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Chapter 1

もともと学園祭に出すために書いたものなので、半端なく季節外れです。

この頃は単にエウロパを題材にした小説を書こうとしていただけだったのですが……。

氷に閉ざされた星


 俺は望遠鏡を東の地平線近くの惑星に向けていた。

 家の近く。南にひらけた駐車場に望遠鏡を運んできてから、一時間くらい経ってやっと見やすい高度まで昇ってきた。午前0時半。八月下旬の蒸し暑い空気も夜の闇に十分涼しくなっている。

 レンズを覗きながら、望遠鏡の向く角度を微調整する。木星を視野の中心に合わせると一回り小さいレンズに換える。でかいガス惑星だ。個人が持てるレベルの望遠鏡でも表面の模様がわかる。赤みがかった茶色とクリームの不思議な縞模様。さらにレンズを小さいものに換えると、もっとはっきり見えてくる。誰が最初にそいつを見つけたかは知らないが、そのときから夜空を見上げる者を魅了し続けていたに違いない。俺もその奇妙な魅力に釘付けにされていた。

 最近になって、やっときちんとした望遠鏡を手に入れた俺は、とにかくその星をこの目で見たかった。しかし、木星が空に昇る時刻は、特に夏には深夜であり、田舎とはいえ住宅地では周りに建物があるので、観察できる所も限られていて、観測できる所で観測できる頃まで待つのは結構の根気が必要だった。

 それでも0時まで待った甲斐があった。経験上、曇りの日が多い日本海側では、晴れた日を逃すと、タイミングによってはその後数週間まともに天体観測ができなくなったりする。

 夜間の黄道の高度は冬の方が夏よりも高くなり、観測しやすくなるだろうが、冬に深夜まで外で寒さに耐えるのはかなりつらいだろう。雪が降る季節になると、冬であるのにも関わらず雲が多くなり、雪が積もれば望遠鏡のセットすらできなくなる。

 その眺めを堪能すると、俺は地面に置いておいた無地のノートを手に取る。そしてその最初のページの、コンパスで書かれた円の中に木星の模様の模写を始める。

 模写といってももちろん簡単なものだ。鉛筆で書き終えると今度は衛星の位置を記録しようと再び望遠鏡を覗く。

 ん?

 見えない。地球の自転は意外に早い。視界から逃げたのか。しかし微調整ノブを動かしても見えてこない。

 どうした?

 望遠鏡から目を離す。

「え?」

 目を疑った。気付かなかっただけかもしれないが、ついさっきまで誰もいなかったそこに、長い髪の少女が立っていた。

 暗くてよく見えないが、白いワンピースのようなものを着ているようにみえる。逆光でわずかに見える肌は白いようだ。僅かな光でうっすらと見える顔は何故か、白飛びしているように線が少ない。

 そしてその腰まで伸びる長髪をよく見ると、さらに奇妙なことに気付いた。逆光で透けて見えたその髪は、青かったのだ。

「あの、そこどいてくれませんか?」

 意を決して喋る。しかし、少女はそれに応じようとしない。

 もう一回同じことを言おうとしたとき、その少女はやっと口を開いた。

「あなた、何を見ていたの?」

「は?」

 いきなり訊かれたことにも驚いたが、俺はその声に驚かされる。その少女自身の髪のように蒼く澄んだ声色は、ころころとした滑舌で、無機質に透明で、光るようにはっきりしている。

 危うく相手の質問に答えるのを忘れるところだったが、そもそも見ず知らずの相手に訊かれているのであり、無視しても問題はない。

 しかし、もちろん俺は答えた。

「木星だけど」

「そう……」

「で、何?」

「エウロパ。見える?」少女は俺の質問に答えずに質問を続ける。

 天文好きなのか?

