第4話
――さて、小隊長は、事務室にこもって書類仕事だ。ジャギーが目立つ小さなスクリーンと、にらみ合いっこ。
無骨なキーボードをカタカタと打っては、合間にハァとため息を挟む。水をズズッとすすり、もたれかかって椅子がキィッときしむ。将校たちが詰め込まれるこの部屋は、そうした音で満ちている。誰かがため息を吐くと、思い出したように皆もそうするので、傍から見ている分には面白い。
「中尉殿、元気を出してください。こちらをよろしければ」
小隊長にはせめて癒しとして笑顔でいてもらいたいのか、おじさんたちはしきりにおやつをくれるが、それで執務机を占領されてしまうので、やめてほしい。あと、太る。
「……はぁ」
7つの机がコの字に並べられていて、小隊長は上座で全体を一番見やすい位置だ。顔を上げれば、たばこを咥えたままの男たちの、疲れ切っているのがよく見えるので、こちらもゲンナリする。コンピュータの、黒画面に緑文字という色の組み合わせも、彼女の気を滅入らせた。
元々、こういうのは得意ではない。
12歳に中尉になった時に言われたのは、これは少年隊からも尉官になれるということを示すパフォーマンスだから、実務においてはほとんどこれまでと変わらない、ということだった。それが、あれよあれよと教育が施され、なにくそと食らいついていたら、5年経った今では立派なお役所ワーカーである。
「はぁ」
本日何度目か分からないため息を吐き、椅子の背にもたれかかる。ポニーテールを一旦ほどいて、またきつく結びなおした。
髪をなんとなくいじりながら、しばしボーっとする。
あおめくらい短くとは言わないまでも、えいらみたいな、肩くらいの長さにしてみようか、とふと思った。茶色に染めてみようかとも考えてみる。金髪もありかもしれない。いや、あまり似合わない気がする。
毛先をくるくるっと人差し指に巻き付けて、ほどく。それを何回か繰り返していると、我に返った。
「はぁ」
自分の集中力が切れてきていることに気がつく。気分転換に、背後にある窓を向くように、椅子をくるりと回転させた。
洞窟が広がっているのが見える。立ち上がり、窓を開けてみた。音はしない。なんら風を感じない。空気も変わらない。
外に手を伸ばす。
薄っぺらい紙と、その向こう側にある硬い壁に、すぐに指がぶつかった。
――もしもここから抜け出せたら、どれほど楽しかっただろうか。けれども、壁がそれを阻んで、指一本だって外に出させてくれやしない。
「……おい、私は森か草原か高層ビルの景色が良いと言っただろう」
「申し訳ありません! ですが、中尉殿の気が散るのを本部は知っているため、『洞窟シリーズ』のポスターしかもらえなかったのです。『洞窟-佇むカエル』、『洞窟-探検家たち』はございます。いま張り替えましょうか?」
「はぁ……よりによって一番気落ちするシリーズを……では探検家のやつに替えてくれ」
「はい、ただいま!」
小隊長に一番近い机の、右のに座っていた男が、勇んで立ち上がった。
少しでも仕事をさぼれるチャンスを逃さない姿勢は、自分も見習うべきかもしれない、と彼女は思った。いや、しかし、その様子は少し哀れであるので、真面目に仕事をするのが良いだろうと思いなおした。
さて、窓の外の景色は取り換えられたが、それで何か意味があるかと言えば、何もないというのが真実である。
彼女の卓上のスクリーンには、いまだ埋めねばならない空欄がいくつも残っていた。窓に背を向け、現実に向き合う。
「あぁ、暑い……お前、送風機能は付いていないのか」
部屋を徘徊するバケツロボットに声をかける。
「私には、現在そのような機能はついておりません。ですが、将来的に本体にそうした機構がインストールされれば、送風リクエストに応えることも可能になるかと思われます。ここでは、暑さを軽減しうる代替案をご提案いたしますね。現在の室温は29℃、湿度は47%ですので、扉を開け、換気をすることで――」
小隊長は、無視して仕事を再開した。この後、1時間の座学も待っていることを思うと、無駄話など到底聞いていられなかった。
夕食、会議、報告が終われば、小隊長も晴れて自由時間である。とはいえ、やることは少ない。先に自由時間に入って、寮の部屋で駄弁っている2人に合流し、一緒に風呂に入るくらいだ。さっぱりしたら、後は消灯時間を待って、寝る。それだけ。
それまでのちょっとしたおしゃべりの時間が、小隊長にとっては気を抜くことができる唯一のタイミングだった。好きだった。
奥に細長い、狭い部屋。くすんだ鉄の扉を開けると、まず目に入るのは、壁に並んだロッカーと、わずか一畳ほどの着替えスペースだ。金属のロッカーはくたびれた塗装の上に、ステッカーやマジックの落書きが残っている。使い古された軍靴が無造作に積まれ、その匂いが空気にじんわりと染みている。
その奥には、左右に並んだ2台のベッド。左側の低いベッドが小隊長のもので、右には鉄パイプの二段ベッドが設置されている。3人分の寝床が詰め込まれた空間は、ベッド同士の隙間がわずか肩幅ほどしかなく、人がすれ違うにも苦労する。ベッドのフレームは軋み、マットレスはそれぞれへたり具合が違っていた。唯一、小隊長のものだけが、ほんの少し柔らかい。とはいえ、「ちょっとフカフカ」程度で、贅沢と呼ぶには程遠い。
裸電球が、その実力に不相応な仕事を任されている。隅で回る小さな扇風機も、同じ憂き目にあっていた。
家具らしい家具もなく、あとは各自のベッド脇に置かれた小物や、吊り下げられた洗面道具くらいのものだった。壁の一角には、3人の手作りらしい紙のモビールがぶら下がっている。何かの書類であっただろう古びた紙で作られた、各々が思い描く星や鳥が、風にかすかに揺れていた。
「あー疲れた!」
小隊長が部屋に飛び込み、大きく伸びをしながら声を上げる。
「おつかれーっす」
「お、お、お……おつ、疲れ様です」
小隊長は髪をほどき、靴を脱ぎ捨てると、そのまま自分のベッドにどてんと倒れ込んだ。薄くて冷たいマットレスの感触が、全身の疲れをかえって際立たせる。額には微かに汗が滲み、天井の鉄板を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「こんなの、無駄」
つい、本音が出る。
あおめとえいらは、聞かなかったふりをしてくれた。友達に気を遣わせるのも馬鹿らしいと思ったので、愚痴るのはやめた。
寝転がったまま手を後ろに回して枕代わりにすると、少し笑って言った。
「あおめが昼に言っていた美容師、本当にイケメンなのか?」
「ガチっすよ! あの感じはもう××っす」
「そ、そんな下品な……」
その後もだらだらと続いていく他愛もない話に、笑い声が重なる。古びた壁に、3人の声が優しく反響する。話していると、今日の疲れが少しだけ遠のく気がした。
消灯時間後も、まったくの暗闇の中で3人はおしゃべりを続けたが、徐々に口数は減っていき、いつしか部屋は静寂に包まれるのだった。健やかな寝息は、その静けさの一部だった。




