第十一章 豹変
研修三日目。澪が現れてから二日目の朝以降、俺の立場は急展開を見せた。千景が俺にベッタリしなくなったのだ。しかも、昨日からしっかりパンツを履いていているし、俺と澪が親しくしていると必ず割って入って邪魔をする。おまけにチカと呼ぶのさえダメと言い出したのだ。
「あんた何あたしのこと馴れ馴れしく呼んでるのよ」
「いや、お前がチカと呼んでいいって言ったんじゃないか」
「はあ~、覚えてないけど、聞き違いじゃないの?」
「どうしてもチカと呼びたいなら、チカさん、チカ様、チカ陛下、チカ女王、チカの姉御のどれかにして」
「なんだそれ!」
「『なんだそれ!』じゃないわ、あなたは少しばかり実力があるとはいっても新参者でしょ。それを大先輩に向かってタメで、相性呼びってないでしょ。
とは言っても、あたしたちの次期リーダーでもあるから、千景となら呼ばせてあげても良くってよ」
なので、昨日から千景と呼ばざるを得なくなった。異変はそれだけではない。宿泊部屋である。最初は千景の隣りだったが、いきなり客間を通り越して、倉庫にされてしまった。
「あんた、今日からそこで寝泊まりなさい。マットとか布団とかあるから適当に使って、空調は適当に調整すればいいわ。風呂は地下に大風呂あるからそこを使って、食事は大食堂を利用なさい」と、まるでその辺で拾われた使用人並みの扱いだ。更に俺の呼び名も変更された、馴染み深い呼び名ではあるが『ケンちゃん』の後では流石にきっつい言葉だった。
「バカだあ、バカってなんだよ」
「何って、漢字で馬鹿と書くバカのことよ。あなた飛び地の学校じゃそう呼ばれているそうじゃない。何だったら2を付けて差し上げましょうか」
どういう変わり様だ。すりすりベタベタの対象はすっかり、澪に転化している。アッキー(千景の弟、紀彰)の話では、千景の澪LOVEはいつもこうだということだった。とにかく、澪がいると千景はとても周囲に冷たくなるらしいのだ。今回は俺が障壁になってることで、アッキーへの被害は小さいらしい。元俺の部屋で現澪の部屋も元はアッキーの部屋だったらしいのだ。俺の転居が分かって、別部屋が設けられていたにもかかわらずアッキーがそっちの部屋に押し込められたのだと言う。俺の部屋として用意されていた部屋は狭くも無く、日当たり良好で間取りも良かったわけだが、まあ、実の姉に問答無用で自室追い出されたら萎えるよな。全く、困った姉ちゃんだ。
賢治おじさんは、すまなさそうに笑いながら、九月に来る頃にはきちんとした部屋を用意するからと、平謝りしている。研修二日目の朝を迎えた旧俺の部屋は、今は新宿支部非常勤講師である藤崎澪薫の部屋になっちまっている始末だ。澪と千景はレズビアンだったりするのだろうか、とさえ邪推する自分が情けなく感じている。
澪は度々特別講師として呼ばれているようで、今後は非常勤講師として就任するということだった。土日祝祭日のみの対応かと思っていたら、あの地下道には特急のリニア地下鉄まであるらしく、一時間で来れるため、学校終わってからでも対応が可能らしいのだ。(と、いうことは俺との深夜デートも可能なのだろうか。それとなく、ふってみることにしよう)
美香さんは副支部長という立場なので黄泉戻師たちの教育まで見るのは大変だという配慮なのらしいが、澪のパワーだと乱取りは数分で完了してしまうのでこれを乗り切るのは相当に困難であろう。
当の澪は、久しぶりの古巣ということもあってか、普段とは違った生き生き感を見せていた。
俺と鈴葉とお世話になっている西園寺家の方々への差し入れに持ってきてくれた甘味屋の桜餅と牡丹餅には感動ものだったが、俺が研修一日目に美香さんを心の声も含めて何度もババア呼ばわりしたってことで、俺の分は殆ど取り上げられてしまった。確かに地獄耳だ。今後は気おつけることにしよう。
さて、関東一円の若手黄泉戻師を集めた研修会最終日となる今日は、外へ出ての実戦となる。若手黄泉戻師たちも入れて都会での淀みの掃討戦の経験を積むというものらしい。皆、柄だけの霊刀を持っている。どうやら現在は、この柄だけのものが主流で、実際に刀や弓の形をしたものは半ば儀式のように使われているらしい。