 もう一度望遠鏡を覗くが、もちろん何も見えない。

「あの、どいてくれますか」

「あ、ごめん」

 ひょい、と少女は右に退く。

 視野が開ける。ノブを調整すると木星が見えてきた。

 えーと。衛星は何とか見える。一番木星から離れているのがガニメデ……だとおもう。目立つオレンジのイオと小さく白く光るカリストが同じくらいの(見かけ上だが)距離を置いて木星のすぐ右上と左下に見える。そしてイオとガニメデの間に光るのが、エウロパ。

 探査機ガリレオが送ってきた美しい画像を思い出す。氷の大地を走るいくつも赤茶けた亀裂。その氷の下には液体の水による海が存在するという。

「見えるよ」望遠鏡から目を離しながらそう言う。

 そういえばこの少女の髪の色は海に似ている。今気付いたが目も青いみたいだ。

「で、何の用?」

 敬語を使うのを忘れているのに気づいたが、言い直すのはやめた。

「太陽系で最も好きな惑星は?」

 また質問か。

 しかし何だろう。俺は一瞬、さっきまで眺めていた木星の姿を思い出し、そう言いかける。が、しかし、違う。

 その少女の青い髪と目を見て言う。

「……地球」

 しばらくその少女は考え込んだように俯いていたが、再び顔を上げこちらを見ると。

「わかった、じゃあまずあなたの家に入れてもらえる?」

 もちろん厄介なのは嫌だったが、話を聞くだけ聞くのも悪くないだろう。

 ……っておい。

「え。俺の家?」

「そうだけど」

「まて。本当に何の用」

「とにかく連れてってくれる?」

 接眼レンズをケースに片付け、各種保護キャップを対物レンズその他に付け、三脚を畳み肩に担いで家に向かう。

 振り返ると、その少女の青い髪が夜風になびいて、こっちに近づいてくるのが見えた。


 俺の家は決して大きい家ではない。むしろ小さい方だろう。だが、少なくとも兄妹の自室が存在する程には広かった。

 担いできた望遠鏡を玄関の近くの壁に立て掛けておく。鍵の閉まってない戸を開けると、望遠鏡をげた箱の脇のスペースに置く。

 誰かがこっちへ来る様子はない。そりゃそうだ、もう一時近い。皆寝る準備をしているか、もう寝てるだろう。

「入って」

 出来るだけ音を立てないように注意する。下手したら誰かを連れているのが親なり妹なりにばれるかもしれない。まあ慎重すぎるのも良くないだろうが。

「二階に行こう」階段の電灯を点けると、できるだけ声が居間に届かないように少女に伝える。

 狭い階段には本やCDの類が置いてあり余計歩きにくくなっている。

「足場に注意して」先に自分が階段を少し進んでから手招きする。

 少女は階段を器用に上る。初めてなのに上手いものだ。感心しながらよそ見をしていると自分が踏み外しそうになる。扉が開きっぱなしのコンピュータルームに入ると電気を点ける。

 明るい部屋で改めて少女を見ると、やはり青い髪と虹彩が目立つ。肌は白い。白い、といっても病的な青白さはない……いや、少しあるかもしれない。顔の輪郭はまだ幼く、背も俺よりも十センチメートル以上低い。

 ここまできてようやく自分の警戒心のなさに気付く。相手の目的もよく分からないのに家に連れてきてしまったのはやはり失敗だ。もちろん、ただの家出なのかもしれないが。エウロパについて話しかけてきたからといって少し安心してしまっていた。別にエウロパくらい誰でも知っている。米露英日中の五カ国による木星及びその衛星の探査プロジェクトの日本パートの開始も迫ってきている。天文好きが理由で話しかけてきたとは限らない。

