岡田以蔵、無間地獄にて
岡田以蔵。幕末の日本を血で染めた三大人斬りの一人である。土佐勤王党において、田中新兵衛と共に人斬りに明け暮れ土佐勤王党のタメに尽くすが、相棒である田中は姉小路公知の暗殺の疑いをかけられ捕縛、その場で自刃。岡田は新選組により佐幕色強まった京において、土佐勤王党に見捨てられ彷徨う。窃盗、暴力沙汰、強盗などの罪で捕まるも名前を明かさず無宿人鉄蔵という名を付けられて保釈。二度目の捕縛のさいに岡田以蔵というコトがバレてしまい、土佐に送られ凄まじい拷問の末に洗いざらいを吐いてしまい張付獄門となった人斬りである。人を斬った人間は地獄に堕ちる。岡田以蔵はただの人斬りではない。斬った人の数は覚え切れぬほど、覚えている人の数でも両手の指では足りないといった極悪人である。すなわち、堕ちるは無間地獄。
「此処は…、何処ぜよ?」
岡田は真っ暗闇の中にいた。闇の中である。視界が見えないというわけではなく、本当に闇しかない。立っているのが不思議、死んだはずなのに立っていることすらも不思議。
「わしは死んだはずぜよ。……っちゅうことは、ここは地獄がか? 全く鬼も何も居らん殺風景なところじゃぜ」
腰元には慣れ親しんだ太刀がある。引き抜いて、一度振り回してみる。一度死んだからから体が軽く感じる。動きやすい。そういえば、五感も妙に冴え渡っている気がする。誰かが、居る。その誰かは此方へと歩み寄ってきていた。闇の中から見える姿、それは背の高い大人よりも頭一つ分は飛び出た化け物。その飛び出た頭に乗っかっているのは角。口元に牙。肌が赤く眼光鋭き顔つき。
「おまん、鬼ぜよ?」
「見てわかるだろ。此処は地獄の一丁目だ。貴様は人を斬りすぎた。貴様に斬られた怨霊たちが挨拶をしたいと言っているのでな。全員にきっちりと挨拶してやってくれ? その儀を終えれば貴様の魂は自由だ。この地獄から解き放たれ再び現世に蘇ることも可能。はたまた極楽へと成仏し休息を得ることも可能。それまでは挨拶回りを続けてもらう。これが貴様が現世にて犯した業だ」
岡田は話を聞いているのか居ないのか。手に持っていた抜き身を構えると、口上を述べている鬼の脇腹へと突き立てた。確かな手応え。鬼が、ぎろりと睨み付けながら岡田の腹を蹴り飛ばす。握りしめたままの刀は突き刺さった鬼の腹から、ぬるりと抜けていき代わりに勢いよく熱く燃えたぎる血が飛び出た。その血を戻すかのように手で押さえながら鬼が言う。
「全く噂に違わぬ愚か者のようだな。存分に斬り合え、この人斬りめが」
ふんっと鼻で息を抜くと鬼は闇の中へと消えていった。取り残された岡田。げぼっと想像以上の衝撃を腹に受けたために噎せていたが、そんなことしていられないことを肌で感じた。
今まで闇であった廻りの景色が、徐々にだが地獄絵図と言われる風景へと変化して言っているのだ。あちらこちらに亡者がうろつき、鬼がその亡者をしごき、亡者が突き刺さっている針の山があり、ぐつぐつと煮えたぎっている釜があり、足下には粘っこそうな血の池があり、周りには見覚えがあるようなないような刀を構えた亡者たちが岡田を取り囲んでいた。
「挨拶回りっちゅうのは斬り合うっちゅうことがか。望むところやぜ。いっくらでも斬りまくっちゃるきに!」
岡田は愛刀の柄をググッと握り締め直すと、間近まで距離を詰めてきていた亡者の横へと飛び込み腹に蹴りを入れる。何人かの亡者らを巻き添えに血の池へと飛び込んでいったのを音で聞きながら、反対側から距離を詰めてきていた亡者の首を落とす。ごとりっと地面に転がるが血は出ない。死んでいるのだから当たり前。堕ちた生首は胴と離れる前からある言葉を繰り返し呟いていた。いや、今切り落とした生首だけが呟いているのではない。いま、岡田を取り囲んでいる亡者全てが同じ呟きをお経のように何度も何度も唱えているのだ。
「お か だ い ぞ う ユ ル ス マ ジ 死 を も っ て 償 え」