もっとも初心者では、刀や弓をイメージしにくいということで、総金属の霊刀や霊弓を使用するらしいが、澪程の使い手となると柄すら無くても霊弓打ちと同じことが出来るらしい。以前、俺と澪の間の良からぬ噂を広めようとした田上はこの仕打ちの的となりあえなく失禁して倒れたのだ。
但し、相当な規模の淀みの撃退となるとやはり総金属の霊刀、霊弓が出されるらしい。総金属の霊弓と霊弓は外側と内側に螺旋の溝が彫ってあり、この溝を使って気脈のエネルギーを増幅させた方が放出後の吸収の効果が高いのだという。(ここ二日、読み込んだWEB版の黄泉戻師マニュアルに書いてあった)
それにしても澪が俺よりも先に黄泉戻師の仕事にはいっていたとは驚きだ。あいつ白鳥から藤崎に変わった時さえ、そんなこと言って無かったのに。俺は相当に伏せられていたんだなあ。ここまで伏せらて、実力が期待にそぐわなかったら一生日陰者だぜ。
チーム分けはラウンジのモニタに表示された。俺は千景と五味と鬼頭に海景を入れた五人だ。鈴葉はアッキーと別の若者達のチームに編成された。澪は指導教官なので参加はしないようだ。
千里眼師ということなら霧子も来ているのかと聞いたら、実家の家業が書き入れ時でそれどころではないとのことだったようだ。最近、都心へ向けてのアピールで江戸情緒溢れる別館を作り、天然温泉宿を作って大当たりしていたのだ。外国人客も多いため、霧子はその応対に忙しいとメールが来ていたっけ。
しかし、更に驚くべき事が起きた。若手黄泉戻師の激励にと現役の黄泉が駆けつけたという具合だ。駆けつけたも何も最初から予定にあるのだろうがそれにしても数日ぶりとはいえ、まともな別れの挨拶もせぬままだったので、感無量という感じもある。
美香さんは、コンパニオンのお姉さんのようなテキパキした口調で司会進行をこなしているのが印象的だ。
「この研修会も今年で五十回目となりました。この会から多くの黄泉戻師、増幅師、千里眼師が学び、育ちました。
今日はみなさんの激励に現役の黄泉様、十六夜咲夜さんが来られています。皆さん、盛大な拍手でお出迎えください」
会場は割れんばかりの声援だ。これだけの人気者を我が家では普通に滞在していたのかと思うと、やや恐れ多いとも感じる。スポットライトが黄泉が入ってくる入口を照らし、壁がくぼんで黒い袈裟姿の黄泉が現れた。
俺の目線は黄泉を追うが、入ってきた時から違和感を覚えた。やがて、その違和感は彼女が壇上に立った時、明らかになった。顔が違うのだ。家にいた時の彼女は、紗希姉と瓜二つと見紛う程の容姿だった。なのに今、壇上にいる彼女は、どことなく紗希姉に似ている程度にしか見えないのだ。
どことなく紗希姉に似ているのと、紗希姉と瓜二つがどのくらい違うのかと聞かれると表現にはことさら困るのだが、例えば同じ種類の子犬なり、子猫なりを飼っていても飼い主が、二匹をきちんと見分けられるくらい違うというのが適切だろうか。紗希姉と十六夜をあまり知らない人が見たら瓜二つに見えるのだろうが、紗希姉と親密な俺には二人が違うと分かるのだ。十六夜がうちに来た時は、紗希姉の記憶が曖昧というかすっかり忘れている状態だったこともあるのだろう。こうやって、十六夜と紗希姉が全くの別人と分かってしまうと、なんだかとても気味悪く感じる。俺以外の家族とは以前から面識があったのだろうが、俺は十六夜を全く知らない、得体の知れない奴と数ヶ月過ごしていたことが不気味でしか無いのだ。
十六夜の激励の言葉も頭に入って来ない。声は確かに家で大盛り飯をくらい、俺をキミと呼び、胸を擦り付けて来たあの黄泉だ。声に関して言えば紗希姉の方が透明感があってキレが良くてお姉さんっぽい。
既に俺の耳には黄泉の言葉は雑音のようにしか響いていない。ただただ呆然と彼女を眺めるのみである。当の、彼女はこの群衆の中に居るであろうはずの俺を全く追うともしてなかった。修行中はどんな時も気を発し、自分の存在をアピールいていた彼女が全くそれをやめてるのだ。俺とはもう師匠と弟子でもなく、ただの他人という態度に取れた。激励が終わると黄泉は早々に退場してしまった。退場した入口を呆然と見つめる俺、
