第8話
旅立ちの時が来た。
夜の8時が出発時間となった3人は、朝と昼の全てを、惰眠を貪るのに費やした。心は浮足立っていたけれど、肉体の疲労がそれを許した。
種々の装備を身につけた三人は、案内役に導かれて歩き始めた。
向かうのは、地下都市の中上層部――ちょうど円の縁をなぞるところだ。
普段は人の立ち入らない、まるで都市の影の部分のような区画だった。無数の配管と廃材が積み上がる薄暗い通路。いつもなら闇に沈んでいるが、今日は、臨時に設置された照明スタンドが10メートルおきに並べられ、白いコードでつながれながら道筋を照らしていた。
道すがら、たまに兵士が立っていて、敬礼してくる。
やがて、壁面に打ち付けられた錆びた梯子が姿を現す。案内役が無言のまま登り始め、それに続いて三人も無骨な金属の足場を握りしめた。一段一段、ゆっくりと上がっていく。
梯子を登り切った先には、風の流れが止まったままの古い通風口があった。巨大なファンがあって、それが動くことはもはやない。
そのファンの隙間をくぐり抜けると、丸いトンネルが現れた。円筒の内壁はどこか湿っぽく、かすかな油のにおいが漂っている。進むと、あるところで、岩の洞穴に様変わりした。事前に聞いたところによると、この先に地底湖があるらしいが、目的地はその手前だ。――洞窟の横腹がえぐられたように凹んだ空間があり、そこに、鉄の扉がひっそりと口を閉ざしていた。
それが、目的の扉だった。なるほど、こんなところにあったのならば、今の今まで忘れ去られていたことに疑問は無い。
部屋には既に数人がいたが、少佐とその部下だけだった。簡易的な照明が焚かれて、埃っぽいのが目によく見えた。
「随分としょぼい見送りだと思っただろ?、中尉」
「いえ、そのようなことは……」
「まあいい。さあ、これを着ろ」
アーマーやヘルメットを渡されるままに着ていき、最後に、顔のところがのっぺりしているフルフェイスマスクを渡される。ごてごてに着込んだ3人の全身は真っ黒で、光をほとんど反射せず、目を離したすきに闇の中に消えてしまいそうだった。その装備の全てが、不可視光線の一部すら吸収し、赤外線カメラにも映らないという代物だった。
「これってあれっすよね、第二中隊の!」
「そうだ、一等兵。特別だぞ? あと、太陽があると思われる“昼”には逆に目立つから、迷彩ネットにくるまっておねんねしていろ。いつが昼かは分かるな?」
と忠告されつつ、テントを覆うための迷彩ネットが入った袋を渡される。大きなそれが折りたたまれてぎっちぎちに入っているそれは、とても重たかった。
「ほら、そこにあるのにプラスして背負っとけ」
指をさしたところ、エレベータ前に、ぎっしり詰まったバックパックが3つ置かれている。3人がそれ+今渡したのを背負うと、彼女らを含めて200kgを優に超える。彼女らはそれを軽々と背負って、エレベータの正面のところに並んだ。隊長を真ん中にして、綺麗な背の順になった。あおめだけシルエットが大きいのは、他よりも1つ多く荷物を持っているからだった。
彼女らの視線の先には、錆びついて、開きそうにない扉。その横には、△ボタンだけがある。
「これが、本当に上に続いているのですか」
期待、不安、興奮、色々な思いが混ざった声で、小隊長が呟いた。
「どうやらそのようだ。設計図を見ただけで、まだ誰も確かめてはいないがな」
「試しに使いもしなかったのですか?」
少佐は、さもありなんと表情で伝え、続ける。
「皆、お前たちほど勇敢ではないということだな」
彼はそう笑いながら、3人に武器を渡していく。クロスボウやコイルガンはお馴染みだったが、最後に各々に珍しい物が渡された。あおめにはウクレレ、えいらには縦笛、小隊長にはノートとペンだった。
「これは、日誌を書けばよいのですか」
「いや、好きに使うがいい。もしかしたら、地上の奴らは友好的で、絵とかで意思疎通ができるかもしれないだろう? そこの2人がウクレレと笛でバックミュージックを流して、一緒に踊ればいい」
少佐のあくどいジョークに彼女らは辟易したが、ありがたくちょうだいして、リュックの奥にしまい込んだ。
「これで渡すものは渡した。それでは、最後に確認をする」
3人が、一斉に息をのんだ。
「設計図が正しければ、このエレベータは、この部屋――地下からの操作によってのみ動く。つまり、お前たちがひとたび上に出れば、便利な▽ボタンはどこにもないというわけだ」
少佐のきびきびした声が、部屋を支配しようとする静寂を、次々に切り裂いていく。
「ただいまより30日後。きっかり30日後、我々はこのボタンを押し、エレベータを呼び出す。上の扉が開くのは、そのタイミングしかない。それより前に開くことも、それより後に開くことも、ない。エレベータは積載重量が200kgを越えなければ、下には降りてこない。エレベータが動かなかった場合、1分を待った後に、本任務は失敗したと見なす。誰一人、欠けてはならない。いいか!」
「は!」と気迫のこもった返事が返される。それに満足げに頷いた少佐は、腕時計を見ながら、ちょうど午後8時に、脇に控えていたバケツに呼びかけた。
「イア、30日のタイマーをセットしろ」
「はい、ちょうど30日後にタイマーをセッティングいたしました。現在、残り:719時間59分56秒です」
すると、小隊長がリュックの横ポケットに突っ込んでいた球体も、反応する。
「タイマーを同期しました。現在、残り:719時間59分48秒です」
――さて、全ての準備は整った。
やるべきことは知っている。それをどう為すかを知っている。いつどこに帰ればよいかも把握している。なにより、横には友がいる。なれば、失敗する道理はない。
少佐が、ひょいと△ボタンを押した。わずかにふちが光る。
間もなくして、ギギギ……と聞いたこともない音を立てながら、扉がゆっくり横に開いていった。横長の、浅いかごだった。電気は無い。
彼女らが全員乗り込むと、わずかに機械の動く音が聞こえた。またぎこちない動きで閉まっていく。彼女らからは、あたかも世界そのものが縦の筋となって、細くなっていくかのように見えた。
「幸運を祈る」
少佐とほか数名が、こちらをまっすぐ見つめて敬礼するのが、扉が閉まり切るまでの間、ずっと見えていた。体のどこも揺れることのない、指の先まで張り詰めた敬礼であった。
そして、ふわり、と浮いた。ゆっくりと、ゆっくりと、確実に上昇していく。
「………」
何も見えない。隣の友人の息遣いだけが、ヘルメットごしにも聞こえる。それはわずかに震えている。
いまだ見ぬ地上の姿を初めに知ることになるのが、今までのどんな戦争よりも、怖く、恐ろしかったが、同時に彼女らをワクワクさせるものでもあった。
――彼女らが行くのを見届けた少佐は、敬礼を解いたあとも、しばらく天井の方を見上げたままだった。
「帰ってくるんだぞ」
彼は、知らなかった。




