第16話
頭と顔以外は真っ黒のまま、3人組が仲良く並んでテーブルに座っている。彼女らを照らすのは、ちょうどその食卓の上にある、黄色っぽい光を出す照明だった。それ以外の電気は消されてしまって、ダイニングが、レンブラントの絵みたいに浮かび上がっていた。
その向かいに座するのは、家の主である、あやめだ。
彼女たちの間で交わされた話をまとめて、小隊長がこう述べる:
「――つまり、こういうわけか:100年前には我々が説明したようなことは何も起こらなかったし、人類は滅亡の危機に追い込まれてなどいない。そもそも我々の言う100年前は、ちょうど今年のことである、と」
アイの偏った通訳を介した対談は、認識のすり合わせという点では、成功だったと言える。
「しかし、アヤメの言うことが正しいと仮定すれば、ますます訳が分からなくなるな」
悩み込んでいる様子の3人に、あやめが適当に思いついたようなことを言ってきた。
「お前ら過去にタイムスリップでもしてきたんじゃねーの?」
それならば3人の考えてきた設定にもつじつまを合わせてやれるというものである。
アイがすかさずその案を伝達すると、「その可能性は捨てきれないな」などと真剣に考慮しだした。確かに、あやめが見せてくれた小さなカレンダーは、年を表す数字が4つ並んでいたが、それは彼女らの生きる年代よりぴったり100年遅いものだ。そして、日付は彼女たちとは20と数日ずれている。
「本カレンダーに従って日付を修正いたしました」
また、この家にある機械は、資料で「100年前の技術」として紹介されていたものに類似している。あやめの車が武装されておらず、純粋に移動に用いられているのも、その証左に思えた。
実際にそれが真実であるかは別にして、それが数々の矛盾を一気に解決してしまうので、プトレマイオスが周転円によって惑星運動の現象を救ったがごとく、それは彼女らのなかで革新的な真理として受け入れられた。
「小隊長。もしかしたらですよ」
あおめが、使命に燃えている様子で、ウキウキしだす。
「私たちが世界を救えってことじゃないっすか?! おとぎ話みたいに!」
なるほど、その発想は空想の話に大きく影響されているが、ちょうど100年前に飛ばされたことに何らかの必然を感じずにはいられないのも、確かだ。
小隊長は冷静に考え、答える。
「落ち着け。仮に救えたとしたら、私たちの存在はどうなる? 下層のドブから生まれた人間だぞ」
「……確かに? じゃあ救わなくていいや」
「で、でも、わた、私たち巻き込まれちゃうかも」
「確かにそうだ。今のうちにあの付近に戻っておいた方がいいか?」
そうやって議論をしていると、あやめがあくびを大きくしたあと、急に立ち上がった。小隊長は話し合いを続けつつ、その動向に注目する。彼女は台所に行くと、冷蔵庫を開き、何かを取り出した。それを3つに分けて、小隊長らの前に、フォークとともに置いた。
「アヤメ、これはなんだ」
《アヤメ、これナニ》
「甘いもんだよ。聞いた話だと、まともな食事取ってないっぽいしな。食べてみ、未来人さんよ」
《甘味です。聞いたところによると、大したものは食べていないように見える。食べてみせよ》
そう言われ、今一度手元の皿を見る。フォークを見たことがない彼女らは、試しにそれで自分の肌をツンツンと突いてみた。すかさず、あやめから突っ込まれる。
「違う違う。それで食べるの」
《繰り返される過ち。それで食え》
彼女のジェスチャーを見て、食器であることを理解する。しかし、すぐには食べず、まずはじっくりとそれを観察した。
それは、ロールケーキである。元は1人分のサイズであったから、3等分されたそれはかなり薄っぺらい。しかし、彼女らにとっては、もしその全体が余すことなく甘味であるならば、今まで見たもののどれよりも大きいお菓子だった。そもそも、固形の砂糖以上の何かというのが、滅多に見るものではない。
「のっぽ、ぱつ金。これは何だと思う」
あおめが、手で仰いで嗅ぐ。目を細めた。
「とても……甘い匂いが……します。ただちに食べるべきだと思います」
