第31話
その日の、昼過ぎのこと。
湿った石段を上る4人の姿があった。森の暗がりの中、低木の茂みに挟まれた小さな階段。もし山の中でそれを見つけても、普通はその先を行こうとは思わず素通りしてしまうだろう。意志あるものだけが、そこをゆく。
しかしどうやら、意志だけではダメで、ある程度の体力もいるらしい。久しぶりにここにやって来た25歳の女は、はぁはぁと息を切らして、途中の所で立ち止まっていた。見上げる彼女の視点からは、曲がってすぐに見えなくなる、急勾配の石磴があった。一段一段が、段というより、乗り越えなければならない壁のようである。座ることも許さないような幅の狭いのも、彼女の体には応える。セミの止まぬ轟音に、片耳の内側を、少し指で掻く。
「ひぃ……きっつ……」
その横を、やや子供っぽすぎる服装をした2人の年少の者が、軽やかな足取りで通って抜き去った。
「おっそ~。先行ってまうでー」
「待ってよ、あおめちゃん!」
あやめが手ぶらである一方、その2人には荷物を持ってもらっているというのに、この差である。置き去りにされたやぶ蚊が、のろまな人間の方に寄ってきた。
「アヤメ、大丈夫か?」
顔に力を入れてまた足を動かしはじめた彼女の横に、小隊長が歩を合わせて、並ぶ。
「なんでお前らそんな汗かいてないんだ? 訓練の賜物か?」
汗を拭って、運動不足の女は愚痴をこぼした。それから2人の間に会話は無くなると思われたが、あやめが、階段を上る勢いを少し取り戻して、口を開いた。
「なあ」
「どうかしたか」
「住んでた家が実は他人のものだった、って気づいたらさ、どうすべきだと思う?」
不意のそんな質問に、小隊長は戸惑う。とはいえ、特に悩むようなものでもないので、すぐに答えた。
「どうすべきって、返すべきだろう」
自分から尋ねた割には、あやめの返事は「そっか」とそっけないものだった。
しかして、しばらく彼女の息切れだけが続く。
いつの間にか、古びたきざはしの途切れる所に着いた。頂上だ。
長く細い磴道をのぼった先、空が現れた。そこは山の腹からちょっとだけ突き出た、崖みたいな所だった。左手が外に向かっている方だ。崖を下ってそう遠くない所からまた急激に山が立ち上がるので、景色はたいして良くない。開けた場所ではあるが、雑草は伸び放題で、足元はよく見えない。
「これが言ってたやつ?」
先に到着していた最下層の女が、意図をもって積み上げられているに違いない石の塚を指差す。
「おう、そうだぜ……ふぅ」
それは墓だ。5、6基ほどが並んでいるが、どれもぼやけた輪郭をしており、刻まれているはずの文字はまったく読めない。しかし、あやめはどれの前に立つべきかを知っているらしく、迷わず奥のに近づいた。ちょっと息を整えてから、墓に聞かせるようにして、言う。
「よーし、掃除すっかー」
あおめとえいらが運んでくれた袋から、掃除の道具を取り出す。3人は、言われずともそれを手伝いだした。一応近くに蛇口があって、そこからはちょろちょろと水が出た。
風化した墓石は、磨いても磨いても汚れが出てくるので、表面のコケを取る程度でほどほどに、主には草むしりをすることになる。
「おりゃあっ!」
「うわっ、つ、つ土飛んできたんだけど!」
自分たちの世界には無かった風習を体験して、楽しそうに草を刈り取ったり引っこ抜いたり、地底人たちは楽しそうだ。
「親の墓は手入れしないと、罰金があるのか?」
小隊長が、ゴミ袋に草を投げ込みながら尋ねた。
「ねーよ、そんなもの」
彼女は笑って答えた。
「でも、そうだな、あんまりにしなさすぎたら、ちょっと気分は悪いんじゃねーかな」
「そんなものか」
「おう」
それから、あらかた掃除は終わったように見えたので、あやめの声掛けで、みな手を止めた。道すがら買ってきたいくらかの花を両脇に飾り、水受けも満たし、後ろから覗き込んでくる2人に「まだ食べるなよ」と釘を刺しつつお菓子を供える。最後に、線香に火をつけた。絹糸を撚ったみたいな煙が、揺らめきながら上がっていって、少し行ったところで、ふわふわとほどける。不思議な匂いがして、3人は首を少し伸ばして、深く息を吸った。
「よっこらせ、と」
あやめは墓前にしゃがみ込み、俯いて手を合わせた。他も、まだこの習俗を良く分かっていないが、彼女を真似て、同じようにした。祈る気持ちは、きっと同じだった。
しばらくして、一番墓に近い人物から立ち上がった。その背中に、小隊長は訊いた。
「アヤメの両親は、どんな人だったんだ?」
「……どんなのだったかなぁ。あんまり覚えてねーな」
あやめは、目まいを起こしてしまったみたいに、またしゃがんだ。しかし、今度は祈ることはせず、墓と対峙するだけだった。後ろの3人は立ったまま、その背を見つめる。
「毎年、この時期だけここに来てんだけど――来てるはずなんだけどさ」
なんだかなぁ――泣きそうになっているようにも聞こえる声色で、呟いた。白くなった線香の先が、崩れ落ちた。
「今日、初めてここに来た気がするんだ。初めて、自分の過去と向き合ってる気がするんだ」
誰に向かって話しているわけでもないように聞こえた。ただ、自分の思っていること、感じていること、言いたいことを、この世界に一瞬でも形にするために喋っているようだった。
「なんなんだろな、これ」
フッ、と鼻で笑う。そして、「変な話だけど」と続ける。
「お前たちが来てから、やっと……生きてるって感じがしてるんだ――」
ありがとな。
そう言った時の彼女がどんな顔をしていたかは、3人には見えなかった。見えなくたって、別に構わなかった。人間だから。
――その時、風が吹いた。
時が、止まった。
何一つ音がしなくなった。
小隊長、あおめ、えいらのただ3人だけが動いていた。だから、別の何かがこちらに近づいてくるのに、すぐに気がついた。ユキだ。