 そして俺の家までついて来やがった。完全に俺の負けだ。

 しかしこの髪は何なのだ。見た限りかつらではない。染めたのだろうか。地毛だとしたら? メラニンが変色したとか。そんなことがあり得るだろうか。

「で、俺に何の用だ?」

「率直に言うわ。あなたには、エウロパの将来に関する重要な使命を持ってるの」

「えっと……え?」

 何を言ってんだこいつ。

「どういうことだ」

「エウロパを生命の星にする。あなたの手で」

 わけが分からない。

「俺がそんなことを出来るとでも?」

「別にあなたである必要はないわ。頼みを聞いてさえくれれば、誰でも出来る」

 こいつの言っていることは本当なんだろうか。

 こいつが何なのかが解らないとなんともいえない。

「本当にあんたは何なんだ。なぜそんなことが言える」

「……私は、私。私の存在は、簡単には説明できないの。信じてもらえないなら仕方がないわ。でも、まず私の話を聞いて」

「……」

 やはり解らない。しかし“私は私”か。こいつは、もしかするとかなり面白い何かがあるのかもしれない。

「わかった。話してくれるか」

 そういうと少女は目を輝かして。

「ありがと。じゃあまず訊くけど、今進行中のエウロパプロジェクトは知ってるわね」

「ああ、知ってるが」

「日本の探査機プロジェクトで少し前に大幅な変更が行われたのは知ってる?」

 なんだって。

「初耳だ。何があったんだ」

「探査機の計画の大幅延期があったのを知ってるでしょ」

 ちょうど一年前にあったことだ。詳しい事情は一切公開されなかったが。

「日本の探査機にはイオンエンジンとプラズマエンジンが積まれるのは知ってる?」

「ああ」

 もちろんだ。特にイオンエンジンに関しては日本は世界の最先端を行ってる。

「あれ、最初は核融合エンジンを積む予定だったのよ」

「ふーん」ん、核融合?

「なに、マジか!」

 つい叫んでしまった。核融合エンジンだって? 熱核パルスエンジンか? 実用的な核融合機関を現在の技術で実現可能な理論が何年か前に日本の物理学者に完成させられていたはずだったが、もうそのレベルまで達していたのか。

「正確には熱核ロケットエンジンなんだけど。まあ、核融合の技術自体はまだ発展途上だけど、理論は奇跡に近い完成度を持っていて、燃料は水素、三重水素が最も効率がいいけど、いざというときは水で反応を起こすことも可能。探査機は火星でスイングバイをして木星を目指す。木製の大気を調査した後、エウロパの周回軌道に乗り、表面の鮮明な画像の撮影、大気の成分の調査や表面のスペクトル分析を行い、小型探査機を投下してさらに表面近くの情報を得た後、地球に帰還するという大ミッション。

 でも、この探査機にはある秘密のボーナスミッションがあったの」

 ボーナスミッション?

「エウロパに“墜落”して、エウロパの熱源かつ酸素の供給源になるの」

「は? どういうことだ」

「エウロパの海に“核融合炉”を沈めるの」

 そういうことか。しかし簡単じゃない。エウロパの表面の氷はすごく厚い。少なくとも百キロメートルはあるんじゃなかったか。ごく薄い所かひび割れを狙うかするしかないのではないか。

 それに墜落の原因についてはどう偽装するのだろう。

 多くの国が関わるこの大プロジェクトで謎の事故が起きれば、誰もが合理的な理由を求めるはずだ。

「もちろんこのミッションの成功率はとても低いわ。でも、もし成功すればエウロパの運命を変えることになるはず。氷の下の生命は恐らく地球では考えられない速度での進化を始めるはずよ」

「そんなことが」

 そんなことが可能なのか。確かに理論的には可能かもしれないが……いや、どうだろうか。

 それに、そんな大洋の一点に熱源があったところでエウロパの生命に影響を与えることができるだろうか。好気生命体がすでに存在するとは思えない。簡単に成果の出る話ではない。

 だが、とりあえずやる価値はあるのかもしれない。

「でも、さっき言ったとおり、このプロジェクトは大きく変更された。当初予定されていた核融合エンジンの搭載は不可能となったの」

「なぜ?」

「核融合エンジンを開発した学者が技術協力を突然断ったの。

 核融合に関するノウハウが全くない中、学者の協力が一切受けられなくなったことで、計画は完全に破綻した」

「なぜ断ったんだ?」

「それを調べるのがあなたの使命よ。そして再び計画に参加してもらうの」

 なんだそりゃ。

「無理だ」

「いいえ、やってもらうわ」

 どうしろと言うのだろう。どこに住んでるかも知らないのに。

「それに彼は恐らく迷ってるわ。もしかしたら協力してもいいかもしれないと。だからあなたが説得しに行けば再び計画に参加してくれるかもしれない」

 そうだろうか。そんな簡単に物理学者を説得できるだろうか。どこに住んでるかすら知らない相手をどう説得するというのだ。

 それに、どうして迷ってるだなんて知っている?

