茨城説話 十三塚の伝承
筆者が幼少のおり、古老に口伝えされた地方民話を、解釈を交えて紹介する。
民話を語り継ぐ語り部のひとりとして、読んでくださったかたに、なんらかの発想を兆していただければ幸せである。
いまも柿岡という土地があっぺけど、その名のとおり、柿の産地なんだわ。
いまでは、柿だけではねえくて、梨やブドウも採れっけど、ミカンも少しは名産だわな。
柿岡の近くでミカンがよぐ採れる丘と言ったら、十三塚だっぺ。
この十三塚が、なんで十三塚といわれてっか、話してやっかんな。
塚ってのは、墓なんだわ。十三個のお墓があったってのが十三塚だっぺ。
茨城の柿岡だけではなくて、全国各地に十三塚という地名はあるんだけんと、茨城の十三塚っつったらよ、珍しい話が残ってんだど。
昔々、何某権兵衛って、名前もわからねえお百姓が、その丘でぽつんと暮らしてたんだと。
嫁さんも子どももねえけんと、ネコがよく訪ねてくるもんで、ごんべえさんは、メシの残りとかをやって、たいそう可愛がって、よぅく懐いたんだど。
んでよ?
ある日の朝っから、ごんべえさん、どうも体調がよぐねえ。
よぐ眠れなかったんだっぺ。眠るころになっと天井からなんだか音がすんだと。
ごんべえさんは、懐いてるネコが夜に寒いから天井裏さ上がったんだっぺと思ってたんで、少しぐれえの物音くらい我慢すっぺと、ネコにまた残り物さ食わしてやったんだ。
したっけ、ネコがクチをきいてよ、いうことにゃ
「ごんべさんの家の天井にネズミがいるんだべ?」
と、悲しげな目つきをしたんだと。
とうとう化け猫になったんだっぺと思って、ごんべえさんは、ネコがクチをきいたのも慌てずに、おしゃべりしたんだど。
「んだら、おめえ、ネコだっぺ? ネズミを退治してもらいてえもんだ。うっさくて眠れねんだ」
そこで、ひとりといっぴき、今からこっそりと天井裏を見てみっぺとなったんだ。
したっけよ、これが、なんともでっけぇネズミなのよ。
イヌくれえはあったかしんねぇ。
ひとりといっぴきは、肝をちゃぶして、ぶるぶる震えながらこっそりと外さ逃げ出したんだ。
「あのネズミは経文食らいだっぺね、おらだけじゃ、とてもではねえけど適わねぇ」
「んだら、どうすっか。家に火でもかけたらよかっぺか」
「おらに考えがあるだよ。仲間を十一匹集めて、おらとあわせて十二匹、んだら適うかしれねぇ」
言うと、ネコは山にへえって行っただ。仲間を集めてくるつもりに違ぇねえ。
そしたら、ごんべえさんも、ネコたちのためにいくさ振る舞いに魚でも食わしてやっぺと思って、恋瀬川で採れた魚をたっぷり買い込んで用意して待った。
ネコたちが集まって、血気盛んに魚を食って、いざ出陣となった。ごんべえさんは頼もしく送り出したっぺなあ。
もう夕方で、だんだんと夜がふけてくるってのに、ごんべえさんはネズミとネコたちが暴れて争ってる音を、恐ろしく思いながら外で音だけ聞いてたんだと。
で、空が白みかけて、ごんべえさんはうつらうつらしてたんだけんと、気づけば、何の音もなかったんだ。これは、と思って、ごんべえさんは昨日したように、天井裏をまたこっそりと覗いてみたんだ。
したっけ、おびただしい血、また血の海。
ものすごい有様で、ネズミもネコも死闘したんだとすぐに分かった。
見れば、ネコもネズミも、全部死んじまってた。
ごんべえさんは呆気にとられたけんど、悲しんで、哀れんで、命のあったものたちを気の毒に見たんだっぺな。
ネコもネズミも、ひとつひとつ、丁寧にツカを築いて、恨みと疲れを癒すようにとお祈りしたんだと。
「如是畜生発菩提心」
それからだわな、十三塚がミカンのたくさん採れるようになったのは。
* * * * *
【筆者解説】
実際にしゃべるネコがいたわけではなかろう、また、イヌの大きさのネズミも、昔話にカピパラが登場しているのでない限り、実際にいたと考えることは難しい。ネコもネズミも、何らかの暗喩ととらえられる。
本来的に十三塚は、碑文が残らない墓標であって、何者の墓であるかが分からないことが多い。
民俗現象からすると、平家の系譜の葬送に近接するものも感じられ、全国に残る十三塚は「落ち武者」の墓であると個人的に考えている。すると、この塚に入った、この民話のネコとネズミも落ち武者ではなかろうか、という節がある。
ネズミは、落ち武者の大将格だろう。ぽつんとひとり住まいをしている百姓の家を奪おうとした存在とみなす。ネコは、その大将のために、百姓から食べ物や水や、といったものを恵んでもらったのではないか。だから、ネコはその恩義から、百姓の家を襲うことに反対して大将に手向かって、自害したのだろう。
十二は、十二支を感じさせる。十二支の最初は「子」であり、十二支に惜しくも入れなかったネコたちが十二匹集まって、ネズミを打ち破ろうとする構図は、ある種の下克上、上の立場にある人間を下の立場にいる人間が蹴落とそうとしているさまに見える。
巨大なねずみは「経文食らい」といって、罰当たりなことにお経を書いた紙をかじったねずみである。人間の目から見れば罰当たりなのだが、さて、人間も含む、生き物というものは、飢えたときには、罰当たりだろうがなんだろうが、必死に食べるものを探すものだ。
食べ物を探し、飢えた感情のみを永劫に持ち続ける道を「餓鬼道」という。
人らしい姿をしながらも憎しみ争う人間らしからぬ心で生きる道を「修羅道」という。
生まれ、死に、あるいは食われ、あるいは食う、この道を「畜生道」という。
永遠の苦しみだけがある道を「地獄道」といい、この四つの道は、あまり有り難くない輪廻転生のパターンだとされる。このうちの上記三つが、十三塚の伝承には現れているように思える。
では仏教説話だろうか、と思うが、別次元からアプローチするのも面白い。
ネコは鳴き声が「ねう」すなわち「寝う」現代語に訳すならば「寝よう」であり、懐いたネコとは、何某権兵衛が囲っていた女性ということは考えられまいか。この場合、ネズミは百姓からさまざまなものを奪う庄屋であるとか、年貢をとりたてる役人であるとかかもしれない。いわゆる悪代官から逃げようとした女と、悪代官に絞られている百姓とが結託し、牙を剥こうとしているようにも読めなくもない。
窮鼠ネコを噛む、というが、ネコを噛み殺すネズミが出てくる話は、おそらくこの民話かぎり、他には存在しないのではなかろうか。
想像力を羽ばたかせると、この地方には「発破」すなわち、関東忍者がいた地域でもあるから、ネコの走っこさが忍者のようにも感ぜられる。巨大ガマガエルの像がある筑波山もほど近いのに、あえてネコとネズミの対立。なんらかの忍者村同士の対立をそうした動物に置き換えているとしたら、なかなかに趣ぶかい。
この民話をもとに、12匹のネコの仲間たちを求めて旅にでて、ネズミ大魔王を倒そうとするロールプレイングゲームのシナリオもかけそうではある。ファンタジー小説にもできるかもしれない。
ちなみに、上記の民話は、ほとんど筆者が古老から聞いたとおりに文字化したが「如是畜生」云々の八字は「南総里見八犬伝」より拝借したものと断りを入れておく。