「わしも死んだから此処に来たんじゃろうが。まったく、わしも死ぬ可能性があったんじゃからオアイコっちいうわけにはいかんがか?」
なんて、言ってみるが答える声はない。聞く耳持たず。死人に口なしと言ったものであるが、口はあっても聞く耳持たずなだけなのかもしれない。
岡田は針山の方へと走っていった。途中、立ちはだかる亡者どもを血の池へと突き落としていきながらである。突き落とされた亡者は岡田への恨みを込めたあのお経を唱えながら、無数の手へと変化した血の池たちによって沈められていくのである。逆を言えば、この血の池のまわりは自分も堕ちる可能性があるわけだ。危険が多すぎる。そう判断しての戦力的一次撤退であった。亡者たちはナメクジのようにゆっくりと這いずるかのように群れで岡田の方へと蠢いていく。さっきよりも数は減ったが、それでも焼き石に水であった。途中、バカみたいにデカい地獄釜の横を通り抜け、後ろから追いかけてくる亡者たちに対して地獄釜をちゃぶ台返しのようにひっくり返して煮え湯攻めしてみたが、あまり成果は上がらなかった。
針山へと着く。山脈のようにそびえ立つ針山であるが、これを越えれば現世への道が開けるような気がする。すでに幽体なのだ。直感力に頼っても問題はないだろう。山越えを決意しての第一歩で岡田はへこたれそうになった。なんと針山はバカみたいにデカい針だけではなく地面一杯に無数の針が敷き詰められているのである。その上、時折、鬼が現れては亡者をつかまえては中空へと放り投げている。そこでザックリとデカい針に刺さるのである。上も地獄、下も地獄。まさに針山地獄である。なんて、考えていると後ろから亡者どもがうようよと近づいてきていた。無数の白刃が岡田に襲いかかっていくが、辛うじて交わす。勢い余った一人の亡者が倒れると将棋倒しのようにドドドッと何人かの亡者らも重なり合って倒れていった。これを見た岡田は人としての心を一つ捨てた。亡者を投げ飛ばしては上に立ちという解決策を見つけたのである。つまり、亡者らを敷き板代わりに使ってやろうという魂胆である。これが案外上手くいった。怨念のみで生きている亡者らは動きが単調でいとも簡単に投げ飛ばせるのである。恨みの言葉を唱えているので、辛うじて残っている良心の欠片も痛まずに済むのである。
文字通り、屍の山を気付きながら針山を攻略した岡田。眼前に広がるのは三途の川と言われる現世に通じる川である。これを何らかの方法で渡りきれば現世に戻れると言う話を聞いたことがある。後ろにぞろぞろと引き連れていた亡者らも針山によって此方には越えてこれないらしい。楽勝楽勝といった具合で賽の河原を横切ろうとすると、一人の背の低い女顔の男が立ちはだかった。
「あんた、岡田さんだね?」
「ほうっちゃが、わしは急いじょるきに。退いてくれんかの?」
「それは無理な相談さな。おいらが生き返るためには貴方を斬らなくちゃいけないらしいんだ」
「ほうか、ほうか。わしも生き返りたいきに、死んじょくれ!」
他愛ない雑談から不意打ちとも思える殺気が岡田から放たれ、その気合いの乗った剣が立ちはだかった男の胸へと吸い込まれていく。が、その一撃は空振りに終わった。立ちはだかった男は己の刀の柄に手を添えながら言い放つ。
「あんたが土佐の岡田以蔵だとすれば、おいらは肥後の河上彦斎様だ。名前ぐらい聞いたことあるっしょ?」
「ふんっ、人をカボチャのように斬るだとか言われちょった男がか。相手にとって不足無しぜよ」
にやりっと口の端を上げると、抜き身を構えなおす岡田。やや猫背気味の姿勢で青眼。獣の如き眼光。全身から放たれる凍えるような殺気が辺りの空気を何度か下げて行くような気がした。だが、河上も負けてはいない。小柄ながらに一人前どころか十人前ほどのおぞましい殺気、構えは鞘に納めた刀の鯉口を切り、柄に手をかけた片手抜刀の構え。