 しかし、もし会えるというのなら、実は心の中では会わせてほしいと思っていたりする。未来を変えた物理学者だ。

「まず、会う方法とかコンタクトの方法は知っているんだろうな。

 俺はそんなの用意できないからな」

「まあ落ち着いて。可能よ。確か彼は自分のブログを持っているはずよ。調べてみて」

 ……そうか、それでコンタクトの問題は解決する。うまくいけば会わせてくれるわけだ。

 デスクのいすに座ってマックのスリープを解除する。

 自分のアカウントに入ると真っ先にインターネットのブラウザを立ち上げる。

 検索サイトに行って、物理学者の名前「林野啓介」で検索をかける。検索結果の一番上からいくつかは最近のものからやや古いものまでを含めたニュースが並んでいた。

 その下は百科事典のサイトや彼の理論による機関などを扱う会社のサイトのページのリンクが並ぶ。

 検索ワードに「ブログ」を付け足す。検索ボタンを押すと一番上に彼のブログの名前がでてきた。

 それをクリックする。ページが表示されるとすぐに彼のブログのメールフォームのページに移動する。

「これでどうだろう」

 適当に文章を書いて送信する。メルアド欄にこのマックのアドレスをコピペしておいたから返信してくれるかもしれない。すると何分もしない内にマックがメールを受信した。

 以外に早く返信が来たので驚きつつも題名のないメールの内容を見ると。

『断る』

 この一言で終わっていた。

「どうする」

「もうちょっとがんばってみて」

 今度はもっと熱意を込めて書く。

 送信。

 数秒後、返信。

『断る』

「もう一回」

 さらに熱意を込める。

 送信。

『断る』

「もう少しだけねばって」

 熱意を送信。

『断る』

 ほとんど自動送信の早さで返信が来る。

「もう一回」

『断る』

「もう一回試してみて」

『断る。死ね。氏ねじゃなくて死ね』

 自動送信じゃないようだ。

「無理そうだけど」

 そりゃ有名な物理学者だ。ブログをやっていればこんなこと日常茶飯事なんだろう。無視しないだけましか。

「どうする」

 しばらく少女は黙っていたが、一度ため息をつくと。

「仕方がないわね」とつぶやく。

「あきらめるのか」

「いいえ」

 じゃあどうするっていうんだ。

「ちょっと面倒かな」

 面倒? なにをするんだ。

 ……え。何が起きたんだ?

 ノイズ? まるで少女の表面にノイズが走ったような。表面?

 幻覚か。そう思って再びマックの画面に向かう。しかしその画面にも異常が起きていた。

 何も触れていないのにも関わらず、すさまじい速度で画面上のコンソールにコマンドが打たれ、その度にウェブブラウザの表示も変化している。変化していく早さに目が追いつかず、どんなコマンドをしているかすらもわからない。

 何が起こっているんだ。

 しばらくすると、画面の変化が止まった。

「わかったわ。ここね」

 そういうとウェブブラウザが手前にきて地図サイトが表示される。

 そしてその一点が示される。

「ここに行けっていうのか」

「そうよ」

 いったい何をしたんだ。手も触れずに。こいつは何者なんだ?

 この少女に対する疑問が次々と生まれる。

 それはいいとして、いや、ぜんぜんよくないが、画面に示された家。家といってもアパートの一室のようだが、住所を見ると意外に近い。同じ県に彼が住んでいることは知っていたが、これだったら電車でそれほど金をかけずに行ける。

「明日。というか今日行くのか」

「ええ。それがいいわね」

「学校があるから行くとしたら夕方以降だな。だが、あっちも忙しくないか?」

「彼は今、特にサークルもやってないみたいだから少し遅くまで待てば大丈夫だと思うわ」

「そこまで分かるのか」

 しかし説得には俺が必要なのか。

「まあ、説得には自信がないけど、あんたの言う通りにしてみるよ」

 別に用事もない。暇つぶしだと思えばいい。まあ、少し緊張しているのも事実だが。

「で、お前はどうするんだ。明日」

「私も一緒に行くわ」

「じゃあ明日どこで待っていれば?」

「六時に林野の家の前にいるわ」

「わかった」

 俺は椅子から立って部屋の入り口に向かう。

「んで、そういやあんたのことはなんて呼べばいい?

