第7話
3人は、それ以降、めっきり無言になってしまった。ページを捲るタイミングの示し合わせだけが、彼女らのコミュニケーションとなった。
「………」
その沈黙を破ったのは
「――なあ、お前たち」
という小隊長の声だった。
突然の呼びかけに、2人ともが同時に顔を上げて、猫背になっていたのを正す。安っぽい椅子が一斉にミシィっと鳴った。
彼女らのとぼけた表情がなんだか面白くて、小隊長は少し笑いそうだった。なんとか顔には出さずに、真面目なトーンで尋ねた。
「2人は、本当にこれでいいのか? その、なんていうか。正直、どれほど危険なのかも分かっていない、どうなるか分からない、賭けみたいな任務だ。なのに、私が指名したから断れなかったんじゃないか、って……」
あー、と思い出したように声を上げるあおめ。
「小隊長、いま地上に何があるか分かってますか?」
「さあ。それが分からないから、これから偵察に行くんだろう」
「太陽ですよ、太陽。本物の太陽! それを全部タダで浴びれるんすよ。行かない理由がないでしょう!」
「――本当か?」
ニヤニヤしているあおめに、真剣な目で問う。すると、わざとらしく肩をすくめてみせてから、本音の部分を語り出した。
「……まー、小隊長に誘われたら、断らないっすよ。嫌々とかそういうんじゃなくて、なんか、分かんないんですけど。行くならこの3人で行くんやろうなぁ、って小隊長が手を挙げた時から思ってましたし」
それを聞いた小隊長は目を伏して、
「そうか……」
とかすかに呟くに留めた。しかし、3人の吐く息が、吐いた途端に帰ってくるような、小さなこの部屋では、十分すぎるくらいの声だった。
「なんですか、涙腺にグッと来ちゃいました?」
「来てない! ただ、まあそのなんだ……ありがとう」
「とんでもないっす中尉殿」
あおめはにっこり(にんまり?)笑ってから、隣のえいらを見やった。中尉も、そちらに目を向けた。
「え? わたし?」
意志の強さがにじみ出た小隊長の視線に、彼女はもう既にたじたじである。
あおめに倣って、1つ適当なことでも言ってみようかと思ったが、自分がそれをやると真に受けられかねないので、やめておいた。
「えっと、私は……」
言葉が出てこない。それは、どもっているのではなくて、何と言うべきかが分からなかったからだ。
それでも、2人は、いつもと同じようにしてこちらにじっと耳を傾けている。まるで時が止まってしまって、彼女が喋り出すまで再び動き出すことはないかのように。
その時間を使って、えいらは今一度考えた。そうすると、案外すぐに見つかった。
「私は2人と……い……ぃいい一緒に、どこまでも行きたいな、って……」
口にしてみたら、思ったより詩的な響きになってしまった。案の定、あおめが「ロマンチック!」と馬鹿にしてくる。
「えいら、私も同じ思いだ」
小隊長が追い討ちをかけてきた。この人は真面目な顔をしてそんなことを言うので、余計に厄介である。
それを見たあおめが、両手で口を覆って、大げさに感動しはじめてしまう。
えいらの顔は真っ赤っかだった。
「もう! ああ、あおめちゃんは今ので、き、嫌いになっちゃったかもだよ!」
「えーマジか〜。ごめんやってー。今度高いの奢ったるやん?」
「え、ほんと? やった!」
「ちょろ」
リーダーは、これより死地に赴くことになる部隊の結束が固いことを再確認し、微笑んだ。
「よし、じゃあ、どんどん読んでいくぞ。全部頭に入れとかないとダメだからな」
「はーい」
「は、はい」
上がいかなる地獄になっていようとも、この友たちとなら、上手く切り抜けられる気がするのだった。
さて、必要なのは諸々の情報を頭に叩き込むことだけではない。地上の環境を想定した実践的なシミュレーションも必要だ。
もちろん、本当の外がどのような状況かは分かっていないから、いくつかの極端な環境も考慮した訓練が行われた。
例えば、火が燃え盛っている、毒ガスが充満している、放射能で汚染されている、太陽が隠れていて極寒、など。加えて、敵対的な存在が多数いるという状況も、克服すべきシチュエーションの1つであった。なんであれ、しなければならないのは、隠れること。幸いにして、地下生まれの彼女らは非常に得意とすることであった。
ただし、泳ぎに関してはだいぶ下手であったので、兵士になって久しぶりに、徹底的なしごきを受けることとなった。
ロクに食事を取ることもできずに、ひたすら空腹でいることを強いられるなかでのトレーニングだ。相当にハードであることは疑いようは無かったけれども、3人は決して諦めなかった。
小隊長に至っては、その顔は日が進むごとにますます輝くほどであった。というのは、あの書類仕事から(ほとんど)解放されて、しかも体を極限まで酷使するのが、きわめて直接的に、生きていることを彼女に実感させたからである。
重要な任務だから、ともはや脱落させるつもりで教官を務めた者も、その根性には密かに驚くばかりだった。下層生まれの人間は、死ぬこと以外なら割となんでもやった。
そうして厳しい訓練を、通常の兵士としての勤務から完全に離れておこなっていた3人に、ある時もう1人加わることになった。
「出来うる限りのサポートをいたしますので、遠慮なく言ってくださいね」
そう挨拶したのは、手に収まるくらいの、小さい金属のボールだった。3人で、小隊長のベッドのところに集まって、彼女の手のひらに乗っけられたその球体を見つめる。頭上でじんわりと輝く電球が、それを鈍く光らせていた。
「イアちゃん?」
「はい、そうです。お久しぶりです、あおめさん!」
「ア、ア、アイちゃんだ」
「はい、そうです。また会えましたね、えいらさん!」
なぜ彼(または彼女)がこの任務に同行することになったかというと、地図の作成を担うためだった。地図が持つ戦略的価値は言うまでもないが、リアルタイムでマップを更新していくことで、3人の行程もサポートする。
正確な時刻表示や天候予測等、他にも様々な面で支援をしてくれることになる存在だ。
「呼び方は統一したほうがいいよね」
小隊長がその球体に語りかける。
「それは良いアイデアです。統一することで、無用な混乱を避けることができます」
呼び方がてんでばらばらなのは良くないということで、短い議論が始まる。主にあおめとえいらの「イア vs アイ」の対立であるが、どうやらその溝は埋まらないようだ。早く寝たいリーダーが、尋ねた。
「自分自身は、名前は何だと認識してるの?」
「皆様が私をどのように呼んでも問題ありませんが、開発時に与えられた名前は『ヘペテ』です」
それはない、と満場一致。
結局、小隊長の鶴のひと声で、「アイ」に決定した。
「やっ、やった。そうだよね、そっちの方が、かっ……可愛いし」
「じゃあ姓はイアで。アイ・イアが本名や」
「はい、承知いたしました。私の名前はアイ・イアです。気軽にアイとお呼びください」
丸っこいのが、喋るたびにちょっとだけ振動した。小隊長は、それを適当なところに置いて、早速電気を消す。
「寝るよー。明日も早いから」
「うぃーっす」
「お…………おやすみなさい」
「うん、おやすみ、えいら」
3人が寝るまでに、ほとんど時間はかからなかった。ベッドに引っ張られるようにして、眠りへと沈んでいった。
彼女らにとっては、あっという間に朝になるまでの、ほんの少しだけの夜。
しかしアイの生きる世界では、時間はなく、時は止まっているかのようだった。
長い夜だった。




