダー」
平然と答える彼らに俺は困惑した。どうやったらそんなに平然となれるのか、それを知りたいくらいだった。
「ここは、警察でも見回りしないところだぞ。何年か前に、覚せい剤だかの取引があって一斉検挙されたが、組織の連中が火を花って5,000人の警官の半分を死傷させ、幹部も焼死したはずなのに、数年前から当時の幹部を名乗る連中が出て、不良たちを集めていると言われる場所じゃねーかよ」
「さすがリーダー、お坊ちゃん学校でも問題児やってるだけあって、不良の話には敏感だな」
「これって、不良とかの域超えてるだろ、おお」
俺は急に足元を救われ、天地が逆転する感覚を覚えた。実際視界も回っていて、床に倒れる寸前に反射的に受け身をとっていた。気づけば目線の上にはメイド服のスカートの中まで見える角度となっているではないか。
不詳のムスコに熱い血流が走り、膨張するのを覚えた。
「もう、ケンちゃんダメでしょう。そんなこと口走っちゃ」
ケンちゃんだと。妙に懐かしくも、嬉しい言葉である。この白い絹生地にできた凹凸には見覚えがあった。ピンク色のアワビ。
「チカ、いや千景か」
顔でない部分で認識する俺も俺だな。
「匂いや、気導以外でも分かるって、さすがケンちゃんだね。あ、澪ちゃんいない時は、チカでいいよ」
チカはそう言って、俺の右手を引いて起こしてくれた。マジマジとチカを見入った俺は、その愛らしいメイドさん服に【見蕩れ】て【萌えた】。
【蕩萌ー!】
自分でも訳のわからぬことを叫んでしまっている。大丈夫か俺は!
「コラコラ、メイドカフェとはいえ、今はほぼファミレスなんだから、こんなに龍を隆起させちゃ、女性客が引くでしょ」
俺の登り龍は、その根本に膝蹴りを入れられ、いつかのカメみたいにひざまずくはめになった。
「あと、三十分で上がるから、テーブルで食事でもしててよ」と、チカはフリフリのスカートをふわっと回転させ反転すると仕事に戻って行った。
話こんでいるうちに、俺達はカムフラージュのチカがバイトしている西部線新宿駅前のファミレスにたどり着いていたのだった。
改めて店の入り口を見れば、ファミリーメイドカフェ、『カフェ・ド・マイド』と書かれていた。メニューはといえば、ちゃんとファミレスしてて、客層もヲタよりもファミリーやカップル、そして外国人観光客と幅広い客層でごった返している。今やメイドカフェは、ヲタ御用達ではなく、新種の外食産業のビジネスモデルの一つに過ぎないのだ。
にしても、澪がいない時は、ケンちゃんでいいとはまたびっくりだ。
「チカがあんたに惚れてるのはかなり本気だぜ、あんたがこっちに来ることを知って、アイツ何かに取り憑かれたように一途になっちまいやがったのさ。
俺の方が遊ばれてたつーのもショックだがな。あんたアイツに何してたんだよ」
「澪の前じゃ、あいつなりに遠慮したんだろうよ。仮にもあんたと澪は恋人なんだしなあ」
「なんで、俺があいつに惚れられなきゃならないんだ」
「さあな。それは俺も知らん。でも、アイツのことだ、きっとあんたがあいつを惚れさせるきっかけを作ったんじゃないもかな。まあ、悩め、悩め」
俺がキッカケをだって、ますます分からん。
分からんことは深く考えるのはやめだ。
「メイドさーん、注文いいっすか」
「おい、健児さんよお」
「なんだあ」
カメが指すテーブルのすみに置いてある物体を見た。カメが本体を軽くタッチすると厨房の方でチャイムのような音がした。しばらくすると、メイド嬢が現れた。
「お呼びでございますかご主人様」
やって来たメイドは、確かに可愛かったが、呼んではみたものの引いてしまった。とりあえず去って欲しい俺は、定番的なオムライスを注文した。更に、メイドさんに呪文をもらいながらトマトケチャップ文字を書いてもらうオプションを付けた。
だが、俺はすぐに後悔した。やってもらったはいいが、やっぱり引いた。世界に入れない俺は、むすり顔をしていたようで、カメが入れ変わって、メイドに合わせてはしゃいでくれた。カメって案外いい奴だな。
それで、チカを懸命に目線で追って店内を探すがあいつはどこにいるのかがわからなかった。やがて、店の一角に個室があることを認識した。そして、そこからチカと同じメイド服の女の子が出入りしているのを目撃した。一般バイトと隔てているという訳だ。納得だ。
俺は、チカが着ている制服と他のメイドの服が微妙に違うのにも気付いていた。だから気づいたのだ。
他が安物という訳では無いが、チカのメイド服はブランドものを匂わせる格調の高さのようなものが感じられたのだ。
チカの割り込みで俺達がこれから成す仕事の核心がわからなくなったが、とんでもないことになりそうな気配だけはプンプンした。