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雪よ、降レ!  作者: りっか(監修/訳=Yuki.)
第1巻
36/40

第36話


 ユキに出発を告げると、彼女がぱちくりと瞬いた時には、もうその場にはいなかった。あの場所に戻ってきたのだ――暗い森、狭い小屋、開かない扉。そこは何も変わっていなかった。3人にとって、そこは過去に取り残された、遺跡のようなもので、変わる道理は無かった。

 別にここに来る必要は無くて、一度に地下のところに飛んでしまっても良かったのだけれど、ちょっとした思い出巡りツアーの開始地点としてふさわしかっただけである。

 

「なんか、だいぶ久しぶりに思えるな」


「そっすねぇ」


「わわわ、ど、泥で汚れちゃうっ」


 えいらが、スカートをつまんで、ちょっと体の内側に寄せた。足元を虫が這ったので、かかとで潰した。まだまだ地底人仕草は抜けきらないようである。


「それで、どこにいくの」


 ユキが、どこか急かすようにも感じられる語気で尋ねた。

 ちなみに、彼女は新世界が存在することの証人、つまり生きている人が、他にも外にいることの証人として同伴する。

 ところで、証人というものは少なくとも2人必要である。というのは、そういう風に、さる書に記されているからだ。それなので、アイがその役目を負った。


「アイ、よろしく頼んだぞ。今のうちにデータを整理しといてくれ」


「………………はい。承知いたしました」


 小隊長は、不審に思って、その球体を見た。単に思考が――演算が詰まったのとも違う、重たい沈黙がそこにはあった。しかし、その疑わしさというのは、彼女にそれが何であるかを尋ねさせるほどのものではなかった。


「じゃあ、えっとえっと、初めはうちらの部屋に行きましょーよ」


「そ、す……そそ、それいいね! ユキちゃんお願い」


 すると、ユキは頷いた。なんら不快な感じも、あるいは不思議な心地も覚えることがなく、映画がするようにして、目の前の景色が一変した。


 狭い部屋にいた。それは、かつて彼女たちが、ほとんど寝るためだけに使っていた場所だ。かつては、ここが彼女たちの帰る場所だった。無造作に脱ぎ捨てられたブーツ、未洗濯の何か、部屋を飾る数少ない小物――


「ん? 本当にここは、我々が使っていた部屋なのか?」


 ユキの方を見る。4人には狭すぎる空間だから、もう体がくっつきそうなくらいに近い距離にいた。ユキの、現実味の無い、得体のしれない雰囲気が、体でじかに感じられるようである。その女の子は、小さく頷いた。近いから、とてもわずかな動きで。


「うわぁ……ほとんどなくなってるやん」


「す……す、捨てられちゃったのかな……」


 彼女たちがかつてこの部屋の主であったことを感じさせるものは、およそ全て取り除かれていた。また、最も違和感を生じさせたのは、中尉たる小隊長専用だったベッドが、安っぽい二段のそれに置き換えられていたことである。二段が2つ、対になって左右に配置されているが、本当は、片方はちょっと質の良いシングルベッドだった。これがもう無いために、そこは、彼女たちのノスタルジーをこれっぽっちも騒がせなかった。どこか他人の家だった。匂いも、どこかよそよそしい。


 シーツは非常に綺麗に整えられており、次の住人がいつでもやってきていいようになっている。自分たちのことを、知らないフリをするシーツ。


「なんでい、こんなもの」

 

「あっ、お、お、おこ、怒られちゃうよ!」


「知らーん。もう誰にも怒られへんもんねー」

 

 あおめは、くしゃくしゃっとそれを乱して、できたシワを、そのままにした。


「まあ、仕方がない。我々は、ここでは死んだはずの人間なのだから」


 小隊長は、もう心残りも無い様子で、部屋を出た。他の者達も、それに付いていった。

 

 廊下に出ると、そこは部屋の中よりも更にむわっとした熱気に満ちていた。人々の呼気、匂い、熱。それらが混ざり合って、劣悪な空気を作り出している。地上では、ついぞこの手の汚臭に出くわさなかった。世界があまりに広いので、臭気はそれに満ちることができないのである。


 じめじめとした、薄汚れた床と壁。青白い不健康な光がそれらを浮かび上がらせる。道は見境なく入り組む。そこはまるで、卑しい動物の、穢らわしさによって満たされた巣穴のようであった。


 彼女たちは、その格好からして、もうそこには馴染んでいなかった。


 ちょうど、昼食後の戦士たちが溢れているところに、出くわした。皆、変なすがたの子供が数人いることを不審がり、それを見た。しばらくの観察を経て、ある者は最後まで自分で気が付けなかったが、他のある者は、すぐさまにそれが誰であるかを思い出した。後者は、隣の者に耳打ちするので、伝播する形で、あっという間に全員が思い出すことができた。


 それは、死んだはずの中尉だった。どの兵士にも勝る勇敢さをもって地上任務に志願するも、遂に帰還は叶わず、ほんの少し前にその盛大な葬儀が(他の2人もついでに)行われた女だ。


 彼女たちのとことん“悲劇的な”殉職によって、地上という場所の恐ろしさが再確認され、また、大袈裟なくらいのやり方で、そのことは喧伝された。誰しもが、彼女たちの死を信じきっていた。


 だが、いま見ているのは、まさにその死人なのである。いったい何が起こっているのか、誰も分からず、ただ彼女たちが通り過ぎようとするのに、道を譲ることしかできなかった。


 彼女たちが向かっているのは、司令官室だ。あまり行ったことはないが、ここは彼女たちも勝手を知っていて、迷うことなく、近づいていく。そうやってどんどん近くになっていくにつれ、人影も少なくなってくる。長官の部屋は、静穏にあった。


 扉の前に立つ。無骨ではあるが、なめらかな木のドアだ。その前に立つ者を、緊張させる。


「さて、行こうか」


 小隊長は、左右の脇の2人にそう告げてから、ノックした。中から「誰だ」と訊くので、「私です」と答えた。「誰だ」とまた言うので、もうそれには答えずに、扉を開けた。


 入ってすぐに目が合った。向こうは相当に驚いているようだった。


「中尉……?」


「はい……いや、いいえ、今は私は中尉ではありません」


 両袖机を挟んで、向かい合う1人と4人。それと、アイとは別に、部屋を掃除するロボットがいて、静かに部屋の隅をうろちょろしている。


 小隊長は、かつての上司に向かって、最後の報告を開始した;地上には、もうなんの脅威も存在しないこと;人々は新たに街を築いていること;自分たちもそこで生活を始めたこと――彼女の口から述べるべきことは、そこまで多くなかった。

 彼女をじっと見つめ、司令官は最後まで静かにそれを聞き届けた。今度は、小隊長の方がそれをする番だから、彼の話し出すのを、黙って待った。

 しかして、彼は、小隊長がまったく思ってもいなかった言葉を返した。


「――それが、どうしたというんだ?」


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