第六章 新宿支部
新宿駅に着いたはいいが、ドアを開けると後部車両だけ全く別の場所にいた。いたというか、移動したという方が正しいだろう。新宿駅にはほぼ定刻の六時に着いたんだ。駅舎に入る前に夕日を浴びてオレンジ色に染まる高層ビル群も見えたんだ。
俺と鈴葉は、バックをからって下に降りて、ドア付近に立っていたが、そのドアは窓ガラスが閉まっていて、停車したにもかかわらず、ドアは開かなかった。前方の車両にも移れず、大声を上げても、ドアを叩いても誰も来なかった。
まもなく、電車はゆっくりと発進し、車庫に入って行くような感じがした。この間、平行移動や上下移動している感じも何度かあった。それから二十分程して、ようやくドアが開いたのだ。
「健兄ここどこやろうなあ」
鈴葉は、特に不安がった様子は無い。むしろ興味津々(きょうみしんしん)に周囲を見回している。俺的には、なんとなく基地らしい匂いがプンプンしてきた。やっぱり、ただのお泊りじゃないんだなと実感した。
「健兄、あっちに矢印があるで」
鈴葉が指差す方角を見れば、確かに順路案内のように矢印が灰色の壁に白く光って示されていた。他に行きようもないので、鈴葉の手を握り、矢印に沿って歩きだした。通路は僅かばかりの照明が壁の継ぎ目の間にあるだけで、周囲はやや暗かったが色の識別には支障が無い明るさだ。矢印は俺達がある一定距離まで進むと次に行くべき場所に表示される。せめて、言葉を表示してくれればいいのだが、相変わらず矢印だけだ。
電車を離れてから、十分は経っているが、そもそもどこで止まったのかもわからぬまま、方向も分からずに進み、今は一直線の通路を進んでいる。通路をすぎるとホールのような場所に出てきたが、受付のようなものはあるが人はいない。中央には円筒型のエレベータが四本立っている。
一本のエレベータのライトが点いて、ドアが空き、秘書的な若い男性が出てきた。
「木村健児さまと、木村鈴葉さまでいらっしゃいますね」
若い男は俺たちにとても誠実そうなもの言いで丁寧に柔らかく話しかけた。
「はいそうですが、姉ちゃ、木村愛女の会社の方でしょうか?」
「はい。私は木村社長の秘書、及川と申します。では、こちらの方にお越しくださいませ」
スーツ姿の男は、先頭に立ち俺たちに後に続くよう会釈をした。壁際まで来ると、ピロっというセンサー音が鳴り、壁がちょうど大人が五人横並びで通れる幅で四角く内側に窪み、更に中央から左右に割れスライドして開いた。開いたドアは一メートル程の厚みがあった。ドアをくぐり抜けた先にはちょいといかしたラウンジがあった。
壁の一部は大きなモニターが埋め込まれ、どこかの海底の様子を映し出している。そして、中央を取り囲むようにリクライニングシートやソファーが配置されている。周囲は、やや甘めのアルコールのような芳香がしていて、心地良い山水の音がBGMとして流れており、非常にくつろげる空間であると認識できた。
「まだ、皆様はお越しではありませんので、しばらくこちらでおくつろぎください。そちらにドリンクバーとお茶受けバーがございますのでご自由にお召し上がりください。
今日は、新しいメンバーでのキックオフがあります。皆さんがお揃いになってから開催いたしますので、それまでこちらのプログラムにも目を通しておかれてください」
スーツ姿の男は、そう言うと二つ折りの厚紙を渡して、一礼し、奥へ下がった。キックオフって、会社の仕事の立ち上げだよな。打ち上げだと思っていたのに、いいのかな社長の家族というだけでお邪魔して。
「健兄、ケーキがぎょうさんあるよ。めっちゃすごいよコレ、東京の名店のケーキがずらっと並んどる」
早速、部屋の隅にあるケーキバーを見つけた鈴葉は、迷わずバーへ直行していた。こいつは恐れを知らんというか、食い物で釣られる口だな。
「ウチ、コレ全部食べたいなあ。健兄、食べてもいいかなあ」
「さっき、自由に食っていいって言ってたぞ、食えよ」
「せやな、悩むことなんかあらへん。後悔先に立たずや!」
鈴葉は自己納得すると、その場でケーキを食いはじめた。