 あ、俺は谷村剣一。あんたの名前は?」

「えーと……」

 こいつはただの人間じゃない。もしかしたら人間でもないかもしれない。でも、事実、現実のそこにいる。

 いや、もしかしたらそこから疑わなければいけないのかもしれない。本当に「事実」としてそこにいるのか。

 そこからはもういくら考えても、意識に生きている人間には理解できない。そういえば周りの人にも同じようにこの少女が見えているのだろうか。もちろんそれは俺一人では分からない。

 こいつは、面白くなりそうだ。

「じゃあ“ルシファー”とでも呼んでくれればいいわ」

「わかった」

 そんなことを話しながら階段を下りると、少女“ルシファー”は玄関に向かう。

「じゃあね。また明日」

 静かにそう彼女が言うと、玄関の扉を開ける。

 普通だったらこんな夜中には家まで着いていってやるのが常識だろうが、この場合は当てはまらないだろう。

「じゃあな」

 俺がそういうとルシファーは軽く手を振って外に出る。俺はそれに手を振り返した。

 彼女が扉を閉めるのが見え、音が聞こえる。

 俺はドアに近づいて鍵をかけると、思う。

 本当にこの扉は今、開いて閉まったのだろうか。

 ルシファーか。なるほど、エウロパを救うはずだった輝く木星。氷の星を緑の星に変える、光をもたらす、太陽の化身。


交渉


「よう、谷村。昨日オススメした奴見たか?」

 俺は谷村剣一。高校二年生で、天文部所属——ちなみに廃部寸前。

「なんだそれ、そんなんあったっけ」

 読んでいた本を閉じて適当に答える。

「ほら、久しぶりに良さげな妹枠のアニメがやってるって言ったじゃないか。どう、見たのか」

 そんな話したっけな。

「見てないし。だいいち北畠、俺は妹モノはあまり好きじゃないって言ったろ」

「まあそんなこと言わずに一度見てみな。ネットでも今なら多分いろんなところで見られるぞ」

「今はこいつを読んでいることもあるしパスするわ」

 手元の小説を北畠に示す。

「いやいや見なきゃ損だって。現実に妹がいるからって面白味が減る訳じゃないしさ。

 ま、そんなことよりゲームはどんな感じだ?」

「やっぱFPSゲームのマルチプレイは面白い。ハマる」

「だろ。だから俺の勧めるものに間違いはないのだ」

「あんま信用できないな」

 北畠 透はゲームやアニメのマニアだ。

 今、俺はトレイアークだったかインフィニティー・ワーズだったかが出しているFPSゲームにはまっている。北畠が勧めてくれたものだが、これがなかなか面白いゲームで、一度始めるとゲーム機の前から離れられなくなる。