えいらは、フォークでツンツンしている。
「たたっ、食べたい。あっ、いや、ど、どくかもしれません」
誘惑に抵抗しきれていない様子だ。
「では、私が食べてみる」
ぎこちない動きで、フォークを使って一部分を切り取り、刺してゆっくり持ち上げる。口まで持っていく。
口に含むのとほとんど同時に――
「――な、なんだこれ!?!?」
小隊長が目をかっぴらいて、立ち上がった。あまりの驚きように、毒だったかと思った部下たちは吐き出させようとするが、どうやらそうではないらしいとすぐに分かった。
「これ甘っ! めちゃくちゃ甘いぞ!」
部下たちは、慌てて自分の分を食べはじめるのだった。甘いとは富である。富を貪り食うことほど、刹那的に気持ちが良いものはない。
「親戚の子が上で寝てるから、静かにしてくれ」、と家主が言う。アイからそれを伝え聞いた3人は、興奮の声を抑えた。
さて、そんなことを挟みつつ、兵士たちの議論は続く。時刻は午前2時になろうとしていた。
ちなみに、彼女らを見張るようにして腕組みしていたあやめは、そのまま眠ってしまったようで、3人は小声にならざるをえなくなった。そっとソファにその体を横たえ、軍用の(少し汗臭い)ブランケットを腹のところにかける。
甘いお菓子をくれた現地人あやめは、彼女たちの中ではもう立派なアミーゴであるので、それくらいの気遣いは当然だ。
それで、彼女たちの最大の懸念は、100年前に起こったまさにその出来事に巻き込まれるのではないか、ということだったけれど、アイによれば本来それはこの年の始まりにあったことらしい。だから、真夏になっても何事も起こっていないのは、タイムスリップ仮説が正しいとするならば、そういう災害が起こらなかった世界線であるからだと考えるのも、また妥当性のある説に思われた。すなわち、ここは世界のちょうど分岐したところで、彼女たちの世界に起こった変化については、もはやその心配はないのである。
「じゃあ、いつ帰るかだが――」
3人は、アイとも相談しつつ、以下の結論に至った:タイムスリップ後もエレベータ自体は消えていなかったことから、おそらく地下都市内の時間軸と、こちらの時間軸は、そのエレベータによって結びつけられている。つまり、今が過去であれ、エレベータが動くのは30日後というのは変わりないはずだ。よって、本来の偵察任務の大部分は破棄し、30日の間は、情報収集を行う程度に留める。
「そして、当分の拠点はここにしよう。最初に出会った現地人が友好的で助かった」
寝ている家主を放って、話は進む。彼女らに食べ物を与えるとは、そういうことであった。もちろん、貰うだけに終わるわけにはいかない。彼女らは常に対価を与える準備ができている。すなわちそれは兵士としての働きだ。この状況でそれが求められているとは思えないが、とにかく彼女らにはそれしか返せるものが無い。
「アヤメの家に変なのが来たら、殺してあげよう」
「そっすね」
用心棒としては少々頼りがいがありすぎると言うか、実際に殺してしまうのが問題なのだが、ともかくとして、あやめの安全が確保されたのは間違いなかった。
だが、日常という概念を象っているかのようだったリビングが、銃やナイフなどの物騒な小物に占拠されつつあるのを見ると、対価として釣り合っていたかは微妙だ。
――午前3時、話し合いは終了した。家の主が熟睡している手前、おしゃべりに花を咲かせるわけにもいかず、あやめのガーディアンとしての契約(勝手に結んだ)もあるから、眠っている彼女を放置して外に出るわけにもいかない。結局、真っ暗にした部屋の中、ソファでおねむの彼女を囲んで、静かに見張っているという、珍奇な状況が生まれるに至った。
「あ、クモ。地上のやつはでかいな。捕まえとけ」
「後でアヤメにも食べさせてあげましょうよ」
「ひひ、ひひゃく、100年前の人って、クモは食べないんじゃ……」
「茹でて、足はもいどけば大丈夫だろう」
この後、目を覚ましたあやめが、用意されたごちそうを前にして、眠気も吹っ飛ぶ大絶叫を上げたのは言うまでもない。




