嫌な出会い
月も出ていない真っ暗闇な夜だった。
ルーイは足早にジェイの隠れ家から遠ざかり、十分離れてから歩をゆるめた。木々の生い茂る森の中を、小川を目指して歩いていく。
フクロウが何か、獲物を狙ってちる。ルーイは横目でそれを見、獲物の断末魔を聞きながら先へ進んだ。隠れ家から早足で30分ほどのところに小川がある。それがルーイにささやかな癒しを与えてくれる。
「はあ……」
瓶を置いて、ルーイは重いブーツも服も脱がずにそのままざばざばとその川に入った。一番深いところでも胸の辺りまでしかない。ざばん、と水の中に頭の先まで潜り、ルーイは顔を洗った。
昼間の労働で汚れた体を服ごと洗う。脱げないブーツも、水に晒せば多少はましに感じた。
「はあ……」
一通り気が済むまで水をくぐってから、ルーイはふと水面に映る自分の姿を見つめた。暗い水面にぼんやりと白っぽい影が映っている。金髪だけが、暗闇の中で浮かび上がって見えた。肩甲骨のあたりまで伸ばされた髪は水に濡れて体に張り付いている。
髪をかきあげ、暗い水面にゆらぐ影をルーイはじっと見つめた。
ジェイもディも同じ髪色だが、ルーイが一番明るい色をしている。
重いブーツを履かされるのも。
狭い小屋に押込められるのも。
過酷な労働環境も。
めちゃめちゃに殴られるのも。
そしてそれら全てに逆らえないのも、全てこの金色の髪のせいだ。
ばしゃん、とルーイは水面を拳で殴った。白い影は粉々に飛び散り、すぐにまたぼんやりと一つにまとまる。
「……」
ルーイは頭を抱えて、その影を壊すように水面をゆるゆるとかきまわした。消えない、変わらない事実。どうあがいても、変わらない。
-------
下草を踏みしめる音がして、ルーイははっとした。誰か、来る。
もし一般市民が驚いて銃を発砲し、金髪を撃ち殺したとしてもこの国では何ら罪に問われない。そう法律で定められており、銃殺される金髪は珍しくない。
猟師だとしても、うまく相手に存在を示さないと命に関わる。ルーイはそっと音の方に体を向けた。冷や汗が背中を伝う。
さっき見たフクロウの狩りがふと脳裏をよぎる。誰か分からない軽い足音は、確かに近づいてくる。もしかしたら同じ金髪の誰かが水を浴びにきたのかもしれない。それでもルーイは気が抜けなかった。真夜中に森の奥深くまでやってくる人物が、何も武器を持っていないとは考えられない。
かさ、と草や落ち葉を踏みしめる音が、すぐ近くの岸辺で止まった。ルーイは控え目に水中で手を動かし、ぽちゃり、と水音を響かせてさりげなく存在を示した。それでその人は気付いたようだった。
「誰か、いるの?」
( 女? )
思いがけず高く柔らかい声にルーイは面くらい、咄嗟には返事ができなかった。若い女が一人で出歩く時間でも場所でもない。
声の主はすぐ近くの樹木の後ろまできていたらしく、そろそろと頭を覗かせた。何とか姿が見える。川の中に立ち尽くしたまま、ルーイは相手が金髪なのか違うのか目を凝らした。
(金髪……じゃ、ない)
暗くてはっきりはしないということは、恐らく黒か茶の髪をしている。ぱちり、と女と目が合った。
「あっ」
ルーイを見つけた人物は小さく声をもらした。ルーイは慌てて目を逸らすと急いで川からあがった。
「申し訳ありません。川を汚してしまいました」
すぐに白く細い足下にひざまづいてルーイは頭を垂れた。
「え?えっ?あっあっ、あの」
戸惑っている声が降ってくる。その足下からは5mほど離れて、ルーイは地面すれすれに頭を下げた。拳銃を持っていると考えて、逃げるには距離が近すぎた。
しかもこの人物が水を浴びに、または汲みに来たのなら気分を害したに違いない。何せ暗闇でもはっきりとルーイが金髪であることがわかるのだ。すぐに気付いたはずだ。
じっとする他なく、じっとルーイは地面に張り付いていた。脂汗が頬をつたう。
「……そんな、私、別にそんなつもりじゃ……別に……」
段々声が小さくなっていく。ルーイが全く動かないので、声の主はどうしたらいいか分からなくなったらしい。
逃げられる。ルーイがタイミングを計った時だった。ぱっと踵をかえして相手のほうが走りだした。
軽い足音が、遠くへと小さくなっていく。その音が聞こえなくなってからようやくルーイは顔をあげた。
「……助かった……?」
それからルーイは大急ぎで泥を落とし、水を汲んでジェイの住処へと急いだ。真っ暗な森の中でもう何者にも会いたくなかった。
ほう、ほう、とフクロウが鳴いていた。