 北畠とは中学校以来だが同じ小学校の出の生徒が少ないこの高校では一番仲がいいかもしれない。

「『幼年期の終わり』? アーサー・C・クラークか。古くさいモノ読んでんだな」

「古くさいっちゃー古くさいがまだまだ彼の小説はリアルだ。それに楽観的だから読んでいて気が楽だし」

「まあな。ただリアルさの方にはやや問題が出てきているような気がするけど。

 あ、そうだ。SFで思い出したんだけど日本のエウロパ探査期の打ち上げが今年末に決まったらしいな」

「えっ。本当か?」

「っていうか知らなかったのか。ネットで昨日ニュースになっていたぞ」

 あー、そういえば一瞬そんなニュースが視界をよぎっていた気が……。

 おい。普通に考えると今日説得に行くとかでは間に合わないぞ。もちろんあいつも知っているはずなんだが。どうするつもりなんだろう。

 策がないとは到底思えない。いや、なぜ言い切れるかという根拠もないが。

「どうした?」

 黙っていたら不安がられたようだ。

「別になんでもない。ちょっと気になることがあってな」

「おっと遂にお前も恋をしてしまったのか?」

「ちげーよ」

 青い少女がエウロパを救えとか言いに目の前に現れたなんて言えるはずがない。

「まあもうそろそろ朝礼だから席に戻るわ」北畠が俺の机から離れる。

「ああ」

 まあ考え過ぎたって何も解決しない。とにかくあまり考えないようにしよう。

 とは思ったものの、やはり俺の頭の中は核融合エンジンの探査機と天才の物理学者と、少女の青い髪と目のことでいっぱいだった。


「ここか」

 放課後。目的のアパートの前に来た。学校から電車と徒歩で一時間以内で着いた。まだ五時半ちょっと。少し早かったか。

 そしてルシファーはどこだ……。

「こっち」

 後ろから声がして驚いて振り返る。

「もう彼は家にいるようね。行きましょう」

「ん。そうなのか」

 俺はアパートの彼の部屋。五階建ての建物の三階の左端の部屋をちらっと見ると、階段へ向かう。

 外から見ただけじゃ彼が中にいるかどうかは分からないように思える。

 やはり緊張する。彼の部屋の前に来ると勇気を振り絞って呼び鈴を鳴らす。

「すみませーん」

 数秒後、ガチャっと音を立てて扉が開く。

 林野が顔を出す。正しくニュースで見た顔そのままだ。感動する。世紀の天才物理学者に直接会えるだなんて。

 俺の学制服を見ると顔が険しくなり。

「何の用だ」

 帰れ、と言いたげな目つきで言われる。

「え、えっと。その……」

「あなたの発見した物理理論と核融合について伺いたいことがあるんです」

 横にルシファーが出てきて言う。

「ん」

 林野がルシファーの姿を見る。すると、一瞬の間を置いて彼の顔が一変する。

「まさか……」

 なにかつぶやくのが聞こえた。

 一度目を擦って再びルシファーを見ると、手元の端末を操作し始める。

「お前は何だ」

 ルシファーを見て問う。

「私は、私よ」

 その答えを聞いて彼の目が再び端末の液晶の上を走る。

「お前」

「は、はい」

 自分の方を見ていきなり呼ばれびっくりする。

「そいつ、どこで会った」

「い、家の近くでいきなり現れたんです」

「ふーん」

 彼は少し笑みを浮かべながら端末をしまう。

「まあいい、上がれ」

「はい、ありがとうございます」

 よし。一応彼と話すことはできそうだ。

 玄関はそれほど散らばっていないが、居間に入るとそこらじゅうに「日経サイエンス」や「ネイチャー」等、一般向けからずっと格の高いものまで、雑誌が乱立していた。

「適当に座んな」

 一応座るスペースはあったので俺とルシファーはそこに座る。林野は作業中だったのか、部屋の隅のコンピュータを操作すると、テーブルの俺たちの反対側に座る。

「で、話ってのは?」

「その、あなたが日本の探査機計画への技術の提供を断ったことについて訊きたいのですが」

「お前どこでっ……」ルシファーを一瞥して留まる。

「あ、はい、彼女から聞きました。その……探査機を墜落させる話も」

「フムン……」

 林野はそれを聞いて唸る。

「それで、なぜ断ったのですか」

 彼は話すのを渋っているようだったが、ルシファーの方を見ると諦めたように口を開いた。

「……。

 お前は知らないかもしれないが、あの探査機でしようとしていたことはそれだけじゃない。葉緑体をばら撒く計画も同時に実行される予定だった。そっちの方はまだ秘密裏に準備が進んでいるんじゃないか。

 どうせそのうち二酸化炭素やフロンでも持っていくんじゃないか。全く、馬鹿げている」

「えっと、つまり地球外の生命について影響を与えるようなことは倫理的にもまずいと考えているのですね」

「は。何を言っているんだ?」

 俺は彼の話を聞いて、要するにエウロパの生命の未来を操作するような行為を人間がしてよいのかという問題について話したのだと思ったのだが、違ったらしい。

「お前、こんなことが成功すると思うのか。

 まだ未発達の核融合を利用した探査機を木星まで向かわせるだけでなくエウロパにランデブーし、核融合エンジンを核融合炉としてエウロパの海に沈めるなんて、しかもそれが成功したところでエウロパの生命に良い影響を与えるかどうかもよくわからない。

