第29話
川のせせらぎ。それは確かにそこにある。
対岸は、水際からもう山が始まっていて、暗い緑が水に影を落とす。もう一方の岸は石がちで、濡れた丸石の河原が、白っぽく光っている。川とどこまでも伴走するのは、舗装されているのかいないのか、どちらともつかない人の道だ。
どれがあって、どれが無いか。
山間の、澄んだ川でのことであった。
その川岸に座り込んで、水面を見つめる人影が、4つ。そのうちの3人はひどく日焼けしている。その額に浮かぶ汗は、実に玉のようだ。実際の暦では残暑もそろそろ終わろうとする時期だが、セミたちは盛んに叫んでいる。
各々、足元の適当な平べったい石を拾って、川に向かって投げた。
日焼けしている者たちのは、それぞれ1回ずつ、計3回水面を跳ねた。それは川底に沈んで、そこにずっと残った。それを4回繰り返したので合計は12回で、彼女らが投げた12個の石が記念として川の底にある。
肌が白い年長者のは、13回跳ねたが、川の真ん中には残らなかった。すなわち、川は渡れなかった。
「お前らは、上から叩きつけすぎな気がするな」
あやめがそう言うと、その隣の小隊長は、良さそうな石を取って、手に持った。しかし、投げなかった。手の平で包んで、握り締めた。
「――アヤメ」
「ん? なんだ」
川の流れる音が、間を埋める。えいらが、小さくあくびした。
小隊長は、呼びかけたはいいものの、何を話すべきかはよく考えていなかったらしい。
「その……ありがとう」
「なんだよ、急に」
「いや、まあ、なんていうか……またお世話になるから」
「あー、なんだっけ?、まだ帰れる日じゃなかったんだっけ。言ったって、1か月とかなんだろ?」
3人組のリーダーが、自信なさげに頷いた。嘘をつくのは、下手だ。
「まー、また会えて嬉しいよ。こんなすぐの再会とは思ってなかったけどな」
また静かになる。日がそろそろ傾きだす――昼と夕暮れの狭間の、不思議な時間。
「つーか、水分摂らないとやばいぜ。お茶飲もう、お茶」
そう言って立ち上がり、腰をグッと反らして体をほぐす。すると、すかさず小隊長が「私が持ってくる」と言って、すたすた家の方へ戻っていってしまった。「私も手伝います」とえいらはその後を小走りで追いかけていった。後に残されたのは、腰に手を当てたまま家の方を見やる女と、川面を見つめる兵士であった。
「いや、家に戻って飲もうって意味だったんだけど……ま、いいや。っぅよっこらしょ」
あおめの脇に、おもちゃみたいな小さいアウトドアチェアを移動させ、そこに座る。古びた金属が、静かに軋んだ。
2人は、川を聞き手にして、喋りはじめた。他愛もないただの雑談である。それは、すっかりあおめと同じ言語で交わされたから、彼女はささいな違和感を常に抱くことになった。
「そういやさ、あおめは他の2人とちょっと違う話し方っていうか言葉遣いだけど、なんでなんだ? その地下都市とやらに、出身の違いとかってあるのか?」
「あるでー。私は40層やから、ドベもドベや。誰も降りてもこーへんし上がってもこーへんから、全然他とちゃうっていうのはあるかも。言うても、公の場とかやったら、他の人に合わせて喋るで」
「へぇー。ちなみに他の2人は、第何層出身とかあるのか? こういうのって訊いていいものなのか?」
「全然ええでー。んで、どこやったかなぁ。えいらは38で小隊長は35とかちゃうかな。ま、しょうみ全員一緒でゴミやけどな。十の位に3以上がついたらもうそれでゴミやねん。2か1で人間や。0で王や」
「ふーん。子供の頃はどんなことしてたんだ?」
「配給所の前に張り付くか、ドブ漁ったとったな。えげつない汚さやから、どっか体に傷ついてたらもう死亡確定やねんけど、そういう子供ねらって引っ掻いてくる奴たまにおったなあ。ドブを泳いでんねん。アレは人間ちゃうで」
「えぇ……なんかヤダな」
「ほんまやで。いっぺん殺してみたけど、おんなじような奴がどっかから湧いてきよった。アリストテレースの自然発生説証明完了や。まあ、そいつらだけやなくて、40の人間なんてどっから生まれたんか分からんようなやつばっかやけどな」
「へぇ」
2人の会話は、壁にぶつかったみたいにぴたりと止まった。一方で、川底をすすぐ水の流れは、常に谷を涼やかな音で満たしつづける。
「…………それよりもさ。アヤメに聞きたいことあんねんけど」
少しの間が、生まれる。あおめは、ちらりと横の顔を見やった。
「もしもやで? もしもやねんけど」
「おう」
「――もしも、それまで住んでた所に一生帰れへんくなった奴がおったとしたら、そいつはどうすべきかな?」
「………」
あやめはちょっと顔を上げて、上の方を見た。それから目をつぶって、んー、と2度繰り返し唸ったのち、3回目は言わずに、まぶたを開けながら答えた。
「――寂しいだろうし、不安だろうけど、新しい人生はじめんのもアリなんじゃねーの、って思うよ」
「だってさ」と続ける。
「何が起こったって死なない限りは、そのまま生きてくしかねーだろ?」
その目は、微笑んでいた。
「だいじょうぶ。心配すんな」
青い青い、静かな空が、映っていた。