二人の間で目に見えぬ殺気が争い在っているのが遠目に見ても解るほど張りつめられた空気であった。双方、じりじりりと距離を詰めたり外したり、なかなか飛びかかることはしない。とくに岡田は飛びかかれない。抜刀術とは、どのような斬術よりも速いのである。こちらが如何に速い突きであっても抜刀術の名手の剣撃よりも疾く動けるかとなれば、それは無謀な賭けに他ならない。名を残すほどの人斬りというのは勝負上手である。そうでなければ有名になる前に死ぬからだ。確実な勝利を見付け、賭けにはならないようにならないようにとしていくのが真の勝負上手である。そのために二人の勝負は痺れを切らした方が負けという根比べになっていたのである。
そんな根比べをしなくとも、河上が何故斬りかかればいいではないかと思うかも知れない。だが、河上もまた勝負上手なのである。抜刀術というのは最速の剣技であるかわりに捨て身の術なのである。一撃目が外れたり交わされたりすれば二撃目を打ち込む前に大抵、相手の剣撃の餌食となってしまう。これが今のように一対一だからこそ冴える剣技であり、多人数戦となれば一気にその価値があせてしまう。そういう剣技なのである。
よって、確実性を高めるためにも後の先、すなわちカウンター戦法を取るのが基本であった。双方、共に当たれば相手を倒せる自信はあるのである。逆に、お互い相手の一撃を受ければ倒されるということも解ってしまっている。これが二人の死闘を根比べへと持ち込ましている理由である。
そんな二人の消耗戦であったが岡田に変化が起こった。握りしめていた剣を握りなおそうとして滑り落としたのである。慌てて拾おうとする岡田。だが、河上はその瞬間を見逃さなかった。一気に踏み込んでいき、居合いの一撃を岡田の胴へと叩き込んでいく。
その一撃は残念ながら空振りに終わってしまった。岡田は刀を拾うと見せかけて小刀を抜刀しながら、踏み込んでくる河上と一緒に後ろに跳び、元の場所、すなわち河上の目の前へと舞い戻ると土手っ腹へと全身全霊をかけた突きを繰り出したのである。まるで、跳びかかってくるのを読んでいたかのように。
腹を抉られ血を吐きながら跪く河上。それを見下ろしながら岡田が言葉をかける。
「河上くん、わざと隙を作るちゅうのも戦術のうちやきに」
「は、はは、こんな状況で、あんな隙の作り方するなんて考えつきませんよ…。ほんと、バカには叶わないな」
「褒め言葉として受けとっちょくきに」
そんな言葉返しながら愛刀を拾い上げ鞘に収めると、三途の川をバシャバシャと泳いで渡り始めた。岸は見えないが、いつかは着くだろう。そんなことを考えながら、ひたすらに泳いでいく。不意に前方から光の波が押し寄せてきて岡田を包み込んだ。視界には白いものしか映っていない。次第に意識すらも白んでいった。
「此処は…、何処ぜよ?」
岡田は打って変わって闇の中に居た。完全なる闇の中。どうなっているのかわからない。振り出しに戻されたらしい。なんて考え後をしていると、鬼がやって来た。
「貴様は業を贖うまで戦い続けるのだ。業を贖うために亡者を斬る。その亡者を斬った罪を贖うために再び無間地獄に落とされる。人を斬り続ける限りは、この無間地獄からは抜け出せぬ。もっとも、貴様の中に眠る人斬りとしての本能がある限りは抜け出すことは不可能であろうけどもな」
此処は無間地獄。終わることのないメビウスの輪。憎悪の連鎖から逃れられぬように、人を傷つける限りは逃げることの許されぬ現世で人を傷つけ過ぎた亡者たちに罪を贖わせるためにある地獄。地獄とは全て罪を贖うためにあるところ。意味のない地獄はない。現世で罪を重ねれば地獄での責め苦が長引くだけ。地獄がいやなら現世で悪さはしないこと。それを心懸ければいいだけさ。
厳密な意味での仏教的地獄ではないのであしからず。
地獄を舞台に撃剣キャラ小説を書いてみたかったのでこのようになりました。
御眼汚し、失礼。