 一回じゃ不安だから何回にも分けて手を加えていく。

 そんな不確実なことに俺の理論を利用されることなど不快でしかない。

 それで技術協力を断ったんだ。何てことはない、それだけだ」

 なるほど、この計画には確かに難点が多い。うまくいく可能性は低いのだろう。

 彼がそれで協力を拒否するのは確かに納得できる。

 だが、ルシファーは、彼は迷っていると言っていた。

「あの、あなたはエウロパの生物を助けることには賛成なんですか」

「ん?

 それは……それは賛成だ。

 人間が神の役割をしてしまうだとか、どうのこうのいう奴はいるが、せっかくいる生命を無駄にしたくはない。

 そうだな。その点ではこの計画には賛成だが」

「なら、また計画に戻ってもいいじゃないですか」

「なるほど、お前らはそれを言いにきたのか」

 どうやって説得しよう。

 実際の例を挙げるといいかもしれない。あかつき……はやぶさ……NEAR……そうだ、NEAR・シューメーカーだ。

「NEAR探査期って知ってますよね。

 あれだってエロスに着陸できる可能性は1%未満とされてましたけど成功しましたよ。

 少し賭けてみてもいいんじゃないんですか?」

 あまり説得力はない気がする。

 だが、あの瞬間のことは彼の世代だったら良く覚えているはずだ。

「……。

 そいつがお前にこれを指示したのか」

 林野はルシファーを見て言った。

「そうです」

「ふーん。なるほどな」

 おっ。これは。

 彼は立つと再びPCの前に立つ。

 少し操作をした後こちらを向くと。

「わかった。再び計画に参加することにしよう」

「ありがとうございます」

 俺とルシファーが言う。

 しかし。妙だ。上手くいきすぎている。

 それに彼はルシファーについて何か知っているはずだ。

「あの……」

「お前」

 そのことを訊こうとしたら、無視して俺を呼ぶ。

「ちょっとこっちへ来い」

「はい?」

 俺は床の障害物に注意して林野の方に行く。

「耳を貸せ」彼は小さめの声で言う。

「明日お前にメールを送る。用件はそのときに説明するからな」彼がルシファーに聞こえないようにして言う。

 彼は顔を離すと、別に意味なかったか。とつぶやきつつルシファーを見る。

「んで、他に用は?」

 一応ルシファーを一瞥する。

「もういいわ。協力ありがとう」

 よし、帰るか、と帰ろうとしたとき重大なことを思い出す。

「あ。忘れてました」

 俺は鞄の中から彼の記事が載っている「SFマガジン」を取り出す。

「サインください!」


 彼の家から出ると、駅でルシファーと別れた。もし彼女が人間だったら、この近くに家があるといったところなんだろう。

「じゃあね。これであなたの任務は今のところ終わり。機会が会ったらそのときはよろしくね」

「ああ。じゃあな」

 ああ、気になる。

 次の日に学校に行っても、まだいきなり現れては消えていった少女のことが頭から離れなかった。

「どうしたんだ?」

 北畠が話しかけてくる。

「いや、何でも」

 まだ自分がエウロパの運命を変えたという実感がない。それに俺が説得したというよりルシファーの存在に影響を受けていた面が大きいようにみえた。

 まだメールも来ていない。携帯を眺める。

 ん?

「でさあ、第六話であやせたんがさあ……」

 メールが来ている?

「ちょっと待って」

 メールを確認する。

 このアドレスはおそらく林野のものだ。

『今日また夕方に俺の家に来てくれ

 あの少女について、主に正体について話がある』

 まさか。

「どうした? ま、まさか彼女からとか?」

「いや」

 正体について手がかりを持っているのか。

 胸が高鳴る。待ちきれない。早く学校が終わってくれ。

「彼女なんてもんじゃない」

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