「鈴葉、行儀悪いぞ、横取りする奴いねーから、皿に取って食え!」
「了解!」
確かに色鮮やかで、イチゴ、クリーム、チョコと色艶のよいケーキが八分一サイズ大に二十種ほどずらりと十個ずつは並んでいる。名店のそれかどうかは、和菓子党の俺にはよくわからんが、澪や霧子に見せたら飛びつくのかな。まあ、マユや豪田、小夜なら全部食っちまうところか、おかわりも要求しかねないかもな。
小夜、・・・・。
ふと頭にあいつのことが浮かんだ。だが、すぐにかき消すことに専念した。
考えるな、俺。あいつのことなんか。あいつは紗季姉と鈴葉の思い出を弄んだんだ。どんな理由があろうが、許されることじゃない。
落ち着かない俺はドリンクバーを物色することにした。コーヒー、紅茶、コーラなどのソフトドリンクは定番だが、なんと大吟醸がある。しかもうちの地元、蔵持酒造の【霧の舞】だ。他にも、焼酎、ウイスキー、バーボン、ジン、ビール、ワイン、梅酒や白酒まである。俺の気持ちは高鳴る。
俺はまずは、大吟醸を開けた。喉を通るこの香り。たまらん。そして、グラスを探す。当然のように枡がおいてある。このバーのレイアウトを任された人は分かってるなあ。
一口飲むと、たまらぬ芳香が体に染み渡る。
「くー、うめえ」
俺は飲んだ、飲みまくった、特級酒を、高級ワインを、ウイスキーを。
「こんなうめえ酒は初めてだ。つまみのカラスミや干物も、梅干、塩辛も最高だ。ここに住みてえくらいだ」
俺は、疲れもあいまって、次第にうとうと来てしまった。時刻はすでに定刻の夜八時を回ったが、誰も現れる様子は無い。姉ちゃんに電話するも圏外だ。きっと残業で忙しいのだろうと、ネクタイをゆるめ、シャツのボタンを外し、上着をハンガーにかけると、リクライニングシートを倒して横になった。ほろ酔い加減で心地よくなり、知らぬ間に眠りに落ちてしまった。
そう、落ちてしまっていたんだ。瞼の上に急に影ができ、芳しい匂いが鼻の奥をついて、俺は目を覚ました。目の前には薄肌色のシルクの生パン(正面)があった。
「なんじゃー、こらー」
俺はひらひらのスカートを頭に被った状態で、体を起こし振り向いて、シルクパンティーの本人を見た。
髪はやや茶髪、色白で少しばかり瞳が緑がかっている。肌は白いが健康的な赤らみのある、ちょっとばかり不良っぽいというか小悪魔がしっくり来るような、可愛系でありながら大人ぽさも漂う美少女だった。
ちなみに俺は、どんな女性でも長所を見抜き褒め称えるたちなので、俺が言う美少女は万人の認識からは結構外れていると断言しておこう。
でも、その中でもこの娘は澪並にイイ女である。正直に言えば、お嬢様モード時の澪と同等だろうか。
「へー、本当に香りに敏感なんだねえ」
「おまえのま○この臭さに驚いたんじゃねえのか」
黒髪でやや角刈りがわずかに伸びた男は、ぶっきらぼうにボソりと言う。少女はカッと眉間に皺を寄せ怒りを露にし、無防備な男の股間に飛び膝蹴りを脊髄反射的に入れた。
股間を押さえ込んでひざまずく角刈り男。その後で、悶絶の声を上げた。
「うっさいわね。この亀頭、レディに失礼すぎるでしょ」
確かにそうだ。○ん○が臭いなどと年頃の女の子に言っていい言葉じゃないぞ。それに、臭くなかった。いい香りだった。おかげでムスコが半勃ちしちまってる。
「俺は亀頭じゃねー、鬼頭だ。おまえこそ、人を卑猥な名前で呼ぶなよな。読みが違っている上に、間違った方の別読みしやがって、なんちゅうやつだ」
なんなんだこいつらは。俺とタメみたいのように見えてしまうが、会社員にしては若すぎるよな。
そういえば、鈴葉はどうしてるんだと見回せば、お姉さんっぽい人と二人でケーキバイキング真っ最中だった。あのセクシーなお姉さんはいったい誰なのだろうか。
「たく、名門の都立高校の学生が飲酒しまくって、うたた寝ってどういうこったよ」
おっと、もう一人野郎がいる。赤毛に金縁メガネか、うあー陰険そうな目つきだ。
「彼が噂の健児くんでしょ。裕次郎さんと愛女さんの弟で、千代様の孫なのよね」
「らしいけど、そう見えなさそうで胡散臭せー」
「音冥寺元支部長の甥でもあるんだっけ?