「ちょっとバカ聞いてるの?」
千景が仏頂面で口元をへの字に曲げて、ちょっとした都会の不良ギャルっぽい衣装も手伝ってゴミを見るような上から目線で睨み付けている。気持ちと態度の違いで人はこうもブサイクになるのかと感心させられる一瞬だった。これじゃ雷ババアの形相の方がまだ可愛げがある。
千景をリーダーとするミーティングが始まったのだ。俺達が行く先は歓楽街の歌舞伎町、淀みがジワジワと人を侵食している区域らしい。どんなところにも必ず淀み溜まりがあるが、歌舞伎町のように路地裏もビル内も入り組んでいるとその溜まり場は至るところにある。当然、地区担当である千景たちはおそらく何度も駆除に来てはいるのだろう。
昼間は、それなりに人も多く、ゴジラのモニュメントもあって賑わっているが、日が落ち闇ができれば、人の心にも悪が芽生えて来る。闇にまみれることが人の理性のタガを外しやすくするのだろう。そうすると淀みも吸収しやすくなり、次第に侵食されていくという訳だ。
これを退治するということは、淀み溜まりは無論のこと、淀みに取り憑かれた人間も気絶させねばならないということだ。その種類はチンピラやゴロツキ、不良少年少女、職にあぶれた浮浪者、酔っぱらい、野良犬、野良猫、カラスなどなどだ。マジでそんな奴ら相手にするのかよ、ほとんどホラー映画だぜ。
「海景はまだ十歳だぞ。そんなところに連れ込むのは危なくねーか」
「やっぱ、あんたバカね。このチーム編成は能力と経験とスキルで編成されてるの。場数という点では、田舎での経験は数値にして、〇・二掛けってとこね。逆に田舎に行ったらあたしらの都会経験がそれくらいになっちゃうけどね。
いいこと、海景は十歳でも八歳から参加してるのよ。あたしもそのくらいから初めて十二で地区リーダーになってるの。この仕事は年齢や成りだけでやれるものじゃないわ。素質も十分に使いこなせなきゃ宝の持ち腐れなのよサラブレッドさん」
「海景は遠距離から増幅波を送れる。だから俺らの近くにいなくても大丈夫なのさ。ま、あんたにとっちゃ初体験だらけだろうが、これも慣れさ」
「そうそう、お前はまだ初心者なんだよ。今回は気楽にしといて、業師たちの腕を見てモノにするくらいの気持ちでいなよ。
それにしても、お前ら何があったんだ。チカのやつやけに不機嫌だぞ」
「澪が来たから上機嫌じゃねえのか」
「そらねえな。仕事の上じゃ、あいつは澪に敵わねえし、まあせめて成長みせたくてがむしゃらが増したんだろうな。
おかげで、こっちまで今時恥ずかしい、不良スタイルさせらちまう有様だ。出来るなら、次期リーダーさんに頼みて~な。あいつを凹ませるくらいのことをしでかしてくれねーかなってな」
千里眼師は人数が少ないので、この地下支部に残って、情報収集と分析に携わるらしい。その長をやるのがさっき会った朱雀だった。
例によって、VOBが発動された状態で行動に移るのだが流石に都会では移動物が多いため、対象が現れるまでは未発動で行動することになる。
それにしても、千景とゴミ、カメの出で立ちは半端ない。まるで誂えたようなコスプレなのだ。そういえば、朱雀に見せてもらったブロマイド集の中にそういうスタイルのものがあったようにも思える。とにかく、見てくれはガラが悪いが、スタイリッシュさを気取ってそうな不良の雰囲気があると言えばいいだろうか。
対する俺はいかにも田舎もんの旅行服。絶対場違いだ。とりあえず、ネクタイを緩め、シャツの上のボタンを外し、腕まくりをする程度が関の山だ。はてさてどうなることになるのやらだ。
【用語解説】
VOB。
"Virtualizati On Barrier"の略。日本語では仮想境界。黄泉戻師でもなかなか見えにくい淀みを見やすくするため、町中に磁界フィールド発生装置を配備して、それを作動させることで、淀みを視覚的に捉えるもの。一般人からの視認を避けるため脳に波長を送って黄泉戻師の存在を認識させないこともできる。システムの断線、地区の停電が起こると使えなくなる。