あの人の甥だってところだけは十分頷けそうなんだがね。全身から女好きオーラが滲み出てやがる」
さすがに、俺もむかついて来たな。これは流石にひとこと言わねばなるまいて。
「おいおい君ら、初対面なのにえらい言いようじゃないか」
「ゴメンねー、健児くん。このカメとゴミ失礼なこと言っちゃって、こいつらも悪気はないのよ。根が腐ってるだけなんだから気にしないで」
「根が腐ってるって、どういう紹介だよ千景。それと、何度も言ってるだろうが、俺の名は亀頭じゃねえ、鬼頭龍だ」
角刈りが少し伸びた頭の男は、この可愛い子ちゃんに相当にからかわれているようだ。なんだか普段の自分を見ているようで他人の気がしないな。
「千景、誰がゴミだ。俺の名は、イツミだ。五味清十郎だと、いつも言ってんだろうが」
赤毛のクールガイは相当にキレかかっているが、少女の方は全く動じていない。
「自己紹介まだだったわね。あたしは、西園寺千景。よろしくね。木村健児くん。うふっ。
あたしのことはチカでいいよ。健児くんは、ケンちゃんって呼ぶね」と、千景は俺の目線に合わせウインクをする。
ぬおー、すっげー可愛いじゃないか、フェロモンというか黄泉臭、いやいや黄泉香がほんのりとするぞ、この娘はやはり黄泉戻師なんだな。しかも、いきなり生パンツとは、都会の女の挨拶はなんて過激で、サプライズ半端ないんだなあ。
なるほど、こいつらが辰巳さんが言ってた都会の若者たちってんだな。確かにチカだけでなく、彼らからも黄泉香がする。ここは辰巳さんが支部長を務めていたところって訳か。姉ちゃんとも何だか関係があるんだろうな。これはきちんと挨拶しないとな。
俺は乱れていた服装を正してから、かけていた上着を着用し、深々と頭を下げ挨拶をした。
「西園寺千景さん、それにカメとゴミ。木村健児です。よろしくお願いします」と、丁寧に挨拶をした。そして、顔を上げると千景が右手を握り込み親指を立ててグッジョブサインしている。俺は急に照れくさくなり、頭に手をあてお辞儀をし、チカにグッジョブサイン返しをした。
「こらあ、木村。きさま、何チカといい雰囲気になってんだよ。俺のこと忘れたとは言わさんぞ」
角刈り男のカメが、怒り顔を近づけて来た。バカ3の田上並にうぜーやつだ。
「君と何処かで会ったのかもしれないが。俺、本当にそういう趣味はないんだ。残念だが、俺のことは忘れてくれ。君は君を認めてくれる同姓の恋人を見つけてくれ」
俺はウザいカメをいなして、赤毛のゴミとも話をする。
「ゴミとは凄いあだ名だね。僕もバカとかアホとかスケべ、ど変態とか幼馴染の女の子には、よく言われてるけど、ひどいあだ名で呼ばれるほど実は仲がいいってことなんだろう。
今日の集まりのことは良く分かってないのだけども、同じ黄泉戻師としてよろしくな」
「わあ、凄いよケンちゃん。どうして、三人が黄泉戻師だって分かったの」
「そりゃあ、香りで分かるじゃないか。君らもそうやって判断するんじゃないの?」
彼らも当然同じ能力があると思っていた。だが、彼らの目は俺を驚きの眼差しで凝視していた。
「ね!噂通りでしょ。ケンちゃんは、ヤッパリ本物よ。十六夜さんが言ってた通りじゃない」
「確かに咲が言ってたことは間違いなさそうだ」
「この際、コイツが本物とかはどうでもいい。俺様を忘れてるって事が許せねえ」
なんだ、咲とか十六夜って、誰の事だ。聞いたこと無い名前だな。それにしてもこのカメ、なんで俺にこうもつかかるんだ。
「キミ、健児くんだね。初めまして、私、大江山河内美香と言います」
振り向けば、鈴葉とケーキバイキングで食べあっていたあのセクシーな女性だった。彼女は、俺の近くに椅子を移動させ腰を下ろした。
鈴葉はチカの目にとまり、チカとじゃれ合いはじめた。チカは及川さんを呼びつけ、新しいケーキを補充させている。こいつらまだ食うのか。女はケーキは別腹と言うが、これは別腹じゃなく、異次元だろう。
しかし、大江山河内とはまた長い苗字だな。和服が似合いそうな古式ゆかしげな大人っぽい女性だが。このはちきれんばかりのボディもフェロモンもたまらん。特にうなじと黒髪の艶が半端ねー。この香りはそうか、分かった。
「増幅師ですね。美香さんは」
何故だか俺は、無意識に口走っていた。
「どうして、分かったの?」
彼女はとても驚いた様子だった。どうして、そういう反応をするのかは俺にはよくわからない。
「俺の彼女が増幅師なんですよ。彼女が出す音というか振動の感じがそっくりだったので、そうじゃないのかなーって思ったんです」
「たまげたわこの子。予想以上だわ。咲夜からは結構、【バカ】って聞いてたのに、そこまで【バカ】じゃ無いじゃないわ」
俺は、久しぶりにかなり心を折りそうな【バカ】の発音を聞いた。
「それよりもキミ。この鈴葉ちゃんはキミの妹なんだよね」
美香は、脇にいた鈴葉を抱き寄せ頬ずりする。俺の妹はあんたのペットか!
「私、鈴葉ちゃんのこと凄く気にいっちゃった。アンタ、鈴葉ちゃんも連れて来ない?
鈴葉ちゃんの面倒は私の方でみるからさ」
「おい、美香。咲の言いつけにその話はねえぞ。いくらお前でもそんな身勝手は認められんぞ」
「ゴミは相変わらず五月蝿いわね。マスコットも必要じゃない。いい女を見れば股間膨らますような男子じゃ、私も張り合い無いのよ」
それって俺のことか。股間は確かにやや膨らんではいるが、あんたが色っぽすぎんだよ。もっと普通の服を着れよ。胸の谷間見せすぎなんだよ。
俺は少々横暴な美香の態度に怒りを覚えた。
「あんた九月からこっちに来るでしょ。その話よ。鈴葉ちゃんも増幅師としての修行は十分じゃないと聞いているわ。
そりゃあ澪の方が家柄も実力も私より上だけど、自然の力を借りることが出来ない都会で修行した方が断然力になると思うのよ」
俺は目が点になる程に、頭がどっかにすっ飛び、ただただこの美香を凝視した。
「キミ、何にも聞いてないの?
支部長と元支部長もいい加減ねえ。その様子じゃ言い出しっぺの十六夜からも何にも通達は無かったのかな。それでここに連れて来るかね。全く」
「いえ、俺は姉貴が乗って行った自分のバイクを取り戻しに来ただけで、姉貴の知り合いの人たちとパーティでもやると思ってたんですけど」
俺はここへ来た時に及川さんから渡された二つ折りのプログラムを見たが、新メンバーでのキックオフパーティとして、出席者の名前と形式通りのプログラムしか書かれていないことを改めて確認した。しかし、俺は『新メンバー』とという言葉を見落としていたことに気づいた。『新メンバー』とはいったい何のことなのだろうか。それに出席者の中に俺の名前がしっかり書かれてある。鈴葉の名前はない。同姓同名の人でもいるのだろうか。
一方、美香は、うつむき額を手で押さえ込んで、唸りはじめた。
「あー、健児くん。ここの副支部長として伝えるのだが、キミは、九月からこの地区で黄泉戻師の修行することになってるのよ。防衛省の仕事としては転勤かな。でも、左遷じゃないわよ。これは栄転よ。
それと学校も転校することになってるわ。さっき健児くんと話しをしていたチカとカメが通ってる西新宿区都立球磨野高校にね」
「なんですと――――」
俺はまたしても、予想だにしていない波乱含みの渦の中へ投げ込まれていた事実を知った。